5話 3人の体温は俺を中心に上昇していく
俺が女神と初めて会った日はちょうど満月の夜だった。
その夜、俺たちは庭先に出て、三人で満月の下でささやかな宴をした。この世界では、夜空を見上げると無数の星が空に浮かんでいる。都会の喧騒なんて見る影もない、優しい明りが空には広がっていた。その中でも満月はひときわ人間のことを明るく照らしてくれる。電気なんてないこの時代で、月の光は何よりも神聖で、光り輝いていた。
「太郎ちゃんが生まれてから、もうすぐ一年くらいがたつのかねえ。去年一緒にこの月を見たのを覚えているかい?」おばあさんが月見団子を用意しながら俺に訊ねる。
「いや、さすがに生まれたばかりの時の記憶は覚えてないよ」
俺は赤ん坊の記憶はないということにしている。意識は確かにあったけど、それを話したら、いよいよ人間離れしてしまいそうで怖かった。
「そうかい、さすがにすごい太郎ちゃんでも赤ん坊だったということは変わりないんだね。さあ、お団子できましたよ」
満月の日にはいつもお婆さんが月見団子を作ってくれる。おばあさんの作る月見団子はいつも温かい味がする。作り方なんて、もともといた世界と同じはずなのにその味には確かな人の温もりがあった。俺はその団子のために、満月をいつも待っている。この団子を食べていたから、もしかしたら俺は成長できたのかもしれない。そんなことを言われてもきっと俺は信じてしまうことだろう。
「太郎ちゃんは本当にこの団子が好きじゃねえ」おばあさんは、俺が月見団子を食べているといつもニコニコしながら眺めている。
「この団子を食べていると何だか不思議な力がもらえるんだ。体の底から元気になれるっていうかさ、そんな感じ」
「そりゃあ婆さんが一つ一つ愛情込めて作っているからのう」おじいさんも言う。
「たしかに、それは最高の味付けだよ」
俺とおじいさんが笑いながら団子を頬張る。おばあさんはそれを聞いて、そっと俺の体を抱きしめた。おばあさんは俺の肩くらいまでの身長しかない。それでも、俺の胴をしっかりと抱きしめ、俺のことをしっかりと見上げながらおばあさんは言う。
「太郎ちゃんが食べてくれるなら何個だって作りますよ。あんたの生まれは桃だとしても、あたしたちの大事な息子なんだ。女神さまから預かった大事な一人息子じゃ。何があろうとあたしたちが育てていくからの」
胴から感じられる体温は、ただただ温かかった。秋の風が俺とおばあさんの間を吹き付けていったが、寒さを感じなかった。そこにはただ、俺とおばあさんの混ざり合った体温があるだけだった。そしてそれはすぐに、3人のものになる。俺の空いている側におじいさんも抱きついた。俺たち3人はお互いの体温を確かめ合いながら、それぞれの魂を一つに混ぜ合わせた。
気が付いた時には俺は涙を流していた。体がどんどん熱くなっていくのを感じる。3人の体温は俺を中心に上昇していく。俺の胸の奥にこみあげてくる衝動は、両端にいる二人の体温によって押し上げられてとどめることができなくなっていた。
「太郎ちゃんどうしたのさ。涙なんて」おばあさんが涙に気づく。
「わからない。でも止められないんだ。俺、こういうの初めてだったからさ」
おじいさんとおばあさんは少し顔を見合わせていた。それからおじいさんが言う。
「太郎もいろいろなことがあったんじゃろうな。そりゃ桃から一人でわしらのもとまでやって来たんじゃ。心細かったろう。でも、今はわしらが付いているからな」
俺は二人に対して、言葉にならない声でいろいろなことを言っていた。ありがとう、うれしい、あいしてる……。当たり前の言葉のはずなのに、今までほとんど使ったことのない言葉だった。そんな言葉を言ったところで「バケモノに感謝された」と嫌がられるだけだった。でも、今はその言葉の意味で使うことができるし、相手にもそのまま受け取ってもらうことができた。たとえそれがうまく言葉になっていなくても、おじいさんたちには確かに伝わっていた。
宴はその後も続いた。月夜の下で俺たちは互いに体を寄せ合いながら団子を楽しんだ。この暮らしがずっと続けばいいと思っていた。でもその夢は一晩のうちに打ち砕かれた。
――女神が俺の目の前に現れたから。
目薬の消費量が3倍に増えました。そろそろ質にもこだわろうかな。