39話 牛乳でも飲もうぜ
扉の先からは大きく光が漏れ、一瞬その先にあるものが光に包まれていた。しかしその光はすぐにシルエットを映し出した。シルエットの持ち主はそのまま広場に駆けだした。家の光から徐々に夜のやさしい光に包まれたモモは家から飛び出し、意図せずにではあるが、俺の方に走って来た。
俺たちは広場の真ん中で目が合った。モモは俺の姿を見つけて立ち止った。その顔からは驚きの表情が表れていた。どうして俺がここにいるのか、自分の目を疑っているようだった。しかし、次第にモモの驚いた顔は緩んでいった。その目には涙が浮かび始めていた。顔をうつむかせ方を揺らすモモ。広場にはモモのすすり泣くような声だけが響いた。
俺はモモのいる方に近づく。そして刀を置いて、モモの肩にそっと手を寄せる。モモの体はさっき見た時よりも傷だらけになっていた。きっとさっき男と何やらいざこざがあったのだろう。小さく、傷だらけになった体でも、モモはなんだかたくましく見えた。モモが頭を俺の型の上に寄せた。それは温かく、少しだけ湿っていた。
「逃げてるんじゃねえぞ」
家の中から怒号が聞こえてきた。モモの体が一瞬強く震える。俺から体を離し家の方を振り返る。空いたままの扉から、鍛冶職人がやって来た。男はまっすぐに歩きながらモモに向かって何かを叫んでいる。その目は殺気がこもっている。男はモモだけを一転に見つめながらじっくりと歩み寄る。怒りにとらわれて、俺の姿まで意識の中に取り込むことができていないようだ。まるで、人間の皮をかぶった鬼のようなものだ。男の姿を見ながら、俺の中で怒りがこみあげてくる。
モモは足が震えてしまい動けなくなってしまっていた。胸の前に置いている手がひどく震えている。男の声を聴くたびにその震えが強くなっている。息が細かく、荒い。モモの中に植え付けられてしまっている恐怖が、男の声と共に再生されているみたいだ。
俺はモモの手を軽く触れた。モモの震えが少しおさまる。不安そうな表情をしているモモに俺はそっと微笑みかける。
「大丈夫だから」
「……でも、」
モモはそういったきり喋ろうとはしない。不安で口がうまく動かせないのかもしれない。ただ目を泳がせながら俺の顔を見たり見なかったりしている。
俺はモモの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。モモの首が俺の手の動きに合わせて回る。モモの髪の毛は、前の世界にいた時と同じようにやさしい手触りだった。どんな姿になっても変わらない。モモは今も変わらずに俺の前にいてくれるんだということを確信した。
「あとで牛乳でも飲もうぜ」と俺は言った。前の世界で一緒に飲んだミルクの味を思い出す。
モモはそれを聞いて困ったように笑った。
「この世界にそんなものあるんですか?」
俺はそれには答えなかった。答えがわからなかったからかもしれないけど、別にモモと飲む者なんて何でもよかったからだ。また一緒にご飯が食べられるのなら、それでいい。
刀を拾い上げ、男の方に歩き出した。




