33話 約束と違うじゃないか
鬼はしゃべり終わると息を切らしながらしばらくそのままじっとしていた。鬼の吐く息はひどく荒く、途切れ途切れに何かがのどに詰まっているような音を立てていた。
俺は鬼の話を聞いている間、ずっと刀を鬼の首に当てたままでいた。はじめはただ首筋に当てられていただけの刀は、今では鬼の首に刀身を少しだけめり込んでいた。傷から血がたらたらと流れる。
わかっていたことではあるが、鬼の話を聞けば、どれだけこいつらが自分勝手な論理で人間を襲っていたのかがわかる。「自然の流れ」だって? そんなものは鬼たちが勝手に決めた論理じゃないか。そんな自分勝手な考えで生きている奴らだ。少しくらい理不尽なことが起きたって文句を言える筋合いはないぞ。
鬼は視線をずっと俺の方に向けながら、刀をどかすように促している。もう取引を全うしたんだから言うことを聞け、とそういわんばかりの傲慢さだ。俺はその要求には応じずに刀から手を放さずに、もう少しだけ力を籠める。刀は肉との摩擦音を奏でながらゆっくりと鬼の首に入っていく。鬼は力のないうめき声を上げる。時間がたつごとに体力を消耗させているようだ。
「約束と違うじゃないか」
鬼は言った。刀身はもう半分ほど鬼の首にめり込んでいた。鬼がしゃべると首の筋肉も一緒に動いているのがわかった。こいつはまだ生きている、その感覚が俺の中で静かに胸をざわつかせていた。
「俺は約束通りお前の欲しがっている情報を提示してやったぞ。これは取引なんだ。情報を提示したからには、こっちの要求も呑んでもらえなきゃいけないだろ」
「そういうお前らは、人間からの取引をちゃんと飲んだことはあるのか?」
俺は刀に込めた力をゆるめることなく鬼に訊ねてみた。
鬼はすぐに返事をすることはなかった。少し考えるように目を閉じながら、鼻で笑った。
「あるともさ。むしろいつだって俺らは人間の要求を呑んでやっているぞ。あいつらは『命を助けてほしい』と言っている。だから俺たちは奴らの命を助けてやる代わりに食料や必要なものをもらっていく。どうだ、立派な取引だろ?」
鬼は自信満々だった。めちゃくちゃな論理だ。きっと実際の場ではこんな正式な取引なんて行われていない。勝手に鬼が「取引」だと言い張っているだけの単なる略奪だ。それなのに、いざ自分がその立場に立った時には取引がどうとかなんて言い張り始める。
「まだ取引は終わってないぞ」と俺は言った。「まだ俺の聞きたい情報を全部聞けたわけじゃないからな」
「まだあるっていうのかよ」
鬼は吐き捨てるように言ったそれから。それから俺のことをにらみつける。すっかり自分が主導権を握っているような態度だ。首から下は傷だらけの体だというのに、首が動かないいま、そのような自分の状況が理解できていないのかもしれない。
「情報を教えてやるのはいいが、そのためにはこの首にある刀を抜いてもらわないといけないな。これがあっちゃ痛くて話すこともできやしない」
鬼は必死に目を動かしながら刀をどかすようにまた促す。――戦いはまだ終わってはいないのだ。
俺は刀をもう一度強く握りしめた。刀は俺の力に反応するように手にくっついてくれる。自信満々だった鬼の顔にもう一度苦悶の表情が表れる。うめき声を上げながら鬼は俺の方をにらみつけてきた。その目にははっきりと恨みと殺意が込められていた。その勢いに負けないように俺は鬼に言い放った。
「情報が話せないというのなら、取引が成立したことにはならないな。取引が成立しないのなら、お前の首を斬るしかないんだ。……どうする?」
我ながらよくこんな言葉が出てくると思うが、鬼を目の前にすると、今までのことをすべて忘れて言葉が湧き出てくる。きっとずっと頭の中で語りかけてくる謎の声の影響なのかもしれない。それでもそんなことを躊躇する間もなく、鬼に対する言葉は自然なものとして俺の口から発せられていた。鬼たちが人間への略奪を正義としているように、俺にとってはこの鬼を退治することが俺の使命なのだ。
「わかったよ」と鬼は言った。
俺は刀の手を緩める。刀身はすっかり鬼の首の中にめり込んでいた。切り傷からは血が床に流れ続けていた。人間だったら緊急搬送ものかもしれない。それでもまだしゃべることができているのだから、やはり鬼の生命力はおそろしい。
「何を話せばいいんだ?」と鬼は訊ねた。取引は成立した。
「あの男――鍛冶職人のことだ――には連れがいただろ? 犬みたいな恰好をしている女の子だ。彼女とあの男はいったいどういう関係なんだ?」
モモのことだ。
モモがいったいなぜあの男に支配されているのか、それだけは聞いておきたかった。必ずこの鬼が何かしら関係しているはずなのだ。
「ああ、あの女のことか」鬼は思い出すように言った。
それからどこか馬鹿に知るような笑みを浮かべながら話し始めた。




