31話 取引をしようぜ
鬼の首を目指して一歩ずつ歩いていく。鬼の体はやはりごつごつしていて足の踏み場に困ることはなかった。そもそも、こんな奴に気を使う必要なんてない。刀からはまだ血が滴り落ちている。それは俺の歩に合わせて鬼の体の上に血を垂らしている。自分の血に染まっていく鬼の体は、これからその身に襲い掛かることをあらかじめ示しているようだった。
鬼の左腕からは血が流れ続けている。飛んで行ってしまった左手の先は、鬼の首の先の方に転がっていた。鬼はこん棒を持っていた右手で形のない左手をかばいながら、徐々に近づいてくる俺のことを凝視していた。
「く、くるな」
そういった鬼の声は震えていて、元の声量によって何とか聞こえるものになっていた。さっきまでこん棒を振り回してい怪物と同じ生き物だとは思えない。
俺はその声を無視しながら進み続ける。鬼の胸にまでたどりついたところで一度立ち止る。硬い筋肉に覆われた心臓は小刻みに触れながら恐怖を表していた。その鼓動は外殻を突き抜けて、上に乗っている俺にまで伝わって来る。
「怖いか?」と鬼に訊ねてみた。
鬼は何も答えない。突然放たれた問いの意味を飲み込もうとしているのかもしれない。左手が痛くてそれどころではないのかもしれない。とにかく、鬼は何も答えずにただじっとしていた。
鬼の首に向かって一度刀を向けてみる。刃先が首に向けられると「ヒッ」っと情けのない声が鬼から漏れ出た。刀はまだ首にまだは届きそうにない。刃先から鬼の血が鎖骨のあたりに滴り落ちる。死の宣告は間違いなく進んでいる。
もう一度鬼の首を目指して歩き始める。もう距離はほとんどない。振動の中心が遠くなっていくのを感じながら血のついた鎖骨の上に来る。首はもう近くにある。
その途端、俺の上に大きな影ができた。上を見上げる。そこにはさっきまで左手をかばっていたはずの右腕がいた。鬼は顔をこわばらせながら右手を振り下ろして来た。
俺は態勢を変えないまま振り下ろされる腕に合わせて刀を振った。さっきの鍔迫り合いの中で、もう力の加減はわかっていた。何も意識しなくても力は勝手に出てくれる。刀は綺麗に鬼の右腕を切り落とした。血しぶきが俺の顔にかかる。生臭い、とても嫌な気分だ。鬼の悲鳴がまた部屋の中にこだまする。その顔は痛みに歪んで見るに堪えない表情をその顔面に映し出していた。
もう一度刀についた血を振り払う。刀の血は鬼の首にかかり、そのまま顔にも飛び散った。
鬼の血を被ったせいだろうか、視界が赤い。視界だけじゃない、頭の中も赤くなっているような気がする。赤いという言葉で表現していいのかわからないが、とにかく赤い。目の前にある鬼の首を討ち取ることだけをとにかく考えている。鬼の血をかぶり、この部屋の中に立ちこもっている匂いがそうさせているのかもしれない。
刀を鬼の首に当てる。首だけでも俺の肩幅くらいはありそうだが、別に切り落とすのは簡単だろう。
「待て……待て!」
鬼は大きく叫んだ。そのあまりの大きさに思わず動きが止まってしまう。
鬼は息を荒くしながら、ガラガラになった声で続ける。
「取引をしようぜ。お前の望むものならくれてやる。何が欲しい? 財宝か、力か? お前の目的はなんだ」
俺はため息を漏らす。
「俺の目的はお前らを退治することだけだ」
それだけ言うと俺はもう一度刀を握る。取引の余地なんてないのだ。俺はこいつを倒さなければいけない。それが俺の使命だ。もう一度鬼の首に刀を合わせる。
「そ、それなら情報が必要じゃないのか?」と鬼はもう一度叫んだ。あいかわらずの大音量だ。
「これから鬼と戦うんだろ。俺が味方してやるよ。必要な情報があるだろ? 俺が答えてやるからよ、それで取引をしようぜ」
鬼は震えた声で必死に訴えていた。
情報か……。
鬼と取引する気なんてなかったが、いくつか聞きたいことはあった。俺は鬼の首に刀を石当てたまま鬼に訊ねる。
「それなら聞きたいことがある」
鬼は俺が取引に応じたと思ったようだ。顔に安堵の表情が浮かぶ。
「お前はなぜあの男と手を組んでいるんだ?」
ずっと気になっていたことだ。それに女神も気になっていることだろう。なぜ人間と鬼なんかが手を組んでいるのか。あの男のことを知るためにも聞いておきたい。
「ああ、あいつのことか」
鬼は思い出したように言った。その声はガラガラだが、さっきよりも落ち着いていた。声量もおさまっている。
鬼はそのまま静かに語り始めた。




