3話 やることは一つしかない。
桃に振り下ろされた包丁。切り進めらる桃と、その中にいる太郎。
彼はいったいこのピンチをどう切り抜ける?
どうぞお楽しみください。
おじいさんが振り下ろした包丁は桃の先端に突き刺さったらしい。でもその音は桃を切るときの柔らかい音ではなかった。どちらかというと大根を切っているようなシャキッとした音が響いていた。俺は心の中で、切ろうとした瞬間に桃が割れてくれるんじゃないかと期待していた。しかし、現実はやっぱりそんなに甘くない。
「おや、おかしいのう。桃はこんなに硬いはずはないんじゃが」おじいさんは困惑しているらしい。
「そりゃあ、特別な桃ですからね。普通の桃とは違うんですよ」おばあさんの笑い声が聞こえる。
桃を切る音は少しずつ俺の方向に近づいてきていた。始めは遠くに感じられていた音がだんだんと現実味のある音に変わっていく。それも切り進めていくうちに勢いも増しているようだ。桃は外側は硬くて(中の俺のことを守ろうとしてくれているのだろうか)、中に進めば進むだけ柔らかくなっていくらしい。そしてその中には俺の命も隠されている。
おじいさんもおばあさんも中に俺がいることなんて知るはずもない。俺はただ願うことしかできなかった。女神様、もしいるなら助けてください。俺はいるのかよくわからない女神とやらに何度もお願いをしてみる。しかし、そんな願いもむなしく、包丁の音はどんどん大きくなるだけだった。
音が一度止まる。おじいさんの息を吐く声が聞こえる。桃が切られる前よりも外の音が大きく聞こえるようになっていた。今では外にいる二人の細かい息遣いも聞こえる。
「爺さんや、やっぱり包丁を研いでおいて正解じゃったろ?」
「そうみたいじゃの。さすが、おばあさんの勘はよく当たる」
二人の笑い声が聞こえる。俺にしてみれば、いい迷惑だ。もう少し切れ味の悪いものにしていてくれれば、もっと安全に俺のことを見つけられるはずなのに。どうしてこんないらない不安をしなくちゃいけないんだ。
そんなことを考えていたら、突然、目の前に刃物が飛び出して来た。視線のすぐ先に包丁の刃先がある。俺がいらない考え事をしている間に、おじいさんは作業を再開させていたようだ。まさか俺の暗闇以外で初めて目にするものが、この包丁になるとは。何ならもうちょっと珍しいものであってほしかった。
「婆さんや、何やら桃の中に空洞があるみたいじゃ」
「そんなことがありますかいな」
「とりあえず切り進めてみるしかないかの」
そういうと、おじいさんは包丁をさらに下へと進めようとする。こうなってしまってはもう俺が切り刻まれるのも時間の問題だ。何とかしてこの状況から抜け出さなくてはならない。別に死ぬことは怖くはないけど、何が起こっているのかようわからないまま死ぬのは嫌だ。
包丁は、俺の腹あたりをかすろうとしていた。もう何をするか迷っている暇はなかった。俺に今できることは動くことか声を出すことしかできない。でも動けば包丁が刺さってしまう。そうなればやることは一つしかない。――俺は全力で叫んでみることにした。言葉に出来ないのはわかっている。それでも、何かが中にいるということが二人に伝われば、それで俺は助かるはずだ。俺は今まで生きてきた体の感覚を思い出して思い切り声を出してみる。
結果、俺の声は大きな泣き声となって響き渡った。桃がどうなったのか、おじいさんたちがどういう反応をしたのか、構うことができなくなった。泣き始めた瞬間、俺の感覚全ては泣くことだけに注がれた。泣いている中で、俺は「佐藤太郎」として生きてきても経験したことのないほどの涙を流した。一生分の涙だ。泣いている最中、俺の体に切るような痛みはやってこなかった。おそらく傷つけられることはなかったのだろう。どういう形であれ作戦は成功したのだ。
思う存分泣いたら、だんだんと意識が平常に戻って来た。ゆっくりと目を開けてみる。そこから見える景色はもう暗闇なんかではなかった。そこは畳と木材で構成された小さな家の中だった。天井は藁でおおわれている。昔話によく出てくる、昔ながらの日本の家だ。そして、その部屋の隅っこから、おじいさんとおばあさんが抱き合いながらこっちを見ていた。
おばあさんは俺のことを指さしながら、口をぽっかりと開けている。そんなお婆さんを抱きよせながら、おじいさんもまじまじとこちらを見つめる。俺はおじいさんたちは失神してしまうのではないかと心配していたのだがどうやら大丈夫だったみたいだ。安心したところで、俺は自分の姿を確認してみる。やっぱり腕は短い。それでいて、もちもちしている。やっぱり今の俺の姿は赤ん坊らしい。桃に目をやると、それは割れて真っ二つになっていた。切った跡を見てみる。上半分は綺麗な切れ跡になっているが、下半分はごつごつしていた。人が切った跡には見えなかった。
「婆さん、婆さんや」おじいさんは震える声でおばあさんはに呼びかける。
「これは、これは間違いなく女神さまからの贈り物じゃ。こんなかわいい子を私たちに下さるなんて」
「わしたち、息子もいなかったのに、こんな孫みたいな年齢の子供を授かることになるとは……」
「爺さんや、これも女神さまのためにこれまで生きてきた証なんじゃよ」
さっきまで腰を抜かしていた二人は、四つん這いになりながらも俺の方に近寄って来た。そして俺の体についた、汗やら果汁やらを綺麗にふき取った。
「この子の名前はなんて付けてあげましょうかね」おばあさんは何とか立ち上がって、俺を抱き上げる。そして俺の顔をじっと眺めながら名前を考えていた。
「桃から生まれたから『桃さま』かの」
「爺さんや、そんな名前では女神さまに申し訳ないじゃろうが。ここは桃と女神さまを合わせて『桃神さま』なんて言うのはどうじゃろうか」
ええい、どれも却下だ。桃はあいつと被るし、こんな世界で神様になってたまるか。俺の名前は太郎なんだ。孤児院でつけられた名前だが、この名前で16年間生きてきた。俺の名前は太郎、たろう、タロウ……。
「ちゃりょう」
不意に俺の口から言葉が漏れた。漏れたと言っても、それは正しい発音とは程遠いものだ。それでも、俺がこの体で初めて発した言葉だった。おばあさんが目を丸くして俺の顔を見つめる。そして言う。
「爺さんや、聞きましたか、今の。この子、自分で名前を名乗った。太郎じゃ、太郎。そうじゃ、桃から生まれたから『桃太郎』じゃ。これで決まりじゃ」
おじいさんは、おばあさんの付けた名前を聞いて何度もうなずいている。そして何度か、ももたろう、ももたろうと唱えると、おばあさんと一緒になって俺のことを抱き上げた。
――こうして「桃太郎」としての俺の新たな生活が幕を開けることになった。
少しずつ更新頻度を上げていけたらと思います。自分のペースをつかめるようになるまでは、毎日投稿目指して一日少しずつでも投稿していけたらと思います。