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2話 ただ、完全な暗闇が俺の身を包んでいた

太郎が転生してきました。目が覚めたら完全な暗闇の中にいる。その中で彼はどうやってこの世界のことを知っていくのか。

太郎の新しい物語が幕を開こうとしとしていた。

目を覚ました時、俺は天国にも地獄にもいなかった。ただ、完全な暗闇が俺の身を包んでいた。地獄の審判もいなければ、天使もいない。もちろん、モモも俺のことを待ってはくれなかった。飛び降りる前に聞こえたモモの声も今では聞こえない。


ただ分かったことは、俺はまだ生きているということだった。暗闇の中でも、俺は確かに自分の呼吸する音が聞けた。自分の吐いた息が、生暖かい風となって俺の顔に跳ね返って来る。どうやら天井は案外近くにあるらしい。少しずつ、体の感覚が敏感になっていく。背中が湿っている。汗というよりかは、背中が当たっているところが水分を覆っているようだ。硬くはない肌触りだ。耳を澄ますと、何やら水の音がする。


ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷ……。

水そのものの音というよりかは水に何かが跳ねているような音。それが暗闇を通して俺の耳に入って来る。どうやら俺は何かに包まれているらしい。どことなく甘い匂いがする。


だんだんと俺の感覚は冴えていくが、どうしてこのような場所にいるのか、それだけは全く見当が付かなかった。一体ここはどこなのだろう。俺はどうしてこんなところにいるのだろう。何度自分に問いかけてみても答えは出てこない。そもそも、俺は高校の屋上から飛び降りて死んだはずだ。5階建ての高校の屋上だ。飛び降りて生還することなんてほとんど不可能だろう。仮に生きていたとしても、こんなに体の感覚がはっきりとした状態で目覚められるわけがない。飛び降りている最中、俺は確かに死を受け入れていた。


じゃあ、ここはいったいどこなんだ。生の世界でも、死の世界でもない。第3の世界?そんなもの聞いたことがない。どれだけ考えてみても、答えは俺の常識からはひねり出せそうになかった。答えを知るためには、俺はこの暗闇の中から脱出しなければならないみたいだ。


俺は暗闇の中で腕を動かしてみる。動かしてみると、案外自分のすぐ近くを壁に覆われているということが分かった。それも背中に感じるのと同じ湿り気のある壁だ。また、俺は自分の腕のリーチが随分と短いことに気が付いた。腕だけじゃない、体全体が小さくなっている。頭から体を触ろうとしてみる。俺の腕は頭の頂点を触ることができなかった。足も太ももまでしか届かない。肌は、周りの湿り気の影響もあるのだろうか、やけにもちもちとしている。――赤ん坊ではないか。俺は自分の体に起こってしまった変化が頭の中に浮かんだ。しかし、それを納得するには時間がかかりそうだ。だいいち、体は赤ん坊なのに、こんなに普通に思考ができるというのはいかがな物だろうか。あの時、俺は確かに高校の屋上から飛び降りた。そしてどういう訳か赤ん坊の姿となり、謎の暗闇の中に一人でいる。


俺はもう一度、自分の周りにある壁に手を触れる。壁は俺の押す力に合わせてへこんでいるように感じられた。やっぱり硬い素材ではないらしい。壁を触った手のにおいを嗅いでみる。その匂いに俺は覚えがあった。


――もしかして。俺は一つの仮説を立てた。そしてもう一度壁に手を触れ、壁の一部をつかもうとしてみる。何度か壁をかきむしると手にべたべたする感覚が付いた。その手を戻して、そっと手のひらをなめてみる。やっぱり。それは桃の味がした。完全な暗闇の中で、少しずつ俺の身に起こっていることが明らかになっていく。俺はどうやら桃の中に閉じ込められているらしい、それも赤ん坊の姿で。そして、その桃はどうやら水の上に浮かんでいるらしい。


 もうここまでくると、頭の中には一つの物語しか思い浮かばなかった。桃太郎だ。小さい頃、孤児院の絵本で読んだことがある(もちろん一人で)。まあ、絵本で読んでいなくても日本人ならほとんど知っている物語なんだろうけど。問題は、その主人公と全く同じ状況が、今、俺の身に起こっているということだ。今まで生きてきた世界では絶対にそんなことはあり得ない。ということは、ここはいったいどこなんだ。俺の思考は延々とこの謎の中を探り続けている。



突然、桃が揺れた。俺の体は暗闇の中でひょいと浮かんだ気がする。暗闇の外側から何やら振動が中に送られてくる。多分、この桃をたたいているのではないだろうか。昔話どおりの展開ならば、川に洗濯に来たおばあさん、なんだろう。おじいさんであってはいけない。


「これはたまげた。こんな大きな桃は初めて見たよ」


外から声が聞こえた。しわがれた女の人の声だ。視界が真っ暗な分、外からの声に集中することができた。やっぱりこれは桃なんだ、仮説が確信に変わる。これもやはり物語どおりだ。俺は試しに桃の中から声を出してみる。おばあさん、そう言おうと思ったが舌がうまく動かず、言葉にならない音が漏れるだけだった。その音も果実の壁に吸収されてしまったらしい。


「この桃はきっと女神さまからのお召し物に違いない。早く爺さんに見せてあげなければ」


また声が聞こえる。やはり俺の声は向こうには聞こえていないらしい。これから、俺はおばあさんたちの家に持ち帰られるらしい。これもやはり物語どおりの展開だ。しかし、何かが違う気がする。何だろうか考えていると、突然桃にさっきよりも強い振動が加わった。水に浮いた時とは違う、細かく、それでいて力強い振動が桃の中まで伝わって来る。きっとおばあさんが桃を担いで歩きだしたのだろう。水に浮いていた時は穏やかであまり気にしなかった振動も、ここまでくるとちょっと酔いそうになって来る。


「女神様のお召し物。ありがたや、ありがたや」


おばあさんは桃を担ぎながら何やら鼻歌を歌っている。その歌の中では何度も「女神様」というワードが登場していた。俺はさっき感じた違和感の正体に気づく。――女神さまだ。俺の知っている桃太郎の話には女神なんて単語は一言も出てこなかった。そもそも神すら出てこない。ということは、ここはただ桃太郎をなぞった世界ではないということか?俺の頭はますます混乱していく。


突然、振動が激しく、そして小刻みになった。桃の中で俺は上下に激しく体を揺らされている。壁に体をぶつけるが、周りが柔らかいので痛くはない。これがコンクリートだったら死んでしまう。あの感覚を今味わうのは嫌だ。おばあさんは多分走り出したのだろう。洗濯道具と俺の体が入っている大きな桃を担ぎながら、走り抜けるおばあさん。なかなかタフな人なんだろう。俺はだんだんとこのおばあさんに興味を持ち始めた。


しばらくしてようやく揺れが収まった。おばあさんの息遣いが聞こえてくる。もうおばあさんは鼻歌を歌ってはいなかった。おばあさんの荒い息には時々しわがれた音が混ざっていた。


「おかえりなさい。って、どうしたんじゃ、この桃は!」聞いたことのない新しい声が聞こえた。こっちは男性の声だ。やっぱりしわがれている。

「ああ、爺さんや。川で洗濯をしていたら、川の向こうからこれが流れてきたんじゃよ。どんぶらこ、どんぶらこって」

「それで持って帰ってきてしまったのか……」

「爺さんや、わたしゃ一発で悟りましたよ。これは女神さまからのお召し物じゃってね。私たちは女神さまと共に80年生きてきました。いつも女神さまのことを思い、日々の生活を大切に暮らしてきた。これはきっとそんな私たちへの、女神さまからの感謝のしるしなんじゃよ」


おばあさんは穏やかな様子で、それでいて確信に満ちた口調でおじいさんに話していた。その女神さまからのお召し物の中からこんな男の子が生まれてくるとなったら二人は驚くだろうな。……心臓麻痺とかしないよな?


「とりあえず家の中に運ぼう」


おじいさんがそういうと、再び桃の中に振動が伝わって来る。おばあさんの時より縦の揺れがはげしい(こんな足の振動を比べられるようになったって意味がない)。そして、どこかに桃は着地した。いよいよ俺が地上に出る時がやって来たのだ。期待と不安が胸の中で入り混じる。


「婆さんや、この桃を切れる包丁はあるかね」おじいさんが尋ねている。

「はいはい、ちょうど研いだばかりのものがありますよ。これなら種もまとめて切れる切れ味じゃよ」


種もまとめて切れるだと。俺はここで気づいてしまう。この世界は単なる桃太郎のストーリーをなぞった世界ではないということに。ここでは人々は確かに生きている。その生活の中には確かに現実の法則があった。桃の中は湿り気が多いし、外の振動が伝わって来る。おばあさんは桃を担いで来たら息切れをする。彼女たちには信仰している女神がいる。そして、桃を切るときには包丁を使う。しかも切れ味最高の、種まで切れる恐ろしい包丁。俺は嫌な汗をかきはじめた。これは絶対に桃の果汁なんかではない。おばあさんの足音が近づいてくる。


「それじゃあ、爺さんや。お願いしますよ」


あいよ、とお爺さんが答える。今、まさに包丁が俺の体を切り分けようと振り下ろされた。

主人公が転生してきたときには戸惑った方がいいのでしょうか?

最近は異世界転生ものもいろいろな種類があり、読んでいると転生してあっさりと順応している主人公なんかを見かけたりします。(ある種のメタ表現なのかもしれません)

異世界に転生することはわかっているのだから、そこで戸惑う必要なんてない!読みたいのは夢想する主人公なんだ!というのであれば、確かに謎解きのような戸惑いのシーンはいらなそうですよね。

僕としてはやっぱり、突然失らない世界に来たら戸惑うだろうし、そういう姿を書きたいなと思ってこの話を書いてみました。……いかがだったでしょうか?

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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