15話 森には森の中の規則があるのです
狐を先頭に俺達は再び夜の森を歩き始めた。日は落ち、あたりはまた暗闇に包まれていた。昨夜と同じ闇だ。
しかし、昨日1人で歩いていた時に感じた寂しさや恐れは今はもう感じなかった。今が1人じゃなくなった、ということも理由ではあると思う。しかし、それを除いても森の雰囲気が違う気がした。何かに見られているような冷たい視線や、俺のことを歓迎していないような重い空気が、今日はなかった。
そのことを狐に言うと、狐はしょげていた頭を上げて答えた。
「それは多分、わたくしと一緒にいるからではないでしょうか?」
「そういうものなのか?」
「確証はできませんが、ある程度は言いきれると思います。わたくしはこの森の中では名が知られていますから。わたくしについて、よく思ってくれる者、悪く思う者、どちらもおります。しかし、名が知られているということはそれなりの影響があるのです」
「……狐さん、すごいんだな」
「いえ、そんなことは」と言って狐は再び頭を元に戻した。しょげていた首が少し上がっている。足取りも少し軽やかになっているようだった。
その後も俺達は狐に森のさまざまな情報を聞きながら歩いた。森の中には川が二本流れていること、森の中には何百もの種類の生き物が住んでいること(もちろん人間も含んで)、森の中でさまよってしまった人間はほとんどが生きて帰れなかったことなど。狐は森の情報であれば答えられない質問は無かった。
「狐さんは森のことならなんでも知っているんだな」と俺は言った。できるだけ狐にはいい気持ちでいて欲しかった。
狐は謙遜していたが、しっぽが揺れているのを隠すことはできなかった。
「狐はね、森の情報を私に伝える役目を担ってもらっているの」と女神が言った。「森の中で1番長生きだからね」
確かに、狐の寿命はあまり長くないと聞いたことがあった。それにしては、この狐はだいぶ大人に見える。
「狐さんは今いくつなんだ?」と俺は訊ねてみた。
「私の記憶が正しければ、産まれてからもう80年が経ちますね」
「80年?!」
俺は思わず声を上げてしまった。狐を気遣うとか関係なく出た声だった。80年も生きる狐なんて聞いたことがない。そんなもの、人間の寿命と同じか、それ以上ではないか。
「まあ、人間の視点から見れば驚くことも無理ありませんね。人間の世界ではわれわれ狐という種族は5年も生きられないと考えられていますからね」俺の驚いている顔を見て、狐は笑いながら言った。なかなか愉快な笑顔だった。狐はさらに続けて言う。
「人間の世界で言われているものなんて、所詮は人間の世界の中だけで信じられているにすぎません。森には森の中の規則があるのです。人間の言うことが全てではありません」
「それで、森の規則の中では狐さんは80年以上生きることができると……」
俺は独り言のようにつぶやいた。森には森の中の規則がある。その言葉は説得力があったが、うまく納得するにはもう少し時間がかかりそうだった。これまでの常識が覆されていく。俺はもう一度頭の中をリセットしないといけないのかもしれない。
狐は俺たちと話しながらも、決して道を迷うことなく先頭を歩き続けていた。周りの景色はあいかわらず木と暗闇ばかりで、俺一人ならきっとどこに向かっているのか分からなくなってしまう。
狐ならきっとこの森の中を目をつぶりながらだって歩くことができるのだろう。それがこの森で長く生き続けている証なのだ。狐は80年生きているとは思えないほど軽やかな足取りで歩く。きっと80年といっても、この森の中の規則では、まだ老人というわけではないのだろう。
しばらく歩くと、ようやく変わらない景色の連続から解放された。




