10話 あれは確かにモモなんだ
どれくらい時間がたったかわからない。俺はその場でただ何も変わらない森の中の景色を見つめていた。目の前には紅葉に染まりつつある木があり、地面には落ち葉が広がっている。そんな景色だ。でも、たぶんその景色は俺の意識の中にまでは入ってきていなかった。俺はただ、さっきのやり取りを繰り返していた。
「聞き覚えのあるような気がします」と彼女は行った。しかし「思い違い」とも言い放たれた。俺はどちらの言葉を信じればいいのか。頭の中が混乱していた。
「無事だった?」
しばらくしてから女神が後ろから話しかけてきた。俺は女神の方に目をやる。彼女はもう姿をしっかりと現していた。
俺はうん、でも、すん、でもないような返事をした。力を入れることができなかった。俺はひどく疲れていた。
「今はとりあえず休んだ方がよさそうね。近くに休めそうな広場があったからそこまで行きましょう」
「歩ける?」と訊ねながら、女神は俺の手を取って立ち上がらせてくれた。俺は女神の補助をもらいながら何とか立ち上がる。
立ち上がった後も俺はモモが行ってしまった方をずっと見ていた。できることならここから動きたくなかった。モモの影を見失ってしまうのが怖かった。このチャンスを逃したらもうずっとモモとは会えなくなってしまうような気がした。
「大丈夫だから。まずは落ち着きなさい」と女神は言った。
女神はそのまま俺のことを背負った。俺は抵抗しようと思ったが、体に力が入らなかった。どうやら体は限界にきているらしい。女神の背中に載せられるまま俺の体は移動していく。
女神の背中の上は何の温度も感じられなかった。それが人間じゃないからなのか、なぜなのかはよくわからない。でもその温度がないことが、彼女が本当にこの世界で「女神さま」としてあがめられている存在なんだということを証明していた。
女神の歩く速度はのろくも早くもなく、一定のリズムを刻みながら進み続けた。この世界に法定速度なんてものがあるとするならば、きっとこの速さが基準になるのだろう、なんて思った。
俺たちは森の中の広場についた。今朝目覚めたところとはまた違う場所だ。見た感じは似ているが、広さや雰囲気が少し違う。昼間の光を浴びているせいかもしれない。とにかく、俺たちはそこに腰を下ろした。
「あれが噂の男ね」とモモは言った。
え、と俺は聞き返した。男なんてあの場にいただろうか。
「あの、モモを連れて帰って言ったやつのことよ。あいつ森の中に住んでいるとは聞いていたけど、何やら変なこと考えているみたいね」
女神は何やら厳しい顔を浮かべながら考え事をしていた。しかし、俺は女神の発した「モモ」という単語に注意が言った。
「あれはやっぱりモモなのか?」と俺は女神に訊ねた。
「そうよ」と女神はあっさり答えた。
「俺が前の世界で飼っていた?」
「いかにも。あれは確かにあなたの昔の唯一の友達だったモモちゃんよ。そんな名前の柴犬をこの世界に転生させた記憶もあるわ」
面白い偶然ね、と言って女神は笑った。
女神がそういうのならば、もう間違いない。あれは確かにモモなんだ。この世界で姿は変わっていたけれど、それは関係ない。問題なのはモモが俺との記憶を「思い違い」だなんていったことだ。それから、どういう訳か謎の男についていたということ……。
「それにしてもあの男、ちょっと情報が手に入らなくなっていたと思ったらあんな僕を手に入れていたのね」と女神は言った。
「しもべ?」
「モモちゃんよ。あんな首輪なんかつけさせられて、あんなの僕みたいなものでしょう。どういう経緯でああなったのかわからないけど、かわいそう」
俺は別れ際のモモの顔を思い出す。涙を浮かべたあの顔は、絶対に幸せな顔ではなかった。
「その男はどこに住んでいるんだ?」と俺は女神に訊ねた。「モモにもう一度会いたい」
女神は俺の顔を見た。そして軽く微笑んだ。
「まずは一度寝なさい。話はそれから」
そういって女神は体を伸ばした。そういわれてから急に体の力だが抜けていく。
陽の光が生ぬるい眠りの世界へと誘っていった。




