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1話 さようなら、くそったれな世界

高校の屋上には、昼休みだというのに多くの野次馬たちが群がっていた。


「太郎、早まるな!」


 担任の早川がフェンス越しに俺に叫びかけてくる。


 近すぎず遠すぎず、一定の距離を保っている。


 早川の赤いポロシャツは汗でびちょびちょになっていた。

 早川は何度も何度も低い声を屋上中に響かせる。さすがは体育の先生、よく声が通る。


「あいつ本当に飛び降りるのかな?」

「まさか。誰にも話しかけてもらえないから、かまってほしいだけだろ」


 野次馬の生徒たちは俺を指さしながらゲラゲラと笑っている。彼らの片手には購買の焼きそばパンが握られていた。


 ――どうせ死ぬ勇気なんてない。それが普通の人間の感覚なんだろう。


 野次馬たちはそれぞれ目の前で起こっている異常事態に興味を寄せながら、その中で湧き出る刺激に心躍らせていた。

 俺の死は奴らにとっては心配事ではなく、娯楽の一つなんだ。


「お前ら、あんまり刺激を与えるな!本当に飛び降りたらどうするんだ!」


 早川は必死に周りのやじ馬たちを鎮めようとする。


(あいつが飛び降りて、俺らの厄介ごとが増えたらどうするんだ!)

 俺にはそう聞こえてたまらない。


 俺の事を本気で心配する奴なんてこの世界に存在するわけがないんだ。

 口ではいくらでも正義のヒーローになれたって、心の中を覗いてみればみんな自分のことで精一杯だ。


「屋上って6階みたいなもんだろ?飛び降りたらさすがに死ぬよな?」

「佐藤なら死なないんじゃね?あいつバケモノだし」


 それもそうかなんて言って笑い合う、顔も名前も知らない野次馬ども。

 まだ高校にはいって半年だというのに俺は「バケモノ」として知れ渡ってしまっていたわけか。


 屋上に建てられたフェンスを飛び越え、俺はそのふちに立っている。

 いつもフェンスの内側から眺めていた町の景色はいつもより輝いて見える。


 7月になったとはいえ、屋上に吹き込んでくる風はまだ涼しい。


 俺はつかんでいたフェンスから手を離し、もう一歩前へ足を進める。


 野次馬たちがどよめく。

 早川はさっきにもまして何かを叫んでいるが、もう何と言っているのか聞き取れなかった。


 死ぬことは別に怖くなかった。どうせこの世界には未練もない。


 屋上や校庭で俺のことを見ている野次馬たちは、今は心配するような顔をしていても、事態が収まればすぐに俺のことをバケモノ扱いするに決まっている。


 こんなことで人々の意識が変わるんだったら、とっくの昔にそうしてた。

 望んで持ってきたわけでもない暴力性を持ってしまったために、俺はこの世界から省かれる。


 ――俺が死ぬことは、世界が望んでいることなんだ。


 下を眺めてみる。

 これから急降下していく最終地点、そして俺の死に場所。


 校庭では、学校の先生たち総出でこの事態に対応しようとしていた。

 と言っても、彼らがやることはただ慌てたような態度をとりながら、その場にとどまっているだけだ。


 誰も変にかかわって責任を取ろうとはしない。

 それも俺みたいな「バケモノ」扱いされている生徒のために。


 町の人達も徐々に野次馬として校庭に集まり始めていた。


 それらの人の中には心配そうな顔を浮かべる人もいるが、スマホで俺のことを何とか収めようとしている輩もいる。

 やっぱりこんな世界くそくらえ。


 校庭に集まる人々の中に一人知っている顔を見つけた。


 孤児院のおばさん。

 白いTシャツに紺のエプロンをつけたままの姿で校庭の真ん中に立っていた。


 学校のすぐ近くにある孤児院だから、騒ぎを聞きつけてやってきたんだろう。

 おばさんは最近増えたしわをさらに寄せながらこちらのことを眺めていた。

 俺は昔から目がいいんだ。


 俺は逆におばさんの事をにらみつけてみる。

 おばさんには俺の表情までは読み取れていないようだ。


 まったく、よくそんな顔をできたものだ。俺の事を最初に「バケモノ」と呼んだのはお前のくせに。


*****


 ――16年前、俺は孤児院の近くの川辺で拾われた。

 まだ冷気が町を支配している2月11日のことだった。


 河原でかごに入れられながら泣いているところを、たまたま通りかかったこの女に拾われて孤児院につれられることになった。


 かごの中には何のメッセージもなく、親の名前、誕生日はいつなのか、今何歳なのか、全ては不明だった。

 毛布一つかけられていなかったらしい。


 おばさんは仕方がないので、川で俺のことを拾った日を俺の誕生日とした。


 名前はわかりやすいからという理由で「太郎」と名付けられ、俺はおばさんの性と合わせて「佐藤太郎」としてこの世界で生きていくことになった。


「佐藤太郎」なんてどこにでもありそうな、なんでもない名前。

 それが俺のこの世界での名前になった。


 幼いころの記憶はあまり覚えていない。


 もっと言えば、おれは「太郎」という名前で呼ばれていたころの記憶がない。

 物心ついた時には俺は孤児院の中で「バケモノ」と呼ばれていた。


 孤児院では、おばさんのもとにいろいろな事情で集められた20人くらいの子どもたちが一緒に暮らしていた。年齢も下は0歳から、上は高校卒業するまで幅広かった。

 

 バケモノと呼ばれるようになったきっかけは、孤児院の子を傷つけてしまったんだと思う。


 子どもの頃にはよくある喧嘩だ。

 おもちゃの取り合いをしていて、つい相手の子を殴ってしまった。

 相手は俺よりも4歳くらい年上の男の子だったと思う。名前はたしかダイスケとかそんなとこ。


 軽くたたいたつもりだったけど、その子は叩かれると鈍い声を出しながらそのまま気絶してしまった。泣くこともなかった。


 おばさんはすぐに駆け付けた。

 俺の目の前で倒れているその子を見て、ことの重大さをすぐに判断したようだ。

 おばさんは俺を叱ろうとして、とっさにこちらを見た。


 しかし、おばさんと目が合った瞬間、その顔は冷たく固まった。


 見てはいけないものを見てしまったという、冷たい感情がそこには浮き出ていた。


 その時の、俺を見るおばさんの目は今でもはっきりと覚えている。

 もともと黒目の大きいおばさんが、その黒目を小さくしながらじっと俺の事を見つめる。


 そして、謝ろうとする俺を思い切り払いのけて、震える声で俺に言い放った。

「…バケモノ」


 それから俺の孤児院の中での生活は一変した。


 それまで仲良くしていた子もみんな離れていった。

 食事の時もみんなが仲良く食べている中で一人外で食べさせられた。


 おばさんが孤児院をすべて治めていたから、おばさんが言ったことに対してはどうすることもできなかった。


 俺が誰かと一緒に遊ぼうとすると、すぐに間におばさんが間にはいって道をふさぐ。

 そして離れたところで陰から俺のことを「バケモノ」なんて呼んでいた。


 俺のことを「たろう」なんて名前で呼ぶ子は気が付けば誰もいなくなっていた。


 孤児院でも、学校が始まってもずっと俺は「佐藤太郎」ではなく「バケモノ」という存在としてこの世界に認められていったのだ。


*****


 屋上にいる俺を見るおばさんの表情は、悲劇のヒロインそのものだった。


 ――どうして私の身の回りでは、こんなに不幸なことが起こるの? 

 なんて叫び出しそうだ。


 嘘くさい表情しやがって……。


 どれだけ良い面で外に出てきたって、俺にしてきた過去が消されるわけじゃない。

 孤児院を運営して、どれだけ聖人ぶろうとしたって自分たちの身を守るためなら当たり前のように人をバケモノ扱いする。

 人間なんて誰だって表情の奥に怪物をひそめているんだ。それをうまく隠して生きているだけだ。


「さっさと死んでしまえ!このバケモノ!」


 後ろから誰かが叫んだ。

 振り向くと、同じクラス男子生徒だった。腕に包帯を巻いている。


 なんとなく顔を覚えていた。


 一週間前、モモが死んだときにさんざん嫌味を言ってきたやつだ。


 モモは、孤児院の中で唯一俺と一緒にいてくれた友だ。

 友と言っても柴犬だけど。


 俺がバケモノって呼ばれるようになっても、モモだけは俺に近づいてくれていた。

 そんなモモももういない。寿命だからしょうがないことだけど、一人取り残された心の穴は大きい。


 あの生徒のこと、思わず殴っちゃったんだっけ。


 フェンス越しから叫びかける彼は強気に振舞っていたが、すぐに早川に押さえつけられ学校の中に連行されていった。

 それでも彼の声は野次馬たちに罵声を言わせるようにするきかっけとしては十分なものだった。


 バケモノ!

 お前がいると空気が凍るんだよ!

 いつもこっちの事にらみつけてきやがって!

 死んじまえ!


 みんな思い思いに叫び始める。

 野次馬というより、暴徒という方がもうふさわしいのかもしれない。


 おれへの恨みというよりかは、日々のストレス発散みたいに聞こえる。

 まるで死刑囚みたいな扱いだ。なにも罪なんて犯してないはずなのに。


――いや、生まれてきたこと自体が罪なのかもな。

 俺はそう考えて冷たく笑う。生まれてくる世界を間違えたのかもしれない。


「お望み通り死んであげますよ」


俺は後ろのやじ馬たちに対してつぶやく。

多分向こうには聞こえてはいない。罵声も収まらない。


 足をもう一歩前に踏み出す。もうつま先は地面についていなかった。


 これでいい。俺はこの世界には必要とされていない。

 今なら確信を持って言える。


 モモにも先に逝かれ、もうこの世界に俺と一緒にいてくれる存在は誰もいない。


 「バケモノ」なんて呼ばれているのだってもう仕方ない。

 俺が野次馬の立場なら同じように呼叫んでいたかもしれない。

 俺はそういう人間でははないと信じたいけれど。


 どこかからモモの鳴き声がした。もうこの世にはいないはずの声。

 俺のことを待ってくれているのだろうか。


「今そっちに行くから」

 俺は見えない声の主に返事をしてみる。


 もうこの世界ともお別れだ。いいことなんて何もなかった。

 わかったことは、怪物に対する人間の畏怖と、奴らの心の中に宿る悪意だけだ。


(でも膝の上で眠るモモの温かさも追加しとかないと)


 世界が俺を拒絶するのなら面白い。

 こんな世界こっちからおさらばしてやる。


 俺は体を前に傾けて、頭から地面めがけて飛び降りた。


 屋上からは悲鳴とも歓声とも違う、なんとも重い声が漏れていた。

 落ちていく時の中で恐怖はなかった。


 あと少しでモモに会える。

 この汚い世界とおさらばできる。


 そう考えるとその時間をゆっくりと味わうことができた。


 ――さようなら、くそったれな世界。

 俺の意識は闇の中へと落ちていく。


 でもそれは人生の終わりではなかった。

 むしろこれから始まる大きな物語の始まりに過ぎなかった。


 次に目を覚ました時、俺は生暖かい触感に包まれていた。


お読みいただきありがとうございます。次回もよろしくお願いいたします!

物語が始まってまいりました。どうぞお楽しみください!

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