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5話 狐は眼を青白く光らせながら俺のことを見つめてきた

夜の森は深い闇が根付いていた。


外から見た時には緑に囲まれた風景であったはずなのに、それらの色はすべて夜の闇の中に吸い込まれてしまった。そこにあるのは暗い闇の色ばかりであった。おじいさんの家にいたころは見えた星も森の中からは見えなかった。かろうじて漏れている光が森の中を完全な暗闇から守っていた。


森の中はどれだけ歩いても周りの風景が変わらない。同じような木があり、同じような草があり、同じような暗闇が広がっているだけだった。自分がどれくらい進んでいるのか、自分の進んでいる方向が正しいのか、それすらもわからなくなりそうだった。


下に敷かれている落ち葉を踏むごとに乾いた音が森の中に響く。それと呼応するように何かわからない生き物の唸り声が聞こえてくる。奴らは姿を見せずにどこかから俺のことを見つめているのかもしれない。いつ襲われてもおかしくはない、あらかじめ考えていても一人でこの森の中を抜けるのはやはり怖い。俺はできるだけ、得体のしれない生き物のことを考えないようにしながら足を前にすすめた。少しでも前に進んでおきたかった。


しばらく歩くと少し開けた場所に出ることができた。月の光が入り込んでくるちょっとした広場だ。月はもう満月ではなくなっていた。それでもその光は変わらずに夜の闇の中で光り続けていた。


俺は腰を下ろした。さすがに歩き続けて疲れていたし、もう寝る場所を決めなくてはいけない頃だった。持ってきた荷物から、おばあさんの作ってくれた団子を出す。もう満月ではなかったけど、月見にはちょうど良かった。団子は時間がたって少し硬くなっていたが、それでもほんのり甘くて、温かい味がした。一人の森の中でもこれがあれば大丈夫な気がした。


「おや、こんなところに人間ですか」


突然声がした。俺は食べかけていた団子を落としてしまった。団子ははねながら転がっていく。その転がった団子を何者かの口が捕まえた。口の主は転がって来た団子をそのまま中に入れ込む。狐だった。


「これは、驚かせてしまって申し訳ない。わたくし、この森の中に住んでいる狐でございます。特に定まった名前はございません」


狐は流ちょうに人間の言葉を操っていた。体長は大体80センチくらいといったところだろうか。結構な大型だった。全身を覆っている黄金色の毛皮が月の光を浴びて輝いていた。その姿はどこか神聖な雰囲気を漂わせていた。


「人間の言葉をしゃべれるのか?」と俺は訊ねてみた。

「人間も我々獣も同じ生き物の仲間でありますから。意思疎通を図ろうと思う心があればしゃべることだって可能です」狐は当たり前のことだという風に言った。「まあ、もちろん得意な者、不得意な者もそれぞれいますがね。幸い、私とあなたは意思疎通を図ることが得意な者同士だったということでしょう」狐は付け加えるように言った。


「桃太郎だ」


 俺は名乗りながら、もう一つ団子を狐に向かって投げてやった。狐はうまく空中でそれを受け取った。この狐になら名前くらいなら名乗っても損はないだろうと思った。


「桃太郎さんというと、あの山の上に住んでいるあの桃太郎さんですか?」と狐は言った。

「知っているのか?」

「まあ、人間たちの情報は噂でこちらにも入って来ることがありますから」


そんな情報が伝わっているなんて、噂の力とはすごいものだ。インターネットもない世界だとやはり噂など、人づての伝わり方というのは大きいのかもしれない。


「それで、その桃太郎さんがどうしてこんな森の中に?」と狐は言った。

「鬼退治に行くことになったんだ」

「お、鬼退治ですか」狐は声を荒げた。「よくもまあ、そんな危険なことを考えましたねえ」

「女神さまに言われたんだよ」


「女神さま」という言葉を聞いて、狐は一瞬表情をこわばらせたように見えた。しかし、狐はすぐに元の表情で話し始めた。


「そうだったのですか。それは大きな使命を与えられましたねえ。たしかに、あなたには特別な雰囲気を感じます」

「そういうものが見えるのか?」

「ええ、わたくし長く生きていますゆえ、生き物の中にある流れというのですかね、そういったものが見えるんです」

「それで、俺から特別なものが見えると」俺は団子を頬張りながら言った。

「そうです。桃太郎さんからは、何か他の人間とは違う雰囲気があるのです」

「まあ、この世界の人間とは生まれがちょっと違うからな。……聞いているだろう、桃から生まれてきた人だってこと?」


「それもそうなんですが」と狐は言った。「それだけじゃなくて桃太郎さん自体の中に何か……」

狐は眼を青白く光らせながら俺のことを見つめてきた。その光には俺の知らない何かまで見透かされてしまっているようだった。

「何か?」俺は狐に訊ねた。


「何かっていったいなに?」


 突然外から声がした。俺でも狐でもない声。俺と狐は驚いてお互いの顔をみる。そして声のする方に顔を向ける。そこには女神がいた。広場の中の岩に腰かけながら笑顔でこっちに手を振っていた。女神はこちらに歩いてきながら狐に質問をぶつけた。


「桃太郎の中には何かいるのか?私もそれはとても気になるな。いったい何なの?」

 

 女神は狐に近寄って質問を投げかける。女神は狐の頭をなでて顔を覗き込む。


「い、いえ。どうやらわたくしの見間違いだったようです」狐は声を上ずらせていった。「桃太郎さんが特別な生まれ方をされていますから、その影響でしょう」


 それだけ言うと狐は、では、と言って立ち去ろうとしてしまった。俺は引き留めたかったのだが、狐はすでに俺たちに背を向けて走り出してしまった。

 

 途中狐は俺の方を見て何やら口を動かしていた。でも、それが何の言葉になるのかわからなかった。狐が行ってしまうと広場は少し夜の闇が深まったような気がした。


「変なやつねえ」と女神は言った。

「突然現れてどうしたんだよ」

「あんたが森の中で一人じゃかわいそうだと思って現れてあげたのよ」

 

 感謝しなさいよ、と女神は胸を張った。その立ち姿が子どもっぽかった。


「それならも入口から来てくれればよかったのにな」と俺は言った。

「あら、怖かったの?」女神はいたずらな笑みを浮かべながら言った。

「そんなんじゃねーよ」という俺の声が森の中にひびいた。森が少しざわついたのを感じた。


 ひととおり話すと眠気が襲ってきた。今日はだいぶ歩いた。疲れも体に現れていた。


「私が見といてあげるから寝ちゃいなさい」と女神は言った。


 俺はその言葉に甘えることにした。木の下に女神と並んで腰を下ろす。女神にいろいろと聞きたいこともあったが、まずは眠気を何とかしたかった。


 おやすみなさい、そういって俺は眼を閉じた。睡魔はすぐに俺を深い闇へ誘おうとした。


「……おやすみなさい」


 遠くなる意識の中で女神の声が聞こえた気がした。


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