44話
「お帰りなさいませぇ」
フリルの付いたエプロンを纏ったタマリが、おたまを片手に小走りをしながら玄関で出迎える。
「ああ」
「随分と遅かったですねぇ」
そう言いながら、タマリは俺の制服に顔を埋めながら、スンスンと匂いを嗅いでいる。
「女の所ではないようですねぇ」
「お前は俺が昨今のハーレム系主人公の如く、股の緩い男に見えるか?」
「帝様はただのヘタレですもんねぇ」
「ほっとけ」
靴を脱ぎ、リビングへと進むと、既に夕食は終わっており、余り物と思われるパイとフォカッチャが皿に盛り付けられている。
フォカッチャを手に取るが、口に運ぶ前にタマリに掴まれる。
「手洗いうがいが先です」
「分かった」
フォカッチャを皿に戻し、手洗いその他諸々を済ませ、椅子に座りながらフォカッチャへのリベンジを果たす。野菜が多く、具沢山のようで非常に噛みごたえがある。
本来であれば、夕食に限らず食事全般はヴァルケンが指揮を執るか、自分だけで作るかのどちらかなのだが、俺が頼んだ野暮用で外に出掛けている。
十二時を過ぎた時計を、ただボケッと見ながら口だけを動かし続けた。
「帰りが遅かったですけどぉ、どこに行かれておられたのですかぁ?」
「対策課の本部にな。少し借りたい物があったから借りてきた」
「そうですかぁ」
タマリは鍋を木の鍋敷きの上に乗せる。
置くと同時に大きな胸が揺れたが、目を奪われるような事は無かった。時計を眺める視界の隅に映っただけだった。
「お疲れのようですけどぉ、大丈夫ですかぁ?」
「何を対象にするかによるな。俺は疲れた」
天井を仰ぎ見ながら、手で視界を塞いだ。
顔に柔らかい重さを感じる。
フローラルな香りが鼻腔を通り、少しばかり心が落ち着く。
「ゆっくりなさってくださってもよいのですよぉ」
タマリの誘惑するような声が耳を撫でる。
「落ち着け。俺はゆっくりするよりも、飯を食べたい」
「かしこまりましたぁ」
タマリは、いつも通りの快活で蓋を取った。
どうせいつもと同じく、からかいだったのだろう。
鍋の中はビーフシチューだった。
ご飯の入った皿と、緑茶の入れられたグラスを食卓に置いたタマリは、俺の正面の席に腰をおろした。
なんだか監視されてるようで食べづらい。
口に近付いたまま止まったビーフシチューを掬い上げた手を動かすのではなく、首を動かして夕食を味わう。
「味はどうですかぁ?」
ビーフシチューの味は、正直に言って普通。市販のレトルトと大差は無いし、ヴァルケンであれば絶品に仕上げた事だろう。
だが、期待の眼差しを向けるタマリに正直に告げるのは、流石に悪い。
「ちゃんとビーフシチューの味がする」
なんともグレーな言い方だったと自分でも思うが、嬉しそうに拳を胸の前で握ったタマリを見て、気にしない事に決めた。
「ところでぇ、例の魔道具の件は順調ですかぁ?」
「まずまずだ。こうとしか言えないな」
パイにかぶり付きながら、両肘をテーブルに突いているタマリを見れば、微笑ましい物を見るような顔をしている。
人に注目される中での食事はマナーチェックをされているようで、なんだか口に運ぶ頻度と速度が自然と緩やかになる。
「話が変わりますがぁ、対策課の本部に借り物をしに行かれたとおっしゃてましたが一体何を借りたのですかぁ?」
「服だ」
「服ですかぁ?」
可愛らしく首を傾けたタマリに、思わず笑みが漏れる。
「服だ」
俺は話を打ち切るよに、口一杯にビーフシチューを放り込んだ。
翌日の早朝、テレビを見れば、本来では《《あり得ない》》光景が映されている。
東京某所に建立された、豪勢というより派手と言った方が適切であろうと感じられる豪邸にて爆弾が爆発したようだ。
俺の記憶が正しければ、あの建物は善神騎士団の本部だったはずだ。
普段通りであれば、対策課や名家の圧力による情報統制により、表沙汰にはならないだろう。
そういった意味での《《あり得ない》》だ。
眠っている間に帰っていたヴァルケンが、ソファーに座った俺にニュースの情報を補足する。
「どうやら、善神騎士団の本部で例の|魔道具
《レリック》が見つかったようですよ。それも複数」
「複数?」
訳ありな言い方をするヴァルケンに、視線を向けずに咄嗟に聞き返した。
それにしても、複数見つかったのか。あの魔道具が。
本当に黒だったとはな。
これは、子息が所属させている名家も言い逃れ出来ないし、揉み消す事も難しいだろうな。自業自得と断じてしまえばそれまでだが。
足音と共に、ラースが階段から姿を表した。
薄手の白シャツに短パンというラフな格好をしたラースが俺の隣に腰かける。
「テラはどうだ?」
「あぁ、あのあれか」
俺の問いかけにラースが思い出したように、視線を上に昇らせた。
「捨て猫を拾って来ただけみたいだぞ」
「猫か。そのくらいなら飼ってもいいけどな」
「そう伝えておこう。テラは許可が下りるとは思ってなかったなみたいだぜ。一人で飼うつもり満々だったからな」
「可愛らしいところもあるんだな」
「死神の名が泣くけどな」
ラースは苦笑しながらテレビへと視線を戻した。
「善神騎士団って言うと、この前、真美を狙って襲撃してきた連中だったよな?」
「そうですよ」
眉間にしわを寄せ、険しい表情へと変わったラースにヴァルケンが答えた。
ヴァルケンはラースとは対照的に涼しい表情だ。どこか腫れ物が取れたようなスッキリしているとも言えなくもない。
「正直驚いたが、因果応報ってやつだろうな」
「俺は、ラースが四字熟語を理解している事の方が驚いた」
四字熟語の中でも難しい部類ではないが、会話の中で当たり前のように使う事が出来るようなレベルの頭を持っているとは思ってなかった。
端的に纏めると、もう少し馬鹿だと侮っていた。
「ラースには、テラと一緒にいろいろと勉強させているのですよ」
朝食をテーブルに乗せているヴァルケンが答えを告げた。
「なるほどな」
罰が悪そうな顔をしながら顔を背けるような体勢をとったラースを呆れた眼差しを向けながらも、ヴァルケンの断行した強制勉強プログラムを心中で讃えた。
「帝、善神騎士団本部への襲撃には、何かするのか?」
「何かというと?」
「捜索だったりだ」
「必要ないだろう」
襲撃相手が相手だ。対策課だけでなく、名家に十二の名月まで動き出す。多くの勢力が動く以上、俺も何らかの手を打つ必要がある。
ここで何もしなければ、大した事ではないが厄介事を放り込まれたり、余計な疑いをかけられる。
「フェリスタンに動いてもらうか」
「あの殺し屋か?」
ラースが嫌そうに聞き返す。
「なら、エリザベスに頼めってか?」
「あの鬼婦人なら、喜んで動くと思うんだがな」
「そうかもしれないが、見返りが怖い」
納得したように小さな声を上げたラースを放置し、テーブルへと付いた。
学校は今日も騒がしい。
それは、試練の始まって五日経ったが、その中でも最も耳に入る声量は大きい。
当然、その内容は昨晩の善神騎士団本部の爆破。それと、各クラスに発せられた校内放送にて、皆が忘れかけていた例の魔道具を管理していたのが善神騎士団である事と、当分は組織として機能出来ない事だ。
誰もが邪推と期待を込めて、議論を交わしている。
嫌われ者の末路とも言えるが、そもそも校内放送にて流していい情報ではない事は確かだ。
知り合い、親戚、家族が所属していなかったとしても、個人的な付き合いがあった者もいるだろう。いずれ、生徒間にでも広がる話ではあるが、早計が過ぎたな。
「なんだか、あれだな」
「あれって?」
机にうずくまりながら、伊織に問いかける。
「雰囲気が悪い。何か火種があれば、一気に暴発しそうだ」
「……まあな」
このクラスに限った話ではないだろうが、悪意に満ちたこの部屋の居心地は悪い。
「みんな!善神騎士団の話はもう終わり。もっと楽しい話をしようよ!」
立ち上がりながら花のような明るい笑顔を浮かべながら教室を見渡す女子生徒。
名前は覚えていない──それ以前に殆ど知らない──が、いきなり綾瀬川にたてついた勇者として記憶している。
一度だけ、向こうから話しかけてきたが、それっきり。俺達のようなイレギュラーな存在を除き、Fクラスの生徒を纏めている。
だが、神無月や伊崎と比べ他でもない格が劣っている。胸に宿す意思の強さでは負けてはいないが、迫力や覇気が足りない。
睦月弟は除外すると考えて、神無月のような自然と従いたくなるような、伊崎のような本能が従わせるような、天城のような全てを受け止めるようなカリスマ性が。
タイプとしては天城に近いが、はっきり言って下位互換。それに、天城はただカリスマ性があるだけではないだろうし、神無月と伊崎のような相手には相性がとことん悪い。
クラスメイト達は女子生徒の言葉を受け止め、話を変えた。
素直というべきか単純というべきか。
女子生徒は立ち上がったその足で俺達の席まで歩いてきた。
「神月くんと神無月くん、少し話、いいかな?」
申し訳なさそうに尋ねる女子生徒に少々の困惑を視線に乗せて伊織に向けると、代わりに応対した。
「別に構わないが、ここでもいいか?」
「うん!」
嬉しそうに頷く女子生徒は話を続けた。
「朝礼の時に綾瀬川先生が言っていたけど、三年間もの間、いろいろな試練があるんだって」
「らしいな」
俺は話の続きを促す。
「それでね、神無月くん達にも力を貸してほしいんだ。……いいかな?」
神無月に話を振ったのは、俺は一度断っているからだろう。
睦月弟を模擬戦にて下した直後に同様の話をされたが断った。理由は面倒だから。
伊織は、俺の意思を確認するように俺の顔を伺うが、俺は顔を横にする。
「悪いが、俺の大将はやる気ゼロらしくてな。足を引っ張らないように、最低限の結果は出すから」
「……そっか、そうだよね。やるかやらないかは本人が決める事だもんね」
「すまんな」
俺の悪びれのない謝罪に、両手を合わせながら謝罪で返された。
「私こそ、いきなり変な事を言っちゃってゴメンね」
「こっちこそな」
名前を知らないが、最後に心の中で謝っておく。
女子生徒の机へと歩く後ろ姿を見つめる。
少しばかり力の無いように感じる背中を見つめながら思う。
「今更だけど、あの女子の名前って何だったっけ?」
「本当に今更だな。大きな声で自己紹介していたのを忘れたのか?」
「そんな事をやっていたような、やってなかったような」
その呟きが聞こえたのか、女子生徒は笑顔で俺達の方を振り向いた。
「私は真木詩織。気さくに詩織って呼んでね!」
悪いが、俺はそんな気さくな性格ではない。
どちらかと言えば内向的だと実感している。
「分かった、気が向いたらな」
「うん!」
再び席へと戻っていった真木を傍目に、伊織は呆れた口調で喋る。
「気が向いたらなって、絶対にしないパターンだろ」
確かに。言われてみればそう思う。
真木には悪いとは思うが、試練は本人達に頑張ってもらおう。
クラスの纏め役は目立つようで、これだけの会話だけでも注目を浴びていた。
俺みたいな、触れちゃいけない腫れ物のような扱いをされている人間と話すのであれば、心配の眼差しを向けるのが人情とかいう奴かもしれない。
放課後となり、真美達は部活へと向かっていった。
俺達男子は、女子の部活が終わるのを校内をブラついて時間を潰しているのだが、今は模擬戦があちらこちらで行われている。
他学年は別の試練が行われているらしく、野次馬として顔を出す上級生も少なくない。
「あら、帝くん」
曲がり角を回った先にて会長と出くわした。
笑顔で控え目に手を振る美女相手に、男子は揃って無言で、そして情けなく足を下がらせる。
「どうも、ところでどこに行こうとしてたんだ?」
「第一演習棟にね」
会長は側の扉を指を指した。
「職務をほっぽりだして何をしようとしているんだ?」
「その言いぐさは酷いわ」
いかにも傷付いていますと言いたげな泣きそうな表情が非常に腹立たしい。
「帝くんのお友達は皆どっか行っちゃったし、覗いて行かない?」
「えっ?」
後ろを振り返れば、そこには誰も居なかった。
俺の気配察知能力を越えた隠密行動を起こすとは……。
よほど、この会長が苦手らしい。
「さあ、行きましょう!」
会長に先導され、第一演習棟に入る。
初めて入った為、どこに何があるのかの一切が分からない。
それぞれの部屋をガラス張りの壁越しに見れば、何かしらの実験を行っていたり、模擬戦をしていたりと様々だ。
「睦月王子くんとの模擬戦、見事だったわ」
「華麗な勝利とは言い難いけどな」
「どんな形であれ勝利は勝利よ。それと、自覚が無いようだから言っておくけど、空間操作を実戦で使うような異能力者は滅多にいないわ。希少すぎてね」
わざわざ他には誰も居ない所で言ってくれているあたり、本心からの忠告だろう。俺の周囲には相当数いる為忘れがちだったが、確かに一般の異能力者の間ではそんな扱いだった気がする。
会長からの忠告を心に刻み、話の転換を謀る。
「会長、今年の1年で生徒会に入った生徒はいるのか?」
「それがいないのよ。帝くん、入る?」
「止めておく」
「入ってみれば案外面白いわよ。それと帝くん、私を会長って呼んだわね」
「それが?」
俺の反応が気にくわなかったのか、頬を膨らませそっぽを向いた。
出来る男ならば、こういう時に何か謝罪の言葉を言うのだろうが、ここは敢えて放置する。
この沈黙に耐えられなくなったのか、会長は顔を赤らめていた。
「ねえ、ここは済みませんでしたとでも言うべきじゃないの?」
「そうなんですか。次回からはそうします」
ムウッと言いながらも僅かに機嫌を直した会長に燻っていた疑問を聞いた。
「模擬戦って聞いたけど、誰と誰が戦うんだ?」
「伊崎くんと帝くんのクラスの真木さんね」
「オォ」
思わず声が漏れた。
無茶だ。これが正直な本音。
「どうやら、彼女のクラスメイトに申請された模擬戦を代わりに受けたらしいわ」
「ルール上、断る事も出来るはずだが?」
「それが出来ない状況だったんじゃないかしら」
「どんな状況だよ」
俺の予想として、クラスメイトAが挑発され、模擬戦の申請を了承しようとしたところを真木が仲裁し、代わりに模擬戦を伊崎と行うという流れだが、意地を張らずに逃げるべきだったな。
真木と伊崎の模擬戦の事は初耳だったが、我らのFクラスのリーダーの実力を測るいい機会だ。
ギャラリーの一際多い部屋に入り、状況を確認する。
俺と睦月弟の模擬戦の時よりも、観客は非常に少ない。奥行き10メートル、幅30メートル程度の第一演習棟の中では最も広いと思われる広さの両端に主役が居た。
伊崎は制服のままでいつもの連れを引き連れて、真木はどこかで見覚えのあるFクラスの生徒と思われる人垣に囲まれて。彼らは真木に思いとどまるように諌めようとしていた。
真木は、体に張り付くような黒いタイツの上から幾つもの革製のベルトを巻いたようなちぐはぐな格好だが、あれが真木の魔道具なのだろう。
彼女の成長しすぎた体つきがよく分かる。思春期真っ盛りの男子高校生には、少しばかり刺激が強いかもしれない。
俺達に先に気が付いたのは伊崎だった。
「帝、来たのかよ。何だ?もしかして、クラスメイトを心配してやって来たのか?」
「俺はこの会長に連れて来られただけだ。ついさっきまで、お前達が模擬戦をするとは知らなかったしな」
「ハハッ、らしいな」
「伊崎くん、帝くんには立会人になってもらいます。よろしいですね?」
「構わねえよ。その方が都合がいい。それに、一石二鳥だ」
面倒な奴だ。
去って行く後ろ姿を見ながらそう思った。




