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43話

 

  睦月弟との模擬戦から三日経過した。


  模擬戦前は、あれだけ期待してるだの頑張れだの言ってくれたクラスメイト達は、俺から距離を取るようになった。

  物理的にも心理的にも。


  原因は言うまでもなく、睦月弟との模擬戦だ。

  異能力を用いずにタコ殴りにしたため、より生々しく感じたのかもしれない。やってる事が同じだったとしても、異能力を使っておけばその分、マイルドに見えるからな。

  殴打による(あざ)と突風により吹き飛ばされて出来た(あざ)ならば、どちらが見ている側が目を背けようとするかは、分かりきっている。


「帝さん!朝のコーヒー牛乳を買ってきました!」


  全身から汗を噴き出しながら、茶色の瓶を差し出してくる巨漢。

  いつの間にか、俺の舎弟になっていた五十嵐恒平だ。

  こいつの存在が、俺が恐れられている事に拍車をかけているだろう。最初だけは、殊勝な口調だったが、今ではすっかり砕けた口調だ。

  俺は、貰える物は貰っておこうという精神で瓶を受け取り一気に飲み干した。


「伊崎からの申請断ったって?」

「伊織、昨日も同じ事を言ってなかったか?」

「そうだったな。それで、二日連続で拒否したのか?」

「模擬戦をする理由が無いからな。睦月弟の場合は、これ以上つまらないちょっかいやら挑発を受けないようにする為だったし。俺はもう模擬戦なんてしないから頑張れよ。Fクラスのエース君」


  俺は伊織の肩を二度叩く。


  伊織は、Aクラスの生徒からの申請を全て受け、全勝している。積み上げた白星は五つ。危なげ無く、俺と違いクールに、そしてスマートに圧勝していた。

  そして、翔はBクラスの永田大樹とDクラスの男子生徒相手に二勝している。

  Fクラスの勝敗は八勝十二敗。見事に負け越している。勝率が最も高い数値を記録しているのが、伊崎率いるEクラス、次点でAクラス、三位はCとDの同率。その次がBクラスで最下位がFクラス。

  上位二クラスがぶっちぎって頭一つ抜けており、それ以外は少し頑張れば手が届く差だ。


  俺のクラスメイトは血の気が多い割には、実戦向きの異能力を持つ者は少ない。聞いた話を擦り合わせると、補助系統の能力が多いようだ。

  模擬戦では、実戦に向いている者が強い。当然だ。

  学生同士の戦いであるため、知恵と悪巧みを駆使すれば勝てるが、それを実用する程のおつむはクラスメイト達には無い。誰もが正々堂々と真っ正面から立ち向かっている。

  勇ましいな。


「帝はもう戦わないの?」


  隣人の興味本位の質問に、ため息を(こら)えた。


「模擬戦をやる意味は無いからな」

「意味?いちいちそんな事を考えてるの?」

「不毛で不易な事はしたくない性分なんでね」

「ふぅん」


  真美はこれ以上は何も聞かず、ただ黙って俺の表情を観察していた。


  暫くして伊織と翔、そして少しだが、積極的に喋るようになったフェーンと無駄話をしている俺に、真美が何かを言おうとしたのだが、それよりも僅かに先に荒々しく扉が開かれた。


  今は授業が終わり、終礼を待っているタイミング。

  教員は、教室に居ない。とは言っても、綾瀬川ならば、それ相応の事が無ければ不干渉を貫くだろう。


「何の用だ?教室を間違えたって訳でもないだろ?」


  血気盛んなクラスメイトを冷静にさせるように、伊織が不敵に笑う伊崎へと詰め寄る。

  それを阻むように、出雲が前へ出る。

  伊崎を守るように高柳兄弟が後ろで控え、気弱そうな瀬良が申し訳なさそうな表情をしている。舎弟でも無ければパシリにも見えない。どちらかと言えば、伊崎が庇護を授けているような印象を受ける。

  伊崎と瀬良の関係性がよく見えない。


「学年最下位おめでとう」


  伊崎は教室を見渡す。


「まだ終わってないだろ」


  伊織が即座に言い返すが、伊崎はせせら笑う。


「伊織、お前はFクラスが最優秀だと証明したいのか?お前はそんな熱い奴じゃないだろ」

「人は変わるさ」

「確かに人は変わる。だが、お前は変わったようには見えないな。あの時と同じ目をしている。──諦めだ」


  最後の部分だけ、伊織を気遣ったのか小声だったが、俺の耳にははっきりと届いた。


  伊織の肩を押し退け、伊崎はFクラスの教室へとズカズカと侵入する。

  目的は俺ではなかったようで、一人の生徒の前で立ち止まる。


  その人物は、入学式の日に欠席していたボサボサの髪をした男子生徒。

  丸ぶちの眼鏡を掛け、いつもここではない別の世界を眺めていそうな瞳をしている、変化が乏しいからか感情の読みづらい少年。

  背は決して高くはないが、大人びた顔立ちをしており、何事にも関心を持たなそうな、気迫とは無縁の価値観の監獄に囚われていそうだ。


「お前か」


  言葉を投げ掛けられた生徒は、一度伊崎を視界に入れると直ぐに興味を失ったのか、視線を逸らした。

  出鼻を挫かれたとも言えなくはない状況に、伊崎は一瞬、困惑の表情を浮かべたが、生徒とは正反対に興味深げな笑みを向けた。

  ここで、感情的にならずに冷静に、そして連れに視線を送って大人しくさせたところを見ると、それなりの器量を持っているらしい。

  現に、怒りに顔を歪めていた高柳兄弟がにこやかとはとても言い難い不恰好な愛想笑いをしている。


「うちのクラスの阿呆が世話になったらしいな」

「そうだったかもしれないね。それで報復でもしに来たのかね?」

「まさか」


  伊崎は肩を震わせながら笑いを噛み殺し、落ち着いてから口を開いた。


「この状況で怖じ気いていないとはな。ただの陰気な坊っちゃんではないらしい。まあ、そんな事はどうでもいいんだ。そもそも、自らの実力を過信してお前に申請した模擬戦でお前に負けた。俺達にお前をどうこうする権利も意味もねえよ」


  あの話が事実だとすれば、人知れず行われた模擬戦であの……名前が何だったか知らないが、取り敢えずあの男子生徒がEクラスの誰かに勝利した事になる。

  腕っぷしが強そうにも、莫大な魔力を持っているようにも見えない。ともなれば、知略で勝ったのか?いや、あちらから仕掛けた以上、時間的、精神的な余裕はどちらも向こうが上だ。一概に可能性がゼロではないが、ズル賢く戦うのならば仕掛けるべきだ。


「それにしても聞いたぜ?お前、なかなか面白い戦い方するんだってな」

「面白いかどうかは人によると思うんだがね」

「確かにな。それは間違っちゃいねぇが、誰もが同じ事を口にするだろうよ。もし、俺が今この場でお前に模擬戦を申し込んだとしたら、お前は受けるか?」

「拒否するね」

「名前は?」

「香川だ。香川陵(かがわりょう)


  名前を聞いた伊崎は、あっさりと引き下がった。

  ただ、これ以上の打つ手が無かったのかもしれない。その代わりに、今度は俺へと視線を向けてきた。

  だが、香川の場合とは違い、目の前にやって来るのではなく3メートル程の距離を置いた。


「帝、今日も逃げるつもりか?」

「そこまで仲良くしているつもりはないのに、下の名前で呼ばれるのは違和感があるな」

「俺が認めた奴は名前で呼んでんだよ。それにしても、睦月相手にあそこまで馬鹿げた戦い方をする奴は初めて見たぜ。アレは、魔力量《《だけ》》は脅威だからな。まあ、(たくみ)程は無いがな。手を抜いて戦ってんのがバレバレなんだよ!」


  唐突に放たれた右足からの蹴りを、フェーンが右手で捕らえる。


「ほぉ、やるな」


  感心したかのように眉を上げながら、拳を振り上げた静止させたのは出雲。振り上げられた腕を掴む。


「それより先は、冗談では済まないよ」


  今更なのだが、釘を刺すように端的に、そして言い聞かせるように廊下を見ながら伊崎へと告げる。


  廊下へと視線を移せば、この騒ぎを聞き付けたのか、他クラスの生徒も野次馬と化し止めるのではなく、面白そうな表情をしている。


  その野次馬を掻き分け、新たな珍客が教室へと足を踏み入れた。


「どうしたんだい?」


  そう言いながら金髪を愛でるように撫でながら進む睦月弟を蛆虫(うじむし)を見るような目付きで、自身のクラスメイトに押し退けさせたのは、Aクラスの女帝──神無月琴音。

  伊織の双子の姉にして、1年の中でも最優秀の証でもある首席の座に君臨する女王。


「お前は呼んでねぇよ。首席の女王は教室に引っ込んでろよ」

「あらあら、呼ばれてもいないのに来てしまうとは、恥ずかしい限りですね。それにしても、見たところ面白い面々が揃っているようですね」


  神無月は俺と伊崎を確認した後、伊織と伊崎の引き連れて来たEクラスの生徒──主に出雲だが──を見ながら、何が面白かったのか妖艶に微笑む。

  神無月の背を睨み付ける睦月弟には目をくれない。


  神無月は何も言わずに、端に置かれた椅子に座り、黒のニーソックスに包まれた足を組む。


「どうぞ、続きをなさって」


  堂々とした様は、生まれながらの王族を彷彿とさせる有無を言わさず、あらゆる感情を押し流してしまう程の息を呑む美しさと優雅さだが、伊崎にはそのような感性を持ち合わせていないらしい。


「お前が居れば興が冷める。睦月であれば、無視を決め込めばいいんだがな」

「あらっ!伊崎くんに一目置かれているとは光栄ですわ」


  伊崎が「魔女め」と小さく舌打ちをしながら毒づく。

  この《《魔女》》とは、彼女の異名である"封縛の魔女"から取ったものだろう。


  互いに引く気が無いのか、伊崎は不快げな、神無月は愉快げに、全く性質の異なった視線を交わらせる。

  完全に部外者である野次馬達さえ、怯えるような無音の空白がじわじわと広がっていく。

  だが、終わりのない物など存在しない。


  このカオスとしか言い表せない状況を終わらせたのは、これもまた他クラスの生徒。

  もちろん、睦月弟ではない。


「お前達、落ち着け」


  (なだ)めるような口調で伊崎と神無月の間に割って入る。

  この高柳兄弟より僅かに高い慎重の筋骨隆々の逞しい好少年は、睦月弟との模擬戦で観客の一人として最前列の座席に座っていたと記憶している。特に緑のその瞳が印象的だ。

  やたら声が大きく、どっち付かずの声援を送っていた。


「ったく大和(やまと)か。面倒な奴ばかり来やがる」

天城(あまぎ)くん、いかがしましたか?」


  それぞれが視界に入り込んだ男へ、それぞれの反応を示す。


  どうやらこの男は天城大和(あまぎやまと)という名らしい。


「AクラスにCクラスの頭が来るとはな。話は別の機会するか。お前達、帰るぞ」


  伊崎はクラスメイトを引き連れて、教室を出ていった。


  一応、呼ばれなかったBクラスの残念な生徒の存在を、天城と呼ばれていた男子に視線で伝える。

  男子は、振り返ると呆れた顔で睦月弟を担ぎ上げた。扱いの雑さから察するに、学年のリーダー格とは同格ではないらしい。


  伊崎が居なくなったが、それでもまだ気まずい空気が流れている。

  それは、ただ(もく)して座している神無月が原因だ。何もしていない神無月に天城は何も言わずに、警戒している。

  神無月の視線には何もない。何故(なぜ)なら、瞳を閉じているからだ。

  彼女の醸し出す、何もしないという不気味さが教室を漂う。


「神無月、何も用事が無いのなら、教室に戻ったらどうだ?──それと、お前達も教室に戻れ」


  最後の部分は、廊下の野次馬に向けたものだ。

  天城の言葉に、不平不満を口にする者が数名いるだけで、皆が大人しく従っている事から、疑っていた訳ではないのだが、伊崎の発した《《Cクラスの頭》》という言葉は間違っていないのだろう。


  このいざこざの原因の一つでもある俺達は、完全に空気と成り果てた。

  伊崎、神無月に続き、天城までやって来たのだから当然だろう。


「ところで天城くん。面白い話を耳にしたのですが」

「……面白い、か。神無月がそれを言えば不穏に感じるな」

「か弱い淑女に対して失礼ですよ」


  神無月は瞳を開き、苛烈な意思の宿った力強い眼光を天城に向けて笑う。

  もしかしたら嗤ったのかもしれない。

  一切の声を発さない美麗な微笑。

  だが、それを成す者が違ったのならば、教室中の者達が引力に引き寄せられるように見とれていたのかもしれない。

  しかし、実際に起こっているのはその真逆。神無月の底知れなさに、殆どの者が視線を逸らす。

  伊織が苦手意識を持つのも分からなくはない。


「天城くんの妹さん、対策課の管理下にある病院に入院しているようですね」


  天城は暫く何も言わなかった。

  一度、口を僅かに開いたが力なく閉じた。そして、今度はしっかりと反論する。


「神無月、お前には関係無い事だ」

「私は心配しているのですよ」


  神無月はゆっくりと立ち上がり、教室から出て行った。

  取り残された天城は「迷惑をかけた」と謝りを入れ、睦月弟を担いだまま出て行く。


  直後、ざわめく教室。


  ついさっきまで、神無月にビビっていた連中程、元気にはしゃいでいる。

  能天気だと思いながらも、疲れた様子の伊織へと(ねぎら)いの言葉を送る。


「それにしても、何がどうなってこんなにひっちゃかめっちゃかな事になったの?」

「それは、伊崎という者があちらの香川さんに挨拶をしにやって来たからでしたよね?」


  真美の質問に、夜が確かめるような口調で俺へと答えを求める。


「そうらしいな。どうやら、あの香川陵とやらがEクラスの生徒を模擬戦で倒したらしい。それで、興味深い戦い方をするもんだからわざわざ(つら)を拝みに来たらしい」


  その後に現れたビックネームの同級生の登場に全てを持っていかれたが、忘れてはならないのが、香川が模擬戦で現在独走中のEクラスの生徒に勝った事だ。

  順位で見れば、俺達Fクラスは取るに足らないが、Aクラスとの差は大きくはない。一勝一敗の差が大きくなってくる。差を広げたいのならば、Aクラスの生徒相手に確実に勝てる組み合わせで模擬戦をやらせるべきだろう。

  そんな状況下で、勝手に吹っ掛けた模擬戦で自分の知らないところで負ければ、気にはなるだろう。


「それにしても、伊崎はこの模擬戦は興味を持つとは思ってなかった」

「クラスメイトの為に頑張ってるんじゃないのか?」


  伊織がすぐさま、振り返りながら付け加える。


「ああ見えても仲間思いなんだよ」

「詳しいんだな」

「そりゃあ、中等部も一緒だったしな」


  翔を見たが、何とも言えない微妙な表情をしていた。


「そうかい」


  俺はそれ以上は聞かなかった。






  俺はいつもの喫茶店でカップを口元で傾けていた。


  誰かを待っている訳ではない。

  真美達には、一人で先に帰ると伝えてある。

  ただ、少し考え事をしたかっただけだ。

  最近、模擬戦とやらの試練によって混迷極まる現状の中で、何が手掛かりで何がそうでないのかを分析をしていた。

  現状、例の魔道具(レリック)は、学内では出回っていない。より正確に言うのならば、生徒間だけではの話だ。教員、または常駐の警備員のあらゆる持ち物を調べさせた範囲では確認されていない。

  革命家(レジスタンス)の動向は晴華に探らせているが、見つかったとの報告は受けていない。影魔(シャドー)を使う事も考慮したが、妖魔の大半が大戦で滅びた今、デメリットがあまりにも大きすぎる。


  胸元の内ポケットに入れている証書に触れながら、感触を確かめる。滑らかな指触りが無性に心地よい。

  俺の狙いは、俺が手を下したと知られずに魔道具(レリック)を管理している組織の壊滅。

  そして、完全なる破壊。俺が直々に手を下す必要は無く、結果的にこれらの全ての工程を済ます事が出来るのであればいい。


  俺の方はそろそろ詰めだ。


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