40話
家に帰ると、いつものようにヴァルケンが迎えに来る。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
一度私室に戻り、私服に着替えてからリビングへと降りる。
真美達はまだ着替えている最中のようでリビングには居ない。
「真美様の世界に関しては、計画通りに進んでいます」
「計画も何も、場所を少し貸してもらえればいいんだけどな。メソラリア王国と魔国に恩を売ったのはそのためだし」
俺はヴァルケンの差し出したコーヒーを口へ運ぶ。
「それで、計画通りって事は目星でもつけたのか?」
「はい。レオウェイダに場所の探索を任せておりましたので。無事に仕事を果たしたようです」
いまいち話が噛み合ってないな。
ヴァルケン、勝手に何かをたくらんでるらしいな。俺に敵対する事はないだろうからしばらく様子を見るか、今ここで聞き出すか。
「レオウェイダに探索をやらせずとも、国から割譲してもらえば済む話じゃないのか?」
「ええ、割譲してもらった土地は他に使う用途を考えております。それに、場所を知られている以上、安全からは程遠いでしょうし」
「そうか」
ヴァルケン達は俺に内緒にいろいろやっているらしい。
あちらの世界も大変なのだ。
メソラリア王国の国王が他の四体国に、これ以上魔国に攻め込まないようにするための交渉をやっていたのだが、これが失敗し三国からの総攻撃があちらの世界での来月に起きるらしい。その数は十五万を越える大軍勢らしい。
そんな事はどうでもいい。大して強くない一般人が十五万集まったところで強力な魔術を見舞えば尻尾を巻いて逃げるだろう。
殺す事に関しては俺の魔術技が向いている。気になるのは、誰が指揮をするのかだが、例の転生した勇者じゃないらしい。
「亜人の国家──東方亜人連邦という国家とコンタクトが取れました」
「亜人って言ったらあれか。獣人だとかエルフとかドワーフとかか?」
「レオウェイダの報告では獣の耳が生えた者達しか居ないようです。エルフとドワーフはそれぞれの国家を形成しているようです」
「そうか、ドワーフに龍の剣でも作ってもらおうかと思ったがな」
「でしたら、急遽ドワーフの国へと向かうように伝えます」
「いやいい」
俺はヴァルケンを手で制す。
「そこまでする必要はない。それで、交渉はヴァレリアがやっているのか?」
「ええ、その通りでございます。彼女は異界では姫であり、交渉には非常に長けておりますので問題はないでしょう。力に訴えてきた場合はレオウェイダが全て捩じ伏せるでしょうし」
「勢いあまって向こうの国の誰かを殺してしまわないかが不安だな。特に国王を殺してしまったら交渉など論外だからな」
あり得そうな可能性に思わず苦笑する。
「言ったかもしれないが、もう一度冷静に対処するように言っておけ」
「かしこまりました」
「当初の予定通りに進めさえすればそれでいい」
それで、と前置きをし、話を紡ぐ。
「魔道具についての新しい情報はあるか?」
「そうですね。目新しい情報は晴華が集めている最中ですね」
「なら、そろそろあいつに聞くしかなさそうだな」
「嫌そうですね」
「嫌に決まってるだろ」
俺はしかめっ面を隠しもせずにヴァルケンに見せる。
「明日は休日だし、行くか。六華に連絡を入れといてくれ」
「お任せください」
ヴァルケンはリビングを離れ、地下へと向かった。
自称イギリス人の人外の淫乱女。夢魔なのだからあながち間違えてはいまい。本人曰く、相手を選んでいたから誰の相手もしていないと言ってはいるが、どこまでが本当なのかは俺には分かりようもない。遠回しに経験皆無と言っているのだが夢魔である以上、そんな事はあり得ないだろう。
夢魔は異性との性行を行わずとも、夢を食べれば生き永らえるが、それでは辛うじて存在が可能となるくらいの力しか得られない。あそこまでの魔力を有しているならば、男をとっかえひっかえしてても驚きはしない。もしくは、俗に言う逆ハーレムとやらを作っているのかもしれないが俺には関係ない事だ。
夜中となり、空からはいくつもの輝きをちりばめた漆黒のカーテンが下ろされている。
俺は一人で町を歩く。
簡素な飾り気のないシャツにジーパンという非常にラフなものだが、第一の指輪を指にはめている。聖騎士王の光輪はポケットに入れたままだ。
柄の悪い大人に、夜遊びをしている派手な大学生。誰もが俺を見る事もなく自分達の世界に浸っている。
高校に入学するまでの僅かな期間で、ジョーカーから簡易的な認識阻害の魔術の一つを教わったのだが、しっかりと機能している。
目的地はあの夢魔の洋館ではない。
俺はとある店に入る。
その店はひどく寂れており、派手な風俗が並ぶこの通りには場違い感を感じる。
汚れた扉を開けると店内は暗いため全容は見えないが広く、明かりの一つもない。
初めてこの店に来たため、わざとなのか偶然なのかの判別はできない。
明かりをつけず、足音を立てずに奥へと進む。店内には、大きさが様々な書物が棚に入れられていたり、机に乱雑に積まれていたり、宙に浮かんでいる物まである。
ここにきた理由は、誰かが俺の頭の中に直接話しかけてきたからだ。誰かは分からない。予想も想像もできない。だが、悪しき感情を持って俺に話しかけていない事だけは分かった。
魔力の流れを感じてここまで来たのだが、とても古く、ヴィンテージ物の家具でも眺めているような気分になる。
「呼んだわりには、歓迎の欠片もないな」
俺の言葉には何も返されない。ただ静寂が漂うだけだ。
更に歩を進める。
「ここは図書館か?」
今になってようやく気付く。
この建物の中に入ってから目にするのは書物ばかり。
西洋の古城のような広大さを誇る時点で、空間操作系の異能力を常時行使している事は分かるが、そんな馬鹿げた事ができるのはかなり高い実力を有していなければならない。
この数多の書物がそれを成すための魔道具なのか?それともこの建物が魔道具なのか。
この建物に足を踏み入れてから魔力の感知も魔力の操作も上手くできなくなっているらしい。ここで戦闘になれば面倒だ。逃げるくらいしか手段が残っていない。
いきなり視界が変わる。
見渡せば、全く別の場所に強制的に転移させられたらしい。
「初めまして神月帝」
声の聞こえた方向を振り向けば、青い髪の青年が真顔で宙に浮かぶ本に座っていた。青年は黄色いフードのついたローブを着ており、フードを深く被っている。
周囲には囲むように高く聳える黄金の本棚に無数の本が収納されている。そのどれもに年期を感じる。
近くには百を越えない程度の書物が開かれた状態で宙に浮かび、独りでに文字の羅列が紡がれていた。
「どうも。俺は名乗った覚えはないが」
「ワタシはここに来た者の全てを知っている」
「変態が欲しがりそうな能力だな。それで俺を呼んだのはあんたか?」
「そうだ、ワタシだ。ワタシがここにいる以上、外界に与えれる力は微小だが、念話を送る事はできた」
「ならば何故呼んだ?」
青年はしばらくの間を空けて答えた。
「どこまで言っていいんだろうね」
「呼ぶなら決めてからにしてくれよ」
青年は確かに、と呟く。
「自己紹介から始めよう。ワタシは世界庫の番人」
「……それは名前か?それとも役職なのか?」
「さあ?」
青年は首を壊れたロボットのように傾げる。
「まあ、どっちでもいいか。それで俺を呼んだ理由は……。そこから話が止まったままだな」
「神月帝に試練が迫っている」
「現在試練の真っ最中なんだがな」
だが、この世界庫の番人とやらが言いたい事はこの事ではないだろう。
青年は唐突に俺の頭に自らの両手を押し当てる。
刹那、脳に流れ込んでくる映像と警告の衝動の濁流。
敵は外からやって来る。
今のままでは太刀打ちできない。
広がるのは流血の海と屍の山。
頭が割れるように痛い。炎を胸にしまいこんだかのように体が熱い。
「どうすればいい?」
「神月帝の力だけでは何も変えられない。特異な力を持つ者達が協力しなければ人類は終わる」
「悪いがヒーローは柄じゃないし、仲間を集めるったって俺では限度がある」
「心配には及ばない。神月帝達なら今度こそ未来を変えられる」
脳に流れた映像を思い出す。
情報が多過ぎて殆ど覚えてはいないが、この男は嘘を吐いていない事は分かった。
「これはいつ起こる」
「今年のクリスマスイブだ」
「サンタクロースからのプレゼントにしては物騒だな」
「そうだな。でも、これで世界の流れは大きく変わる」
「良い方向に変わるならいいがな」
「否定的な思考は人を堕落させる」
「ほっとけ」
青年は本棚に手を伸ばせば、一冊の書物が飛来し、その手に収まる。
「ここの本は全てお前の物なのか?」
「そうだ」
本は勝手に開き、とあるページを見せ付けるかのように止まった。
「えーっと、ここだここ」
青年から渡された箇所を読むと、これから訪れる出来事の顛末が記されていた。
「これは餞別だ。神月帝ならわざわざ教えずとも上手くやっただろうが」
「どうも、せいぜい上手くやるよ。最後に聞くが、お前の正体はなんだ?何故俺に協力する?」
青年は口を閉ざした。
きっと、答えになる言葉を探しているのだろう。それにしても、表情の変化に乏しい人間ならば見た事はあるが、この青年のように終始表情に変化のない相手は初めてだ。
「何故協力するのかは、それがワタシの役目だからだ。ワタシが何者かは……そうだね。神月帝に言える事は少ない。だがこれだけは言える。ワタシはどこにも存在しているし、どこにも存在しない」
「なぞなぞか?」
「違う。神月帝もワタシの事を知れば納得するだろう。そして神月帝もワタシの事を──いや、ワタシ達の事を知っている」
「そういうのは厄介だな。一番分かりづらい」
「神月帝の質問に答えたし、これでさらばだ」
青年は手を叩く。
直後、あらゆる方向から突き刺すように光が差し込む。俺はあまりの眩しさに保護するように腕を両目の前に掲げ、目を閉じた。
瞼越しに感じる眩しさが消えたのを確認してゆっくりと瞳を開ける。
感覚的には夜明け前だったのだが、日は昇り都会の街並みは活気に満ちている。
ラフすぎる格好であるため、多少浮いているが、そこまで目立つ訳でもないため、大しては気にしていない。
だが問題はここが日本ではない事だ。
「なんでニューヨークだよ」
やはり、世界有数の都市であるために人数が多い。多すぎる。転移や転送を使えば人目についてしまう。かといって、鍵を持ってきていない。
だが手詰まりではない。ニューヨークにはトワイライトの本部があるからだ。
不本意だが、あの吸血鬼に頼んでみるか。
「帝様、今までどちらにおられたのですか?」
「よく分からん奴からよく分からん場所に招待されて、世界を救ってきた」
出迎えてきたヴァルケンはポーカーフェイスで大変でしたね、とだけ言う。
深く聞いてこない心遣いは素晴らしい。
それにしてもあんな事になっていたとは思いもよらなかった。
リビングの時計を見れば十一時を回っている。
くつろいでいるタマリや夜に真美を見ながら、ソファーに座る。
この沈みこむような感覚がたまらん。
「帝様ぁ、実際には何をしていたんですかぁ?」
タマリは、俺の帰宅時の言葉を一切信じていないらしい。
「逆に聞くがタマリ、何をしていたと思う?」
「どこぞの女狐の家でよろしくしていたんじゃないんですかぁ?」
「お前は妖狐なんだから女狐だろ」
ツッコミと言うか、冷静に返した。
「でもでもぉ、私の帝様を他人に取られたら嫌じゃないですかぁ」
「嫌じゃないですかぁって、そもそもいつ俺がお前の所有物になったんだよ」
「違いますよぉ、帝様は共有財産ですぅ」
「それも違うな」
俺は重い瞼を下ろす。
「ヴァルケン、あの夢魔のところには何時に行かなきゃないんだったか?」
「夕方の四時でございます」
「そうか。なら、それまで仮眠を取る。いろいろ疲れた」
まだ午前中だが、いろいろとありすぎて精神的な負荷が大きい。
目を瞑ったのだが一向に眠りに落ちない。疲れすぎて眠れないらしい。
トラブルメイカーであるテラと、騒音発生器であるラースが家にいないため家が妙に静かだ。
オリヴィアは、仕事を押し付け──任せているしな。
ヴァルケンが連れてきた女性陣は狙ったような美形しかいないため、遠回しにいらない気を回している事くらいは察する事はできる。
断る事は容易だったが、ヴァルケンが勝手に話を進めていたため気が付いたら同居人が増えていた。その後、紆余曲折を経て現在に至る。
人間は、他人に形はどうあれ好意を向けられる事に快感を抱くように設計されている。
これだけではない。憎悪も悪意も嫉妬も憤怒も絶望も歓喜も愛さえも種の根絶を回避するためのプログラム。個体ごとに多少の違いはあれど、大まかな作りは変わらない。
だが、たまに、滅多に見る事はないのだがイレギュラーが存在する。
それは心のあり方が『人』と完全に乖離してしまった者。心が壊れた者でなく、『化け物』へと成り果てた哀れな者。
「帝様、昼食はどうなさいますか?」
心地よい声音が耳に響く。
「何でもいい」
「かしこまりました」
片目だけ開き、焦点の定まらない視界で室内を見渡す。
そう言えば、家に帰ってきたのは十一時だった。我が家では十二時に昼食を食べるため、仮眠を取ろうと思っても直ぐに昼食タイムへと差し掛かる。
テーブルに置かれたのは、普通のカルボナーラ。
箸を使うのも面倒なので、ソファーに寝転がったまま、念動力を使い、直接口へと運ぶ。
それにしても楽だ。楽って素晴らしい。
真っ先に食べ終えた俺は、スマートフォンを操作しジョーカーへと苦情の一報を入れる。
あれは最初から予測していた事なのだが、自分が対処に当たるとなんだか文句を言いたくなるのが人間の性だ。
ジョーカーからの返信が返ってきたのは、スマートフォンではなく、リビングに置かれた銀色の鈍い光を放つガラケーだ。
要は今後はこの旧式通信装置を使用せよ、と伝えたいのだろう。
俺は取り寄せを使い、手元に呼び寄せたガラケーを開く。
「ガラケー、生きた化石は時代遅れの代物を好むよな」
そしてそのうち、我々の時代は~だとか、我々の時代であれば~とか言い出すに違いない。出来損ない程、無価値な藻屑と化した過去の栄光にすがりたがる。
時代なんて常に変わりゆく物だ。すべき事は、真っ直ぐと前を見据えて未来へと繋ぐ事であるはずなのに、惨めったらしく後ろを振り返るなど愚劣の極み。何も理解できずに転ぶのがオチだ。
画面に記されたアルファベットの羅列を見ながら呆れたため息を吐き出す。
ジョーカーの奴、反省などしていないらしい。アレは、結局トワイライトで管理するらしいのだが反対するつもりはない。
この流れでいけば、一つは対策課に渡すのだろうか?そうすれば、聖王協会、トワイライト、対策課がそれぞれ一つずつ管理する事になる。
「まあ、どうでもいいか」
これ以上は俺には関係のない事だ。
そして、俺はガラケーを閉じた。




