39話
放課後になり、それぞれがそれぞれの行き先へと進む。
真美と夜は今日から部活を始めるため、妙に緊張した面持ちで部室へと向かっていった。
「帝、これからどうするんだ?」
「というと?」
「二人が部活を終わるのを待つなら、それまで暇だろ?」
「なるほど。俺は適当にうろちょろしておく」
「だったら、一緒に行くか?」
「まあ、別に構わないが」
俺は伊織の目的が分からないが、断る理由もないため了承する。
翔を誘い、特に理由もなく校内を散歩する。
生産性がなく建設的とは程遠い行いも、なんだか良いものに感じる。
「なんか揉めてるな」
伊織が言う通り、前方で何か揉めている。
数名の男子生徒が揉み合いとなり、掴みかかっている。まあ、殴り合いの喧嘩に発展してないだけ運が良かったと言えるだろう。
「取り敢えず、全員半殺しにして止めるか?」
「いやいや帝、半殺しはやりすぎだろ」
「その通りだ」
伊織だけでなく、翔にも反対されこの選択肢を脳内で除外する。
「なら、普通に力ずくで止めるか」
「それがいいだろうな」
走って駆け寄り、一人一人引き剥がす。
たまに殴ってくる奴を一発拳骨を浴びせ、気絶させたがそれ以外は平和的な笑顔を向けた。怯えた表情で俺から視線を外すのには、割りと傷付いた。
伊織と翔が何があったのかの事情を聞いてる中、俺は後ろで黙って見ていた。
この騒動の発端は揉み合いの中央にいた一人の男子が、数名の男子生徒に悪口を言われた事が原因らしい。
この上なくどうでもいい。
そして、悪口を言われたのは俺のクラスメイトだった。確かに、どこかで見た事あるなぁ、とか思ったしな。
「オイ!お前確か、神月だろ?睦月にドロップキックをかましたっていうのは」
「それは俺じゃないな。人違いだ」
それは俺じゃなくて伊崎だ。
「睦月弟と一悶着あったのは間違いないけどな。それで?」
「コイツらは、俺達Fクラスは落ちこぼれって馬鹿にしやがったんだ」
「……そうか。大変だったな」
「他人事みたいな反応だな」
「俺は落ちこぼれって言われた覚えがないからな。睦月弟を除けばだけど」
「それは帝の目付きに怯えているのだろう」
翔の指摘に思わず納得する。
「あんたって、人を殺ってるって言われても納得しそうだ」
「うるせえ」
俺は一度、話を切る。
人を殺ってそうと言われたが、組織の中枢に近付く程、醜い殺し合いは日常と化す。裏切り者に仇敵にテロリスト、願われるままに、命じられるままに殺してきた。
今更、言われたところで何も思えない。
「何だ?」
俺は、クラスメイトに掴みかかっていた男子生徒達を見る。
彼らの瞳には、先程の怯えからうって変わり侮蔑の色が浮かんでいる。
「落ちこぼれのFクラスかよ。俺達は栄えある1年Aクラスだ」
自分達の素性をペラペラと喋る生徒達。
それにしても、Aクラスって一番上のクラスなんだから、どうせやるのならいつも偉そうにしていてもいいんじゃないだろうかと思う。なにせ、自分達より上のクラスなどないのだから。
「Fクラスの分際でよくもやってくれたな」
六名の男子生徒の口から次々と悪態が吐き出される。
校内では、模擬戦と異能力の行使を前提とした部活動、授業以外での異能力者の使用は禁じられている。彼らはそれを忠実に守っているらしく、誹謗中傷ばかりで迫力に欠ける。
「よしっ。図書室でも行ってみるか?」
「それもいいかもな。まだ行ってないしな」
男子生徒達へと背を向けたが、何かが彼らの気に触ったのか、走るような足音が聞こえる。
気配を誤魔化しもしないし、殺気を隠そうともしていない。
振り向きもせずに顔を横にずらして、振り抜かれた拳をかわし、その腕を掴みそのまま背負い投げをする。
「どうした?小石にでも躓いたか?」
男子生徒は怒りに顔を歪め、俺の顔へと手のひらを向ける。次第に熱量を纏う炎の球体が構築される。
俺はすかさず、男子生徒の右手を捻り、顔面を潰さないように加減しながら踏む。悲鳴が聞こえてくるが、それらの一切を無視し頭部をコンクリートに押さえ付ける。
状況の把握にようやく追い付いた他の男子生徒は、拳を振り上げ襲いかかってくるが、一人一人対処する。
一人目を喉に手刀で叩き、二人目をみぞおちに足をめり込ませる。
三人目の拳をかわし、顔を掴み、後頭部を膝に死なない程度に叩き付ける。
背後に回った四人目には目もくれずに回し蹴りを顎にヒットさせた。
これが、僅か一秒未満の出来事。
防衛本能が働いたのか、拳を振り上げたままでフリーズしたままの最後の一人にゆっくりと近付いた。
二メートルにみたない距離で止まる。
この男子生徒の顔を見れば何を考えているか手に取るように分かる。
俺への恐怖、強さへの嫉妬、理不尽に沸き上がる憤怒、プライドが増幅させる憎悪。
自尊心が高い名門の出の人間程、こういった傾向が強い。
だから、聖王協会では一番最初の洗礼としてプライドを跡形もなく叩き折られる。だがここは聖王協会の教育機関ではない。
「お前はどうする?」
男子生徒は何も言わずにただ首を横に振るが、戦闘の意欲は損なわれていない。
どんな方法を使っても、どんな手段を選ぼうとも一矢報いたいという思うがひしひしと伝わってくる。
どうせ無理だろうが、どう足掻くのかは気になるな。
敢えて挑発的に笑い、背中を見せる。
伊織の居る場所へとゆっくりと歩くが何もしてくる様子はない。いや、できないのか。
伊織が壮大な苦笑いを見れば誰が来たのかを察する事はできる。
「ごきげんよう」
二人の少女を引き連れた赤髪の美少女。今日は、入学式の時とは違い、両手に汚れ一つない純白の手袋をはめている。
アメジストのような大きな瞳は、伊織へと注がれている。暗に、状況の説明を求めている事は想像に難くない。
簡潔な説明を終え、事態を理解した神無月はただ優しく微笑む。
何も言わないがために不気味な感覚に陥るが、意識を手放していない男子生徒には救いの女神に見えたのだろう。
「琴音さん!あいつは友人をあんな目に遭わせました。どうにかしてください!」
男としてこの上なく情けないが、強者に救いを求めるのは弱者の生存本能とも言える。
神無月の視線が初めて俺へと向いた。
魔力の流れが一点に集中しているのを感じた。それは紫色の瞳。
ここで魔眼の能力を使う気か?
クラスメイトをそこまで大事にしているようには見えないが。
念のため、いつでも動けるような体勢を取る。
「そこまで警戒しないでくださいませ」
「そうだな」
姿勢を正し、侍らせている二人の少女にも視線を向ける。
長い銀髪を流した少女だが、見た目の違いが分からない。本当に瓜二つを体現した少女達だ。
端正だが色も個性も我も感じない無表情の少女。ロボットとにらめっこしているような気分になる。
「んっ!?」
「どっ、どうした?」
驚愕の表情を浮かべながら、神無月は白い手袋をはめた手を口に当てている。
「何でもございません」
神無月は花のような笑みを俺へと向けるが、心の奥底で警戒しておく。
「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「神月帝だ」
俺は一瞬、「睦月王子です!ムッチーって呼んでねぇ」と言おうと思ったが、冗談は軽く流されそうだから止めておいた。
ただ俺が恥をかいて終わりそうだ。
「それにしても、Fクラスの落ちこぼれである俺なんかの名前をどうして聞いたんだ?」
「弟の友人ですから、いずれご挨拶に参ろうと思っておりましたので」
「そうですか」
あの魔眼の能力が気になるな。
伊織も知っていたし、神無月は俺の事は既に耳にしているだろう。
魔眼に関しては、伊織が知っているかもしれないから後で聞いておくか。
「帝さんとお呼びしてもよろしいですか?」
「好きにしてくれ」
神無月は歩を進め、俺に近付く。
「面白い人ですね」
「俺はつまらない男だよ」
何気ない、それも多分の意味を内包した言い方だが、どういった意味合いを持つのかはこれだけでは分からないし、知ろうとも思わない。
「牧原さん」
「はいっ!」
神無月に声をかけれた男子生徒は、顔を赤らめながら、上ずった声で答えた。
「ここで寝ている皆さんを起こして帰ってくださって結構です」
優しい口調にも聞こえるが、逆らってはならない女帝の絶対なる命令のようにも感じられた。
人を扱う事に慣れているのだろう。敢えて言うのならば取っ付きにくい。
後方にいる伊織に視線を向けると、降参したように首を横に振った。
どうやら、俺の意識を理解した上での答えだろう。
つまり、伊織はこう伝えた。
ここでしれっと退散するのはよろしくないと。
俺は大人しく男子生徒達が逃げるように駆けていくのを見ていた。
「少しお時間はよろしいですか?勿論、帝さんだけで」
先に逃げ道を塞がれた。
「話ならここでいいんじゃないか?」
「……個人的な話なので」
神無月は照れたように顔を染め、もじもじとしながら小さく呟くが、俺は人の好意を無条件で信じるような素直な性格ではない。
だからこそよく分かる。
あれは演技だ。
神無月も伊織と同じく、俺の事をただの聖王協会の関係者だとは思っていないだろう。伊織でさえ、俺から何かを引き出そうと鎌をかける事はよくある。
あざとい仕草を続けている神無月に、白けた視線を送りそうになったが、ここはわざとのこのこと引っ掛かるアホのふりをする。
「そうなのか?……俺に?」
「ええ、帝さんにです」
神無月のふんわりとした笑みは美しいが、心の警報がより強く鳴り響く。
我ながら馬鹿だなと思いながらも、伊織に別れを告げて神無月についていった。
連れてこられたのは学内のカフェテリア。
中には六割を占める席に生徒が座っており、神無月と一緒にいる俺まで数多の視線に晒された。制服ではクラスは分からないだろうが、あまり友好的ではない物ばかりだ。
頑として断っておけば良かった。
神無月は俺に気を使ったのか、最奥の個室を選んだ。
互いに席に座るとその刹那、笑みを顔から消した。瞳には面白い玩具を見つけたとでも言うような、冷酷で猟奇的な狂気を感じる。
なるほど。これが神無月琴音の本性か。
神無月の魔眼の能力は既に知っている。
カフェテリアに来るまでの間に伊織から届いたメールで確認している。
その能力は、対象の魔力の流れを視る事。この能力を応用して異能力者の所持する魔力量を測るらしい。
この能力は敵に回すと面倒だ。
睦月弟の魔眼よりも実戦向きと言える。魔力の流れが分かれば、敵が次に何をしようとしているかもあらかじめ知る事が可能になる上、味方の異能力発動の手助けさえ不可能ではないだろう。
「演技はもうなさらなくて結構ですよ」
「そうかい。それでどこから見ていた?」
「最初からです」
「最初から……ねぇ」
神無月が偶然あの状況を目にして、場を収めようとは思っていなかった。
牧原とかいった男子生徒達を誘導したのは神無月。
では何故、あのような事をしたのか。それは、伊織へのちょっかいとも思えない。
ならば、例の魔道具か?
いや、それもない。
「そこまで警戒なさらないでください」
「するのと言う方が難しい」
神無月が先に注文しておいたのか、コーヒーと可愛らしいショートケーキが運ばれてくる。
コーヒーを僅かに口に含む。
「お口に合いましたか?」
「ああ」
「それならよかった」
神無月は顔の横で両手を合わせ、話をつぐむ。
「もしかしたら、伊織から聞いているかもしれませんが、私の魔眼の能力は異能力者の有する魔力量を視る事が可能です」
「なるほど」
「でしたら、これ以上の言葉は不要ですね」
「いや、是非ともお願いしたいね。俺は馬鹿なんでね」
「そうですか。でしたら単刀直入にお伺いします。あなたは何者ですか?あれほどまでの魔力量は異常です」
「そう思うか?」
「ええ、私が今まで魔眼を通して視た方々の中でも最も魔力量が高かったのは睦月王子さんでしたが、あなたは彼を遥かに凌駕しています」
だろうな。
化け物揃いの五年前の聖王協会でさえ、俺よりも魔力量が多い幹部はいなかった。当然、ジョーカーよりも魔力量は多かった。
魔力量の大小は、遺伝に大きく左右されるが俺は両親が誰なのかは知らない。ジョーカーに内緒で、権力乱用を極めて探したが見付からなかった。
そんな事よりも、今は目の前の神無月だ。
「俺の魔力量が多ければ何か不味いのか?」
「いえ、むしろその逆です」
「つまり、神無月にとってよろしい事なのか?」
「そうです」
……あぁ、分かった。
「これは神無月家とは関係なく、お前独自の動きだろ?」
「その根拠は?」
「根拠も何も、……全て当ててやろうか?」
「えっ?」
神無月は何も理解できずにシワを寄せる。
だが、確かに言葉足らずだったかもしれない。
「神無月、お前は本音を隠すのが上手すぎる。だからこそ、分かりやすいんだよ」
「……本当に?」
俺は神無月に頷くが、これは嘘だ。
最初に気が付いた理由は、神無月の中に宿った何かを感じた事だ。あの感覚は覚えがある。
そして、対処法も知っている。だが、俺は何も言うつもりはない。
理由はない。救う理由も、救わない理由もどちらもない。
「ですが、帝さんは実力を隠しておられると伺いましたが、こんなに話されて大丈夫なのですか?」
「構わないだろ。お前に吹聴されれば、隠したところで意味がない」
神無月が相手であれば隠す必要はない。神無月も俺の実力がどれ程かは誰にも言わないだろうし、俺の予測が正しければ、いずれ俺の正体を、そして何もしてきたのかを知るだろう。
もっとも、全てを知る事などはないだろうけど。
神無月は頭が切れる。それは間違いない。
"封縛の魔女"と恐れられているのは伊達ではないらしい。油断も隙も見当たらない。
そして、学年最強と言われている伊崎さえも上回る力を有していると思われる。
それだけではない。学校全体で見ても最強の座に近い。神無月が隠している本当の実力を白日の下に晒せば、睦月恒四郎も出雲英玲奈も倒してしまうかもしれないな。
だが、それでもまだ中途半端だ。
頭の切れも、魔力の質も何もかも。
その後、とりとめのない不毛な会話に花を咲かせ、真美達の部活が終わったとの連絡が入り解散した。
「琴音と何を話していた?」
俺がカフェテリアを出ると伊織が尋ねてきた。その顔は浮かない。
神無月は先に店を出たので、それを確認して入り口付近で待ち伏せていた。
「心配してたのか?」
「あいつは化け物だからな」
「そうだな、確かに化け物だったかもな」
人になりきれない歪な怪物でもない何か。
「まあ、帝が何もないならそれでいいが」
だが、伊織。半端な怪物は、完全に人間の領域から両足を踏み越えてしまった本当の怪物には敵わないんだよ。
「翔も大変だったな。伊織に巻き込まれてストーキングの手伝いとは」
「帝、くれぐれも神無月琴音には気をつけろよ」
翔も神無月への警戒を促す。
本当に二人は良い奴だ。だが、こうもしつこく警戒を口にするという事は、神無月琴音に関する何かがあったのだろうか?
だが、それを言葉にして発するのは無粋という物だ。
「分かった。覚えておく」




