25話
勇者君は無事に魔獣を撃退──ではなく、一切動かなかった。門番が頑張ったらしい。
山脈の麓に、昨日と同じ家をスマートフォンから召喚し、昨日と同じようにリビングで寛いでいる。
ただ、ラース達は未だに起きてこない。
俺は、勇者君と行った質疑を記憶から引っ張り出す。
「お前は、俺に──俺達に危害を与えるか?」
「与えない」
嘘だ。
もう一人の俺が囁く。
「お前は魔国には攻め込むな。作戦そのものを頓挫させろ」
「約束する」
また嘘だ。
「俺達の邪魔はするな」
「分かった」
これも嘘。
「明日、もう一度お前の顔を見に来る」
「歓迎しよう」
嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘、また嘘だ。
息をするように嘘を吐き、歩くように嘘を振り撒く。
何故か、昨日の一件を思い出すだけで声が聞こえる。
その声に、俺は心の中で言い返す。
知っている、知っているとも。
これが人という生き物だ。醜悪で愚劣で身勝手で、そしてお前達から全てを奪った。
分かっている。だから、今は黙っててくれ。
俺は親切心で言ってやってんだがなあ。
俺は目を閉じる。
そして、閉じた視界の先には俺が居た。俺よりも更にどす黒く、色気があり、目は黒く、目付きは柔らかく、内包された魔力は俺を遥かに越えている。
眼前の俺は黒い玉座に座り、黒い鎖で拘束されている。
対して俺は黄金の玉座に座ったまま。鎖で拘束されてはいない。
「なんのようだ?」
俺の声を聞いた眼前の俺は笑う。
「ここに来たのはお前だぜ。用があるのはそっちだろ?」
「確かにその通りかもしれないな。だが、お前は煩すぎる。あまり俺に関わらないでくれと言っても無駄だよな?」
「お前も分かっているだろ。答えはノーだ。お前も俺も神月帝だ。一つの体に複数の人格があれば、どちらかがどちらかを消すしかない。そうだろ?」
黒い俺は笑った表情から真顔へと変わる。
「そうだな。最近、俺ではない何かが頭に入り込んでいる気がする。それはお前か?」
「どうだろうな」
黒い俺は再び微笑を浮かべる。俺と違い目付きがいいため、あまりにも美しい。
全てを魅了させるであろう、その微笑みを俺は睨む。
「怖いな。もう少し穏やかに生きろよ。そんなにせっかちだから目付きが悪いんじゃないのか?」
「ほっとけ、余計なお世話だ。俺の人生は俺が決める。お前じゃない」
「いや、お前の人生はお前が決める物ではない。世の中のあらゆる流れるが効率よく循環するために、どこかに押し込められるだけだ。お前が決めているようで、決めているのは決してお前じゃない」
俺は間髪入れずに答える。
「それはお前も同じ事だろ」
「そうだな、同じ事だ。だが、俺はここに囚われたまま。まるで、飛び方を忘れた哀れな小鳥、今はまだ籠の中に囚われ、鎖で繋がれている」
眼前の俺は笑いながら肩を竦める。
「まあ、いずれこの状況は変わるかもしれない。何事も不変ではないのだから」
「今のお前に何ができる」
「俺ができる事は、呼吸、会話、──」
縛られた俺は指を折り曲げながらすました表情で数えている。
「──歌唱に睡眠、夢想、しりとり……くらいだな」
「ならば、ずっとそうしていろ。お前は俺じゃない」
「いや、俺は神月帝だ。確かに、俺の全てはお前ではない。だが、間違いなくお前の中には俺がいたはずだ。そうでなければ、俺はここにはいない」
「誰しも持っている物だろ」
「それは否定しないな」
「ならば、何故俺だ」
黒い俺は笑う。
何を伝えようとしているのかは、その爛々と黒く輝く瞳が伝えている。
お前が一番よく分かっているだろうと。
「俺は──時間か」
俺の意識は光の無い海底のような闇から、引き上げられる。
意識が微睡んだままリビングを見渡せば、ラース達は俺を見ていた。
タマリとオリヴィアは心配そうに涙を浮かべて。
ラースは眉間にシワを寄せた険しい表情で。
「心配をかけたようだな、タマリ、オリヴィア、朝食を作ってくれ」
空元気でタマリとオリヴィアをキッチンに向かわせ、ラースへと視線を向ければ案の定──
「またアイツか?」
「そうだな。最近は随分と大人しいと思っていたがな」
ラースはタマリ達に聞こえないように小声で話している。
「やっぱり、魔力が乱れていたか?」
「ああ、乱れるなんてもんじゃなかったぞ。俺でもビビっちまうくらいだ。今の自分の魔力の状態を見てみろ」
俺はラースに促されるままに、体内の魔力を確認する。
「ラースの言う通り、乱れるなんてもんじゃないな」
黒より黒く、闇より深い。
今の俺の魔力を言い表すならば、このような陳腐な言葉しか出てこない。
俺の魔力はただでさえ、人間離れした量と質を誇っているが、今はそれさえも凌駕している。
ただ、この世の闇を結集したかのような、人類の憎悪の塊のような禍々しさを感じる。これがもう一人の俺の魔力であり、絶対的な異質なおぞましい能力。
「今なら何でもできそうだな」
「まるで、闇堕ちした主人公みたいだな。だが、自分の力は自分で律せよ。今の帝を止めるのは骨が折れそうだ」
ラースの心配とは無縁そうな口調に思わず笑みが溢れる。
「柿ピー食べるか?」
「貰おう」
俺は、ラースが抱えているプラスチックのツボを受け取り、柿ピーを鷲掴みにする。そして、口内へと押し込む。
この朝食を食べずに、先に菓子を食べる背徳感がたまらん。
「帝様ぁ、朝食はどうしますぅ?」
「何でもいい、食える物なら」
「かしこまりましたぁ!」
エプロンに着替えたタマリが、気分よくキッチンに戻っていくが、一つ気になる事が。
「裸エプロン?」
「らしいな、俺には見えないように設定されてるらしいから、一切見えないが」
「器用だな」
丸出しの滑らかな尻とブンブン振られている尻尾は可愛らしいのだが、アレだな。ラースに見えないように設定していなければただ痴女だな。いや、痴女だな。
ほっとこ。
朝食を食べ終えた俺達はラードレインの展望台に転移した。
展望台の最上階を何気に気に入ったからしょうがない。あそこから見える景色は素晴らしいのだ。
時計を見れば、まだ十時を過ぎたばかり。普通であれば目を覚まし、一日の活動を始めていてもおかしくないが、人影が一つ足りとも見当たらない。俺も午後まで熟睡する時はあるが、正直不気味だ。
昨日の魔獣からの防衛で心身ともに疲れたのか、もしくはテンションがハイというヤツになって夜遅くまでドンチャン騒ぎをしていたか。
そりゃあ、何故か死者が一人もいなければこうなるな。
まあ、この都市の住民の起床が遅い問題はどうでもいいとして、昨日魔獣の一戦をエリルト公国はどう対応するのだろうか?
もう、このくらいしか見応えがある物はないな。魔獣をこの都市にけしかけても、警戒すべき程の相手は誰もいない。
やはりジョーカーの言っていた相手は、白凰優馬の元へ向かわないと、その相手の捨て駒にさえお目にかかれないだろうな。
これは、既に昨日に出た答えなんだよな。だが、もしかしたらもう一押しで出てくるかもしれないという感情により、次じゃなかったらまた次と手を打ってしまう。
まるでアレだな。スマートフォンのアプリゲームのガチャみたいだ。テラも次こそは必ず出るとか言って、勝手に三十万も課金してたからな。あの時は、しっかりとしばき倒したけど。
話を戻すが、白凰が居る国に直ぐに行くべきだ。干渉してこないとはいえ、この事態を知らないとも限らない。
「ラース、勇者君は放っておいてメソラリア王国に行くべきかもな」
「どうした?いきなり。自由に遊び回るって言ってただろ?」
「何か見落としている気がする」
今回の世界強制排除魔術陣を発動させたのは誰だ?
それは、ジョーカーの警戒している者達だろう。
では、そもそも白凰優馬は何故召喚された?
何故、行方不明のはずの白凰優馬は地球に戻ってきた?
それは、白凰が本件の黒幕と繋がっていたからだろう。
ならば、一体いつから黒幕と繋がっていた?
最初に行方不明になった時と考えていいだろう。
俺が気が付いている事はこれだけか?
俺は自問自答を繰り返す。
これらの事は、最初から分かっていた事だ。もっと他のファクターを探し出さなければ。
ジョーカーから貰った茶封筒を取り寄せし、中の資料を急いで出す。
「何か思い出したのか?」
前触れ無く資料を床にぶちまけた俺に困惑しながら、ラース達は回収を始める。床に落ちているのは、三枚の写真と五枚の資料。
まずは写真を手に取り、行方不明になる前と最近の物とを見比べるが目に見えて分かり易い違いは見当たらない。三枚目の写真は、家族と出掛けているのか両親と妹と思われる幼い少女が写っている。
やっぱり両親と白凰とは、顔の作りが違い過ぎる。白凰が愛嬌のある顔立ちなのだが、母は目付きが鋭い美人であり、父は厳格そうな堅苦しい顔付きをしている。隔世遺伝とも考えられるが、ここまで似ていないのは珍しい。
資料に目を通せば、白凰優馬と同じ人物は十三年前に一度、行方不明になっていると記されている。当時は西田幸政という名で、十七歳。白凰優馬を名乗っていた時よりも歳が上だ。
それも、気が付いたのはつい最近。
同時期に他にも四名行方不明になっているが、彼らのそれ以降の記録には残っていない。聖王協会でさえ見付けれなかったのだから、本当に消えたと考えていいだろう。
天下の聖王協会が一般人四名程度を探し出せない訳がない。
いろいろと要因が交錯している。その要因に、この世界の状況が折り重なり複雑になっている。
白凰優馬も優秀ではない。一人だったのならば、偶然この世界にやって来たとしても何もかも上手くいかなかっただろう。アイツの近くには協力者がいると見て間違いない。
今すぐ使い魔を送るか?
いや、重要な事なのだから自分で片をつけるべきだ。
未だ、見落とした何かが分からない。
もっと単純で明快な何か。
「タマリとオリヴィア、もし、かつていた場所に戻ろうとする執念があったとする。お前達なら、その要因は何だと予測する?」
「故郷か大切な人がいる場所ですかねぇ」
「ねえ帝、私なら何かを成し遂げていない場合でしょうか」
それは違う。どちらも正解ではないと思う。
だが、オリヴィアは少し近いかもな。
白凰優馬の瞳を覗いた瞬間、見えたのは純粋な汚れきった濁りだった。純粋な汚れきった濁りとは変な表現だが、あの瞳はよく見知っている。
他人を利用しようとする利己主義、他人よりも優位に立とうとする自尊心、異性を装飾品として侍らせる情欲、それらがありありと浮かんでいた。どれも常軌を逸した濃さで。
どれも思春期の少年少女に限らず、一部の人間以外は誰しもが持ち合わせている感情だ。
白凰優馬は別に悪ではない。当たり前の感情なのだから正義だろう。世界を守ろうが滅ぼそうが、その他大多数に肯定されるだけで正義に変わる。
間違っているのは、きっと俺だろう。
「帝、何か分かったか?」
「まあな、大体予測できた。それにしても、五年も前線にいないだけでここまで落ちぶれるとはな。異能力も頭も上手く使えてない」
「その内、戻るんじゃねえか?」
「頭が軽いと気楽でいいな」
「馬鹿は馬鹿なりに悩む事くらいあるぞ」
ラースの真剣な表情に、思わず笑いが込み上げる。
「やっぱり面白いな、お前」
「帝には言われたくねえな」
俺とラースは互いに顔を見合せ苦笑する。
だが、なんだろう。この熱血漫画みたいな空気、正直苦手だ。
「俺達は、今すぐ白凰達のいるメソラリア王国の王宮に向かうべきだと思う」
「なら、ラードレインの勇者は無視でいくのか?」
「そうなるな。王宮の場所は分かってる。一度メソラリア王国の温室ぬくぬくと育てられている勇者を引っ張り出すのが手っ取り早いが、最近はガザリア迷宮とか言う洞窟に毎日潜っているらしい」
「それを利用するんですねぇ?」
「半分な。目的は白凰優馬から情報を聞き出す事が最優先事項だが、他の奴らも日本へ連れ帰った方がいいだろう。警戒しながら慎重にいきたい。間違いなく、裏で手を引いたヤツが現れる」
「ねえ帝、そうなりますと、白凰優馬の身柄もある程度は守る必要がありますね」
「そうなるな。口止めとして殺される可能性は高いしな」
「面倒だな」
「それでもやるしかない」
俺は盛大なため息を吐いたラースを見る。
恐らく、ジョーカーの警戒相手はそこまで深く関わっていない。目的は不明。特撮ヒーローの悪役の如く世界征服や世界の混沌なら、まだ遣り様はある。
最初にやるべき事は敵の狙いを片鱗の一欠片でも探ること。
ジョーカーの野郎、こうなら事が分かって俺をこの世界に送り込みやがった。その内、仕返しをしてやる。
影魔の上位存在である、影魔公からの連絡によれば、白凰優馬達は勇者として召喚され、問題行動を短期間で次々と起こしているらしい。その上、日本へ帰る事を半ば諦め、世界征服の野望に燃えているらしい。
本当に勇ましいが、ゲームや漫画に影響され過ぎだ。世界征服より前に、俺に連れ帰らせられるのにな。
夢を持つのは自由だし、一向に構わないけど。
どうやらあっちもこっちも、勇者と呼ばれる者は問題児ばかりだ。一人くらいは自制の心を持っていてほしかったが、無駄な期待で終わったらしい。
多少記憶を弄る程度で十分かと思っていたが、記憶と勇者の力も消した方が良さそうだ。仮に、消したのが記憶だけだとしたら、もし能力に気が付いた時に好き勝手に私利私欲に使いそうだ。今、この世界で手短に殺すのが一番の対策なのだが、そういう訳にもいかない。
どうせ、後処理が面倒だったと愚痴られる。
「チマチマと情報収集なんてやる余裕はないし、サクッと終わらせる」
「帝、そんなに上手くいくか?迷宮で襲撃するんだろ?」
「迷宮で襲撃?誰がそんな事をいったよ。襲撃先は空っぽの王宮だ」
「ハッ?」
「メソラリア王国の主だった戦力は、勇者達に動向している。つまり、王宮の戦力は非常に薄い。これ程、絶好の機会はない」
ラースは両目をぱちくりさせている。
「今回の黒幕も白凰とは一緒にいないさ。今頃は、情報を集めながらこの世界から出ていくタイミングを伺ってる真っ最中だろ。いきなり都市が魔獣に襲われ、正体不明の鬼神が現れたんだ。逃げるよりも先に、誰が起こした事なのか、どうやって行ったのかを知ろうとするだろう」
「つまり、まだメソラリア王国とやらにいると?」
「俺はそう見てる。トラベラーとか言う奴が裏で手を引いている。白凰に限らず魔国でのクーデターもな。だが、魔国に関しては打つ手はないだろうな」
「テラは容赦という言葉を知らないからな」
「あの異常な嗜虐性は昔からなのか?」
ラースは頷く。
マジでか。
ラスボスに相応しい趣味と言ってしまえばそれまでだが、あの厨二病真っ盛りのチミッ子があんな二面性を持っているとは誰しも思わないだろう。
突如、俺のポケットから振動を感じる。
スマートフォンを取り出せば、思った通りの龍神からの着信だった。
「帝、誰からだった?」
「ヴァルケンだ」




