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18話

 

「初ロンドンの感想は?」

「圧巻の一言よ!それ以上はないわ!」


  真美は瞳を瞬かせ、その目に焼き付けようと一心不乱にロンドンの有名な建物を見つめる。


  兎のように飛び跳ねそうな勢いではしゃぐ真美に、近くの老夫婦が生暖かい視線を俺達へと向けて微笑む。

  「違うんですよ奥さん」と心の中で絶叫しながら否定するように首を振る。


「そろそろ、聖王協会の本部に行くか?」

「……そうね」


  真美の顔には覚悟が刻まれている。

  昨日からの縁でしかないが、今までで一番凛々しく美しい。


「行こうか」


  俺は一言呟くと、真美に視線でついてくるように促す。


  俺が向かったのは一つの古びたベンチ。

  ロンドンに限らず、世界で最も有名な時計塔のすぐ近くに設置されているベンチだ。そのベンチには、一人の老人が新聞を読みながら座っている。


「随分と久しいの、帝よ」

「そうだな、和尚」


  このジジイはかつての同僚にして聖王協会の円卓の騎士に名を連ねる幹部の一人。

  今は前線を離れ、後世の教育をしながら悠々自適に過ごしていると聞いていたが、そのせいなのか、性格やら体格やらが丸くなったように感じる。


「本当に穏やかに暮らしているとはな。絶対にあり得ないと思っていたが」


  和尚は長い滝のような白髪を触りながら不敵に笑う。


「帝も、ただの一般人として暮らしていると聞いていたのじゃが……いや、今はにーとと言うんじゃったかの?自宅警備員とも聞いたのじゃがな。それにしても、えらい別嬪のお嬢さんを連れとるとは……若いのお。儂も若い頃はかなり遊んどったが、お嬢さん程の美姫には巡り会えんかったわい」

「話が(なげ)えよ、ジジイ。話は起承転結に纏めろよ。それと、早く中に入れろ」

「いいじゃろう、そこの別嬪だけじゃがな」

「えっ?」


  真美は驚きの表情を浮かべ、俺を見ながら咄嗟(とっさ)に手を握る。

  だが、真美だけが吸い込まれるように時計塔の壁を通り抜ける。


「悪いが、久しぶりに再開してからのバトルなんて面倒な展開は辿らないぞ」

「そんな事をする訳がないじゃろう。これはジョーカーからの指示じゃ。まずは、あのお嬢さんと話したいようじゃ」


  和尚は、先程までの好好爺のような表情とは打って代わり、よく知っている獰猛で凶悪な笑みを俺へと向ける。まるで、物理的な圧力をかけられているような錯覚に陥る。


「ほぉ、流石は神童と言ったところじゃな。戦闘とは無縁な生活を数年も送っていようとも、その身に染み付いた流血と屍の記憶は完全には失っておらぬらしい。せいぜい、磨耗し、朽ち果て、最後に垢のようにこべりついた残滓程度の物じゃろうがの」

「だったら、どのくらい残っているか試してみるか?」


  和尚は鼻で笑う。


「今のお主相手では、負ける方が難解じゃ」

「そうかもな全力を出せる状態じゃないし」


  和尚はおもむろに口を歪める。

  恐らく和尚は、今の最悪のコンディションに至った原因が気になるのだろう。その瞳に映る好機からも明らかだった。


「気になるか?」

「相談くらいなら乗ろうかの」


  和尚はベンチの自らの右側に座るように、叩くことで勧める。

  俺は、目付きの悪さを隠すために特殊な認識阻害を作り出し、その副作用により、認識阻害の解除と共に身体中を襲った激痛について噛み砕いて話した。


「それはそうなるじゃろうな。帝の作り上げた認識阻害は他者への認識能力への干渉ではなく、自分自身の存在への干渉だろうからの」

「その通り、話が早くて助かる」

「わざわざ危険な手段を用いずとも、魔道具(レリック)を使えばよいじゃろ」

「試したよ、試したが意味がなかった。魔道具(レリック)程度じゃあ、俺の目付きの悪さは隠せなかった。だから、危険な手段を使ったんだよ」


  和尚はしばらく、考えこむように右手を顎に当てながら俯く。

  あれならばとか、もしくは、なんて小さく口に出しているが、少なくとも真剣に考えてくれていることには感謝しよう。


「帝、プロレスラーが被っているようなマスクを被れば、大丈夫じゃろ」


  はっ倒そうかな、このジジイ。


「目付きを隠す変わりに、とんでもない自己主張してんじゃねえか。プロレスラーのマスク?リングの中ならともかく、公共の場で被れば不審者確定だろうが」

「なかなかいい案だと思ったんじゃがな」

「どこがだよ。面倒臭くなって適当に考えただけだろうに」


  俺の言葉に同意するように和尚は笑う。


「ところで、真美はまだジョーカーと話しているのか?」

「帝よ、主はどう思うかの?」

「どう……とは、ジョーカーが真美に手を貸すのか貸さないのかか?」

「そうじゃ」

「無理だろうな、手を貸さないだろう。メリットよりもデメリットの方があまりにも大きすぎる」


  和尚は頷く。どうやら、俺と同意見らしい。


「ジョーカーは、下手にリスクを負うことを嫌うからのお」

「だな。アイツなら、真美には手を貸すことはないだろうな。どこまでも安全策を重要視する」

「もし、もし帝がジョーカーの立場であったのならどうするかの?」


  和尚は何でもないような興味なさそうな口調だが、多分アレは演技だ。


「俺の思考はジョーカーと近い。ならば、答えは同じだろうな」

「なら帝、お主個人ではどうじゃ?」

「何が言いたい?からかってるのか?」

「聡明な帝ならば分かっとるじゃろ?儂が何を言おうとしているかを」

「アンタは嫌な老人だよ、全く。自分ができない事を他人に押し付けるのかよ。アンタは俺を信用してねえだろ?」

「そうじゃな。儂はお主を信じとらん」


  和尚は迷い無く答える。


「俺も同じだ。俺はアンタを信じてない。まあ、和尚に限った話ではないけどな」

「誰も信じず生きるのは骨が折れるぞ」

「骨が折れる程度の痛みなら、もう慣れた」

「ならば、帝は何のために生きる?」

「……さあな、何のために生きているんだろうな。考えたことなんて一度もねえや」


  和尚はフッと声に出さずに笑う。


「若い内は悩むんじゃぞ。それが帝の糧となるじゃろう」

「その原因の一端を作り上げているアンタが言うなよ、アンタが」

「もういいじゃろう。ジョーカーの部屋は覚えとるじゃろう?」

「ああ、しっかりとな」

「ゆっくり行けば、丁度いいじゃろう。聖王協会の本部へようこそ」


  体が膨大なエネルギーに引き寄せられているように時計塔の中へと引っ張られる。


「この場合はお帰りの方が適切じゃないか?」


  思わず発した言葉は、きっと誰にも届いていないだろう。


  白亜の神殿のような五年前から一切変わっていない本部を見ながら記憶を頼りにジョーカーの部屋へと進む。

  人とすれ違う度に、警戒するような視線を向けられる。ジョーカーからは、五年の間で大幅に聖王協会の異能力者が大幅に変わったような趣旨の言葉を聞いていたし、俺の事を知らなくとも当然なのだろう。

  それにしても、大雑把だったとしても相手との実力差くらい理解できないようなら、無能に限りなく近い三流以下の異能力者だ。ジョーカーが実力低下を嘆いていたことも頷ける。

  俺なら泣くな。


  その後、遠回りしながらジョーカーの部屋へと進む。

  ちらほらと見知った顔も見受けられる。その者達は、一瞬だけ驚いた表情を浮かべるが、軽く黙礼して急ぐようにその場を去る。

  様子からして、嫌われていると言うよりも、怯えていると言った方が近いだろう。俺の膨らんだ逸話を聞けばそうなるのも仕方がないかもしれないが、俺が聖王協会を去ってから五年も経過しているにも関わらず、こんな反応をされるとは思わなかった。

  てっきり、もう少しフレンドリーとまではいかないが、話の一つや二つくらいならあると予想していた。


「現実なんて、所詮こんなもんだ」


  俺は自分自身に言い聞かせるように呟く。


  心に傷を負った訳ではないし、友人になれると期待していた訳でもない。

  故に、大して何も感じない。


  ふと神話の戦いを描いたような壁絵が視界に入る。

  中央には黒い刀を振りかざす、少年と思われる誰かが鬼のような怒り狂った形相で描かれている。その少年の周囲には怯えるように後退り化物達が降参するように両手を上げている。

  改めて見れば、戦いじゃなくて虐殺と言った方がしっくりくる。


「こんな絵、俺がいた時にはあったっけか?」


  少なくとも俺がいた時には、こんな地獄絵図みたいな誰得な壁画は無かったはずだ。俺の記憶には微塵も無いし。


  ジョーカーの部屋の前までやって来ると、真っ白な制服を身に纏った男が二人立っている。

  片方は、背の高い白人男性。もう一人は背の低い中国人の男性。

  彼らは俺が聖王協会に所属していた頃から、ジョーカーの秘書兼、身辺警護を任されている。二人ともデスクワークも実戦もこなせる非常に優秀な異能力者であり、その実力は聖王協会の幹部である、円卓の騎士に手が届く程だ。だが、彼らは幹部にはならず、中間管理職で満足している。

  そして、聖王協会の中でも俺と普通に接していた数少ない人物達だ。


「久しぶりだな、イーサンとチョウ」

「うむ、そうですね」


  口を開いたのはチョウ。


「どうした?イーサン。無視か?」

「イーサンは寝ていますよ」

「両目を開けたままだぞ?器用な奴だな」

「うむ」


  よく見ると、口元から涎が僅かに垂れている。


「キタネ。職務怠慢だぞ、中間管理職ども」

「自分もですか?」

「どうせ、交代で寝てたんだろ?」

「うむ、否定はしないな」

「素直でよろしい」


  俺はイーサンの肩を揺さぶり、目を覚まさせる。


「おっ?坊主か、久しぶりだな。お嬢ちゃんは、ジョーカー様との話を終えて控え室に向かわせたぞ」

「そうなのか?」


  俺は確認するようにチョウを見る。


「うむ、そうだな」

「真美の様子はどうだった?」

「うむ、落ち込んでいましたね」

「やっぱり、断られたか」


  イーサンが口を挟む。


「俺達はお嬢ちゃんの事情を大雑把にしかジョーカー様から報告を受けていないが、かなりの厄介な案件みたいだから断って当然なのかもな。俺がジョーカー様の立場だったのなら、同じ選択をするだろうしな」


  チョウが同意するように頷く。


「うむ、組織の長には、組織を纏め、導かなければなりません。組織が大きくなればなるほど難易度は増し、より失敗は許されません。坊っちゃんも、最初から分かっていたでしょう?」

「そうかもな。……いや、そうだな、その通りだ。最初から分かってたな」

「坊っちゃん、ジョーカー様が待っております」


  イーサンとチョウは両開きの重厚な扉を開ける。


「坊主、久しぶりの再開だ。存分に話してこい」

「坊っちゃん、ゆっくりと」

「…………昨日、話したばっかりなんだけど」


  イーサンとチョウは両目をパチクリさせている。どうやら、昨日の俺の家への訪問はジョーカーの独断行動だったらしい。


「いっ、行ってくるな」


  気まずい沈黙の中、扉を通る。通った瞬間に急かすように閉められる。


  前を見れば、ジョーカーが笑顔を浮かべながら座っている。

  アンティーク調の黒い机に肘をつきながら、クッキーを口へと運んでいる。


「一日ぶりだね」

「そうだな、一日ぶりだ」

「怒らないのかい?」

何故(なぜ)?」

「僕が彼女の話を聞かなかった事だよ」


  俺は苦笑する。


「こうなる事は分かってた」

「そうだね、君なら分かるだろう。誰よりも僕の近くで僕を見ていた君なら」

「ああ、分かってる。そして、聞いている。多くの仲間を守るために組織の頂点に君臨した途端、考えるべき事が誰を守るかではなく、何を捨てるかに変わったとな」

「言ったっけ?そんなこと」

「言っていたさ」

「そうかもね」


  僅かに思い出すような憂いた表情を覗かせるも、すぐに笑顔に戻る。


「でも、ヒントは与えたよ」

「昨日もだったけどな」


  確か、真美の前で異界の対処は俺に任せると言っていた。

  今回も、直接的には言っていなくとも、遠回しに伝えたのだろう事は想像に(かた)くない。


「君は賢い。何が最適な道筋(ルート)なのかは、既に知っているはずだ」

「それは、聖王協会にとってか?それともこの世界にとってか?もしかして、真美のためなんて言わないだろうな?」


  ジョーカーは艶やかに(わら)う。

  策謀の王は、思わず一瞬であれど見とれてしまう程に美しく。まるで、全てを見透かしているように笑っていた。


「聖王協会のためでも、世界のためでも、ましてや真美ちゃんのためでもない」

「じゃあ、何のためだ?」

「君のためだ、帝」


  ジョーカーは立ち上がり、机越しに俺の頬を触れる。


「君は賢い、そして誰よりも人の醜さを理解している。だからこそ君にこの一件を任せたい」

「話にならないな」


  去ろうとする俺へ、ジョーカーが茶封筒を手渡す。


「中を見てみるといい」


  ジョーカーの言葉に従い、茶封筒の中を取り出す。中に入っていたのは、三枚の写真と数枚の資料。そして、小さな鍵が一つ。


「これは?」

「見たまんまだよ」

「だろうな」

「それが分からないから調べてほしい」

「真美の手助けではなく、コイツ達について調べて来いってか?」


  ジョーカーは変わらない笑みを浮かべたまま何も言わない。


「どうするかは俺次第か」

「そういう事だよ。……でも、何かしらの援助はするつもりだったんでしょ?」

「ああ、元の世界に送り返すくらいはやるつもりだったさ。けど、その優しさは本当に真美のためになるのかは分からない」

「真美ちゃんには誰もが諸手(もろて)を上げて喜べるハッピーエンドはやって来ない」


  ジョーカーの言う通り、真美には全てを救う最善解など無い。

  それは、誰かが手を貸しても同じ事だろう。真美はきっと何か大切な物を失う。

  はっきり言ってしまえば、真美は既に詰んでいる。身近な者達からクーデターを起こされ、何も持たず、力の制限された状態で別の世界にやって来た。

  その上、自分には元の世界に戻る手段は無いのにも関わらず、敵は世界を行き来する何かしらの手段を持っている。


「でも、帝が、帝達が力を貸せば話は変わる。あらゆる理屈を捩じ伏せる理不尽には、何者も抗えない」

「それは命令か?いくらなんでも肩入れが過ぎないか?」

「ただの独り言だよ。それと勘違いしているようだけど、そしてさっきも言ったけど、真美ちゃんのためじゃない」

「俺のためってか?つまらない嘘を吐くなよ」

「全てが終われば分かるだろう」

「全てが終われば?まるで詐欺師と話している気分だよ」


  ジョーカーはケラケラと笑う。だが、その金色の瞳は笑っていない。鋭利なナイフさえも可愛らしく思えるくらい鋭い。


「帝、確かに君は賢く強い。とてつもなく。それでも君は、膨大な流れの一瞬の煌めきにすぎない」

「その膨大な流れって何だ?ジョーカー、アンタは一体何を見た?」

「それが知りたければ真美ちゃんの世界に行くといい。彼は、白凰優馬はただの尖兵だろうね。僕が恐れていた何かは、すぐそこまでやって来ている。そして、いつか君も知るだろう。そして、絶望する」

「……そうか」


  俺は白凰優馬の写った写真を握り潰す。


  敵は分かった。敵がこの世界の中から世界の外──異界へと変わっただけの話だ。

  だが、その後ろにいる奴でさえジョーカーの恐れていた存在感ではないだろう。その程度ではジョーカーの脅威には、到底なり得ない。


「そろそろ、俺は行く。真美は隣の控え室だよな?」

「そうだよ」


  俺は部屋を後にする。


「俺は異界に行くぞ。真美に借りがあるからな」

「そうなのかい?それはよかった、真美ちゃんも喜ぶだろう」

「それに、アンタが怯える何かの片鱗でも拝んどこうと思ってな」

「油断して足元を掬われないようにね」


  俺はジョーカーの言葉に答えるように手をヒラヒラ振りながら部屋を後にする。


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