17話
家に帰ると、リビングには誰もいない。少し寂しい。
きっと、独身のOLは毎日こんな気分になっているのだろう。今度から、電車に乗ったら席を譲ろうと心に誓う。
ソファーに横になり、軽い睡眠を取る。
気付けば、意識は夢の中に。
目を覚ますと、ヴァルケン達がいつも通りの朝食を始めていた。唯一、いつも通りではない点は、真美がいることくらいだろう。
その真美は、俺を何度も不審者でも見るようにチラ見してくる。
「真美様、あちらの方は帝様ですよ」
「……へっ?でも、顔が違うわ」
「やっぱり、ボクの言った通りの展開になったね!」
「テラ、誰だって分かるぞ!」
テラとラースの面白そうな声が頭に響く。
そして、ヴァルケンの説明を受けても尚、信じてはいない真美は目を細めながら前屈みになり俺を見る。なんだかむず痒い。
「昨日の俺は仮の姿だったんだよ。こっちが本当の姿だ」
「へぇ、そうなのね。死んだ魚みたいな目ね」
「余計なお世話だ」
言い返した俺の顔を見ながら、真美は楽しそうに笑う。
昨晩の落ち込んだ表情とは違い、腫れ物が取れたように思えるが、その実、気を使っていることは分かる。俺の家に居る以上、もう少し気楽になってほしいが、こればかりは最終的には本人次第だ。
「お前達、話がある」
「いかがなさいました?」
唐突な俺の言葉に、ヴァルケンが尋ねる。
「今日中に、聖王協会の本部に行かなければならないらしい。面倒だけど、行きたくないけど、久しぶりだけど」
「私の一件が原因よね?」
真美は申し訳なさそうな表情で、胸に手を当てる。
思わず、昨日に比べて随分と丸くなったと感じてしまった。分かっていると思うが、体型ではなく性格が。
「まあ、そうだな。それ以外もあるだろうけど。昨晩、いろいろとやらかしてな」
「……そう」
パンを頬張っている真美を横目で見ながら、聖王協会の今の幹部達の顔を思い浮かべようとするが、大幅に変わったと聞いていた気がする。
「ヴァルケン、本部へは俺と真美で行くから、指定していた仕事を任せるぞ」
「かしこまりました」
その後、ヴァルケンは俺を見ながら口だけを動かす。
俺はただ頷いて返す。
「ねえ、帝」
「どうした真美」
ソファーで寛いだままの俺に真美が声をかける。
「帝は朝食を食べないの?」
「席がうまってるし、誰かが食べ終わるまで待っとくよ」
「オイ帝!なんなら、真美に食べさせてもらえよ!アーンってな」
「しばき倒すぞ、ラース」
無粋な提案をするラースへ、呆れた口調で返しながらテレビをつける。
テレビでは、昨日のショッピングモールでの一件が報じているが、当たり障りのない事だけをニュースキャスターが喋ると、政治家のスキャンダルへと話題が移る。
ショッピングモールでの件で裏で動いて情報操作を行ったのは国土異能力対策課だろう。
思っていたよりも優秀らしい。俺は、脳内で対策課の評価を上方へ修正する。
真美達へ視線を向けると──
「照れるなよ、真美。こっちまで気まずくなるだろうが」
真っ赤に顔を染めた真美がヨーグルトを救ったスプーンを俺の口元近くまで近付けている。
「ほっ、ほら!食べなさいよ!」
「……うぐっ」
頬を真っ赤に染めた真美は、顔を別方向に向けながらスプーンを俺の口の中へ押し込む。
しっかり、砂糖と蜂蜜が入ってるようで、かなりの濃厚な甘さと風味が舌へと押し寄せる。
「真美、お前、そんなに甘い物が好きなのか?」
「……何よ、いきなり」
「ヨーグルト甘い、甘すぎるわ。こんなの食ってたら一週間で虫歯になるわ」
「そう?」
真美は首を傾げながらヨーグルトを口へと運ぶ。
「いや、ヨーグルトの甘さ云々は今は置いておくとして真美、今日は聖王協会の本部に行くからな」
「聞いてたわよ。ところで、聖王協会の本部はどこにあるの?」
「聞いて分かるのか?ロンドンだけど」
「そのろんどんって場所の本部に行くのよね」
真美は期待に満ちた眼差しをしている。
「さっきからそう言っているけどな」
「なら、ろんどんで観光しない?」
「いいけど──」
クーデター起こされた割には呑気すぎないか?と喉まで出かかった言葉を呑み込む。
別世界の都市だからこそ興味を持つ気持ちは分からなくもないし、異界に戻ったときに参考にするのかもしれない。
それに、異界へ行くにもやるべき事が多々あるため、それ相応の準備期間が必要になる。その間くらいなら、多少楽しんだところで悪くはないだろう。
……そう言えば、安否は分からないが一人だけ信用のおける誰かがいたようないなかったようなって話を聞いた気がするんだが。
「昨日会ったジョーカーって奴、覚えてるか?」
「あの優しそうな人ね」
「優しそう?アレがか?」
優しさの欠片もない師匠の鬼畜の所業のあれこれを思い出す。
そして、やっぱり優しさとは無縁な存在だと確信する。
「帝様、真美様、そろそろ話を戻されては?」
「そうだな」
ヴァルケンに促され、真美へと視線を戻す。
「それでだ、おそらく主な議題はこの世界での真美の処遇と、真美がいた世界への対応だろうな」
「……どうなると思う?私の世界は」
「残念ながら、それは俺が決めることじゃないな」
「そうよね」
真美は暗い表情で呟く。
内心では真美に悪いと思いながらも、ジョーカーの決断次第と教える。
変に希望を持たせたくはないし、一度でも持ってしまえば、その光輝く希望にいつまでもすがってしまうだろう。
そうなれば、待つのは最悪の結末だけだろう。
「なるようになるさ、話の大部分はいつもの通り無駄話だろうしな」
何も言わない真美を見れば、緊張した強ばった表情を浮かべ、身体中が硬直している。
異界では魔王だったらしいが、俺が思っている魔王とは違い、名君だったのかもしれない。
結局、朝食は食べなかった。
昨晩に限らず、昨日は全体的に忙しすぎて食欲もわかない。
自室に戻り、気分転換として服を着替えはしたが、胸に燻らせた憂鬱な気分は変わらない。
長期休暇明けの学校に行くかのような、行きたくないけど行かなくてはならないジレンマ。いや、俺の場合はだいたい五年ぶりだから、長期休暇にしては長期すぎる。五年間自室に引きこもっていたが、親に無理矢理引きずり出される方が近い気がする。
虚空から出現させた、赤に煌めく金色の指輪を親指にはめ、天に掲げ眺める。
この神秘的な輝きは、見る者を惹き付ける。聖王協会に所属していた頃は、幾度も買い取りの交渉を持ちかけられた。だが、この指輪は、ただ綺麗なだけの生易しい代物ではない。
俺の所持する最も厄介だが、最も強大な力を秘めた魔道具だ。他人においそれとくれてやるつもりは毛頭ない。
そして、既にベットに乗せてあったダイヤモンドの付いた金色の指輪を人差し指に、琥珀のような宝石の付いた白銀のネックレスを首から下げる。ポケットには黒光りする漆黒の懐中時計を慌てて入れる。
外から躊躇するような足音が聞こえたからだ。
「真美か?」
「……」
俺の声に返答はない。
だが、誰かがもたれかかったのか扉が軋む音が聞こえる。
ただ扉にもたれ、じっとしている誰かに呆れながら、扉を開ける。
「真美、どうした?トイレの場所が分からないなら教えようか?」
「余計なお世話よ。……あの……」
「何だ?ちゃんと言わなきゃ分かんないぞ」
踏ん切りがつかない様子の真美に思わず、苦笑してしまう。
真美は床を見つめながら、言葉を口に出そうとするが、何も言えずに何度も口をパクパクさせている。何かを言いたいが、決心がつかないでいるようだ。
「一度、リビングにでもコーヒーを飲みに行くか?」
「……うん」
俺が先陣を切って歩くと、真美はチョコチョコと雛鳥のようについて来る。
リビングまで行くと誰もいない居ない。
真美に座っているように言い、俺はキッチンまでコーヒーを入れに行く。
真美のあの態度は、恐らくジョーカーに真美の手伝いをしてほしいという事と悪いようにはしないでほしいとでも口添えしてほしいのだろう。
だが、真美も魔王だったのなら政治という物を理解しているだろう。
組織の長が、感情で動いてはならない事くらい分かっているはずだ。それでも、どうにかしなくてはならないと思っているのだろう。ロンドンに観光したいと言っていたのは、そんな自分の感情を悟らせないためか。
全く、面倒な性格をした魔王様だ。
魔王は魔王らしくふんぞり返るくらいが丁度いいのに、それさえできない不器用な魔王。
思わず笑いが込み上げる
「どうしたの?いきなり笑っちゃって」
「何でもない。ただの思い出し笑いだ」
「そう」
キッチンにやって来た真美は、俺の隣まで歩いてくる。
「凄いのね、この世界は」
真美はコーヒーメーカーからポッドに注がれるコーヒーを見ながら感嘆の声を上げる。
「真美の世界はどうなんだ?」
「何もないわ、この世界と比べると。この世界はまるで驚きがいっぱいに詰まったビックリ箱よ。目にする物全てが驚きよ」
「そうか。全く別の世界なのだから当たり前なんじゃないのか?」
「そうかもしれないわね。あなたが私の世界に来れば……止めましょう、そんな仮定の話。あなたは私の世界には来ない。そうでしょう?」
「そうだな、今のところはな」
真美はその言葉を聞き、悲しげな表情をするが無理に笑顔で隠す。
その姿がとても切なげだ。
恐らく、あり得ないと思いながらも、僅かな希望を抱いていたのだろう。俺の口から一緒に行くという言葉が出てくることを。
「もう十時だ。コーヒーを飲んだら、そろそろ出発しようか」
「分かったわ」
真美は緊張しているのか、手が震えている。
昨日、打ち解けた話をしていたとはいえ、真美にとっては大勝負だ。自分だけではなく、自分の世界へ、この世界がどのような対応をするのかが決まる。
異能力者の組織は幾つもあれど、直接的に異界へ干渉しているのは聖王協会のみ。この事は真美は知らないだろうが、真美は聖王協会以外の異能力組織は知らないだろう。
だからこそ、聖王協会からの助力を得られなければ、今の真美には最早打つ手どころか、元いた世界へ戻る事すらできない。八方塞がりだ。
俺達はコーヒーをキッチンで立ちながら飲む。
真美は猫舌らしく、コーヒーカップをゆっくりと傾けながら少しずつ口へ運んでいる。
キッチンの置時計を見ると、既に十時を過ぎている。そろそろ、行かなければマズイだろう。
「飲み終わったか?」
「ええ」
飲み終えた真美のコーヒーカップを回収し、シンクに置くと、真美が口を開く。
「ヴァルケンさん達がいないみたいだけど……」
「ヴァルケン達には仕事を与えてるからな。昨日、ショッピングモールで壊れた分の魔道具を新たに改造して作ってもらわないといけないし、裏で動いてもらわないといけないこともあるしな」
真美は納得したようにリビングへと戻りながら頷く。
「やっぱり、私のせいね」
「前者はそうだが、後者は俺のせいだな」
「そこは、そうじゃないって言うところよ」
「俺は、他人に気を配れる程、器用な人間じゃねえよ。諦めな」
「そうね、素直に諦めるわ」
「そこは、諦めるなよ」
「お返しよ」
真美はからかうように妖艶に笑う。
その姿は、まさしく魔を統べる蠱惑の女帝に相応しい。
何はともあれ元気が出たようでよかった。落ち込ませたままで連れていけば、十中八九からかわれる。
「確認だが、準備はできてるよな?」
「私は大丈夫よ」
「そうか。なら、俺は今から終わらせてくる」
「……帝は終わってなかったのね……」
真美の言葉に逃げるように急ぎ足で階段を駆け上がり、私室へと戻る。
充電中のスマートフォンをコードから抜き取り、黒の腕時計を右腕につける。
念のため、展開前の黒刃を三つポケットに押し込む。そして、タンスの中から黒い斜めがけのバッグを取り出す。
タンスの扉に取り付けられた鏡で自らの姿を確認する。
「真っ黒」
黒いジャンパーに黒いシャツ、そして黒いベルトに黒いデニムに黒い靴下。挙げ句の果てには黒い腕時計。どうせ靴も黒いだろう。……黒い靴しか持ってないし。
リビングまで降りると案の定、真美からも「……黒いわね」と言われる始末だ。
真美の服装は先程と変わらず、真っ白なフリルの付いたシャツに、水色のフレアスカートを纏っている。
春を感じさせるその服装は、とても季節にあっている上に、真美の美しい容姿を更に際立たせている。
俺は全身黒しかなかったのに。
「どうしたの?そんなにジロジロ見て」
「俺よりも服の種類が豊富だなと思っただけだ」
「そうかしら?昨日、買ってもらった服しか持ち合わせてし、基準が分からないから何とも言えないけど……」
そうだった、忘れてた。昨日、襲撃される前は、普通にショッピングしてたんだったな。
玄関まで進み、靴を履く。やっぱり靴は黒かった。
真美は可愛らしいサンダルを履いている。
「行くぞ」
「ろんどんって場所まで歩いてどのくらいかかるの?」
「歩きだけじゃ行けないな。魔術を使う」
「へぇ、そうなのね」
「まあな」
俺は、玄関口へと手を翳す。行使するのは、空間を移動する魔術の中でも、最も安全で消費魔力が少ない魔術の一つ。
体内の魔力が少しずつ魔術へと変換されていくのが分かる。
空間が次第に捻れ始める。ゆっくりとゆっくりと。
「遅いわね」
「ちょっと今集中してるから静かに頼むな」
力を解放してから調子は良好だが、細かな調整が不得手になっているようだ。
「後、どのくらいかかるの?」
「んー、八分くらい?」
「結構時間がかかるのね」
「まだ、全力を出せないからな」
真美は興味深そうに空間の歪みを眺める。きっと、自分のいた世界には存在しない魔術が気になるのだろう。
「あっ!」
真美が驚きの声を発する。
歪みの中央から押し退けるように、他の空間が覗いている。
「あれがろんどんね!」
「いや、韓国だ」
「寄り道するの?」
真美は両目をぱちくりさせている。
「そうじゃない。今の俺には、時空干渉系の魔術は上手くコントロールできないから少しずつ移動すんだよ。一歩間違えれば、体が木っ端微塵になるからな。凄いだろ!」
「…………」
「……何だよ、そんな目を向けて。俺も真美も全力を発揮できない。状況は同じだろ?」
真美はジト目で俺を睨む。
その後、韓国から中国などさまざまな国をを経由し、ロンドンに付いた頃には時差があるため日が暮れていることもなく、丁度正午を回ったくらいだった。
「どうだ?時間的には完璧だろ?」
ドヤ顔で放たれた俺の言葉にイラッとしたのか、真美からボディーブローが飛んできた。
魔王の一撃だけあって、結構痛かった。




