摩天楼の檻
中南米からの移民が多く住むブロックで、
李親子の経営する料理店は、年中、賑わっていた。
店内は、お世辞にも清潔とは言えなかったが、
料理はどれも安価で美味しかった。
それが、人気の理由だった。
明は、物心がついた時から、
ここで父親と働いていた。
母親はいなかった。
店から一時間ほど歩けば、チャイナタウンに着く。
そこには、彼の祖父母が元気に暮らしていて、
彼と同じ肌の色をした人達が、
所狭しとひしめき合うように生活していた。
父親の清は、明に、
自分がチャイナタウンを離れた理由を、
「競争が激しかったからだ」
と説明した。
だが、明はそう思わなかった。
大体、父親は器用すぎるのだ。
本職の中華はもちろん、
フライドポテトやパスタ、スペイン料理、
そして、それらを折衷した料理の数々...。
店内の壁は、これらのメニューが書かれた貼紙ですっかり覆いつくされようとしていた。
そして、いずれの料理も、移民の舌に合うように
程良くアレンジがなされていた。
一言で言えば、清は勤勉で、料理の才覚に恵まれていたのである。
そして、それは息子の明にも受け継がれていた。
朝早くから深夜まで、親子は毎日、休むことなく働き続けた。
その勤勉さに、多くの地元の住民は、彼らに好意を抱き、尊敬の念を覚える者さえ少なくなかった。
二人の暮らしぶりは極めて質素だったが、
周囲の同胞に誇れるほどには、経済的に十分な成功を収めていた。
それに、明は聡明な子だった。
彼は、中国語と英語、それからスペイン語を流暢に話し、正確な暗算もこなせたが、学校を出てはいなかった。
それは、父親の清も同じだった。
しかし、明は父親と違い、そのことに劣等感を抱いていた。
文字の読み書きは、父親と、店の常連で教養のある親切な客から教わったが、それだけでは、彼の学習意欲は満たされなかった。
15歳になった頃、明は学問をしたいこと、そして、それに充てる時間が欲しいと父親に請願した。
しかし、その要求はあっさりと撥ねられた。
「それが何の役に立つんだ?お前は文字の読み書きができて、金の計算もできる。これ以上の学は商売に不要だ。くだらないことを考えていないで、さっさと働きなさい。」
清の言うことはもっともだった。
自分の生活には、確かに不要だった。
学問を修めることよりも、
料理の腕を上げて客から満足してもらえることの方が、生活をしていく上では、遥かに重要であることに違いなかったから。
従順で物分かりの良い明は、それ以上、何も父親に言うことはなかった。
ビデオテープがクルクルと回っている。
明と清の親子が、休むことなく働き、店の中を忙しそうに動き回っている姿が画面に写っている。
これは、中国人ジャーナリストの孫が撮影した映像だった。
彼は、中国系移民の勤勉さを讃えるために、二人を撮影した。
そして、映像は彼の母国の情報機関に送られた。
彼の母国は、この映像に若干の手を加えた。
映像の画質は恣意的に粗くされ、音声も消された。
そして、都市開発から取り残された地方の農村部では、見世物小屋の檻の前にある立札のように、以下の短い紹介文が添えられ、大々的に放映された。
「先進的な大都市に暮らしながらも、その文化的・経済的な恩恵を受けることなく、ただただ、日々の生活に追われ続ける我が同胞たちの記録」
映像は、国家から見放された貧しき人々の同情と関心を集めることに成功した。
画面越しに、15歳の明が写っている。
彼は、中南米の移民の大人たちとスペイン語で会話をしていた。
しかし、音声は聞こえてこない。
彼は、移民たちとの会話を通じて、遠いラテンアメリカの国々に思いを馳せていた。
未知の景色、人々、世界...。
彼の想像力は天井知らずだった。
彼は、生涯を通じて、ついに摩天楼の檻から外へ飛び立つことはなかった。
しかし、彼は自由だった。