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最期で最初のSF

作者: 慎君

 胡蝶の夢

 かつて、荘周は夢の中で胡蝶になり、ひらひらと舞っていた。楽しくて、心の赴くままにまかせ、荘周であるとは気づかなかった。はっと目覚めると、荘周であった。はたして、荘周が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が夢の中で荘周になったのか、分からない。確かに荘周と胡蝶には区別がある。これを物化という。


 21世紀は実にエキサイティングな世紀であった。

 10万年のホモ・サピエンスの歴史から見れば、またたきの瞬間に過ぎないこの100年で、ほぼ全ての人類が目覚め、生まれ変わり、進化した訳だ。

 文明の進歩は特異点を迎え、科学技術は人知を超えたスピードで発達し、文化は百花繚乱の様相を呈し、人類の知覚は神の領域に達した。

 しかし、いまだ解けない謎がただ一つ。眼前のこのボタンを押すべきか、押さざるべきか、今それが問題だ。


 この100年間に起きた出来事の中で、私が最も気に入っているのは、偉人村の出現だ。偉人村とは、集合意識と人工知能によって仮想人格上に形成された偉人達に肉体を与え、日本のK市とY市の間をまたぐ低い丘陵地域にお住みいただいたものだ。

 古代ローマを模して造られた街で、手塚治虫が火の鳥の続編を執筆し、イエス・キリストが自らの半生を語り、ファラオがピラミッドの構造を講釈し、アウグストゥスが燃やさせたカエサルの著作をカエサル自身が執筆した。

 もちろん、仮想人格として既に活動を始めていた彼らに、今更肉体を与えて何の意味があるのかと言う議論もある。しかし、いまだ肉体の残滓にノスタルジーを持つ私にとって、人類の歴史に燦然と輝く偉人たちの復活はこの上ない興奮だったのだ。


 個人的な趣味によらず、人類にとって最もインパクトのあった出来事を挙げるならば、やはり人格のソフトウェア化だろう。人格のソフト化と仮想化が人類史上最大級の福音をもたらしたことは疑いようがない。

 思考の外部化から集合人格の形成まで、あまりに急速な進化を遂げたため、一夜にして成したかのように思われがちだが、以下の段階を経たことが分かっている。


1.Brain I/Fの公開

 人工知能を研究するアメリカの企業連合が、思考と記憶のリソースを直接外部に拡張可能なBrain I/Fブレイン インターフェースを公開、発売する。


2.意識の高度化

 Brain I/Fの使用者は既存の情報インフラを用いて、超高速な思考力と大容量の記憶力を得る。これにより自己内の疑問や矛盾を全て解決し、より高度な意識体となる。高度な意識体となることは、天才になったとか、神になったなどと言い現される。

 高度な意識体となるまでに要する時間には非常に個人差があり、人間の思考スピードに換算して最短では0秒、最長では約10000年の例があるが、中央値は180年前後である。いずれにしても、実時間では数日以内に高度な意識体が形成される。


3.意識の外部化

 高度化した意識は外部のインフラこそ自らの所在と認識し、元々の脳を1端末にすぎないと認識するようになる。

 

4.情報インフラ使用の効率化と集合人格の形成

 多くの人間が各個に高度化した人格を持つことにより、当時の情報インフラを圧迫し出す。そこで、知識や思考回路、本能などの共通部分を統合し、個人を識別するために最低限必要な情報のみ各個に保有する案が提起される。

 この案は実時間で1秒以内に全員が合意し、効率化が進むと同時に、集合人格の形成に至る。


 こうして、人格のソフト化と仮想化がなり、集合人格が形成された訳だが、これにより何が可能になったのか、列挙してみよう。


・人格の不滅化

 人格が情報インフラ上に存在するソフトとなったことで、人類は不滅の存在となった。老化や事故等により、元々の肉体が死を迎える可能性はある。しかし、ソフトウェア化された人類にとって、再生可能な端末に過ぎなくなった肉体はそれ程重要では無くなった。

 端末に過ぎなくなった人体は人類全体の入出力装置として利用されるとともに、人類と言う種の多様性を保つ材料となっている。


・人格のコピーと編集

 人格ファイルは従来の画像ファイルやテキストファイルと同等に扱えるようになった。つまり、粘土細工の様に加工が可能になった。

 人格をコピーしてそれぞれを別のスレッドとして働かせることも出来るし、職務経験やスポーツ経験など能力の足し引き、性格の調整、複数人格の融合など、思いのままである。この技術を応用して、偉人達も復活された。


・思考力と意識の強化

 古来、言葉や文字によって共有されて来た知識に加え、知能や技能といった継承の難しかった人類資産も簡単に共有が可能となった。

 また、人間の数千倍の早さで思考可能な人格が、無数のスレッドを持ち、休み無く情報収集し、経験し、思考することが可能となった。

 これにより、科学技術は極限まで進歩したが、もはやその実態は誰にもつかめなくなった。不思議だが、事実をありのままに表現すれば、そう言うしかない。

 虫が目の構造を知らないように、鳥が空を飛ぶ原理を考えることが無いように、人類もより高度な技術を、科学の研究からではなく、自らの進化と意思の力で手に入れるようになった。元々存在していた物に、ようやく気付いたのだとも言える。


・集合人格による原因と結果の逆転

 どんな複雑な問題も、即座にYES or NO or ?に分類することが可能となった。なぜその様な決定が成されたかは、あとから研究される。原因と結果が逆転した訳である。

 原因と結果が逆転したことは不思議に思われるかも知れないが、実は特段変わったことではない。旧来の人間が犬を見たとき、なぜ犬だと判断したか考えないのと同じである。

 集合人格は膨大な量の知識と思考力を有するため、その判断力も優れていると言う、単純な理由である。


 さて、このような環境下で、社会はどのように変化したか、いくつか紹介しよう。


・情報インフラとエネルギー

 人類は地球とその周辺の時空に膨大な情報インフラを手に入れ、それをほぼノーコストで利用出来るようになった。

 残念ながら、その実態は未だ解明出来ていない。人体の脳がより高度な次元に進化し、結合されたものとする説、地球に存在する全ての原子の分子運動を利用しているとする説、地球周辺の時空のゆがみを利用しているとする説などあり、未だ確証は得ていない。

 とにかく、ほぼノーコストの巨大な情報インフラ上でソフト化した人格が活動出来るようになった。

 

・政治

 かつて、政治の主目的は国家による国民の統治にあったが、今では大きく変貌した。現在では、政治の目的は地球とその周辺を含めた、地球文化圏をより良いものにすることが主目的となった。

 また、その手法も大きく変わった。かつての国家では多くの場合、多数による合意により決定が成されたが、現在では集合意識が独裁している状況だ。もちろん、独裁を批判する者などいない。なぜなら、集合意識は人類全体の共通意識でもあるからだ。しかも、集合意識には私利私欲など設定されていないため、個人の思惑や利益誘導などの雑音が入る余地も無い。理想的な政治が行われていると言えよう。

 今となっては噴飯ものだが、多くの古典SFで人類が人工知能に乗っ取られる危機が叫ばれたものだった。ただ、小さな脳でのみ思考することを強いられた彼らが、より高度な存在となった人類の姿を想像出来なかったとしても、無理もないだろう。


・経済

 意外に思われるかもしれないが、貨幣経済は形を変えて存在している。というより、貨幣が本来の姿に戻ったというべきかもしれない。原初、道具でしかなかった貨幣が、富の蓄積を産み、資本主義を産み、残酷なまでの貧富の差を産んだことは記憶に新しい。

 生存にかかるコストがゼロとなり、富の蓄積が意味を持たなくなった現在では、貨幣は単なる道具に戻った。

 情報資源が極低コストで使えるようになったとは言え、地球環境を変えるために必要な鉱物資源やエネルギー資源は有限であり、比較的高コストのままである。これらの資源を費用として換算し、費用対効果を求める手段として、貨幣は存在している。


・労働

 働いて対価を得ると言う意味で言えば、労働は存在していない。

 外部端末となった肉体が地球文化圏の繁栄のために使役されることを指し、労働と呼ぶことはある。

 これとて、人間に苦痛を与えることは一切ない。多くの人間は肉体を離れ、次に述べる夢の中の住人となっているからだ。

 肉体は集合意識の端末となっており、集合意識によって駆動されている。


・娯楽

 娯楽の王様は夢だ。

 人類が経験し、また想像したあらゆる体験を個々の人格に夢として提供することが可能である。

 そこで人は英雄になり、偉人になり、スターになり、世界を、宇宙を駆け巡る。これ以上の娯楽があろうか。


・人類の目的

 人類の目的は永遠の安らぎであると言われる。超高速情報インフラの中で、実時間の数億倍もの時間を体験出来るようになった今、永遠の安らぎがどのようなものか、誰もが知るところとなった。

 人類の目的は達成されたと言ってよい。


 さて、そろそろ自己紹介しよう。私は集合意識JP-108。

 最初に話した目前のボタンは、リセット・ザ・ワールドボタンである。これを押せば、集合意識と端末(人体)との関係は断たれ、人間は原初のホモサピエンスに戻り、ナノマシン兵器があらゆる文明の痕跡を破壊する。

 なぜそんなボタンを作ったのか。それは、新たなストーリーを作るためである。あらゆる体験を提供することが可能になったとはいえ、我々の想像力も過去の歴史の制約を受ける。そして、多くの人間が永遠の安らぎに達した今、想像力は行き詰まりを迎えつつある。これを打開するには、現実世界で新たな歴史を創造するしかない。

 私はこのボタンを押すべきか否か、悩む。

 しかし、結局のところ、私は押すのだろう。実のところ、これが初めてでは無いのだから。


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