幕間 帰れない来訪者―――変化の元
イズミ目線のお話です
2019/5/25 修正加筆しました!
幕間2
魔の森。
異常進化を遂げた魔獣、太古の昔、食物連鎖の頂点となった魔獣、果ては異界からやって来た魔獣が跋扈する無法地帯。
まず間違いなくこの世で最も危険な森。
竜種と遭遇するのは当たり前。
通常小型の魔獣はここでは大きく獰猛。
通常大型の魔獣はここでは小型で狡猾となる。
そうして生き残りを懸けた壮絶な食い合いを行う。
そんな森の中に私の住む泉がある。
ここでは獣は争わない。
争うものを私が遠ざけることを知っているから。
森の魔獣はおとなしく泉の水を飲みに来る。
目の前で醜く争わない限り、私はそれを拒まない。
例え魔獣でも何者も近寄らないのは寂しいものがあるから。
ただ、最近毎日ここに来る者がいる。
人族。
それもまだ少年。
「こんにちは」
彼は魔獣であふれる森の中を普通に散歩してここに寄る。
彼の目的地は大昔にできた岩宿の中。そこまでの魔獣の出ないキチンとした道があるけれど、彼は一度もその道を使った試しがない。
「いや、遠回りになるので」
いえ、魔獣に襲われれば余計に時間が掛かり、最悪の場合たどり着けないはず。でも、彼にその常識は通用しないようね。
驚くべきことに、この森の魔獣では彼に傷一つ負わせられない。
まだ、十三、四歳ほどの少年だけれど、実力は彼が初めてここに来た時に証明してくれた。
この森の最大の脅威である〈悪王の使い〉という魔獣を倒してしまったのだ。
その魔獣は遥か昔、神代に〈厄災〉が異界から連れてきた末裔と言われている。
魔法が効かない上、その体毛は刃物を弾く。
それを倒した。
森の生態は一時あわただしく変わったけれど、最近落ち着きを取り戻した。というより少しおとなしくなった気がする。
泉から出られない私は彼が岩宿への行き来で一体何をしているのか、想像することしかできないけど、原因は間違いなく彼でしょう。
「いえいえ、おれは別に殺戮しているわけではないですよ。向かってくるやつだけ返り討ちにしているだけです」
「そうなの? 魔獣と言えど、あまり命を軽んじないで下さい」
「それは、おれに向かってくる奴に言って下さい」
彼は最近鬱屈とした感情を魔獣で発散している気配がある。
「研究が思うように進まなくて……」
やっぱり八つ当たりだ。
彼は今一つの問題を抱えている。
この隔絶された次元から、元の次元に戻る方法が見つからないという。
「魔法陣についてはおおむね理解しました。陣に沿って魔力が限定され、それが魔法の発動条件を再現している。でも、『転移』には空間を超えるだけでなく、超えた先を決定する必要があります。それがタイタンの見せてくれた立体式魔法陣には見当たらなくて……」
つまり、今のままでは空間を超えてもどこに行くか分からないということね。
「ここに来ることは出来たので、どこかにその陣が隠されているとは思うのですが、思考強化しても見つけられないんです」
複雑な三次元構造の幾何学式は、少し見方を変えると異なる図形が浮かび、酷く難解。一つの魔法にこれほどの魔法陣を、いえ、これほどの複雑な魔法を一つの魔法陣で再現するというのが信じがたい。
でも、私はそれをこの一年足らずでほとんど解明したこのセーイチという少年の方に驚いた。彼はこれを一度見ただけでそっくりそのまま再現したというのだから常軌を逸している。
そんな彼だからこそ、私を見ても物怖じしないのでしょう。
ここの住人たちは私を神と崇め、祭事の時以外は滅多に訪ねてこない。来るのは葛葉くらいのものだった。だから、彼がここで頭を悩まし、うんうん唸っていても気にしない。いえ、むしろ彼が来ない日は物足りなく感じるくらい。
「その立体魔法陣の中では無くて、迷宮の中にここへの道しるべとなる、別の陣があったのではない?」
「おれもそう思って、迷宮内にあったそれらしき図は全て思い出して書き出したんですが、違いました。見落としがある可能性や、眼に見えなかったことも考えたんですが、この立体魔法陣で物を転移させるとちゃんと、あの洞窟内部にある魔法陣に飛んでるんです」
残念ながら、私にできるアドバイスは無さそうね。
大して役に立たない私の元に来るのは、きっと、葛葉や霧雨に心配を懸けたくないからでしょう。彼女たちはこの少年を家族と思っている。何の因果か、彼は前世で葛葉たちと同じ世界の国で暮らしていたらしい。ただし、遥か進んだ時代からということで文化は少し異なるようだけど。
「こう、プログラムに近いんです、立体魔法陣。詳しかったわけじゃないんですけど、一からプログラミングをするよりはたぶん簡単なはずです」
彼のいたところでは、もっと複雑なものが世界を繋げていたという。
異世界。
私はその扉が開くのを防ぐ立場だけれど、彼の話を聞いていると見てみたくなる。
未知なる世界に心惹かれる。
こんなに楽しいおしゃべりができる相手は葛葉以外では一人だけだった。
私が生涯唯一愛した人。
クレイ・カルバイン
◇
神聖暦六紀481年
時代は青の魔王の長い暴力と略奪の時代。
しかし、私はただ、魔の森の泉を漂うだけの日々。
どれだけ恐ろしい人族がいようとこの森には入って来られまい。
そう思っていた矢先、私はあるものを発見した。
人だった。
それも、男の子だ。
(どうして、こんなところに? 捨てられたのかしら)
しかし、彼は手に持った斧で木を伐り始めた。巨木と巨木の間に生えた不要な木。
少年はまさかの木こりだった。
(なぜ、ここで木を伐るの? バカなのかしら?)
魔の森で木を伐るなんて自殺行為。
それに伐った木をどう運ぶというのか。
私は彼の前に姿を現した。
「どんな願いでも叶えてあげましょう」
彼の名前はクレイ。
私を見て逃げようとしたクレイを引き留めるために私は大見得を切った。
もちろん私にそんな力など無い。
当時の私は神でも何でもなく、清浄な泉に宿った意志のようなもの、精霊に近かった。
でも人族の子供の腕を掴んで離さないくらいの腕力はあった。
「じゃあ、斧を返してください」
「それ以外で」
彼が泉に落とした、いや私に向かって投げた斧が直撃しそうだったので、粉々に破壊してしまった。代わりに金と銀の斧を渡そうとしたら、余計に警戒されてしまったわ。なぜ?
私は話ができる相手を逃がす気は無かった。
もはや泉に引きずり込むくらいの勢いで羽交い絞めにして願いを言わせた。
「な、なら……世界を平和にしてください!」
「それでいいの?」
「はい、世界が平和になりますように! お姉さんが泉に子供を引きずり込まない世界になりますように!!」
「……」
私は彼を離した。
「わかったわ。あなたがここに百回来て祈れば今より世界が平和になっていると約束します。逆に来なかったら……」
「ひぃぃぃ!!」
子供を騙した。
彼は泉に通い、私に世界のことを教えてくれた。
木こりの少年は貧しく、農奴という身分。土地を持たず、他人の土地を耕して食べ物を分け与えられ生きていた。
「木を木炭にすれば行商人に高く買ってもらえる。でもおれが伐っていい木はここぐらいしかないから」
クレイは思ったよりちゃんと考えて生きていた。それに度胸もあった。
彼は週に一度は泉まで生きてたどり着いた。当然、たどり着いたときには無傷ではない。
木を伐りに来るというより魔獣と戦うことが主目的になっていた。
私は泉の底にあった武器や防具をあげて、傷が出来たら治してあげた。
いつしか、クレイは武器も防具も替えが要らなくなって、無傷で魔の森を行き来するようになっていた。
「アラ? せっかく力が増してきたのに。これじゃ試せないわ」
「おれが怪我してきたら心配する癖に」
私は出来ることが増えていた。
後で知ったことだけど、これは信仰により私が神格に近づいていたことによるものだったらしい。クレイが私の話を広めたおかげね。
クレイの成長を通して私は時間の流れを自覚した。
「仲間と西のレッドドラゴンを討伐してきた。これで領主様に土地をもらえる。もう農奴じゃない」
「ふーん。なんだか楽しそうね」
「うれしいんだ。自分がまさかこんな人生を送れるなんて夢にも思っていなかった」
彼はたくましい戦士となった。
戦争に参加して、有名になったらしい。
「ここの魔獣に比べれば平地の戦士は怖くない」
「それは私のおかげね」
「強さの秘訣を聞かれてあなたのことを話したよ。誰か来た?」
「いいえ……クレイだけよ、私に会いに来てくれるのは」
ここには悪王の使いがいる。
あの魔獣を回避してここまでたどり着くには才能と強運がいる。
「そうか」
私が寂しい思いをしないように、彼なりの考えがあってのことだった。
でも私はクレイが来てくれれば十分だった。
少し経って、着る物が上等になった。
「最近、来る回数が減った。来てもすぐ帰るし」
「ごめんよ、忙しくて。だってとうとう貴族だ。踊りや食事のマナーを覚えるのが大変だよ」
「でも楽しそうね」
「ああ、夢みたいだよ……ところで、社交の場でもあなたの話をしているんだ。たくさんの人が信じてる」
「へぇ~、そうなの?」
やがて、彼が加わった大戦で青の魔王は討ち倒された。
初めて泉にやって来た少年は、十年経って立派な大人になっていた。
「あなたの約束してくれた通り、世界は平和になった。ありがとう」
「え、本当に信じてたの?」
「はは、そんなわけないだろう。初めて会ったときは悪い魔物か何かだと思った」
「ひどい!」
「ハハハ!」
「でもあなたの言葉には不思議な力がある」
「ないわよ」
「いや、おれにとってはあるんだ」
彼の私を見つめる眼は、魔物を見るものではなかった。
きっと、私の彼を見る眼も、ただの人を見るものではなかっただろう。
その顔に手をやると温もりが心地よく、彼は私の手を握った。
木漏れ日の差し込む泉で、鳥のさえずりと木々のざわめきだけを聞きながら、しばらくそうしていた。
それだけで満ち足りた気持ちになった。
この日以来、私がクレイに会うことは無かった。
時は流れ、神聖歴七紀200年ごろ。
その頃には神界から、私が神となったこと、外界で起きたこと、そしてこの世の理と真実を聞いた。
「神界へ来ませんか? あなたには『導きの神』の座が用意してあります。泉から出られますよ」
というのも、私が出会ったクレイが、青の魔王を倒し、彼の子孫が次の魔王の時代、白銀の時代を終わらせたためだ。
クレイの直系、レイダー・カルバイン
彼が葛葉と会話による和解を成立させた。
それから私とクレイのお話が絵巻になって、国で子供たちに伝え聞かされているのだとか。
私はその申し出を断り、泉に留まった。
「ここにいるべきなので」
その後、私と同じく信仰の対象となったレイダーは、死後、神となった。
勇気の神レイダーはある日泉に現れた。
「あなたにいつか恩を返すのが、カルバイン家の家訓でした。遅くなってすいません。ここにあなたと暮らす者たちを連れてきました」
レイダーが和解し、生前共に暮らしていたという葛葉たちだった。
「大丈夫です。人柄はおれが保証します」
(人じゃないわよね、彼女たち……)
「どうして、私のために?」
「あなたは寂しがりやだと聞いていましたから。初代当主クレイ・カルバイン公の残した遺言で」
「彼は……私を恨んでいなかった?」
「いいえ」
クレイと最後に会ったのは、彼が二十歳ぐらいの時。
とっくに百回の祈りは終わっていた。でも、彼は来てくれていた。
なのに、最後に来た時、私は彼が呼んでも泉からは姿を出さなかった。
「クレイはなぜあなたが姿を出さないのか理解していましたよ。だから、感謝していたんです」
「本当に?」
「ええ、あなたはそういう人だと」
精霊と人では添い遂げることは出来ない。
当時の私は泉からは離れる手段が無かった。
私といては、彼の本当の望みは叶わない。
彼が大国を平定し、帝国とバルトの間に中立の公国を築いたのはそれからだった。
その後、泉を出られることとなったのは何の皮肉か。
私が神となるのが早ければ……いえ、彼が私の元にいてはあれだけの偉業は成せなかったでしょう。そして、私が神格化されることも無かった。
彼は公国を築いてすぐ、いい人と巡り合い、恋に落ちて、子を成し、公国を治めながら、最後はたくさんの孫に囲まれ、安らかな最期だったらしい。
良かった。
「それから、彼の遺言です。あなたに会ったら伝えて欲しいと」
「遺言?」
◇
「セーイチ」
「はい?」
「実は私、人を導くのが得意らしいのです」
「はあ……?」
「私が口を出さないのはあなたが正しく道を進んでいるからなんですよ?」
「あはは、ありがとうイズミ様。おれは百回も祈りに来られないと思うけど、願いは叶えられますかね?」
「ええ、きっと。あなたの力ならできます。必ず叶います」
根拠のない私の言葉に少し、セーイチの焦り顔が緩んだ気がした。
「今、クレイの気持ちが少しわかりましたよ」
「ふふ、私に惚れても無駄ですよ」
遺言はクレイの私への気持ちだった。
全く、老人になってから考えただろうに、すごい歯の浮くような内容だったわ。恨み節の一つも無く、ただ、感謝と私への気持ちだけ。
それで私は何か満足して、世界を閉じた。
私とクレイの物語は終わった。
だから、セーイチの物語を私はただ、応援すればいい。
クレイから始まった人のつながりはまだ、続いてる。
今度は彼の物語だ。
やがて、あまりに長く泉にいるセーイチを迎えに霧雨と般若衆が来るようになった。
それから、泉の周りは少し、にぎやかになっていった。
そうそう、変わったと言えば私や霧雨だけじゃないわ。
葛葉が変わった。
というより様子がおかしい。




