幕間 帰れない来訪者―――小さな変化
霧雨目線のお話です
2019/5/25 少し修正しました
幕間
この平安京に人族の子供が運ばれてきました。
私たちがこの森で村を造り、ようやく形になってきた時期。
人が立ち入ることができないはずのここへ来たのですから、それはそれは、不吉なことだとして、彼はすぐに母様の屋敷に運ばれました。
「ほう……ただの人ではないようじゃ。ずいぶんと壮絶な人生を歩んできたらしいのう」
母様曰く、彼は私たちと同じ故郷、日本からやって来たようです。
それも遥か進んだ時代から。
殺されて魂だけになって、一人、何も分からないままこの世界で生きてきたというのです。そして、この若さでまた殺されかけて、ここがどこかも知らずにやって来てしまった……とても不憫な方です。
「母様……」
「ん?」
でも、幸いなことに私には少しばかりお気持ちを察することができるかもわからない。
なぜなら、同じように私も、わけも分からず今ここにいるのですから……
「母様、私に介抱させてください」
「うむ、では起きたら食事を与えて妾の所へ」
こうして、私が彼、誠一さんのお世話係とさせていただくことになりました。
まず、起きた彼に食事をご用意しました。
特別なものを用意するには時間が無く、白飯と魚の塩焼きとおみおつけと漬物だけ。
(お口に合うかな?)
同じ日本のご出身でも、味付けが……いや、それを言うたら彼が未来で食べていた食事も分からんのですから、これは早まったかもしれない……
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
心配しすぎでした。彼はおいしそうにきれいに平らげてくれました。その食べっぷりに作り甲斐を感じて、もっとおいしく作ってあげたいと思いました。
彼は言葉も、驚いたことに文字も読み書きが出来るというのです。きっと、御公家か学者の家のご出身なのでしょう。
「すいません……これはどうやって??」
お着物を一人で着つけられないなんて、さぞかし大きな家のご出身だったのでしょう。私は着付けをお手伝いしました。そして、見てしまいました。
彼のまだ幼い身体は、無数の大きな傷跡で埋め尽くされていたのです。酷いものは、まるで一度バラバラにされた後にくっつけたかのように連綿と傷跡がつながっていました。
(なんていう…………)
私は言葉を失い、動揺して帯を結びが上手くできず焦りました。
こんな少年は見たことがありません。
死者の骸が道ばたに転がっていたあの時代でさえも。
◇
『酷い、有様じゃのう』
大昔、私がまだ人だった時、最後に誰かがそう言いました。
どんな人生だったかは覚えていません。ただ、お腹が痛いという感覚と寒いという感覚が最後にあったことだけ。
その後、私は鬼となって人を襲っていたそうです。それも宮中で女官を手籠めにしている役人を狙って。
気が付いたら陰陽師に捕まっていました。そこでようやく私は我に返り、殺さないでくれと懇願しました。
「哀れなそなたの、現世の呪縛を解こうというのだ。何故にこの荒んだ人の世に執着するか?」
「うう、わかりません……でもどうか、なにとぞ……」
私はその陰陽師に縋り付き、「使鬼として魂をささげれば、存在することを許す」とされました。
しかし、私にできるのは食事の支度と琴を弾くこと、掃除をして、お客様をお出迎えする準備をすること、それぐらいでした。鬼である私を見たお客様は驚いて腰を抜かし、主様はそれをいつも見て笑っていたのです。そう、主様は変わった方でした。
そんな主様のおかげで私は、母様に出会うことができたのです。
それは、主様にお仕えして二十年ほど経った頃、ある日突然こう言われました。
「霧雨。そなたの器量を見込んで私の母の世話を任せる」
「主様のお母上ですか?……お墓の管理ですか?」
「母上は存命である」
「失礼しました」
きっと、すごいお年を召した方だろうと想像しました。何せ、主様が七十を越しておられたのです。
当時、四十生きれば大往生という時代。
お母上様は八十か、九十を越えておられるはず。
私は主様と共に山に入り、獣道を進んで、やがて森の中の大きな屋敷に辿り着きました。
「なんじゃ!! 母をこのような場所に捨て置いて今頃戻って来たか!!」
「母上、相変わらず息災のようで、何よりでございまする」
(母上……?)
主様のお母上は人では無く、私と同じ化生の者だったのです。
白粉を塗ったかのように真っ白な肌、絹のように艶やかな白い髪、妖艶な面貌、頭から生えた獣のような耳。
九十歳のお婆様とはとても見えない。
二十代初めくらいの容姿で、とてもお美しい方だとみとれるほどでした。
(きれいな人)
これが私と母様の初めての対面でした。
「ああ、もっと近う寄ってお顔を見せておくれ」
「母上、七十過ぎの爺を子供扱いせんでくだされ」
「ほほほ、親には子はいつまでも子のまま……して、その鬼娘は?」
「!!」
眼が合った瞬間、全てを見抜かれたかのように感じました。実際母様には私の過去が見えたのでしょう。
陰陽師としての呪術、占星術、読心術、天文学、幾何学、算術を主様に叩き込んだのは母様だったのだそうです。その術を人が妖を祓う陰陽術としてまとめ、主様は大成し、陰陽塾筆頭となられたのだとか。しかし、母親が化物だとして騒がれ始め、人里離れた屋敷に母様をかくまわれました。
「都は変わりないかえ?」
「相変わらず、人同士の騙し合い、殺し合いばかりです。募った恨み辛みがどこかに宿り、毎夜誰かの腹を裂いて、貴族共が騒ぐのみ。それで世は事も無しです」
「……そなたも、もう歳よ。永くはないであろう。ここで母と暮らさぬかえ?」
「母上、どれだけ愚かな者共にあふれようと、救える者、救うべき者もおりまする。最近では神隠しに遭う者も増え、天に不吉な兆しが見え隠れして居り、これに対処することが陰陽師としての本懐かと存じます」
これが、主様にお会いした最後の日となりました。
この数日後、私と母様は神隠しにあったのです。
◇
母様とお話になった誠一さんはひどく落ち込まれました。ここが隔離された時空と知り、帰れないと嘆いておられました。でも、母様が自ら寄り添われ、何とか気力が戻ったようでした。イズミ様に会いに行き、ここを出る手がかりを見つけたようで、その日から、誠一様は魔法の研究に没頭されました。
「魔法陣の基礎ぐらい勉強しとくんだった」
「誠一さんなら独学でもできますよ」
「うん、そうするしかない」
私にお手伝いできることはありません。
私たちの力はこの世界でいう所の精神魔法。魂とそこに宿る精神に干渉する術。私は簡単な式神を作るくらいしかできない。
「そうだ。今日のお夕食は以前お話されていた、肉じゃがというお料理にしてみます」
「本当に!? ありがとう、霧雨さん!!」
代わりに私はお料理で元気になってもらおうと、誠一さんが話す料理を再現していきました。どれを食べても誠一さんは「おいしい、おいしい」と食べてくれました。本当に故郷の味を再現できているでしょうか? 手に入らない食材もあったので、いつも頭は献立のことばかり。お料理してみても誠一さんが食べるまで安心はできません。
「本当においしいです!! 食材や味付けは家庭やお店ごとに違いますし、おれは霧雨さんの味が好きですよ。どれも、本当にもう食べられないと、忘れかけていた料理ばかり。ありがとうございます。これでまた頑張れます!!!」
「そうですか。なら、つくった甲斐がありました」
そうして、誠一さんにお料理を作って食べていただいていると、何か懐かしい感じがして胸の奥が温かくなりました。
(はて、昔も、同じことをしていたような……?)
もしかしたら、人だった時私には誠一さんぐらいの弟がいたのかもしれません。
時々、夢に知らない少年が現れ、私はその子の世話をしているのです。
目が覚めると涙がこぼれ、でもとても安らぎを感じました。
「こんなこと初めてだわ……」
この世界に来てすでに三百年以上。誠一さんとの日々は私の毎日を豊かにしてくれました。
「空を飛ぶ乗り物? 神話のお話ですか?」
「いや、本当に空を飛ぶんですよ。翼があって、風や火、電気の力で進むんです。中に何百という人やたくさんの積み荷を積んで、世界中を移動できるんですよ」
「……誠一さん、私が古い生まれの世間知らずの女と思うて、からかっとるんね!?」
「違うよ。本当におれのいた世界では当たり前にあったんですよ」
誠一さんのお話は奇想天外で、まるで神話の世界のお話のようでした。雲に届くほどの建物が建ち並び、いつでも離れた相手と話ができ、分からないことは何でもすぐ調べられて、夜でも昼のように明るく、人が月まで行った。
それが魔法ではなく、科学という学問によって成し遂げられたというのです。
信じられない私に誠一さんは絵を描いて説明をしてくれました。それはあまりに精密で、まるで現実を切り取ったかのように生々しい絵でした。それによると、物事をその科学というもので解釈すれば、世の理を解し、法則を割り出せるとのことでした。まさに目からうろこでした。
そして、その知識があったからこそ、誠一さんはこうして生きているのだとか。でも、そんな神話の世界のごとき叡智でもこの現状を解決することは出来ないのだそうです。
「思考強化で思い出した知識を利用すれば大抵のことは何とかなるんですが、さすがに時空の問題となると、おれのいた時代ではまだ一般に知られていませんでしたからね。映画の世界だ」
「映画?」
誠一さんは面白いお話をいくつも知っていました。それも映画のお話だそうです。私は夢中になって、そのお話に聞き入っていました。私が好きなのは、体の弱い青年が宇宙に行くという夢の為にその運命に抗い、自分を信じて、努力で夢をかなえるという物語です。
「ぐすん……その方は夢を叶えたのですね……良かった! ……ああ、すいません、お忙しいのに、お時間を私などのために」
「いいんです。話していて気づくこともありますから」
その日から誠一さんは、肩端から思い出した魔法陣をあれこれ再現して、それを魔力視で観察し、魔法陣の基礎を独学で理解していかれました。映画の主人公のようにわき目を振らず一心不乱に取り組んでおられました。
でも、一年が過ぎても、誠一さんの研究は思うように進まなかったのです。




