第十九話 道なき道
その日、穏やかな朝のすがすがしい空気に包まれたベルグリッド伯領のギブソニアン邸に、衝撃が走った。
「ロイドが行方不明だと・・・?」
ヒースクリフは、急報を持ってやって来た王宮の使いの者の慌てふためいた様子を見て、これがただ事ではないと察した。
「ご子息は迷宮に入った後戻らず、現在捜索隊が編成され現地に到着している頃かと思われます」
それを聞いてヒースクリフは王都へ確認しに行くと決め、使用人に準備をさせた。
(ただ迷宮で迷子になっているならばいいのだが、ロイドに限ってそんなことはないはず。屋敷に来て、すぐに一度見た地図を完全に暗記した子だ。それにあの子の性格からして今の時期に危険なことは絶対にしないはず・・・)
むしろ、この時期に迷宮の試験ごときで行方不明になるなど何か良からぬことが起きていると感じた。
「どうされたのあなた!!? 朝から騒々しいいぃぃ!!!」
あわただしい屋敷の様子を不機嫌そうにベスが尋ねた。
「ロイドに何かあったかもしれない。私は王都に向かう」
「・・・! 本当に?」
ヒースクリフが準備に奔走している間、ベスは自分の内にあふれ出る感情を必死になって堪えた。
(ぃぃやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! ついにあのガキを・・・本当に上手くやったのね。ルーサー卿感謝します!!! 神殿の神々とパラノーツ王国を守護する古の神々にも感謝します!!! ああ、なんて素晴らしい日なの!!!!)
ベスは興奮のあまりその場にしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫ですか? 奥様!?」
それを心配した使者が駆け寄ってきて手を貸した。
「ええ、すいません、あまりに突然だったから・・・」
(大丈夫じゃねーよ!!! うははははは!!! うれしすぎて死んじゃいそうだわ!! もう・・・すべてが違って見える、ああ、なんてこの世は素晴らしいのかしら!! あ、そうだわ、大事なことを忘れていたわ)
「奥様お気をしっかり。きっと、ご子息は無事に・・・」
「そんなことより、私の息子たちは試験に受かったのかしら? あなたご存知?」
「・・・・は?」
◇
ヒースクリフが領を出て王都に向けて出発したころ、その南の街道沿いの街、カサドではジュールたちの一行が到着し、神殿に入った。
「私は少し話があるから待っていてくれ」
そう言ってシスティナは神官と何やら話して別室に向かった。神官は恐縮した様子で小刻みに震えていた。
その間に他国から連れてこられた奴隷たちを神殿内の施設に預けることになった。中には精神的・肉体的トラウマから深い傷を心に抱えてしまった者もいて、しばらくは治療院での療養が必要とされた。
「救いの道はあります。慈愛の神エリアス様に祈りましょう。きっと我々の祈りは通じます」
そう言って神官の女性が祈りを神台に捧げるとともに『聖域』を創って神に呼びかけた。
「・・・」
「あ、あれ? おかしいわね。エリアス様ならこの状況にお声を掛けて下さるはずなのだけれど・・・」
「お姉さん、今神様は取り込み中だと思うぞ」
「え?」
ジュールの言う通り、エリアスはシスティナと話していた。
《もうっ!! シス何してたのよ!! 彼が大変なことになっているのよ!!》
「わかってます。私の聖痕が消えたから、こうして急いで戻ってきたんですよ! それで・・・なにがあったのですか? 彼がこの国の者に不覚を取るとは思いませんが・・・」
《シスが魔法を使えれば・・・》
「剣士に無茶言わないでください・・・もしかしてあなたも知らないんですか?・・・ということはまさか迷宮内ですか?」
神であるエリアスが見通せない場所は限られる。その一つは迷宮である。
《外部からの干渉を阻害する設計が仇になったわ。まぁあの迷宮が特別なだけだけど・・・彼が入ってもう四日以上経つ。単純に考えて人族が何も食べずに生きていられる限界に近いわ》
「そうですね、彼の精神力と神気、魔法を鑑みても五日は厳しいでしょうね。でも神界に居ないということはまだ生きてると」
《ええ、今王都の捜索隊が中に入ろうとしているから間に合えば・・・ちょっと待って!》
突然エリアスが話を遮り、何かを確認している様子だった。
「エリアス様?」
《・・・マズいことになったわ・・・》
「まさか、ロイド君が・・・」
《いえ・・・彼が迷宮を攻略した》
神々の話が終わるのを待っている間、クリスとカミーユは街の人達に何か情報がないか聞いて回っていたが収穫はなかった。
「はぁ、システィナさん、何かわかったかな?」
「随分話し込んでるようだけど、まだかかるかな? それならコイト男爵を街の駐屯騎士に引き渡してきたいんだけど。今日はもうこの街で泊りだろう?」
街にいる間犯罪者は衛兵に預けて牢に入れる。
「そうだな。事と次第によっては先に進むかもしれない」
「え、でもノワールちゃん大丈夫なの?」
ノワールは原初魔法『黒装』を使い続けてグデッっとなっていた。
「だらしない奴だ。おい、スカートの中が見えてるぞ」
「う〜」
成人姿のノワールはカミーユの着せたドレスでは膝が出てしまう。それで寝転がると目の毒な肢体が露わになる。すかさずカミーユがスカートを正して腰巻で脚を隠した。
「・・・ここが膝・・・」
カミーユはノワールの脚の長さにショック受けた。
「そ、その様子では今日は無理じゃないか?」
クリスはカミーユの眼と視線を合わせないようにしてジュールに確認した。
「ふむ・・・おい、神殿がだめなら出ていろ。魔の者よ! 退散せよ!!」
「「?」」
[ぐぅ〜〜〜]
「腹が減ってただけか!」
神殿に魔族が入っても問題は無い。
マズいのは悪人だけだ。
そうと知りつつ他愛のないやり取りで時間を潰すジュール。
「おい二人ともこいつ連れて何か食わせて来い」
「行くぞぉ!!」
「「?」」
二人は嬉々として動き出したノワールを連れて食事に出かけた。
しばらくしてシスティナが戻った。深刻なことがあったと顔に書いてある。
「・・・死んだか、やつは?」
「いや、一先ず生きていると分かった。だが・・・ん? 他の三人はどうした?」
「ノワールにチャージさせてる」
「ならばすぐに出るぞ。事は一刻を争う。彼は生きている。だが、困ったことに迷宮を攻略したようなのだ」
「・・・ククク、そうか! おもしろい!! あそこにいるのは確か・・・」
ジュールは古い記憶を呼び起こし迷宮について思い出す。
それは自分の出自、いや全人族と無縁ではない。
システィナは頷き、答えた。
「あの迷宮に封じられているのは、この世の厄災の源、魔を解き放った、かの王だ」
事態を理解したジュールはノワールたちを捕まえて直ちにカサドを出て北に向かった。
◇
迷宮に到着した捜索隊も、迷宮の異変に気づいていた。
「マイヤ卿! おかしいです。迷宮魔物が出てきません!」
「ええ、これを進みやすいと受け取るのは危険ですね」
その現象は迷宮をよく知る冒険者たちにも初の事態だった。
「何か・・・うごめくような大きな動きを感じる」
リトナリアの言葉で耳を傾けてみると迷宮全体が振動しているかのようだった。
「どうします、隊長? ロイド君はきっとこれと関係してると思うんだけど」
マスは進行を勧めようとするが、その場にいる者のほとんどが慎重だった。
不測の事態。この数百年起きなかったことが起きている。これはもはやロイド個人の捜索ではなく、迷宮の異変の原因究明となる。
「先遣隊を3階層ほどまで進めて様子を見ましょう。鼻が利く者にロイド卿の足跡を辿ってもらい、一先ず自分で下ったのかどうかだけでも調べましょう」
「待って下さい!」
マイヤに進言したのは神殿の聖騎士たちだった。彼らはこの現象についてこの場の者に伝えるべきことがあった。
「どうしました?」
「これは恐らく十数年前に中央大陸の迷宮で起きた事例と同じです」
それは歴史を学んだ騎士のマイヤはもちろんその場にいる誰もが知っていることだった。
「錆の魔王が帝国を攻め、ゼブル迷宮に入り、攻略をした後すぐにその謎の死が世界中に伝えられ、大戦が終結したました。英雄不在での魔王の死。それが迷宮攻略と無関係とは言い難く、神罰だという者もおりました」
「迷宮が神の創造物かどうか調べるため帝国内の神殿の者が迷宮を調べていたらしいのですが、その時、迷宮は動きをやめ、迷宮魔物は出なくなっていたそうです」
しばらくして迷宮は再び動き出したが、その時その性質はがらりと変わっていたそうだ。
迷宮魔物の強さ、出没する種類が全て攻略前と後とで違っていた。
「つまり、ロイド卿が迷宮を攻略したということですか?」
「それがロイド卿によるものなのかはわかりませんが、その可能性が高いかと。当日は一般冒険者が入れない、年に唯一の日。その後入った者は戻って来てます」
マイヤは事態の大きさに狼狽しながらも、王都に増員依頼と、迷宮の調査依頼を出し、先遣隊を慎重に進めさせた。その日、先遣隊はロイドの足跡が一階層で途絶えていることを突き止めた。しかし、迷宮の状態とロイドの所在に関しては不明のまま、そしてそこで何があったかも判明しなかった。
◇
探されている当人はまだ迷宮の最下層、最後の部屋にいた。
すでに五日が経っているが、ロイドは元気だった。腹を満たす物があったのだ。
「まさか迷宮魔物を食べられるとはな」
六頭竜の斬り落とした尻尾だけがなぜか本体が消えた後も残っていたのだ。
通常の迷宮魔物は倒すと消えてなくなる。どうしてこの尻尾が特別なのかは赤い魔人が教えてくれた。
《我を守護せし竜の御霊生みしは我が内なる力なり。御霊宿らせん石、纏うは真なる血、肉なり。依り代の真なる顕現によりて御霊は生なりける。》
つまり、よくわからなかった。
古代言語を学習したと言っても話す為ではなく読むため、女神の手紙の解読の為だった。会話は難しいがこちらの古代言語をなんとか赤い魔人は理解できるようで、尻尾が食べられることも彼が教えてくれた。
赤い巨大な魔人はここにずっといるらしいが、詳しいことは理解できなかった。ただ、彼は現在霊体になってロイドに話しかけており、直接触れることは出来ない。以前『神域』により剣神が現れた時と同じようだった。
見た目は恐ろしいが敵意が無いため肉を調理しながら普通に話をした。ここから脱出するにも彼の協力が必要だった。
《つーこって、今は魔人はみんな魔族つーこってここじゃないとこ・・・い、いるんよ?》
恐ろしくたどたどしく伝わるか微妙な古代言語で現在の魔人の所在を伝える。
《童は見るに異邦人たるや? 神通力ありしは何故たるや?》
《異邦? あ、ああつーか、神通力? あるのって今魔人以外でも・・・いけるしーそうこと?》
どうやら彼がいた時代には魔法は魔人のものだったようだ。彼は驚き、他にも何が起きたかを聞いてきた。
大戦と英雄の誕生。魔法の変化。国の興りと衰退。
ロイドは半日ほど休みながら彼と話をした。少し話に慣れた。
名前も聞いたが発音できないためタイタンと呼んだ。そしてようやく肝心なことを聞くことができた。
《そんでー聞きたいんだけんどーここって・・・・・出口、どこ?》
六頭竜を倒し、肉を食べて歩けるようになってすぐに奥の扉を開けたところ、そこには古い金属の山しかなかった。タイタンに尋ねるとどうやらそこはこの部屋の不要なものを集めるためのごみ箱的な空間で、金属は全て過去にここやって来た者たちの遺品ということだった。研究室に持ち帰りたい興味深そうな文様や文字が多く見つかり、それらの持ち主が古代の魔人のものであると推測できた。つまり、この地に昔は魔人が住んでいたことになる。
しかし、今重要なのは学術的な興味ではなく、ここからの脱出のみである。
《この地に封じしは厄災なり。何人も出られぬ》
《出られぬ?》
(どいうことだ? ここは彼を封じる場所なのか? いや、『厄災』というのは自分のことじゃないようだ。タイタンが封じられているんじゃないのか?)
《封じられてるのって、何なん? 厄災って何なん? タイタンってここで何してるん?》
《我厄災を封じんがためこの地に陣を築き、血肉捨て去り、永劫の番人たりける。》
(『陣』・・・そうか!!! 迷宮とはつまり立体的な魔法陣なのか。つまり、タイタンが迷宮を創った・・・! その『厄災』とやらを封じる自分を不滅とするために・・・?)
《厄災を求めし輩絶えるよう門戸開き、出口設けず》
侵入者を閉じ込めるため、出口は無いということらしかった。
(おれはここでくたばるしかないのか? 何とか戻る方法は・・・)
「そうだ! あの竪穴を登る方法を考えれば・・・!」
魔力が満タンなら『風の舞踏』で飛んでいけるかもしれない。ここのゴミ置き場に光を灯す魔導具も何個かあった。動くものを見繕って登り切る計画をたてようとした。
元の場所を確認しに行こうと部屋を出ると異変に気が付いた。
「道が変わって・・・」
侵入者が六頭竜を倒せても元来た道で戻れないように迷宮の道が変えられていた。
「なんて念入りな・・・」
尻尾の肉で食いつないだとしてもジリ貧。
ここまでの念の入れようからして普通に戻ろうとすればまた、策が用意されているかもしれない。そもそも道が地上まであるのか疑わしい。
ロイドは部屋に戻りタイタンに確認するとやはり道は無いらしい。何かないかとゴミ置き場を漁るが大半は武器で、謎の装飾品や、用途不明の布切れなどもあった。
その様子を見ていたタイタンは少し考えてロイドに提案した。
《童よ。我が悠久の暇に語り合いし礼に陣を授けん》
「え? 魔法陣か?」
タイタンは空中に立体的で複雑な構造の幾何学文様を映し出した。
(魔力を可視化したのか?)
《才ある汝ならば理を解し我が秘術の使い手となろう》
ロイドはその魔法陣を〈記憶の神殿〉に注意深くインプットした。
多くを語らないが、その魔法陣を真似れば外に行けるということらしかった。
(これは・・・賭けか。どこに行けるのか、どういじればいいか分からない。とりあえずこのまま試すしかないようだな。)
《語らいもここまで。守護竜の再生・・・我再びの・・・眠りに・・・》
タイタンは姿を消した。ふと部屋の中央を見ると巨大な魔石を中心に再生が始まっていた。ぎょろりとした眼で一つ目の頭がロイドをにらむ。
「くそ、考えている余裕はないか!!」
ロイドは急いで魔法陣を起動させ、とりあえず魔力を流した。すると魔力で創った魔法陣は起動し、ロイドは『転移』に成功した。
いつもありがとうございます。




