11.
ネロの後ろ盾であるアルヴェルト皇子の権力は絶大となった。
そのネロが活躍することで、アルヴェルト皇子の発言力、影響力は高まっていった。
「最近、ケンカが無いな」
「横暴な帝国軍人は強制送還されたらしい。皇子の命令だそうだ」
「これで安心して商売ができるな」
クルーゼの街はすっかり平穏となった。
「皇子様様だな」
「いや、それだけじゃないさ。これだけ異邦人が溢れて大きな問題もないのは領主様がしっかりしてるからだよ。領主様様さ」
「ああ、それに金の使い方が豪気だ」
「まったくだ。つい一年前には更地だったのが、あっという間に一つ都市を作っちまったんだから」
「立派な神殿もできたしな」
「おかげで食うに困るのは怠け者ぐらいだ」
「違いない」
美しい街並み、強すぎる憲兵、低賃金で満たされる豊かさ。
だがクルーゼ都市伯の治安対策はそれだけではない。
カルタゴルトの不審者チェック。
裏組織からの報告。
これにより計画的な犯罪は未然に防がれるか早急に取り締まられる。
クルーゼの治安は盤石である。
「おい、誰か!!」
「きゃあああ!!」
唐突に叫び声が上がった。
「裏路地で誰か倒れてるってよ! おい、行ってみようぜ」
「なんだまたケンカか?」
表がどうであれ、犯罪が無くなるわけではない。
人の心を掴む街や食事。憲兵をやるには高貴で強すぎる、ロイドの元に集った強者たち。一般人にとって安全で居心地のいい街。
それはより悪質で陰湿な行為を浮き彫りにさせる……
◇
「――見失った……どうしましょう」
暗く狭い路地。
途方に暮れる一人の女。
彼女は思わず手を差し伸べたくなる憂いの表情を浮かべている。
だが、騙されてはいけない。
「尾行がバレたのかしら? それとも、やはり何か後ろめたいことをしている? ええ、そうに違いないわ」
聖女アルテイシア――もとい、聖女を自称する下働きのアルテイシア。
彼女は焦っていた。
ロイドの領地経営は順調。
治安の問題も解決に向かい、盤石の力を備えつつある。ロイドの成功は彼女の返り咲きを阻む。
金銭的、立場的、力の上でも逆らうことができないため、従順に従っているように見せているが、隙あらば寝首を掻こうと画策している。
だから今もこうしてヴィオラから言い付けられたおつかいをサボってロイドを追って来た。
「……あら? ここはどこかしら……あ、あれ?」
辺りをキョロキョロと見渡すが、ロイドを追うのに夢中でどこを通ったのか記憶が定かではない。急ピッチで進められた都市開発のせいで、裏路地の煩雑さは迷宮と化していた。
「ど、どうしましょう……」
彼女の翼は封じられている。
天神族の翼はノワールのような肉体変化でも原初魔法の応用でも無く、神の受肉と同じような原理であり、必要なものは神気。しかし、彼女は神殿で神気を補充させてもらえないので翼を出すこともできない。
彼女の想定外のことはまだある。
目立つ容姿。
裏路地に一人、目を疑うような美女がうろついていれば狙われるのは必然。
さらに、立場。
彼女は自身の置かれた、ロイドのメイドという立場をこれ以上ない屈辱と奥歯を噛みしめる想いだったが、他人からすれば領主の、しかも神鉄級冒険者にして迷宮攻略者、数えきれない武勇と大権を有するパラノーツ王国最大級の権力者の下で働けるというのは輝かしい名誉。それだけで、もはや一般人ではない。
それは同時に狙われるリスクの高さを意味する。
「ロイド侯の下女だな?」
「一緒に来てもらおうか」
「……? え、今私に声を掛けたのでしょうか?」
アルテイシアは男たちに囲まれていた。
下女という響きにまさか自分ではあるまいと思ったが、その場にいる女が自分だけなので一応念のため、万が一の可能性に備え尋ねてみた。
「お前以外に誰がいる?」
「お前……? 私のこと? フフ、まさかね。下等種族がこの私を見据えるだけでも大罪だというのにまさかまさか、馴れ馴れしく呼んだ上に、あまつさえ命じているなどということはありませんよね?」
魔族。それも種族がハッキリしない混血種。多くの魔族が特定の地方に定住しているものの、戦いや自然環境の変化で移住を迫られ、他の地域に入植することが繰り返されてきた。そうして移動と同化を繰り返して種族的特徴がはっきりしない者たちが、魔族の半数以上を占めている。
しかしアルテイシアが下等と言ったのはその意味ではない。
そもそも天神族の聖女たる自分以外はほとんどが下等なのだ。
「生意気な女だな。ロイドのメイドがそんなにエライか?」
「ロイドのメイドが偉いわけないでしょう?」
「わかってるじゃないか。大人しく従ってもらおうか。そうすれば痛い目見なくて済むかもよ?」
「従うのはあなたたちです、おどきなさい。私は今忙しいので見逃して差し上げます」
構わず歩き出したアルテイシアの頬を一人がパシンと強く叩いた。
「――痛っ?」
思わず路地に倒れる、何が起きたのかわからず呆然とするアルテイシア。
「あーあ。ばかな女だ。キレイな顔が台無しだな」
「おれたちにロイドのことを洗いざらい話してもらおう」
「リースやハメスを操り、魔族を飼い慣らそうと画策するあの男に天誅を下すのだ」
「貴様も、魔族なら命を捧げろ」
神気を失い戦う術を持たない彼女にはどうすることもできない。
そのことにようやく気が付いた時にはもう逃げることもできなかった。
「帝国軍人に媚びを売り、一方では魔族を意のままに操ろうというカラクリ。魔法に長けたあの男がどうやって我々の同胞を操っているのか、心を当たりがあるのではないか?」
それが事実無根、潔白であることは知っている。だがロイドのことを話して解放してもらおうかと頭を過った。
(この私が、こんな……! 一方的な都合のいい思い込みで動く輩に迎合するなど)
「おや、それとも貴様もすでに洗脳済みか!?」
「ひっ……」
恐怖と共に何かが彼女の心を抉った。何か良くないことを見過ごしている。
(ああ、きっとあの日の私もこんな無様なことをしていたのね)
選民思想と都合のいい正義で動いている者たちが、ついこの間の自分とやけに重なった。
「仕方ない。身体に聞いてやるか」
「いや、や、やめてッ……!!」
物を扱うかのように容赦なく口を塞がれ、髪を掴まれ、腕をねじり上げられた。
助けを求めて壁に挟まれた狭い空に手を伸ばす。
頭を過ったのは、憎い男の顔だった。
改稿しました。前半カット。後半を次話と分割。2020/7/12




