幕間 妖刀
ロイドが帝国へ転移している間、パラノーツ王国の王宮内で事件が起きていた。
それに初めに気が付いたのはマドルだった。
「あら?」
主人の帰りを待っている間、客間のソファーでうたたねしていた彼女はカタカタという物音で起きた。
「はわぁ……旦那様?」
部屋の扉が開いた音は聞かなかったため、ロイドが転移で戻って来たと思った。
寝室から音がしたので、開けて確かめる。すると人影が見え、マドルは臨戦態勢を取った。
「誰ですか! あなた、それは旦那様のものです。すぐに置きなさい!!!」
『構えたれ』
そこにいたのは老人。子供と間違えそうになるくらい小柄で、若草色の絹で出てきた上等な着物と黒い烏帽子を被り、大太刀を手に持っている。
「あの、おじいさん。それは危ないものだし、私の主のものなの。返して?」
マドルは老人とわかると、優しく諭すように話しかけた。
すると老人はマドルの腰を指さした。
(私の五式剣と交換しろということ?)
『構えたれ』
(何語?)
老人の言葉の意味が分からず、マドルは困り果ててしまい、別のものと交換させようと、壁に掛けてあった装飾品の剣を差し出した。
「おじいさん、これと、それ交換しない?」
老人はそれを見ておもむろに手にした大太刀を抜いた。そのまま一気に振り下ろし、マドルの持っていた装飾の剣を両断した。
目の覚めるような一閃。その技量から、老人への態度を改めた。
「賊か!?」
マドルは腰の五式剣を抜いた。短剣の形から槍の形へ変形させ、切っ先を老人に向けた。
「例えご老人でも、その剣を盗もうというなら容赦はしない」
考えることを止め、集中したマドル。戦士として達人の域いる彼女は老人の力量を計り、間合いを完全に把握し、一切の油断は無かった。
その間合いにゆっくりと踏み込む老人。
「――……え?」
まるで意識と意識の間、思考の移り変わりの隙間を捕らえるかのように、ぬるりとマドルの間合いを侵した。
振り下ろされた刀に一瞬反応が遅れ、間一髪のところを受けた。マドルの身長は170センチほど。老人は120センチほどしかない。その身長差でも大太刀の切っ先をマドルは重く感じた。
(呼吸を読まれた!? それにこの技術は……!?)
刃が触れた瞬間膝を落とし、全身を沈みこませ、体重を切っ先に乗せる『重剣』という技だ。
ロイドの技を使っていること、尊敬してやまない主と同等の技術を持っていることに彼女は混乱せずにはいられなかった。
「……消え――」
驚いている間に、また姿を見失い、首元に刃を突き付けられていた。
マドルは死を覚悟したが、老人はため息をつきながら刃を引いた。そのまま鞘に大太刀を納め、部屋を出て行ってしまった。
「はぁ……はぁ……」
マドルはあっけに取られてしまったが、慌てて後を追った。しかし部屋を出た廊下にはすでにその老人の姿は無かった。
「なんてことなの。私のせいで旦那様の大切なものが……」
マドルは使用人の部屋にいるリースを呼びに走った。
◇
休憩を取っていたリースはロイドの部屋でただならぬことが起きたと直感し、部屋を出た。そこで老人と鉢合わせた。
その時点でリースは臨戦態勢を取っていた。
老人も刀を抜いていた。
(この妙な気配。それにこの匂いは……?)
濃密な気配はそこにあるが、老人からは何も感じず、匂いも大太刀のものだけ。異様な状況にリースも一瞬戸惑った。
その刹那、刃が左右からほぼ同時に迫り、リースは両腕でガードした。
薄暗い廊下で激しい閃光が辺りを照らす。
(これは……主殿の『鋏』? しかも、私の腕にダメージを負わせるとは)
かすり傷程度だったが、リースは老人がロイドと同じ技を使ったことに驚いた。
その反面、顔からは自然と笑みがこぼれた。
「相手にとって不足なし」
夜間、地下の廊下は音が響く。そこでの戦闘はすぐに王宮中に知れ渡った。
衛兵はすぐに駆け付けたが二人の戦闘を遠目に見て、近づくことはできない。
(なんだ、あれ? 怖え!! バケモンがいるし! チっこい爺さんが剣振り回しているし)
「こりゃおれたちじゃ無理だ」
「騎士様を呼ぼう」
外野に構うことなく二人は戦い続けた。
老人の剣はリースに深手を負わすことはできないが、リースもまた老人を止めることができない。
「ドン!!」
マドルが合流した。
(うわっ、この綺麗な人は確かロイド侯の従士のマドルさん!!)
「え? あの知合いですか、あのバケモノ?」
「化け物はあの老人です。ドンと殺し合って生きてるなんて……」
彼女はリースが戦闘を楽しんでいること、その場合邪魔をしてはいけないことを理解していたが、例外として参戦した。
「ドン、楽しんでいる場合ではありません! 私も加勢します」
その言葉にハッと我に返った。
(主殿不在の間に剣を失うなどあってはならない)
「マドルよ、姿に惑わされるな!! そこに老人はいない!!」
「ええぇ、どういうことですか!ドンが私を惑わしているじゃないですか!」
「本体はあの刀だ。刀の動きだけに集中するのだ」
丁々発止と、老人の剣がマドルの槍を受ける。
(ダメ、動きが読まれる。ならば……)
マドルは『閃光』を発動し目を潰しにかかった。
しかし、効果はない。
視界を失っても老人の動きが損なわれることは無く、マドルの槍は空を切った。
「怯まない……!! だめ、私では……」
焦れば焦るほど動きを読まれ、後手に回る。リースはパワーとスピードで圧倒しているはずなのに、上手い技でその優位を逆転される。
「なんて戦いだ。あの二人、騎士長並じゃないか」
「いや、それ以上だ」
「だがその二人で倒せないあの爺さんって……」
「ちょっとあなたたち、そこで何しているの!」
そこに騒ぎを聞きつけて巡回中のオリヴィアとナタリアがやって来た。
「王宮内での私闘は禁止よ――ってこれどういう状況?」
「良かった。紅燈隊だ。これなら」
「あの黒い怪物はなんでしょうね?」
ナタリアが槍を構えた。
「あれはドンが変身した姿なので、斬らないで下さいね」
「「ええぇ!!!」」
危うくリースを捕らえそうになった二人はマドルの忠告に驚いた。
「と、とにかく、あの老人を取り押さえましょう」
「そ、そうね。事情は後で聞くとして、まずは――」
オリヴィアは鉈を思わせる独特なバランスの剣を絶妙なタイミングで振った。ナタリアはその動きに見事に合わせて、老人の背後を取り、死角から槍を振るった。
老人はオリヴィアが振りきる前に軌道に切っ先を割り込まし、攻撃を受け流した。その先にはナタリアの槍があり、二人の武器が衝突。老人は包囲を抜けた。
「ちょっと隊長危ないです」
「何よ今の技……」
「旦那様の『瞬回』まで……」
「主殿の技を使いこなせるとしたら……」
リースはロイドの剣技を一通り知っていた。長い旅路、リースは常に近接戦闘訓練をロイドとしていた。嫌がるロイドを訓練と銘打って戦わせていたが、そこでロイドの剣技は飛躍的に向上した。多くの技を修得し、ほとんど弱点は無くなった。
(この次元の技を前に、完封は不可能)
「本気でやる。私が動きを止めたら三人で掛かれ。躊躇はせず全力でだ」
リースの身体は先ほどまでより一回り大きくなった。
「皆さん、離れて下さい!!!」
リースが全力で拳を振るった。
『ぬっ!』
老人は避けたが拳圧に巻き込まれ壁に叩きつけられた。その瞬間リースがその柄を掴んだ。しかし、掴みに向かった時鞘がリースの鳩尾を貫いた。
「……グっ!!」
鎧以上の強度を誇るその強化された毛と皮膚を貫通して、内臓にダメージを負わされた。
(主殿の『鎧通し』か……カウンターで受けてしまった)
リースは柄を放さなかった。その間にオリヴィア、ナタリア、マドルの三人が一斉に攻撃した。
ナタリアの重い一撃が脳天に入る寸前、鞘が軌道をずらした。
「また!!!」
その槍はリースの腕に撃ち込まれた。衝撃で手が緩んだ瞬間抜け出し、そのままがら空きのナタリアの胴に鞘で突きを食らわした。
(ナタリアがやられた? でも私の方がスピードは上のはず!!!)
続くオリヴィアの連撃は受け切られ、剣は弾かれ天井にめり込んだ。
「ま、負けた?」
残るマドルの槍は余裕で躱され、老人はため息をつき大太刀を鞘に納めた。
「ど、どうして!」
三人はまるで失格の烙印を押されたかのようだった。
老人はシュタタっとその場を離れた。
「ま、待て!!」
追おうとしたマドルをリースは止めた。
「あの刀を破壊せずに止めることは我々にはできぬ」
「でも、被害が出たら旦那様のせいになる」
「問題ない。ここにはあの方がいる」
◇
『構えたれ』
老人が向き合った女はキョロキョロと辺りを見渡し、腕に抱えた袋からリンゴを出して差し出した。
老人はリンゴを受け取ることなく大太刀を抜いた。
『構えたれ』
女は怪訝な顔をしてシャリシャリとリンゴをかじる。
「お前の持ち主はどこにいった?」
『構えたれ』
女の身体から立ち上る黒い粒子が矛の形となった。
老人は構え、間合いの中に歩み出した。
両者の間合いが交じり合った瞬間、一閃。
カランと鞘が床に落ちた。
無造作に振るった矛は先端が斬られていた。女は手の矛を消ししゃがみ込んだ。
折れた大太刀をしばらく見つめ、思い出した。
「ロイドが似たものを持っていたが、気のせい?」
ノワールは折れた刃先を回収して鞘に納め、自室に持ち帰った。
「何の騒ぎだった?」
「さぁ?」
「様子を見て来いと言ったんだ。食糧庫から食べ物をくすねて来いとは言っていないぞ」
彼女は悪びれることなく袋の中の果物を食べ続ける。
「おい、その腋に持っている剣はロイドのものか?」
「ビクッ!!! もぐもぐ……そこで拾った。お、折れてた」
「……そうか。なら返しに行くとしよう。折ったのならすぐにな!!!」
「はいぃぃ」
その後部屋を訪れたジュールによってロイドがいないこと、帝国へ行っていることがバレた。