幕間 郵便屋より
それは錆の魔王を倒し、神殿でエリアスに誠一の魂を預けた後のことだった。
ノワールは自由に近かった。
魔本による力は絶対。だがそこには意思のような者が介在し、ノワールに有利に働いていた。
それでも彼女は男に付いて行く必要があった。
「おい、腹が減った」
「……迷子か?」
「バカにするな!!」
ノワールは極度の疲労と空腹で、幼児に退行していた。
「貴様、まさかあの女か?」
「私はノワール。黒鉄の乙女と恐れられし、魔族の王だ!!」
「そうか。余は貴様の王である。貴様のことは知らぬが確かに腹は減った。それに徒歩は疲れた」
そう言って金の魔王がまず行ったこと。
それは商業組合に入ることだった。加入ではなく、組合の建物に入り、適当な場所に座り小一時間ほどぼーっとしていた。
この時間がノワールには恐怖だった。
(コイツ、金の稼ぎ方を知っているのか? 働いたことないのか?)
「……――よし、大体理解した」
「金がないことを?」
「まぁ見ておれ」
時代はまだ大戦の真っただ中。劣勢の帝国内では軍の関係者が熱心に帝国への融資をアピールしていた。しかしそれに耳を貸す商人はいない。
金の魔王、ジュールを除いて。
迷宮の奥で錆の魔王が死んだという情報はまだ広がっていなかった。
その情報と、独自の人相学、人心掌握術を駆使し男はある商人に取り入った。
彼は帝国の軍資金徴収の気配を察知した。
手形などの証券を換金して南に逃げようと窓口の列に並んだのだ。しかし、軍によって換金が制限され、組合の金は丸ごと徴収される寸前。男は焦っていた。男だけではない。同じ目的の者が長蛇の列を成していた。
どう説明したのか。
ジュールはその商人を、隣の窓口に誘導した。
そこは帝国の戦時国債受付窓口。
‟愛国心のある者は帝国に資金を提供せよ! その資金で帝国が勝利した暁には成功が待っている!”
そんな感じのセールスを軍服の男が繰り返す。
商人たちは無視し隣の換金窓口に並んでいる。戦局は魔王が上陸したため不利。むしろ国債の投げ売りセールが始まろうとしていた。今買っても寄付と変わらない。
「この証券で戦時国債、買えるだけ!!」
ジュールが声を掛けたその商人は全財産をその国債の購入に充てた。
隣でそれを見ていた者たちは、気が狂ったのだと思った。
「どうやったんだ?」
ジュールに軍服の男が近づいて来た。
この男とジュールは賭けをしていた。
資産を回収しようとする商人に、逆に国債への投資をさせることができるかどうか。
「真実を信じさせただけ、だ」
「ほう……そうか」
軍服のセールスマンはその後も物々しい演説を繰り返し、再び無視されていた。
「さて、これで飯が食える、かもな」
「おお!! すごいなお前」
「お前ではない、おれ……はジュール、だ」
「私はノワール。……話し方が変だぞ」
「時期慣れる」
結局二人は残飯に等しいわずかな食事をふたりで分け合うことになった。
だがこの二日後。
その商人は大儲けする。
前触れも無く突如発表された帝国の勝利。
それによって国債の価値が跳ね上がったのだ。
「おお、まだこちらに居られましたか!!」
「やっと来たか……」
「ごはん……」
商人組合で待っていた二人はその商人に食事をおごらせ、話をした。
地方の郵便業を営んでいたその商人はジュールを相談役へと取り立てた。ここからこの男の快進撃が始まった。
その日のうちに、郵便の経路改善案を確立し、一か月で煩雑だった順路や優先度、中継地を整備させ郵送の効率化と高速化を図った。他の郵便業を飲み込み、合わせて送金事業を始めた。
約半年で、帝国中心部から西側の商業都市のほぼすべてのギルドに窓口を設置。ジュールは信用できる有力者を取り込んだ。信用情報と的確なアドバイスで彼らを儲けさせ、コントロールした。広大なネットワーク、円滑な情報と金の流れを確立した実績は帝国に評価され、政府とも密接に関わり始めた。
一年後、ギルドに設置した窓口で様々な情報が売り買いされた。無料で公にする情報も多く、利用者が激増。その利用者の性別、出身地、職業、資産などの情報から新規出店者へのアドバイスや低金利融資を行った。
五年後、郵便送金・輸送業の関係で新規道路開拓や馬車の規格化、造船業にまで携わるようになる。さらにそれまで各地域で独自に行っていた保険事業を、その保険加入額と補償額の試算を仲介するようになる。馬車は壊れても途中の駅でパーツを交換するだけで新品に換装可能に。遠方への輸送が活発になり、拡大した。
しかし、この事業拡大をジュールは東と南には延ばさなかった。
戦後、帝国は大きな岐路に立たされていた。新たに手に入った土地は暗黒大陸のわずかな湿地のみ。獲得した物が少なすぎて戦後まもなく好景気はすぐに終わりを迎えた。政府の息のかかった東側、南側の公国や商業都市は再び不況に晒された。
その不安と不満、不平等を悪とする新興勢力が現れた。
神殿と帝国は格差を生み民衆を苦しめている元凶だと否定する。これが奴隷や移民、元兵士らに指示されて一気に広がった。
ネットワークを通じて、各所で起きる事件、異変を知ったジュールは危機感を覚えた。市民の反乱にしては黒幕がどう辿っても判明しない。
「これは弱いものの抵抗ではない。明確な、策謀的攻撃だ。このままでは帝国が崩壊する。いや神殿への信仰が崩れる」
それは帝国だけの問題ではない。
「何か起きているのか?」
それは情報を仕入れるだけでは分からなかった。
ジュールは一先ずローア南部からの中央大陸への獣人や傭兵、薬物輸出を問題視した。
ローア大陸南部へと旅立った。
2020/5/22 話を分割 整理・加筆