5.喜びと動揺と切実(新話)
大幅に切り詰めました。旧五話~十話はすいませんが削除しました。
季節は冬、早朝の凍てつく寒さの中、王都の神殿に数名の女性がやって来ていた。
「おはようございます姫様、ヴィオラさん、警護の皆さん。今日もお祈りですか?」
「おはようございます神官様。少し神台を使いまわせていただきますわ」
「はい、どうぞごゆっくり」
システィーナ王女とメイドのヴィオラ、護衛のオリヴィアとナタリアは神官に一礼して神殿中央の神台の下にやって来た。ここでロイドの無事を祈ることが2人の日課。
「「慈愛の神エリアス様、どうかこの声をお聞きください。私たちの想い人をどうかお守りください。彼が私たちの元に無事帰れるようお導き下さい」」
システィーナとヴィオラはそろって祈りの言葉をささげる。
「「……」」
二人は跪き、頭を垂れてしばらく動かなかった。縋るように神託を待つ。
冬の神殿内の石畳は冷たく、火を焚いていても身体に悪い。ただでさえ憔悴しているのに風邪でも引けば取り返しのつかないことになりかねない。見かねたオリヴィアはそっと声を掛けた。
「姫様、ヴィオラさん、そろそろ行きましょう。他の祈願者が来ますから」
早朝の祈願は他の祈願者の邪魔にならないようにとの措置だ。一国の王女が祈願していては平民が遠慮してしまう。オリヴィアはそれを理由にして半ば無理やり二人を立たせた。
普段能天気なことを言っているナタリアもなんと言っていいのか分からず俯いている。
今日もまた、神の声は聞けなかった。
二人がヨロヨロと立ち、あきらめた時、奇跡の声が降り注いだ。
《―――――お二人の願いは叶いました。彼が戻ってきます》
「「……っ!」」
やさしさで心を包み込むような声音は、慈愛のエリアスのもの。二人は互いに顔を見合わせ、その声が幻聴でないことを確認し合った。互いに眼が合った瞬間二人は崩れるように抱き合いながら、神台を仰ぎ見た。
初めて神の声を聴いたオリヴィアとナタリアは自然に膝をついて頭を下げていた。
《二人とも良く毎日頑張りましたね。その献身はちゃんと見ていましたよ。その祈りは届いていましたよ》
「あぁ! ありがとうございます、エリアス様!」
「ありがとうございます、エリアス様! ど、どうか教えてください、彼は今どこにいるのですか? 無事なのですか!?」
《はい、彼は五体満足で今この国の港湾都市リヴァンプールにいます。彼から言伝も預かっています》」
「「……!」」
二人はその言伝をドキドキしながら待った。
《……ん、……あ、あい、はぁ、……愛》
「「?」」
《『愛するシスティーナ様、ヴィオラへ。おれは無事です。二人の笑顔を一刻も早く見たいです。すぐに戻るから待っていてください』だそうだ。何を赤くなっているんだエリアス? 泣いてるのか?》
初めて聞く声がロイドの伝言を聞かせてくれた。
《エリアスは何か感極まったらしいので、神託は以上だ。これは特別な措置であり我々が人の言伝をすることは金輪際ない》
すると、また別の声に変わった。
《そういう言い方はないだろう……台無しじゃないか。ああ、彼も疲れた顔の女に迎えられるより元気な2人を見たいはず。今後は神殿に来るより食事と睡眠を取り養生することだ。その内に彼は必ず戻って来るから》
「は、はい! あ、あの、あなた様は……?」
《さて? ただのおせっかいかな。では、ロイド君によろしく。ああ、それともしジュールとノワールに会ったらたまには神殿に来いと言っておいてくれ》
そうして、神託は終わった。居合わせた神官は放心している。神が三柱も一度に神託を下したことは初めてだった。
初め、シンとした神殿内でオリヴィアとナタリアの甲冑の音だけが響いた。やがて嗚咽が二つ聞こえるようになり、しばらく止まらなかった。止めようとする者もいなかった。
私、システィーナ・ヴァース・パラノーツは一人の男性と恋に落ちた。
出会いは10歳の誕生日の時だった。彼はおびえた様子でわたしの誕生日パーティーにやって来た。でもその前からはわたしは一方的に彼のことを知り、意識していた。
お父様から子爵位を与えられた元平民の少年。あの日、お父様の眼前で跪き、6歳の子供が放った言葉に私は衝撃を受けた。
『身に余る光栄にございます、陛下。賜わりし偉大な御名に適う臣となるべく、今後も研鑽に励みこの王道楽土の益々の繁栄と、人々の安寧のため、微力ながら全力を尽くします。神々とピアシッドの山々に、正義・誠実・忠誠を誓い、謹んで〈バリリス〉の御名を拝受致します』
お父様が平民に爵位を与えることにも驚いたけれど、バリリスの名前まで与えることに嫉妬しかけていた。いえ、困惑していた。ピアシッド山より名を賜るのは王族、つまり家族だけのはず。突然、あの子を家族にする、と言われたかのようだった。
そんな衝撃的なお父様の決定に参列者が異を唱える中、ロイド・ギブソニアンが放った淀みないあいさつは控えめで力強く、優雅だった。
もうすぐ私の誕生日。その時のあいさつはもう考えていた。でも私よりもずっと彼の言葉の方が達者で、負けられないと思った。
パーティー当日。彼と初めて対峙した時、緊張が顔に出ないよう必死だった。他の出席者たちから贈られるものは魔導具ばかり。恥ずかしかった。まるで私に魔法の才能が無いことを言い触らされているかのようで。
ひどい劣等感と挫折感を表すように魔道具は山になっていた。そんな中彼の番がやって来た。彼の洗練されたあいさつにどう返すか、私に返すことができるのか。そつなくこなせるか醜態をさらすかの分かれ道が見えてきた。
ところが、彼はもじもじしてはにかみながら言いよどんだ。
「お、お初にお目にかかります姫様。ロイド・バリリス・ギブソニアンと申します。本日はおめでとうございます」
そこには緊張で居心地悪そうにしているただの少年がいた。それまで聞こえなかった周囲の声が急に聞こえ出した。私は陰謀潰しの麒麟児のプレッシャーから解放されたのだ。
友人曰く、そういう気が緩んでいる瞬間は恋に落ちやすいという。まさにその瞬間に私は私が求めるものを彼から贈られた。
それは世界だった。
贈られた手作りの本。
そこには彼から見て、世界がどう映っているのかを描いた風景画の数々が一冊にまとまっていた。
宮殿から滅多に外に出られず、外の世界をお話や本でしか知り得ない私にとって、それは世界への窓に等しかった。
その後、彼が私の肖像画を描くことになった。ジェレミアおじ様の意地の悪い指金がきっかけだったけど、私は意地悪な申し出を真摯に受け止めて、実力でおじさまを黙らせてしまったその気概に惹かれた。
あの日から、私の人生は彼と共にあった。
◇
「お父様、ベルグリッドまで彼を迎えに行くことをお許しください!」
「だめだ」
ロイドちゃんが生きているという報せを神殿で、慈愛の神エリアス様から聞き、私は居ても立ってもいられずすぐにお父様にそのことを話し、迎えに行きたいと懇願した。
「一国の王女が、軽はずみに行動すべきではない。分かっているはずだ」
わかっている。私は行動するには安全確保や事前に私が行くことを伝える使者の派遣、その他準備が山ほどあり、今行きたいと言ってすぐ出かけられはしない。
「しかし、もし彼が今苦境に立たされていたら? 12歳が1人でここまで戻るのに何日掛かるか、いえ、彼は私たちを本当は待っているのかも!」
「思ってもいないことを申すな。あの者であれば問題ない。それは余以上に、お前が良くわかっているはず」
「わかり、ました……」
説得することは出来なかった。
確かに彼なら大丈夫。でも、まだ12歳なのよ。寂しいに決まっているわ。私なんてこんなに寂しいのに……
部屋に戻ると、荷造りを終えたらしいヴィオラがいた。
「姫様、お暇をいただきます」
「待ってぇ〜!! 一人で行くの!? 私を置いて!?」
「姫様はここを動けないのですから私が行くしか……」
「ひ、ひどいわ!! これまでずっと一緒だったのに裏切らないでよ!! それに一人でヴィオラみたいな女の子が出かけて行ったら、すぐに襲われるのよ?」
ここで待つだけでももう不安なのに、一人にされたら寂しすぎる。私はヴィオラに抱き着いて無理やり出立を阻止しようとした。
「大丈夫です、護衛はこちらに」
「姫様ご安心ください! お暇をいただきまして、ヴィオラさんに護衛として雇われました」
「同じく!」
裏切り者の名はオリヴィアとナタリア。許すまじ。
「護衛隊長が私を置いてどうするというの!」
「しかし、元々これからお休みでしたし、私も早くロイド侯に会いたいので」
そうだったわ。オリヴィアは今でこそロイドちゃんのおかげでまともになったけど、バカだったわ。
どうしてこうも自分の欲望に忠実でいられるのかしら?
「姫様も行きましょう」
「うん、行く!!」
お父様の言いつけを初めて破ることになるけれど、行くのは王女だからではない。
私が彼を愛しているから。
◇
システィーナは強引に出立した。
「陛下、連れ戻します」
「よい。あれももう子供ではない。ベルグリッドに報せを送れ。あの者が造らせた魔導灯台で【王族、訪問】と伝えよ。それであの者なら全て理解しよう」
「ここで待っていて良いのでしょうか? もしベルグリッド領がジュール伯の治めるところとなっていると知ったら、彼の不評を買うことになります」
「迷宮を攻略したのなら、彼がどんな力を持つのか計り知れません。もし反旗を翻すようなことがあったら」
「我々は下手人のルーサーを逃がしてしまいました。彼が復讐で戻ったのは明らかです。今の状態で姫を会わせるのは危険です」
臣下たちが口を揃えて不安を吐露する。王弟の反乱からまだ2か月。ここで、王族の信用を落とすことがあれば国は崩壊するかもしれない。そのきっかけがどこに潜んでいるかもわからない。
裏切りと孤独を受けた少年が、以前と変わらない忠誠を国政に向けるのかは疑問であり、脅威になりかねない。
「ロイド侯の忠誠を疑ったことは無い」
(システィーナが余に逆らうとは……もう親離れか……)
「陛下!! 大変です!! シャルル王子がシスティーナ様を追って王都を出立しました!!」
「あらあら、なんて妹思いなのかしら」
「あの馬鹿者め……妹離れできぬのか!! さっさと連れ戻せ!!」
「いえ、それは陛下……これ以上王宮騎士を出すのは……」
「なに?」
銀河隊は解体。紅燈隊と蒼天隊が王都を出たため、王宮には王と王妃と第二王女の騎士だけ。
「お姉さまもお兄様もずるいわ。私もベルグリッドに行きたい! ジュール様にもう一月もお会いしてないのよ」
「アイリス、お前はもう少しここにいておくれ」
「もう少しって?」
プラウド国王は不安になった。
「大丈夫よ、お父様」
「む?」
「私がもっと大人にならないとジュール様には釣り合わないもの。それに私が大人になったころにはライバルはおばさん。十年後いいえ、五年後が勝負なのよ」
「そうか……」
「あらあら、アイリス。ノワールさんを悪く言ってはだめです。お父様の命の恩人ですよ」
反乱の際ジュールに助けられたアイリスは誰が見てもわかるぐらいハッキリとジュールに思いを寄せていた。ノワールのことはライバルと認識していた。
(未だに、あの者たちの正体は分からぬ。なぜ、ロイドを待つのか。ロイドと出会い何が起こるのか……)
プラウド国王は深いため息をついた。
なぜ自分の治世にこれほど多くの事件が起こるのか。
「……本日はここまでとする。すまぬが余は所用がある」
「へ、陛下! また城下の酒屋へ行かれるのですか!?」
こっそり一人で城下にある酒屋で飲むのが、唯一の憂さ晴らし。それを金冠隊のヴァイス隊長はもちろん知っており、こっそりと護衛を付けていた。しかし、今はその余裕もない。
まさか知られているとは思わず、プラウドはぎくりとした。
「なんのことだ?」
「留まり下さい、どうか!」
「あなた、ヴァイス卿を困らせてはお可哀そうですよ。それより城下で飲んでいるとは……いったいどんなお店でしょう?」
謁見の間を臣下たちはそそくさと去って行った。