1.悪夢の城―――転移の間〈新規〉
最初はただ、得意なだけだった。
子ども同士のケンカの話だ。
私は誰にも負けなかった。それがいつしか戦いの中に身を置くことが当たり前になっていた。
負けたら私も心を入れ替え、作物でも育てながら平凡な家庭を築いていたかもしれない。だが負けないから質が悪い。
遊びの延長の力比べ。殴られたら殴り返す。やられたらやり返す。
それは戦争が始まっても変わらなかった。
戦争の大義になど興味はなく、私はただ得意なことを続けていった。続けていくうち、増々敗北から遠のき、気が付くと私に敵はいなくなっていた。
私を見ると皆逃げるようになった。
誰かに言われた。
『争いとは対等な者同士でしか成り立たない』
戦後、私は孤独に苛まれた。
だが、今でも期待してしまう。このむなしさを埋める敵との邂逅を……
そして、〝その時〟は来た。
「少年よ、君は私を前にしても逃げないでいてくれるのか?」
「……」
主の命令を遂行できなかったギリオンから少年の戦いぶりを聞き出した。
直感で、彼はここにやってくると確信し、魔法陣の前で待ち構えた。
思った通り、半日ほどで魔法陣から少年が現れた。
人族で、まだ子供。
だが、私には一目見て彼が何者か分かった。
「ドン、コイツだ!! ルダとおれの邪魔をしたのは! まさか本当に転移で追って来るなんて……」
ギリオンとルダでは勝てないはずだ。彼は単身この城に乗り込み、見つかっても慌てた様子はない。
濃密な強者の気配。久しく忘れていた闘争の本能。
年甲斐も無く、期待感と高揚感に私は饒舌となった。
「ゼブル語では通じぬのかな?」
「いいや、意外で。魔族は古代言語に近い言葉を使うと思っていた」
「私はリース。君は何者かな?」
「これはご丁寧にどうも。おれはロイド。悪いが潜入を知られた以上、長話をするわけにはいかない」
「道理ですな。では、一戦お相手いただくことになる」
「やめといた方がいい。多分おれの方が強いぞ」
ああ、そんなことを言ってくれた者が、未だかつて居ただろうか。いや、居ただろうが覚えてもいない、口だけの者だけだ。
彼は違う。
まるで皮膚の先にまで神経を張り巡らせているかのように、一切の隙が見当たらず、体躯以上に大きく見える。錯覚と意識しても、私の頭は彼の姿に凄みを覚え、まるで別の世界の者を前にしているかのような非現実感だった。
私は試しに一発、拳を振るおうと構えた。
「ぬぅ?」
それよりも早く、魔法で牽制された。
聞いてはいたが、まさかこれほど早いとは……
しかもこれはおそらく雷魔法。初めて見た。
高ぶる鼓動、高まる期待感に身が震えた。
だが、本気ではないな。
私は君を本気にさせる必要があるようだ。
「接近戦はどうかね!」
私は魔法を掻い潜り、彼の胴体を拳で打ち抜いた。
◇
なんてこった。
転移したら、いきなり見つかった。
薄暗い石造りの広い空間でおれに声を掛けて来たのは背の高い四十代ぐらいのおじさんだった。
装飾過多な服装が多いこの世界において簡素なただ黒いロングコートを着て、ぱっと見は英国紳士のようだ。
その後ろにはおれが倒した三つ目族の男もいる。つまりもろもろバレてる。
ヤバい。あれだけ格好つけて来たのに、どうする? 引き返すか?
「少年よ、君は私を前にしても逃げないでいてくれるのか?」
え?
どういう意味だろう?
というかなんでゼブル語なんだ?
ああ、バルト人じゃないから帝国人だと思ったのか。
この人……デカいが、話せるタイプの人なのかもな。
少し心が揺らいだ。
争わずに済むならそれが一番だ。
勝っても負けても、この戦いの後味は最悪だろう。
「ドン、コイツだ!! ルダとおれの邪魔をしたのは! まさか本当に転移で追って来るなんて……」
おや、あっちはまだ戦闘態勢のようだな。
その方が助かる。もしかしたら情けを掛けるべきだったとか、他の道があったのではとか、考えないで済む。
「ゼブル語では通じぬのかな?」
今度はバルト語。やっぱりインテリ紳士のようだ。
「いいや、意外で。魔族は古代言語に近い言葉を使うと思っていた」
「どうしても知りたい。私はリース。君は何者かな?」
ほう、おれから情報を聞き出そうってことか。
「これはご丁寧にどうも。おれはロイド。悪いが潜入を知られた以上、長話をするわけにはいかない」
「道理ですな。では、一戦お相手いただくことになります」
「やめといた方がいい。多分おれの方が強いぞ」
するとリースとやらは不敵な笑みを浮かべた。
なぜ笑う?
リースという男は魔人族だろうか、赤い眼くらいしか特徴が無い。あの物腰だと魔導士か?
おれに魔法戦闘を挑むとは、運が悪―――
彼が構えた瞬間嫌な予感がして、とっさに『紫電』を使った。
「ぬぅ?」
おれの予感通り、彼はサイドステップでおれの最速の攻撃を避けた。
初見で。
「接近戦はどうかね!」
来た!
早い!!
おれは再び『紫電』を発動したが当たらない。
クソッ……
いきなりこんな奴に出くわすとは……
おれはギリオンを倒した時に使った、風圧による踏み込み無しの剣技で迎え撃つことにした。
構え、踏み込み、斬るという動作を省略して、ただ斬るという一点に集約する。闘い慣れた者の意識外から繰り出す技だ!
「ッがあ!!??」
景色が嵐回転している。
ああ、まだ感覚は追いついていない。
でも、これは思いっきり吹き飛んだ時の感覚だ。
おれの剣は空を切り、あの拳を食らったのだろう。
おれは前後不覚のまま『思考強化』を使った。
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「ふう、やれやれだぜ」
「バルトで出くわした二人は先兵に過ぎない。魔族の力量を計算違いしていたらしい」
「こんな強い奴がゴロゴロいたんじゃ、情報収集どころじゃないぞ」
「目的をもっと絞ろう。いまはコイツを倒して潜入がバレないように身を隠すんだ」
「ああ、静かに、素早く倒そう」
おれは思考強化によりおれは『記憶の神殿』で作戦会議をした。
「ええっと、その前にあとコンマ8秒で柱に激突するし、腹に掛かった衝撃が五トンを超えてるんだが」
「どうやったんだ?」
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拳を受けた胴鎧は少しへこんだが、おれは耐えた。
空中で身体を翻し、勢いを殺しながら態勢を整え、柱に対して垂直に着地。
[ダァアアアンッ!!!]
すさまじい音が広い部屋に響いた。
今ので戦闘があったことはバレただろう。
だが、無傷だ。
『自己再生』と『魔装』のおかげだ。それと……
「鎧が無ければやられていた」
「御冗談を。今の手応えで無傷なのは装備の力ではないでしょう」
もう戦闘していることはバレてしまっているだろうし、コイツと接近戦はあり得ない。多少魔力を消費しても、遠距離で仕留めるべきだな。
「本気を出していただけそうで何より。では私も心置きなく、全力を出させていただきましょう」
「全力?」
そう言うと、リースは羽織っていたコートを脱いで綺麗にたたむと床に置いた。
立ち上がった彼の上半身に衝撃的な変化が起こって、おれは全力というのがウソではないと確信した。
その変化の最中に、『火炎』を三十八発。一瞬で繰り出せるだけ放った。
思考強化中で、魔装を纏ったおれにはその動きと変化を追うことは造作も無かったが、三十九発目で効果が無いと分かり、攻撃の手を止めた。接近を止められなかったからだ。
当たったのはわずか十発。
だが、そのどれもが生身の肉体を焼くことが適わなかった。
煙の中現れたのは、さっきまでの英国紳士風の男とは似ても似つかない、黒い獰猛な虎豹だった。
おれは魔装、風圧に加え、バルトで見た瞬回の動きを真似て、リースの黒い拳を何とか逸らした。
割り込ませた剣の感触が生身の肉体じゃない。それにあの炎をものともしない融点の高さ。まるでタングステン合金の神鉄みたいだ。
あの変化、獣魔族というやつか。魔法で獣の姿に変異するとかいう……
大きく膨れ上がった筋肉の上に黒い毛並みが輝いている。
まるで金属のような光沢。
鬼門/気門法で全身の体毛を強化したのか。
獣の力に、鬼門法による筋肉増大、気門法による能力向上。
三段階か……
ならこれでどうだ!
剣でいなした拳のすぐ後に、次の拳がやってくる。
おれはそれを正面から受けた。
「……なんと!!」
「これで五分だ」
魔装を五重にして、対抗した。
◇
リースの旦那が転移の間で待つと言ったときはまさかと思ったが、おれはあの男を甘く見ていた。
「旦那を止める奴なんて初めて見た……」
黒獅子、首領と呼ばれるリースは大戦時の傑物。実力は錆の魔王を凌ぐとすら囁かれていた。もし地位や権力に興味を持っていたら、彼が魔王になっていたかもしれない。
本来獣魔族は種族格差では中間に位置し、上位の竜人族や翼手族、魔人族には能力で劣る。長命ではないし、魔法に長けてもいない。唯一特性として持っているのは『獣化』の魔法だ。魔力による身体への干渉を可能とし、半人半獣となる。だがこれも、獣人族の身体能力と変わりない。
ただし、それはリースの旦那には当てはまらない。
なぜなら彼は、『獣化』と『気門/鬼門法』の両方を極めた男。
その姿はもはや、獣とも思えない別の何かに思える。
鬼人族以上の膂力、翼手族以上のスピード、竜人族以上の耐久力。
当然、魔人族がいくら魔法に長けていようと、戦いにすらならない。弱点である火ですら、効かない。
それなのに、リースの旦那の拳を人族が止めた。
おれの第三の眼でも、何をしているのか見極められない。
魔力の描く軌道を読み解く力を持っているこの眼は、洗練された速い魔力を見ると白く塗りつぶされたものを見るかのように何も見えなくなってしまう。今がまさにそんな感じだった。
「旦那で互角ということは、もし旦那が負けたら……」
おれの不安を煽るかのように、ロイドというガキは旦那の動きを超え始めた。
旦那の攻撃は直線的で読みやすい。普通は動きを読んだところで殴り殺されるだけだが、あのガキは先読みして旦那より早く動ける上、攻撃を受けてもすぐ回復する。
しかも聖銅製の剣を受けても斬られていないがあの細い方の剣は避けている。
もう付き合っていられない。
こうなるなら初めから戦力を集めておけば良かったんだ。
リースの旦那は自分が戦いたいからという理由で勝手に一人で戦っている。
おれには割って入るなんてできないし、ごめんだ。
下手に攻撃しても、あのガキの注意がおれに向くだけ。それでもし注意を引けたとして旦那が勝っても、旦那に半殺しにされる。どっちにしてもおれに利は無い。
そうだ、ブロキス様に報せなければ。
ブロキス様。
違う。
例えおれが死んでも、侵入者は殺す必要がある。それがブロキス様のためだ。ブロキス様にリースと互角の人間が侵入したとご報告したら、ご快眠の妨げになる。それは避けなければ。
おれは三つ目族最大の秘術を発動した。
第三の眼による呪殺。
この眼の焦点が合った者は、おれの死により呪いを受ける。
「離れろ、旦那! おれの視線に入るなよ!!」
「ギリオン、貴様……」
「……ん、なんだ? 呪いか?」
「な!!」
なぜこいつは気づいた?
ありえない。まだ呪いは発動していない段階で、この秘術を知っているはずもないのに。
だが分かっても遅い。
この眼が合えば、お前は死ぬ。
だがおれの三つの眼はガキの姿を見失った。
「今のは……転移だと? 詠唱も魔法陣の準備も無く……いや、どこに!」
「こっちだ」
「ギリオン、離れろ!!」
旦那の叫びと同時に、振り返ると、ガキがいた。
そうか、転移の間の魔法陣に……
ガキと目が合った。
だが呪いは発動しなかった。それどころか魔法が発動しない。
練り上げたパスが霧散したかのように、発動に至る手応えがごっそりと消えてしまっていた。
妙に清々しい感覚。
その後を追いかけるように、不快感が身を襲った。
「がぁぁッ!!? なんで、このおれがあんな奴の下に……」
数年ぶりにおれは正気を取り戻したらしい。
強制的に忠誠を誓わされ、命令に従い、それに何の違和感も持たずにいた。屈辱的な記憶が堰を切ったようにあふれ出し、意識を失いかけた。
「おれが……呪われていたのか」
「さっき発動させようとした魔法で気が付いた。ごく小さなパスが頭に」
「どういうことだ? 何をしているギリオン」
「……旦那、悪いな」
おれは無警戒におれの目を見た旦那に『混濁』の魔法をかけた。
その隙におれと同じく、旦那は侵入者によって呪いから解放された。