第十七話 その者、謎を纏う異人―――守護者〈新規〉
セーイチがギルドの受付嬢から渡された地図。
西方に広がるのは中央大陸の大半を支配する神聖ゼブル帝国。
人族文化興隆の地であり、森林、山岳、平野、砂漠、熱帯、氷雪、様々な地域に多種多様な人種が暮らしているが、総じて「帝国人」と呼ばれる。
その帝国と海を挟んだ北方に、地図には載っていない中央大陸を超える広大な大陸が存在する。
それが魔族の住む暗黒大陸。
「帝国人」と同じく「魔族」という呼称も総称に過ぎず、実際は多種多様な種族が存在する。帝国のような統一国家を持たず、主に種族単位の都市国家を形成し、その特性、身体的特徴は様々である。
ただし、共通している点が眼にある。
紅い瞳。
人族、獣人族、耳長族、小人族とは異なり、彼らの眼は一部の例外を除いて紅い。
その紅い眼の人々は人族国家と長きに渡り対立し、争い続けてきた。ほんの十五年前まで戦争していた錆の魔王と帝国がその代表と言える。数千年もの間、中央大陸の人々にとって最大の脅威こそ魔族であり、恐怖と嫌悪の対象とされている。
(鱗とあの角は竜人族か。まさか、こんなところで魔族と遭遇するとはな)
生まれて初めて見たはずの魔族を見ても、セーイチは恐怖しなかった。
セーイチがその嫌悪を感じずにいられたのは、転生し、生前見たことのない人種と接してきたからかもしれない。またパラノーツ王国では中央大陸で広められた反魔族的プロパガンダや悪評がほぼ無い。
魔族とは帝国と戦争をしている遠い異国の者。
むしろ、会ったことのない、本の中だけでしか知りえなかった魔族を前に、セーイチのこーきしんが勝った。
「フフ……」
「え?」
「セーイチ……?」
「……!?」
不敵に笑う人族の少年の反応は意外で、竜人は好感を持った。
(戦いたい。この少年と本気で正面から。きっと、彼は求めに応じてくれる。だが……)
闘争の本能を思い出すと、強い使命感がそれを抑制する。抵抗できず、沸き上がる感情がスッ消える。それが名残惜しく心のどこかに不安を残し、やがてその感覚も消えた。
(今のおれは優先する。しなければ、するしかない? 人知れず、計画の邪魔になるあの子供を殺すために、おれの……力を……使う?)
考えがまとまる前に竜人は地面を蹴った。
セーイチは剣を構えた。
「……っう!?」
その足元が激しく波打った。
潜伏していた魔導士による土魔法でセーイチの足元はガタガタと崩壊した。
身体のバランスを奪われ、肚が浮いた。
(しま……っ!!)
体勢を戻す前に竜人の力が籠った大鉈が襲う。
寸前で大太刀が大鉈と交錯し、竜人は違和感からとっさに大鉈を引っ込め素手を使った。剛腕で胴鎧を殴られたセーイチは吹き飛び、岩場に叩きつけられる。
(……今ので仕留められぬとは未熟、いや称賛すべきか!)
「がっは!!」
血を吐いてよろけたセーイチ。竜人は手に持った得物を確認した。刃こぼれしていた。
(あの少年は厄介だ。先に目的を果たす!)
「セーイチ様!」
ファオが気を取られた隙に、竜人はレンに向かい、グンと駆け出した。
「うああ!!」
レンの悲鳴。
焦りと恐怖と痛みがセーイチの心臓の鼓動を強く、早くした。
================================================================================
[油断したな。衝撃が収まるまであと数秒は動けない。魔導士は追撃してくる。レンもあの竜人に殺される。大忙しだ]
ブラックロイドの煩わしい文句が妙にクリアに聞こえてきた。
[ところで、おれが泉に住み着いた竜種と戦った時の記憶はどうした?]
ブラックロイドはキャスター付きの社長椅子でくるくる回りながら65インチの巨大なモニターをリモコンで操作した。
パッと点いた画面には魔の森での竜種との戦闘の様子が映し出されている。
セーイチは自分がどこにいるのか理解した。
記憶の神殿の中。
ブラックロイドは今や、不安を煽る者ではなく、考えるための思考の一つだった。
その証拠にそこには他にも数多くのセーイチが居た。
岩場に叩きつけられる寸前、考えるよりも早い、直感のようなものがセーイチの脳内に情報を拡散した。
その情報を逆転のために活かすには必要なことがあった。
『思考強化』だ。
魔の森から出るために行った際失敗し、それ以来試したことは無かった。
「成功したか」
記憶の神殿内として選んだ社屋で、せわしなく動く自分の思考。
「今回は逃げじゃないからな」
「勝利の方程式はすでにここにある」
「恐怖から目を逸らさなかった。おかげで少し成長した」
「さぁ、奴らを倒した後のセリフを考えようか」
================================================================================
追撃の毒針が風魔法で八方から飛来した。
タイミングはセーイチが岩盤に叩きつけられてゼロコンマ数秒後。
確実に決まるはずの攻撃は黒い衣に弾かれて終わった。
(バカな!!)
岩陰に隠れていた魔導士は、その奇妙な動作に鳥肌が立った。
魔導士の眼には、岩盤に叩きつけられた男が血を吐いたその瞬間に、正常に戻ったように見えた。
まるで岩盤に叩きつけられた事象が無かったことにされたようだった。
だが、鳥肌が立ったのはその動きを奇妙に思ったからだけではない。
(か、身体が……動かない?)
見ると、レンの命を奪うために駆け出した相棒の竜人も、自分と同じく動きを止めていた。
自身の心臓のけたたましい音を自覚するまでその原因が恐怖心だと気が付かず、幾ばくかの時間を要した。
「ば、バカな……これは……」
先ほどまで拮抗していたはずの『威圧』を受けて、身体が重くなった竜人はファオの槍であっさりと後退した。
(急に動きが鈍くなった。これなら私でも!!)
それがセーイチの魔法によるものだと気づかないほど、その『威圧』はピンポイントで竜人を射竦ませていた。
「はぁぁぁ!!」
竜対うさぎは一方的なものになった。ファオの攻撃を竜人は嫌がり、距離を取る。
だが俊敏なうさぎ獣人のファオには攻め込まれる隙を与えるだけだった。
纏わりつく重力よりも重いプレッシャーに、竜人は自身の力が遠く及ばない存在が居ることを悟った。
それも人族の中にいたことは、全くの想定外のことで軽いパニックになりかけていた。
(奴には竜の眼も咆哮も無い……だがこの威圧感は竜種そのもの……っ! まさか〝ドン〟と〝ハメス〟以外に戦闘でおれを超える者がいるとは……)
ブラックロイドが泉で竜種と戦闘した際、すでに竜種の放つ威嚇魔法『逆鱗』を学び取っていた。ただし竜の持つ身体的特性を用いての魔法は再現できない。そこで『威圧』にグレードダウンさせ、後は細やかなパスの操作で『逆鱗』に近づけることに成功した。
加えてダメージを負った瞬間に痛みを消し、身体は『自己再生』に入った。
さらに死角から飛来した毒針を悪王の使いの毛皮で弾いた超反応。
『思考強化』によってすべては可能となった。
「さて……」
すぐに解除した。
一瞬だけだったがそれで十分だった。
回復、攻撃の回避、魔法の改良、さらに、潜んでいた魔導士の位置も割り出し、作戦も立てた。
脳への副作用も起きないうちに切り替え、即行動に移す。
竜人から距離を取り、魔導士の元へ真っ直ぐ向かう。
(気づかれたのか!?)
光魔法『迷彩』で姿を消し、気絶した者を盾に気配を消していた魔導士は攻撃の度に位置を替えていた。なぜ位置がバレたのかは見当もつかない。
「まずは、お前からだ!!」
「っ!!」
魔導士は魔法で反撃を試みるも、何も発動しない。
気が付くと『迷彩』も解けて姿を晒していた。
一方セーイチは『風圧』で岩山を駆け上がり、一気に距離を詰めてくる。
(なんなんだよ、コイツはぁーっ!!)
圧縮された空気を鞘内で開放し、神速の抜刀で大太刀を抜く。
「ちぃ!」
「……っ!!」
不可視に近い一閃を魔導士の男は寸前で躱した。猿の如く、魔導士にはありえない軽やかな身のこなし。
しかし、刃は空を切り止まることなく、円を描き、「風圧」による踏み込みのなしの追撃が放たれた。
(剣を振りながら無詠唱!?)
魔導士の男は成す術なくセーイチの一閃をその身に受けた。
[コォォォン!!]
ローブを斬り裂き、火花が散った。金属同士がぶつかる高い響きと共に男は引き倒された。
「……ちっ、ローブの下は神鉄製か!」
予想していなかった感触に、セーイチの集中が切れた。
魔導士の男のローブの下の顔は血色の悪い灰色で、額にもうひとつ目があった。
(こいつは知らない。少数部族か? 眼が紅いから魔族には違いないだろうが……)
「〜っオ゛……ッ!!!」
三つ目族の男は悶絶してのたうち回っている。斬れなくてもその衝撃は吸収できない。
一方ファオと戦闘になった竜人はセーイチが神鉄の感触に気を取られた瞬間に『威圧』からは脱していた。だが、レンまで到達する前に相棒が倒され、考えを変えた。
(作戦失敗、未知の要素……これは報告を優先すべきだ)
竜人は力任せに大鉈を地面に撃ち付けた。亀裂は岩山に達し、一部崩壊し岩がレンの元に。
「若様!!」
「うわぁぁ……あれ?」
岩雪崩を土魔法で防ぎ、レンは無事だった。
「悪あがきを……何!!」
セーイチは目を疑った。
口封じのため竜人はさらに岩盤を砕き、崩落を引き起こして気絶しているサンガ家やジャイの者たちを巻き込もうとした。
「くそ!」
セーイチが多数の崩落を土魔法で押し留めている間に三つ目と竜人は合流し、距離を取っていた。
(逃がすか!!)
セーイチは雷魔法『紫電』で一気に意識を刈り取ろうと試みた。加減が判らないが生きて返すよりもマシだと判断してのこと。
無詠唱による高速かつ無駄のない魔法は、美しい光の筋で一瞬殺風景な岩場を照らす。
電撃は二人には当たらなかった。
「今のパスの形状は……まさか『転移』?」
そこに二人の姿は何処にもなく、ただ砂と岩が残っていた。