第十一話 その者、謎を纏う異人―――救世主〈改稿版〉
完結後に修正加筆を行った改稿版です。2019/06/01
笑顔に比べ微笑みができる種は少ない。
それこそ人と猿ぐらいだ。
なぜならこの二つは似ているようで異なる起源を持つ表情だからだ。
歯をむき出しにして興奮を表す笑顔に対して、微笑みは戦意が無いことを表し、遜るためのものだった。これにより緊張感が緩和され穏便に意思疎通を取ることができる。
ゆえに異国の地で微笑み合うことは平和的なコミュニケーションといえる。
海外で困ったら微笑みを目印に助けを求めよう。
「貴様、生まれはどこじゃい?」
微笑みなんて無かった。
リベル家の屋敷に入ってまたもや男たちに囲まれた。
微笑んでいたとしても口元は髭で覆われている。
いいアメフトチームが組めそうなガタイだ。
おれは勇気を振り絞って微笑んでみた。
「漢がヘラヘラすんじゃねぇーべやーーーッ!!!!!」
もう嫌になっちゃう。泣きたくなってきた。
「やめな!! お客様になぁんて態度なのさ!!」
女中らしき人が助けに来てくれた。この町は女の方が強いのだろうか。
「しかし、氏素性も知れない輩を客とは言えんだろう?」
「ああ、そいもそうだね。あんた、名前は?」
おれは微笑んで答えた。
「……セーイチです」
「声が小さいわッ!!!」
「ひっ!」
あんたがデカいんだよ。
再び困っていると、屋敷の上階からうさ耳がピョコンと出てきた。
「もう、何を騒いでいるのですか。セーイチ様、どうぞお上がりください。大老が御待ちですので」
男衆に睨まれながらおれは女中の案内で屋敷内に入ることができた。
「いや〜悪いねぇ。最近縁起の悪いことが続いて、殺気立ってるのさ。元から血の気の多いのが多いしね」
アンタもだろ。
「言っとくけどね、今からお会いになる大老はこの街一番の有力者だからね。もしあの人に何かあれば、ロタの街が敵になるからね。私の言ってる意味、わかるね?」
「セーイチを脅すな。おれの命の恩人だぞ」
部屋の前にレンが立っていた。本当にお坊ちゃんらしく、動きにくそうな服を着ている。
「でもね、若様の御命だったら、この屋敷のみんなが一度は救ってるんでねぇかね? お風呂でおぼれただの、木から落ちただの、火傷したり、餅を詰まらせたり―――」
「―――う、うるさいな。セーイチは本当にすごいんだぞ!」
「ふん? この陰気な狩猟民みたいのがかい?」
本当に失礼だなこのおばさん。
でも、裏表がない分マシか。
女中がドアを開けた。
◇
「この度は、孫をお救いいただき感謝いたします、セーイチ殿」
そう頭を下げたのは、リベル家の先々代当主、ロン・リベル。
強い眼差しと老人とは思えない体格は武人だったことを示している。しかし、今は病床の身である。ファオに支えられ起き上がるのがやっとという具合だ。
「このような恰好で、どうか無礼を許して下され……ゴフォ、ゴフォ。ゴッフォ!」
「大老、お体に障ります」
[これは、回りが殺気立つのも無理はない。この爺さんはもう長くない。この後を継ぐのがあの坊ちゃんじゃあ、この街も終わりだろう]
ブラックロイドの言葉は悪いが、一理ある。
これは周囲ももう覚悟しているだろう。
「流行り、病……カ?」
「いいやわからないんだ」
「……医学は進んでいないのか?」
「ホッホ、ここはいわば最前線。医療は高い水準ですぞ。まぁ、寿命でしょう」
大老本人が微笑みながらそう語った。
おれは思わず微笑み返した。
(おれの神聖魔法でも治せないか。寿命ではな)
「厄に見舞われたが、セーイチ殿のおかげで己の弱さを呪わずに逝けます。レンまで失っていたらリベル家はお取り潰し。傘下の家々も路頭に迷っていたことでしょう」
傘下というのはさっきおれに絡んできた男たちだろうか。
「ところで、セーイチ殿はあの魔の森にいたとか」
「はい」
「話は聞いております。我がリベル家に忠誠を誓った守護者が謀反を興し、セーイチ殿が止め下さったと」
「五人を殺しました」
「セーイチのせいじゃない!! あれは、あいつらの口ぶりは他の大家に付くような言い方だった。どこかの街の大家がそそのかしたんだ!!」
つまり、破壊工作が行われているということだろうか?
おれはバルトの情勢については基本的なことしか知らない。
このバルト地方は群雄割拠の、小邦が覇権を求めて争う地だった。しかし、バルト地方は西に大国〈神聖ゼブル帝国〉、北には海を挟んで〈暗黒大陸〉、南も海を挟んだ対岸に獣人が大半を占める〈緑龍列島〉、東は〈魔の森〉と脅威に囲まれており、現在は休戦協定が結ばれている。
「きっと、サンガ家の仕業だ。父上は奴らに殺されたんだ!! ロン爺様の病だってあいつらが……!!」
「レン!! 決めてかかるな!!!」
病人とは思えない迫力でレンを制するロン大老。
「でも……」
「確証も無く、都合のいい解釈をするな……ゴホッ!! ゴホッゴホッ……」
「ロン爺様!!」
「大老、もうお休みください!!」
ファオが大老を布団に寝かせ、薬師の男に指示を出した。
それにしても分からない。
(サンガとは、リベル家と同じくナブロの街を治めている大家のことだろ? なんで同じナブロ邦内で争ってるんだ?)
どういうことか。おれは女中に聞いてみた。
「邦は首長様と呼ばれる統治者とリベル家みたいな有力諸家が寄り集まって議会で物事を決めんのさ。各お家の発言力はお役目に比例して高くなるの。重いお役目の〈盾〉はリベル家が受け持ってんから発言権も強いのよ。でも、サンガ家は〈庫〉を担っているのさ」
女中は指で輪を作って金を現した。
資金集め、国庫の役割、いわば財務省か。
「リベル家は政治に疎い武人のお家。サンガ家とは馬が会わないからね、対立することが多いらしいのよ―――」
女中の説明によるとそれでもここまで大きな破壊工作をすることはあり得ないらしい。
今回、立て続けに起きた事件
・大老の発病
・先代当主の失踪
・現当主の暗殺……未遂
これがサンガ家の企てなら、邦のトップである首長と議会に対する敵対行動でもある。
六つある邦の一つの邦内の一つの街を治めているに過ぎない家が、そこまでするのはリスクが高い。成功してもサンガ家がこのロタの街に手を出そうものなら、他の有力諸家が黙っていないからだ。
「それこそ、そんなことをしでかすなら他の邦が休戦協定を破って、サンガ家の後ろ盾になってないとおかしいんだわ。でもそりゃもう……戦争だからね……」
しかし、証拠が無ければ追及は出来ない。
「くそ、手がかりさえあれば……!」
襲ってきた守護者たちはおれが瞬殺してしまったため、証拠も無い。
[大事に巻き込まれそうだぞ。付き合わない方が賢明だな]
賛成だ。
深入りしても、目的が遠のくだけだ。
それにおれができることは無い……
「おお、セーイチ殿、重ね重ね無様なところをお見せして申し訳ない。大したことはできませんが、どうかゆっくりしていってください」
「はあ、ご迷惑にならないようします。少し……休ませていただきます」
(明日に出ていこう)
だが、その日の夜、事は起きた。
◇
真夜中。
屋敷が騒がしくて目が覚めた。
(なんだ?)
屋敷中に不穏な落ち着かない空気が満ちている。
おれは騒ぎの場所に向かった。それは昼間訪れた大老の部屋。
「ロン爺様!!」
「大老……」
部屋にはレン、ファオ、女中たち、男衆たちが集まっていた。
ロン大老が危篤のようだ。
「おい、もっと明かりを持って来い!! それと湯を沸かせ!!!」
部屋には怒号が響き渡り、せわしなく女中が動き回る。
(一宿一飯の礼をしないと)
おれはとっさに『発光』と『成水』と『発熱』を発動した。
「うおおお、何だ何だ何だ!!!?」
「昼間のようになったぞ」
「湯ができとる……!!」
「おめぇ、魔術師か」
男衆の声でレンがおれに気が付いた。
「セーイチ」
その眼は無力さと不安、それと助けを乞う者の顔だった。
[そいつを助けたら、タイムパラドックスが起きるんじゃねぇのか?]
本来死ぬはずの者を延命する。
確かにその可能性はある。
不用意な行動をすれば面倒を起こしかねない。
(そうだよ、おれは部外者だ。これ以上関わるべきじゃない)
おれはそっと部屋を出た。そこで廊下の窓から見えるオレンジ色の輝きにたじろいでしまった。
「なんだこりゃ」
真夜中にも関わらず、屋敷の周りに人だかりができていた。
皆火を焚いて、屋敷に向かって祈っていた。
(すごい慕われているんだな。分かる気がする)
大人物なのに、人当たりが良く、この街で唯一おれに微笑んでくれた。
助けられれば、助けたい人ではある。
「おおい、明かりを消さんでくれ」
「え?」
驚いた拍子に『発光』のパスを切ってしまったのかもしれない。
慌てて部屋に戻り、再度魔法を発動させようとした。
そこで気が付いた。
(何かが、おれのパスに干渉している?)
かすかにおれの魔力が反応した。これは戦闘時に他人のパスと混線する感覚に似ていた。
(この部屋に魔法を発動させている奴が他にもいるのか?)
おれは手っ取り早く、右目を使った。魔力視を有する右目は魔力なら何でも見通すことができる。
「おめ……その眼は、一体……?」
七色に光る眼に周囲が驚く。
おれは覚悟を決めた。この先、人の生死を前に何もできないのはもどかしい。ならばこの多くの人に救われて欲しいと願われている人を救い、どこまでの行動が許されるのか、手探りで確かめてやる。
[あるいは知らぬ存ぜぬを決め込んでしまうか、だ。良く知りもしない爺さんのために姫とヴィオラに再会できる可能性を狭める気か?]
すでに五人を殺めている。
ここで何もしないのは堅実なんかじゃない。ただの臆病者だ。
能書きを並べて神経質に生きていきたくはない。
屁理屈をコネて嵐が去るのを待つのはごめんだ。
だってそれは、死んで後悔した前の生き方だから。
「セーイチ殿か……どうか、どうか死にゆく哀れな爺の頼みを……」
虚ろな老人の眼に、呼吸の合間に絞り出される声に、これから自分で背負う責任を実感した。
「……ああ、あなたの頼みを聞く。今度な」
おれの右目は謎の魔法の正体を見極めた。
そしてそれをレジストした。
ロン大老の呼吸が小さく、上下していた胸は止まり、瞳がそっとまぶたに覆われていった。
「………」
「じ、爺様?…………爺様!!」
「…………治った!!……とォあああッ!!!」
ロン大老は突如気合をいれ、寝台から降りた。その体は膨張し、筋骨隆々に変貌した。体から湯気が立ち上り、みるみる血色が良くなっていく。
(なんて、回復力だ……鬼門/気門法の何か技か?)
床に伏せっていた老人が突然飛び起きて気迫を取り戻す様子には驚いた。それはどうやらおれだけではないらしい。
周囲は一度沈黙した後、その奇跡の回復を歓喜した。
「奇跡だ!!」
「大老が御快復成されたぞ!!」
「街の者に知らせよ!!」
「これでもう安心だ!! みんな喜ぶぞ!」
レンはホッとして気が緩んだのかその場に座り込んで、泣いていた。
ファオは突然起き上がった大老を心配そうに寄り添う。だが問題ないのを確認し、大老本人も自身の体調を改めて確かめるかのように胸に手を当て、布団に腰かけた。
そしてゆっくりと周囲が落ち着くのを待ち、視線をおれに移した。
「セーイチ殿!!!」
大老は片膝を突く形でおれに頭を下げた。
「魔術に乏しい頭でも、この命をお救い下さったのがあなたであることは分かります。セーイチ殿、感謝いたします!!」
「そんな、神殿の神官でも一時しのぎしかできなかったのに、一体どうやって?」
ファオが眼を真ん丸にして尋ねた。
(神殿、ここにもあったのか。これは神官でも治せないからな。寿命と間違えても無理はない。いや、そう思わせるための工作か……聞いた方が早いか)
「これは……の、呪い、だ……そうだロ?」
おれが聞いた男は大老の側にいた薬師。
「……なるほど呪いの類であったか。どおりで薬草が効かないわけだ」
「とぼけるな。呪いのパスはお前に繋がっていたぞ」
「っあ!?」
明らかに薬師の男の態度が急変した。
「強いと焦りと恐怖の匂い、貴様か!!」
ファオが匂いで確かめたのか、槍を構えた。
その問いに対する答えは床に叩きつけられた煙玉だった。
[ボッ!!]
「なっ!!」
「何!!」
その奇妙な光景に、ファオと薬師の男の声が重なった。
煙が部屋に広がる前に風魔法で窓の外に放出したのだ。
誰がやったかというとおれだ。
「と、捕らえろ!!!」
一瞬皆が呆けた後、男衆が薬師に飛び掛かかった。
「ちぃ!!」
薬師は懐から道具を取り出し、魔力を込めた。まばゆい閃光が部屋を満たし―――そうになる前にその光は男の手元で収束した。
光魔法で魔道具に干渉した。
「熱っ!?」
薬師は道具を落とし、男衆に取り押さえられた。
「大老、この者の処遇は如何に?」
「貴様がワシを呪ったというのは本当か!?」
「ひ、ひぃいい!!!」
薬師は大老の人睨みで失神した。部屋を飲み込む気迫を一身に受けたためだ。
「むう、信頼していた薬師だったが……これでは話を聞けんな。目が覚めるまで見張って置け!」
大老の命令に使用人が薬師を引きずっていく。
男衆の一人がセーイチの前で膝をついた。
「先ほどの風と光は貴殿の力であろう。感謝致す。しかし、なぜ呪いと気づかれた? それに神殿でもないのにどうやって呪いを解いたのだ?」
他者を呪う魔法。
パスに干渉し、本人の魔力を操ることで異常を発生させる、または行動を操るというもの。
他人の魔力に魔力で干渉すると反発が起きるが、これは他人の魔力と自分の魔力を極少ない量混ぜ合わせ、時間をかけてパスを形成し、己の魔力で己を蝕むようにする。当然この他人の魔力が混ざる際に身体が拒絶するが、それを抑える薬草を用いたり、魔力を消費したタイミングで行う。
やっかいなものだと何らかの魔法陣を体内に埋め込む、体外に刻み込む、所持させることで本人の気が付かないうちに蝕まれることになる。
こういった暗殺を行う者を〈呪詛士〉という。
この呪いは体内のパスに気が付いて消さない限り、解くことは出来ない。特に魔法に精通していない者が罹ると解くことはほぼ不可能だ。神殿に専門の解呪の魔法をかけてもらう必要があるが、それをできる者はほとんどいない。神気を用いたレジストは神気をただ扱うよりも難易度が高いためだ。
おれも神気での解呪は知らない。
「まぁまぁいいじゃないか! 今はロン爺様が快復したことを喜ぼう!!」
「そうですな」
「……大恩人であるセーイチ殿の為であれば我ら一族、できることは何でも致す。どうか、恩を返す機会をいただきたい」
ロン大老が床に膝を付けて深く頭を下げた。それを見て慌ててレンとファオ、部屋にいた者たちが続く。
その後大老が元気な姿を街の人々に見せると夜中にも関わらず歓声が上がり、しばらくお祭りのようだった。
夜が明けてもその興奮は冷めず、街は昨日とは打って変わって活気に満ち、人々の殺伐とした感じは一転、和やかで皆笑顔に満ちていた。