ちょっとマヌケな感じにしてもらえませんか?
「社長」
と玄関ロビーを入ったところで、同じ秘書課の堂端尊が駿に声をかけてきた。
薄い銀縁の眼鏡をかけ、すらりとした堂端は、如何にも切れ者の秘書、と言った感じで、未悠は入社したときから、この先輩がちょっと苦手だった。
未悠は駿の少し後ろに控え、ぺこりと堂端に頭を下げる。
堂端はチラとこちらを見たが、なにも言わなかった。
「社長、今日の昼食会、浜田さんは来られないらしいです」
と言いながら、堂端は駿と一緒に歩いてエレベーターに向かう。
うわー、堂端さんとあんな狭い箱の中に……。
ひとつ遅らせて乗りたいなー、と未悠は思っていた。
呑み会ですら、隙のない堂端と居ると、今にも叱られそうで、隙だらけの未悠はいつも緊張してしまう。
なので、いつも彼とは、あまり目を合わせないようにしていた。
よく考えたら、後輩としては、甚だ失礼なことなのだが……。
しかし、此処でエレベーターに乗らないわけにはいかない。
ましてや、社長は遅刻しないようにと、わざわざ車で乗せてきてくれたわけだし。
未悠は、一番最後にエレベーターに乗り込むと、出来る限り隅の方に立ち、じっとしていた。
その間、堂端はずっと駿と仕事の打ち合わせをしていた。
すごいよなあ、堂端さん。
あの若さで、あんなに仕事任されて。
社長に信頼されてるもんな。
……私も信頼されてはいるな。
こいつに任せたら、必ず、なにかやらかす、という意味での信頼だが。
そんなことを考えているうちに、エレベーターはつき、駿は社長室へと向かった。
堂端はそのままついていくのかと思ったが、とどまり、未悠を振り返る。
「海野、お前、今日、社長に送ってきてもらったろう」
うっ、ご存知でしたか、と未悠はつまる。
「す、すみません。
遅刻しかけたので」
社長に乗せてきてもらった理由にはなっていないな、と思いながらも、そう言うと、冷たい目で見下げられ、
「公私混同甚だしいな」
と言われた。
そのとき、ふと――。
何故だろう、ふと――。
いつもは目を合わせないようにしている堂端の目を見てみた。
「……堂端さん」
なんだ? と堂端がこちらを見る。
「眼鏡外してみてくださいませんか?」
はあ? と堂端が、使えない部下の突然の要求に声を上げる。
「眼鏡外してみてください。
で、髪伸ばして、ちょっとマヌケな感じに話してみてくださいませんか?」
「海野……」
はい、と言うと、
「社長はよく、お前みたいな訳のわからないのと付き合ってるな」
と言われてしまう。
「いえ、別に付き合ってはいません。
付き合ってはいませんが、ちょっと眼鏡、外してみてください」
と近寄ると、ジリッと堂端は逃げていく。
「何故だ。
というか、私がお前に従わなければならない義理はないっ、社長の愛人っ」
「愛人じゃないですよっ。
っていうか、社長、独身なのに、何故、愛人扱いですかっ?」
と言うと、
「社長はしかるべき家の娘といずれ、ご婚約されるだろう。
お前など愛人程度にしかなれんっ」
と言われてしまう。
「そんなものなる予定はありませんっ。
っていうか、王子が正妻にしてくれるというのに、愛人とか。
社長は王子より偉いんですかっ」
「訳のわからぬことを言うなっ。
っていうか、近寄るなっ」
と言う堂端をドアまで追い詰める。
……なんか私が堂端さんを襲ってるみたいになってるんだが、と思いながらも、未悠は追い詰めた堂端の眼鏡を剥ぎ取る。
「シリオ!」
と瓜二つのその顔に思わず言ったとき、内開きのドアが開いてひっくり返った。
いたた……と未悠は咄嗟についた手のひらと膝に衝撃が走り、声を上げる。
「私の上から退けっ、愛人っ」
と堂端が叫ぶと、
「誰が誰の愛人だ?」
と頭の上から声がした。
堂端と二人、上を見る。
「社長っ!」
駿が、なにやってんだ、この莫迦どもがっ、という顔をして見下ろしていた。
組んだ腕を指先でイライラと弾きながら、
「未悠っ。
堂端の上から退けっ」
と駿が言う。
あっ、すみませんっ、と未悠は慌てて、堂端の上から退いた。
「……未悠は俺の愛人じゃないぞ」
淡々とした口調で言った駿が怒っていると思ったのか、堂端は慌てて、起き上がり、そこに正座する。
申し訳ありませんっ、と土下座する勢いで頭を下げた堂端の上から駿が言った。
「そいつは俺の妹だ」
……は?
固まっている未悠を見下ろし、駿は言った。
「知らなかったのか、マヌケだな」
だが、駿は一拍置いて、いつもの偉そうな顔のまま、繰り返す。
……マヌケだな、と。
「俺もだが――」
何処か違う世界に行きたいと願っていた。
あの話を聞いたときから――。




