今、刺すべきだっ!
「うう。
負けた。
今までのは演技だったのか」
未悠はテーブルに倒れ込む。
その手から、パラリとカードが床に落ちた。
それを自ら拾いながら、アドルフが言ってくる。
「未悠。
私と結婚するか」
「……はい。
武士に二言はござらん」
口から魂の出て行った状態の未悠がそう呟くと、武士? とアドルフが訊き返す。
また面妖なことを言い出した、と思っているようだった。
そんなおかしな娘とこの王子は何故、結婚したいのだろうかな、と魂が抜けたまま、未悠は思う。
きっと暇なんだな、と思いながら、酔いと負けた衝撃を頬に当たった冷たいテーブルの感触で冷やしていると、アドルフは、
「心配するな、未悠。
お前は強い。
イカサマだ」
とケースに片付けたカードを見せ、言ってきた。
こらーっ!
無効だーっ、と立ち上がった未悠の手を取り、王子はその前に跪くと、手の甲に口づける。
それが合図だったらしく、どよめきが起こった。
「おお。
やはり、未悠だ!」
「私の勝ちだっ」
「大穴だっ!」
いや、あんたら、なにやってんだ……。
「王子の目は節穴かっ。
うちの娘の方が!」
「いやいや、アドルフ王子は王になれるかわからん。
シリオ様の方が……」
え? シリオ? と思ったとき、立ち上がった王子が、いきなりキスしてきた。
わーっと歓声が起こる。
今だ。
今、刺すべきだっ!
おのれっ、脚に隠しているから、此処でスカートは捲れないっ。
策士策に溺れるとはこのことかっ。
っていうか、長いっ! とアドルフにキスされている間、未悠は、ただ葛藤していた。
「どうするんだ、王子妃」
舞踏会のあと、エリザベートの部屋で、腕を組み、シリオが自分を見下ろし言ってきた。
貴方の望み通り、選ばれましたよ。
何故、喧嘩腰なのですか、と思っていると、
「お前、このまま、おめおめと王子妃になろうとか思ってるんじゃないだろうな」
と高圧的に言ってくる。
おめおめとって、敗者に向けた言葉ですし。
今、此処、エリザベート様が居ますが、と横目に見ていると、シリオは、
「エリザベート様にはもう話した」
と言い出した。
ええっ? 話していいんですかっ?
王子を殺そうとしてるとかっ、と思って見ると、エリザベートは頷き、
「貴女に殺られるのなら、アドルフ王子もそこまでということです」
と無情にも言ってくる。
そこまでって何処までですかっ?
この城の人たちはどうなってるんですかっ?
エリザベート様には、王子に謀反の心などないようだったのに。
エリザベート様、私が妃になったら、教育係になってのし上がるんじゃなかったんですかっ、と思っていると、エリザベートは、
「貴女ももう噂くらいは耳にしたでしょう。
諸事情により、王子が本当に王になれるかはまだわからないのです。
アドルフ王子が王になるのは、多くの運と味方なくしては不可能なことなのです。
未悠、貴女に狙われたくらいで死ぬようなら、王子は、そこまでの器であったということです。
だから、私は王子がこの苦難を乗り越えられるか、静観することにしました」
と言い放つ。
ひーっ。
そりゃあ、会社でも、血で血を洗う争いはいつも起きてますよ。
社長も平気な顔してたけど、本当は大変だったんですよ。
……王子もあの人も、本当は大変なこと、わかってる。
でも――。
そんなことを考えている間にも、誰かがドアをノックしてきた。
「未悠様はいらっしゃいますか?
アドルフ王子がお呼びです」
「来たな」
とそちらを見て、シリオが言う。
「行ってこい、未悠。
お前を逃す手筈は整えてある。
王子を刺したら、素知らぬ顔をして、此処へ来い。
あとのことは心配いらん。
私もお前に騙されたことにするから」
「でもあの、それで私、逃亡して、森から元の世界――
その、元の国に帰る道がわからなかったら、どうなるんですかね?」
と訊く。
シリオは自分が違う世界から来た、という話をあっさり信じたが、エリザベートに説明するのは大変そうだったので、そういう言い方をしたのだ。
「そこは知らんな。
大金を持って違う国に行くもよし。
お前の好きにしろ」
「……では、元の世界に帰れると信じて、お金は酒場に渡してください。
約束ですよ、シリオ様」
男に二言はない、とシリオは言う。
頼みましたよー、と言いながら、未悠は部屋を出、アドルフの許へと向かった。
「行きましたね」
とドアが閉まったあと、シリオは言う。
「早速、未悠のドレスの手配をしなければ」
とエリザベートはやたら張り切っていた。
ずいぶんと未悠に肩入れしているようだな、と思う。
「その代金、私が支払いましょう」
とシリオが言うと、
「いえ、もうみなの前で発表したのですから、未悠は王子の婚約者も同然。
国庫からお金が出ますよ」
とエリザベートは言うが。
「いえ、私が用意してやりたいのです。
困った娘ですが、なんだか、妹が嫁に行く感じなので」
と苦笑すると、エリザベートは笑い、
「まあ、未悠に金を渡して逃亡させるよりは、お金かかりませんしね」
と言ってきた。
男に二言はない、とシリオは言った。
女に二言はあってもいいだろうか。
そんなことを思いながら、未悠は石の階段を上っていた。
王子の部屋の前で、呼びに来た使用人がお辞儀をして下がっていったので、未悠は自分でドアをノックする。
「入れ」
とアドルフの声がした。
未悠はドアを開けながら、
「確かめもせず、入れとか言って、暗殺者とかだったらどうするんですか」
とアドルフに向かい、言った。
「お前の足音が聞こえたから」
「じゃあ、私が暗殺者だったらどうするんですか?」
と言うと、出迎えたアドルフは、
「それもまた、面白いだろう」
と言う。
「私ならちゃんと私の身許を確かめますが。
シリオの言うことなど信用しないで」
「お前の身許なら、最初からわかっている。
OLで秘書なんだろ?」
それがなにかは知らないが、とアドルフは言う。
アドルフの手が肩に触れた。
「近づいたら、刺します」
と押し返すようにその胸に触れ言うと、アドルフは笑う。
「親切な暗殺者だな。
近づいたら刺すと警告してくるなどと。
お前が本当に刺す気なら、最初の夜に刺してるだろう」
その剣で、と言うアドルフの目は、未悠のももの辺りを見ていた。
そこにあの短剣を隠しているのだ。
「……ご存知でしたか」
「コルセットの下でもなんなとくわかるものだよ。
踊るときなど特にわかるが」
「ただのおのれの身を守る剣だとは思われませんでしたか?」
「お前なら、そんなもの隠し持たなくとも、その辺のものを凶器に出来るだろ」
とアドルフは、重そうな置き時計や、燭台を見る。
「刺されるかもしれないとわかっていて、私を此処へ呼んだんですか?」
「何度も言うようだが、お前が本当に殺る気なら、俺が寝てたときに刺している」
未悠……と近づく王子から未悠は後退する。
未悠、ともう一度、王子がその名を呼んだ。
「いやいやいや。
待ってください。
王子は何故、そんな暗殺者な私を妃に?
退屈しそうにないからとか?」
と逃げつつ訊くと、
「好きだからに決まっている」
と言い出した。
え? 好き?
誰が? 誰を? と思っていると、
「一目惚れだ」
しれっとした顔でアドルフはそう言ってくる。
嘘ですーっ、と未悠は叫んだ。
「貴方、出合いざま、私を罵りましたよっ。
行き遅れってー!」
「お前が行き遅れてくれていて嬉しかったのだ」
と言いながら、また近づき、未悠の手を取ってくる。
なんだかあんまり嬉しくないぞ、その言われ方、と思いながら、固まっていると、ノックの音がした。
「王子、シリオです」
「入れ」
いや、あんた、誰にでもすぐ入れって言ってるけど、大丈夫か? と思いながら、入ってきたシリオの顔を見て言う。
「……王子、もしかして、シリオ様は最初から、私のことを知っていて、私をスカウトしてきたんですか?」
「いや、そこはたまたまだ」
とアドルフは言った。
「ただ、こういう娘が良いなあ、という話はした。
そうしたら、ちょうど良さげな娘が酒場に居たと連れてきたら、お前だったのだ」
軽く一礼し、エリザベートも遅れて入ってくる。
「どうです、王子。
未悠は刺さなかったでしょう?」
とシリオは勝ち誇ったように笑っている。
「……はめましたね? シリオ様」
ずっとシリオの言動と計画に、なにか違和感を感じていたのだが。
「貴方は私を試してたんですね?」
「私は王子にちょっとした恩があったのだ。
それを返すために、王子に良い伴侶をご用意しようと思ってな。
王子はちょいと趣味がおかしいらしい……」
と言いかけ、シリオは、失礼、と未悠ではなく、アドルフに対して謝った。
「王子の趣味に合っていて。
金に転ばず、自己保身もはからず、真実、王子を愛してくれそうな娘を」
そこで未悠を見たあとで、シリオはアドルフを見て言う。
「ちゃんとご用意しましたよ、王子――」
と。




