一章タイプ
俺は、今までの人生を振り返るたび思うことがある。
それは、人によって大きく分けて2つのタイプがいるということ
まず一つ目はよくアニメやドラマなどの主人公が自分の手で夢をつかむタイプ
2つ目は、誰かに誘われたりなど渋々やる羽目になって最終的結果を出しそれが夢につながる脇役タイプ
ちなみに俺は後者だ
個人的には前者がいいのだが、人生そう都合よくいかないなと思わされる
なんで前者がいいかというと、自分がこれをやるって決めたものが成功する可能性が高い
なので自分の性格的にも一致する
もし前者だったら今頃どうなってたことやらって思うことばかりだ
ただやはり前者にも弱点はある
それは人に流されたら成功する可能性は低いということ
なんでかというと、生まれながらにして人に限らずあらゆるものはどういう人生を歩むかある程度決められて生まれるからだ
だからどういう条件で結果が出るなどがある程度きまっている
俺はそう考える
だから結果の出る伸び方じゃない方法で伸びる可能性は低い
低いというより無いと考えていいと思う。
そうでなければ、ちょっとしたきっかけでポンポン必要以上の人間がいろいろ出来るようになってしまったり、本当は上に行くはずのやつが潰れてしまったり
いろいろ不具合がおきてしまうからだ。
よく努力すれば、どうたらとか言っている人がいるが、生まれながらにしてどういう風な人生なのかはある程度決まってるわけで、どんなに努力しても
生まれたときある程度決まった道すじと見当違いのことをやると失敗するように出来ている
たとえ一時期成功したとしても必ずそこから外される
だからバスケを高校までやって、才能あったけどラグビーにいったりなどして活躍したりする人間がいる。
これをわかってない人間が多すぎる
わかったようにえらそうにああだこうだいう人間が多いがまずもっといろいろ考えてから物事行ってほしい
今書いたこんなこともわかってない人間ほど、「努力すればなんにでもなれる」なんてことをいう
そんなことあったら努力できる人は何にでもなれてしまって、ほかの人が活躍できる場所がなくなる
ほんとに毎日呆れ返っている
何せこういうことを大人にいうと大抵何も考えず、自分のほうが年をとってるからという理由でこっちが間違ってるみたいな言い方をする
こちらからすれば誰かから教わったことしかいえないで、自分の考えのないお前が間違ってんだよといいたい
とりあえずわかってほしいのは、人は生まれながらにして、ある程度何が出来て何が出来ない、将来どういう道に進んでどうなるかある程度の道筋は決まっているということ
それをどう自分が近づくか、それが俺が思う人生
それに近づくには、最初に上げた自分のタイプを理解して行動すること
くれぐれも俺のように自分のタイプに苛立ちを覚えそれに逆らうような行動を起こさないこと
俺はそんな行動を起こして散々痛い目にあったというかあっている・・・
まあこんなこと書いてる自分がこんなんじゃどうしようもないって思うやつも多いだろう
でも案外人は追い込まれるとわかっててもしょうもないことをしでかす、自分がそういう経験をすると尚余計それがわかる
溺れるものは藁をもつかむとかこういうことを指すんだろうなと自分を振り返るたび思う
これを読んだものは少し考えてみてはどうだろうか