被害者意識の克服
自虐ネタというのがありますが、これはなかなか熟練した高度な笑いだと私は考えます。
志村けん師匠、ビートたけし師匠、自虐ネタが大好きです、
お婆ちゃんも自虐ネタが上手い!入れ歯をわざとパカッと外してみたり、「今日ね眼鏡を探してたんだけど、眼鏡をかけたまま、探してたんだよ!」とか。
周囲を明るくしてくれます、ところがたまに、それを悲劇的に受け取ってしまう、心の優しい女の子などいたりします。
視点を変えれば、歳を経て、肉体が朽ちてしまう悲しみに、フォーカスしてしまえば、歳を取ることは哀しみになってしまうからです。
そうなんです、これが、喜劇は悲劇ですね。
そして「逆もまた真なり」悲劇は喜劇でもある。
喜劇は視点を変えれば悲劇なんですね。
しかしながら、こういう場合、お婆ちゃんは困ってしまうでしょう、笑わせるつもりが、哀しませてしまうなんて?
こうした時に周囲も困ります、その子が真面目で真剣なほど、困ってしまうでしょう。
世の中はこれまでずっと男尊女卑だったために、女性に被害者意識が強いのは当然かなと思います。
それは弱者視点で物事を捉えてしまうからですが、
しかし男も女も然り、これを克服しないと世の中の被害者意識は克服しないと考えます。
被害者意識はやはりバランス感覚にあります、ここには、相手の立場になって考える視点がアンバランスなのです。
早い話、相手の立場になりすぎる、相手の立場を考慮しないのどちらかに偏ることで、
被害者意識と加害者意識が生まれてしまいます、そしてこれは陰陽表裏一体ですから、
ある瞬間にコロリンと反転するのです。
たった今の、大好きが、次の瞬間に、大嫌いになってしまいます、
重要なのは、その大元です、つまり、その対象に強い関心があるのです。
「関心」こそ、愛の始まりだと言えます、マザーテレサの有名な言葉に、「愛の対極は無関心だ」というのがありますが。
ということは、無関心の対極は愛だと言えます、そして、無関心の対極は、関心を持つことにだと言えます。
関心を持つことは、愛、例えば、かのファーブルは、並々ならぬ「関心」を持ち、昆虫を観察していたはずですが、同時にこよなく昆虫を愛していたはずです。