サァサァ!地球の大転換、ただ今、四次元突入後にますます次元上昇中!ライブ中継!
著者がライブで地球のアセンションを自己の内部の変化が外部に表面化していることを、解説しながら、読者との、シンクロナイズも含めて、解説していく新しい試みは、これが携帯小説である故に可能であることを証明していく、新時代のインタラクティブメディアとしての方式は。
小説サイトが、読者の反響をライブにアクセス数により伝播してくれるシステムだからだ、
それにより、著者もダイレクトに反応可能であることを実感している。
私は学校教育が苦手で、中学校は、ほとんど学校へは行かずに、
朝市、新聞配達、的屋、様々なバイトをしており、朝市が、時給500円、新聞配達が、月に12000円、的屋のバイトが、時給800~1000円。
的屋のバイトは正月やお祭りの時、朝市は、週に三回、新聞配達は毎日夕方と、これは昭和52、53年当時ですから、
私はかなりリッチな中学生だったわけです。
朝市のバイトは、中学校の隣り合わせに、熊本市田崎卸売市場という熊本市で最大の市場がありましたので。
非常に便利でした、学校へ行きたい時は、ヒョイと壁を乗り越えるだけでよかったからです。
ここでどうして見つけたのかもう記憶に残ってませんが、
熊本県天草牛深市から、週に三回野菜を仕入れに来てる、青果市場の社長さんと知り合いまして、
バイトに通うことになったんですが、実はこの社長さんがモーホでして、
最初は分からなかったのですが、
今思うと社長さんは当時五十五歳、大正生まれなんですね、旧陸軍兵士で、脂ぎった中太り、特徴は、テカテカに光る分厚い唇と、どんぐりお目々に長い睫毛が、妙に卑猥な印象があり。
何が愉快なのか、ニヤニヤと、いつも、謎!の微笑みを浮かべておりました。
最初は社長さんと二人っきりで朝市の宿舎に宿泊して、それはバイト二日間目でした。
なぜか?社長さんはホルモン剤の筋注をしてから寝ました、私もウトウト寝ていると、
生暖かい風が顔に吹き辺ります、一体何だろう?と思い、うっすらと目を醒ましたら、社長さんの、鼻息はフ~ッと、目の前に、どんぐりお目々がパチパチ~
何と、社長さんは私の布団に一緒に入っております。「ワー!」私はびっくりして飛び起きました。
それでも迫ってくる社長さんを振り切って、私は宿舎を飛び出しトラックの運転手さんに助けを求めましたが。
冷たくあしらわれました!
さて?どうしたことか?とりあえず仕事はこなしてから考えようと思い、
朝五時に何もなかったふりをしてバイトに入りました、社長さんも、何もなかったふりをしております、
そしてとにかくバイト代1500円をゲット!
それから、朝市食堂で豚カツ定食をたべながら、15歳の少年は思案に暮れましたが、
中学生には1500円は魅力的!
やがてピンときた!見通しが立ちました、いいアイデアが浮かんだわけです。
そして翌々日に、色白で美少年の友達を連れて一緒に朝市に宿泊に行きました、
友達には1500円の仕事があるといい社長さんがモーホだとということは内緒です(笑)。