豚バラ肉のトマト煮込み
〇side:爺や
お嬢様がトマト煮込みを食べたがっている気配を感知いたしました。
時期としても申し分ありません。
そしてトマトは万能食材です。さて、何を煮込みましょうか。
鶏肉の気配も感知いたしましたが、残念ながら本日の鶏肉は私の心に響きません。お嬢様に供するのは不可といたします。
……ふむ。今日は豚肉が良いですな。
特に良いのが豚バラ肉のブロックです。この質であれば、お嬢様にお出ししてもいいでしょう。
では、調理開始です。
トマトは種をとり、湯剥きした後、丁寧に濾します。
まずオリーブオイルで大蒜を炒めましょう。この時は弱火です。
頃合いを見て細かく刻んだ玉葱、人参、セロリを投入。炒めるなかでしんなりとしてきたら先程の濾したトマトを入れ、ローリエ、タイム、塩、胡椒、砂糖で味を調えます。
出来上がったものは鍋に移しておきましょう。
次は豚バラブロックの出番です。
サッと油をひいたフライパンで焼き色をつけます。
最初は脂がのっている側から。いい音がしますな。
火は強火で。強く焼くことで旨味を閉じこめます。焦げ目がつきそうなぐらいの気持ちでやるのが良いでしょう。ただし、焦がさないよう気を付けて。
全体に焼き色がつきましたら、フライパンの中にある油を捨て、白ワインを加えて強火のままアルコールを飛ばします。
この時、油を拭き取ってはいけません。余分な油は捨てますが、拭いてしまってはフライパンの上にある旨味まで拭い去ってしまいます。
ワインを加えてからは、フライパンに残った旨味がワインに溶け混じるようなイメージで行うと良いでしょう。
さて。次に移りますぞ。
先程トマト達を入れた鍋にフライパンの中身を全て入れ、煮込み開始です。
トマトの状況にもよりますが、そのままでは煮込む前に煮詰まって焦げてしまいますので水を加えます。入れすぎるのは厳禁です。旨味を凝縮させるための煮込みですので、入れすぎて水が多くなるとぼやけた味になるのです。最初のうちは適宜つぎ足すぐらいでも良いでしょう。いずれ、最適量が身に付きます。
火は弱火で。煮込む時間は二時間ほどです。
ちなみに、私はひよこ豆を加えるのが大好きです。
ひよこ豆を加えるのは、最終段階ですな。入れた後は軽く煮込む形になりますぞ。
出来上がりは、鍋の周囲の部分は乾く感じになります。ある意味、これも目安ですな。
さて、その間にポムピューレを作りましょう。
馬鈴薯は塩を加えた湯で煮てから皮を剥きます。剥き終わったら丁寧に裏漉しに。そこにバター、生クリーム、パルメザンチーズを加えて丁寧に混ぜ合わせ、軽く塩で味を調えます。
口の中で滑らかに溶ける、この感覚と味わいは独特のものでしょう。内容としては、非常に滑らかなマッシュポテトです。
ポムピューレは様々な他の肉料理にも使いますから、少し多めに作っておきましょうか。今日は肉の気分です。
このポムピューレを皿の中央に敷き、煮込み終わった肉を上に盛りつけます。この時のポムピューレの量は少量で。煮込みのソースを全体にまわしかければできあがりです。
お嬢様がおいでになるタイミングは、恐らくいつもよりお早いでしょう。
今、煮込んでいる分が頃合いですな。
しかし、この豚バラ肉がもしオーク肉であったなら、お嬢様のお胸の増強も……いえ、無理ですな。それならもっと早く効果が出ているはずです。なにしろ随分と昔からこっそり素材を入れ替えて供させていただいているのですから。
お嬢様のお胸は、いったいいつ、成長期を迎えられるのですかな……?
〇side:レティシア
「くちっ」
いけません。いきなりくしゃみが出ました。
風邪?
「レティシア様、大丈夫ですか?」
「お体の具合が宜しくないのでは……?」
シュエット様とユニ様が心配そうな目をされます。
大丈夫ですよ、皆様。私は元気です。
「後で暖かいものでもいただきに参りましょう」
「お体が冷えてはいけませんから、よ、よろしければこれを」
周囲にいらっしゃったご令嬢が、ユニ様に促されるようにして傍に来られました。差し出してくださったのは、暖かい編み物!
「まぁ、ありがとうございます」
ふわふわでぬくぬくですわ!
なにかいい匂いもいたします。
「ラベンダー……?」
「おわかりになりますか!? 少しだけ香りをつけているんです。その……とても気持ちが安らぐというお話ですから」
「まぁ! 素敵ね」
やや小柄なご令嬢は何故か真っ赤になってしまわれました。どうしたのかしら……熱でもあるの?
「それにしても、夏なのに寒いというのが凄いですわね」
「流石は三年生の方々ですわ。この氷柱の素晴らしいこと……」
私達がいるのは学園校舎の端、運動場として整備されている大広場の一角です。
現地にいるのは一年生Aクラス四十名に、実技教員二名、三年生五名。
一年の授業に三年生がいるのは初めてです。どうやら新しく教導員としてご指導してくださるらしいのですが……
「殿下はやはり精霊に愛されておいでですわね!」
「素晴らしいですわ!」
「流石ですわ!」
三年生五名のうち、三名は殿下の周囲に集っています。
殿下の家庭教師役なのでしょうか?
陛下から打診でもあったのかしら?
まぁ、そちらはいいでしょう。マリア様が目くじらたてていらっしゃいますが、もはや他人事ですし。
問題は私の周囲です。
「レティシア様の精霊魔法は優雅でいて鋭いですね」
「実に洗練されていて美しいと思います。勿論、ご自身もですが」
三年生の残りのお二方が、何故か私の傍にいます。
どうしてなのでしょう?
「お褒めのお言葉、ありがとうございます。まだまだ鍛錬が足りておりませんから、先輩方には拙く見えてしまうかもしれません」
「いや、十分に実用的なレベルだと思うが」
「謙虚なのだな、レティシア様は」
……これはどういう状況なのでしょうか……?
先生お二人に視線を投じますが、お一人には不満そうな視線を返されますし、もうお一人には苦笑をされてしまいます。出来ましたらこの先輩お二人、引き取っていただきたいのですが……
「お二方は、私達一年生のためにおいでくださった、のですわよね?」
「ああ」
「学園の方針でね。今期から二年や三年の生徒を選抜して、一年の育成に力を貸すことになったんだ」
「変わった試験を経ての編成だったが、こうしてここに来られるのであれば、本気で挑んでみて良かったな」
「全くだ。今頃、他の連中は悔しがっていることだろう」
苦笑にどこか猛々しいものを匂わせた先輩に、私は思わず首を傾げてしまいました。
つまり、一年生を教える先輩方は、二年生三年生の中でも選び抜かれた選抜チームの方々なのでしょう。
確かに、実技見本としてここに建てられた氷の建築物も見事ですし、力量は素晴らしいものがあると思います。
ですが、私の周りにおいでになる理由は、何でしょうか?
先輩は二人とも目上の方ですから、正直、少しばかり緊張してしまいますが……
ん? もしかして?
「レティシア様は精霊術だけでなく他の授業でも素晴らしい成績をおさめておいでと聞く」
「三学年でも有名ですよ。教える立場で呼ばれていますが、こちらが学ぶことも多いかもしれないね」
「同じ学生、互いに学んでいければいいな」
やっぱり! 自身も学園で学ぶ身で教鞭をとることに戸惑っておられるのですね!
きっとどう接して良いか分からないので、私の所に集まってしまっているのでしょう。
私の周りには同じクラスの女性が少なくない数集まってますし、殿下の周辺にいる方々と違って穏やかな方が多いですから、話しかけやすかったのでしょう。
! そうですわ!
「では、先輩。精霊術を実行するにあたり、気を付けておきたいことなどをお教えいただけますでしょうか?」
「おやすいご用だ」
「分かった」
よし。
「皆様! 先輩がご教授くださるそうです! 前へお詰めくださいませ!」
「「……ん?」」
周囲のご令嬢はもちろん、他の方々もお呼びして。
あ、先生もご一緒にいかがですか?
ああ、そちらの方、もっと前へどうぞ。
え? 私? 私は後ろに行きますから、皆様、前へどうぞ。ええ、遠慮なさらずに。こんな機会はそうそうありませんわ。皆で学びましょうね!
さ。どうぞ!
「先輩、どうぞよろしくお願いいたします」
「「よろしくお願いいたします」」
さぁ、お膳立てはいたしました。後は先輩次第ですよ!
殿下とその周りの方々以外は全員集まりましたので、私は後の位置をキープです。
あ、ユニ様達もこちらに? 近くで聞いていなくても大丈夫?
どうやら私達のメンバーは全員後ろで聞くことになりそうです。
「あー……では、まず、実際の体験談も交えて話をしようか」
「そ、そうだね。基礎は座学の時間で学んでいるだろうから、実際にそれを実行した時の感覚を伝えようか」
何故か呆気にとられていた先輩達が授業を始められます。
ちょっと戸惑っておられたのは、『教える立場』としてどう話すべきか迷われていたからですね?
大丈夫です。まだまだ初心者の私達にとって、先達の体験談は貴重なものですわ!
お話、楽しみですわね!
「学園も初動が早うございますな。もう上の学園の方々が教えにおいでになりましたか」
「ええ! 爺やも知っていましたの?」
爺やの返答は優しい笑顔でした。
いつものお店、いつものお席、いつもの爺やと三拍子揃った時間は最高です。
今日のお料理も最高!
やはり爺やが料理したお肉は元気が出ますね!
「しかし、Aクラスにも派遣されましたか……」
「? 爺やさん、何か気になることでも?」
やや苦笑顔の爺やに、シュエット様が首を傾げられます。
その隣のエリク様とクルト様は……ああ、駄目ですね。料理に一生懸命です。お肉の量、足りるのかしら?
「……いえ、三年生の体験談を交えた教義であれば、Aクラス以外の方々もお受けになりたかったのではないか、と思いまして」
「確かに。勉強になりましたものね」
「他のクラスにも派遣される方々がいる、と仰っていましたわ。ご自身達は、Aクラスの受け持ちだそうですけれど」
シュエット様とユニ様が微笑みあっておいでです。
ちょっとだけ意味深な笑みなのは、何でしょう?
「ふむ……」
「……爺やさん。気になっていることがあるんですか?」
何かを考える顔の爺やに、それまで無言で食べていらしたアリス様が声をかけられました。
真剣なお顔です。……そういえば、今日の授業中、ずっと真剣なお顔をされておられましたわね。少し不審そうなお顔だったのが印象に残っています。
何か気がかりなことでもあったのかしら……?
「……いえ、学園も色々と模索しているのでございましょう」
「もしかして、爺やさんが提唱しまし……じゃなくて、提唱なさいましたか?」
え?
「……どうしてそうお思いに?」
「いえ……その、あまり聞かない試みでしたから。誰かが働きかけたんじゃないかなー、と」
爺やは少しだけ微笑って頷かれました。
「旦那様にそのようなお話はしたことがありますが、学園に直接提唱しに行ったわけではありませんよ」
「あ! なるほど。すみません、早とちりしてしまって」
「いえいえ。それよりも、『私が』と思ったのは何故でしょう?」
首を傾げる風情の爺やに、アリス様はちょっと戸惑われてからニッコリと笑われました。
「女の勘です!」
「……成程。それは勝てませんな」
にこー、と。お互いに笑い合っておいでなのですが、何故かしら? ちょっと背中が寒いというか。何かそわそわするというか。
そして爺や。
ちょっと爺や。
アリス様と見つめあいすぎではありませんか?
ちょっとその眼差し、こっちにおよこしなさい!
「――ところで、先程から出て参りました三年生の方々ですが、ご自身は三年のどのクラスの方か、お分かりになりますか?」
よし。
「Aクラスだと仰ってましたわ」
「三年の中でもトップクラスの方々でした」
「……成程。そして、他の一年生のクラスに出向くのは、彼らでは無い、のですね?」
「ええ。それぞれのクラスの代表が行くような形だそうです」
「……ほぅ」
爺やが一瞬だけ目を細められました。
ですが次の瞬間にはいつもの穏やかな微笑みに変わっています。
「学園も、色々と、やっているようですな」
……何かしら。今、すごく背筋が寒かったのですけれど。
そしてエリク様が硬直していらっしゃいます。
どうしたの?
「でもこれで、先輩達も他の方々とのやり取りに馴染んでくださったでしょうね」
私の声に、ユニ様達は微笑んで頷かれます。
「ええ。そうですわね」
「いきなり三年生の方がおられましたから、どうされたのかと思いましたけれど」
「体験談はありがたかったなぁ。やっぱり、先輩も同じ場所で悩んでいたりしたんだな、って思ったし」
「まぁ、一部は授業に来ているようで来ていなかったが、な」
「それを言うなら最初のあのお二人だって」
「あー……だよねぇ」
「?」
皆様の視線が私に。
なにか苦笑いですけれど、どうなさったの?
「何か問題がおありでしたかな?」
「あ、えーっとですね……三年生は五名だったんですが、そのうちの三名が殿下にべったりで」
「……成程」
……いやだわ……さっきと同じ類の微笑みがきたわ。
夏なのに、寒いのは何故かしら?
「もう片方は、まぁ、初日だし、ね」
「レティシア殿は目立つからな。話をするきっかけになりやすかったという……うお」
「ひ!?」
エリク様とクルト様が硬直されました。
ユニ様とシュエット様は目を輝かされます。
……この反応の差は、何かしら……?
そしてアリス様は微苦笑です。
その視線の先は――私?
「……旦那様のご希望に沿うしかないようですな」
爺やが謎な発言をしておりますが、私としてはそれよりも気になることがあります。
さっきから給仕の人が何度も近くを往復していらっしゃるのですけれど、お仕事、大丈夫なの?