パンアイス
〇side:爺や
ダンスパーティーが終わって以降、日差しも夏らしい強さになってまいりました。
夏、となれば口あたりの良いものが好まれます。
それも出来ればひんやりとしたものが良いでしょう。
食の細いお嬢様は、特に食べられるものが激減する時期です。
そんなお嬢様が一番好きだったスィーツを作りましょう。
パンで作るホームメイドアイスです。
これもお家ごとに味が違いますから、受け入れてもらえるかどうか、ドキドキものですな。
パンはアリス様のお父様から仕入れさせてもらいました。
このまま食べても美味しいので、つい別のものも作りたくなるのが罪深いですな。
今回いただいたのは食パンです。
まずはパンの耳を切り落とします。こちらはカリッと揚げて別のお菓子にするのに置いておきましょう。部下A&B……は、別の仕事中でしたね。では孫弟子に作ってもらいましょう。皆のおやつにしていいですよ。
おっとアイスの作業に戻りましょう。
耳を切り落としたパンを五ミリ角に切ります。
鍋に水と砂糖を入れ、そこに先ほどのパンを放り込んで弱火で約二分。やわらかく煮るのが大事です。
一度火からおろして、冷まします。
その間に別の作業です。
ボウルに生クリームを入れて泡だて器で泡立て、八分立てに。
別のボウルに卵黄を入れ、先の八分立て生クリームを加えてよく混ぜ、次に冷やしておいたシロップパンを加えます。ムラなくまざるよう、泡だて器で混ぜましょう。
……綺麗に混ざりましたな。
では、そこへバニラエッセンスを加えます。後はこれを冷やすのみ。
金属製の容器に流し入れて、マイナスの温度に下げてある冷凍庫へ入れておきましょう。パンの柔らかい触感がありますので、流し入れる時にかき混ぜなくても大丈夫でございます。手軽で簡単。このパンアイスの良いところですな。
トッピングはお好みで。
今日はチョコソースを使用いたしましょうかな。
……おや? 部下A、どうしましたか?
「支配人。そろそろ食材の方が尽きそうです」
「……またですか」
部下Aの報告に思わず眉を顰めてしまいます。
ダンスパーティーから、連日このような事態が発生しています。
お客様が今まで以上に増えたのです。
おまけに、食事で長居をしない、という暗黙のルールが出来上がっているご様子。お客様の回転が早くなった結果、夕方を待たずして店じまいをする日が増えています。
……これはいけませんな。
「パーティーの料理、うちが担当したのが噂で広まったみたいですね」
「聞いた話、アリスお嬢さんのご実家も連日早仕舞い状態だそうです」
「店を持つ者としては、本来喜ぶべきところでしょうが……」
「支配人の主目的は商売じゃありませんしねー」
含みありげに言うのはよしなさい。
お嬢様のためだけにつくった店ですが、それがなにか?
「こうも売り切れが続くようでしたら、お嬢様がおいでになった時に満足の行く料理が作れない可能性が出てきます。許されざる事態ですな」
「かといって料理で手を抜くのは論外ですしねぇ」
「もうちょっと量を確保出来たらいいんですが、東の方で物流が滞りがちなのが響いてきてますね」
どうも東の穀物地帯で不作が続いているようですな。夏野菜の値上がりは避けられそうにありません。
ところで南西の旦那様、今年の収穫物はいかがな出来ですかな?
「昨日の鳥便で旦那様に報告していますから、それなりに期待しておきましょう」
「王都行きの食材を全部こっちに回してもらったらどうです?」
心が動きますなぁ。
とまれ、無関係な方々が困りますから、そのような要望はしない方向で。
「あちらのことは、旦那様にお任せしましょう」
手紙から察するに、旦那様達も活発に動き出しているようですし。
王家の方もなにやら慌しい気配ですな。
余波は学園にも伝わるでしょうが、こちらは教師陣が目を光らせておりますから、さほど心配することもありますまい。
多少の波風ならば、むしろ跳ね除ける力をつけるチャンスでございます。学園の外に出てからならば、もっと大きく恐ろしい波にさらされ続けるでしょうからな。
例えお嬢様といえど、甘やかしはしませんとも。
お子は厳しくお育てするのがモットーでございます。
……おや。裏側でお嬢様の悪口を言っていらっしゃる方がいらっしゃった、と?
またですか。前はとある貴族のご令嬢でしたが、今度はとある貴族のご子息とか。
ほぅほぅ……お嬢様を阿婆擦れ、と。
そうですか。
ああ、部下A&B。ちょっと来なさい。
新しいお仕事ですよ。
〇side:ユニ
試験の日が近づいてまいりました。
ダンスパーティーの後に行われるあたり、ある種の罠のように思えて仕方ありません。学園、意外といい性格してますね。
「うー……まだ方程式が頭の中でぐるぐるしてるや……」
「繰り返し問題を解くことで意識せずに残る感じになりますよ」
「うーん……ちょっとずつ成果が出てるし、そうかもね。けど、こんな奇妙な形の体積を求める計算、何に使うんだろう?」
「えーと、その場所にモルタルをつめる時に必要な材料の計算とか?」
「成程」
教科書片手に唸るクルト様に、アリス様が困ったような笑顔で仰います。数の計算とかはともかく、面倒な式をあてる数学は私も苦手です。
「んー……! ぶっつづけで勉強してたから、体がバキバキいうや……!」
「しばらく運動量も減っているしな」
背伸びするクルト様に、エリク様が苦笑しながら頷かれます。
試験に向け、お休み時間を返上して勉強に励む日が増えました。
今日は午後からお休みでしたが、授業の後居残りし、今日の内容で分からなかった箇所を皆でつめていたのです。おかげでお昼の時間が大幅に後ろへズレています。お腹ペコペコですわね!
一緒に動くメンバーは、レティシア様、アリス様、シュエット様、私、クルト様、エリク様の六名です。
だんだん、定着してまいりましたね。
時折、殿下がクルト様達をチラッと見ていらっしゃいましたが、私やシュエット様と目があうと慌てて逸らされます。失礼ですね。
ダンスパーティーから半月。
レティシア様の周辺も、殿下の周辺も、今のところは静かなものです。
小さな騒ぎが色々ありますが、大きな騒ぎにはなっていません。
殿下は妙に不機嫌さが増していますが、殿下にはあの女性がべったりとお傍におりますから、レティシア様に直接関わることは無さそうです。
平穏って大事ですね?
……あら? どうして私、舌打ちしてしまったのかしら?
おかしいですわね……思い返しますと、殿下とすれ違いそうな位置に来ると、無意識に風の精霊を呼びそうになっている私がいます。
狙いはベルトですわね。
いえ、するつもりはありませんよ?
スパッと切ってストンと落ちたらスッとすると思います。
ナニがナニとは申しませんが。ええ、もちろん、実行するわけでもありませんとも。
時々、エリク様が真っ青になってシュエット様と一緒に私の横につかれます。どういうことでしょうか。レティシア様とアリス様がポカンとしていらっしゃるから、よしていただきたいものです。
……勢い余って殿下に突進しかかってたりもしますが、もしかして殿下に体当たりなさりたいの?
おおいにおやりください! グッジョブですわ!
……あら? いつの間にかまた魔法を使いかけていますわね。
私も気をつけないといけませんね。
殿下といえば、最近、前以上に勉学にうちこまれているご様子です。
ちょっと必死な気配もいたしますが、今までのことを鑑みて、学業にうちこむことにしたのでしょうか?
それとも成績が下がりそうな気配でもしたのでしょうか?
我らがレティシア様とアリス様が絶好調ですから、一位の座を脅かされると思ったのかもしれません。ふ。いい気味です!!
もっとも、私は十位から二十位を行ったり来たりしていますから、人様の成績をどうこう言えはしないのですが。
そうそう。アリス様が絶好調なのは今まで伸び悩んでいた分が開花したからでした。
合成魔法系や礼儀作法、食事マナーなどですね。
もともと才能がおありですから、ぜひ頑張って殿下を追い落としていただきたいものです。食事マナーは……要特訓で。
レティシア様が絶好調なのは、おそらく、いえ、きっと、爺やさんのお言葉のせいだと思います。
「もし、お嬢様が学園で一位をおとりになられたら、私は喜びのあまりなんでもしてしまうかもしれませんな」
それはそれは素晴らしい笑顔でそう爺やさんがおっしゃった時、レティシア様の目が比喩でなく輝いたのは目の錯覚では無いはずです。
その次の日のレティシア様の座学は満点でした。
その次の次の日のレティシア様の精霊学も満点でした。
周囲が驚きどよめくほどの快進撃です。
それになにより、あの日からレティシア様は輝くようにお美しくなられました。元からお美しかったのに、今ではちょっと気圧されてしまいそうなほどです。
殿下との仲があまりよろしくない、ということが明らかになったダンスパーティー以降、レティシア様の足をどうにかして引っ張ろうとしていた一部ですら、思わず怯んでまごついています。
結果として、一部ではこう囁かれています。
『公爵令嬢は、よほど殿下との婚約に苦しんでいたらしい』
『以前より、今の彼女のほうがずっと生き生きとしている。婚約が解消されることを心から望んでいるようだ』
傍から見ればそう見えるでしょうとも。
私達も決して否定的な意見は言いませんとも。
実際には爺やさんの願い通り一位をとって、爺やさんに何かしてもらおうとウキウキしていらっしゃるだけでしょうけれど、そんな事実は決して口にしませんとも。
殿下はせいぜい、陰口を叩かれるが良いのです。
レティシア様は今まで散々陰口を叩かれてきたのですから!
……そういえば、以前にこそこそとレティシア様の悪口を広めていらっしゃったご令嬢、最近お顔を見ませんけど、どこに行ったのかしら? ようやく制裁の準備が済みましたから、そろそろ実行しようかと思っていたのですけど。
首を傾げていたら、前を歩いていたエリク様が立ち止まられました。
「――あの店、閉まっていないか?」
「「え!?」」
思わず合唱です。
特にレティシア様は、思わず駆け出してしまうほどの衝撃だったようです。
「爺や……!?」
「――はい?」
「……!! いるではありませんか……!!」
あらら。
扉に縋りついて即開かれたせいで、見事に爺やさんの腕に飛び込んでいらっしゃいます。グッジョブですよ爺やさん!!
そしてなぜそこですぐ離れてしまうんですか、レティシア様! そこは腕の中を味わうべきところですわ!
「いきなり店を閉めて、どうしたの?」
「……申し訳ありません。食材がほとんどなくなってしまいましたから、一旦、店を閉めさせていただいたのです」
「え!?」
レティシア様のお顔が悲し気に曇りました。爺やさんの料理、楽しみにしていらっしゃったのですね。分かります。泣く寸前の幼子のようです。
「ああ、そうそう、お嬢様にお渡ししたいものがあるので、どうぞ中へ」
『うおー!!』
「皆様もどうぞ」
「え。え。……というか、さっきの声、何?」
「空耳でございます」
……私達のところにまで聞こえてましたけど、あの雄叫び。
店の中から?
……何が起こっているのでしょう。レティシア様も困惑されておいでです。
「とりあえず、中に入りましょう?」
何故かものすごく苦笑しているアリス様に背を押され、皆で『閉店中』のお店に入りました。
「アイス!」
「アイス美味しい!」
レティシア様とアリス様が満面の笑顔でアイスクリームを食べておいでです。
ええ。確かにこれは素晴らしい美味しさですわ!
「これ、いい商品だなぁ。絶対売れますよ、爺やさん」
「お褒めのお言葉、ありがとうございます。明日から試験的にはじめてみようかと思っております。これでしたら、アリス様のお父様のご助力をいただければ、なんとか提供することも可能ですから」
「お父さんに言っておきますね!」
「そちらもパーティーの後、かなりの混雑があるご様子ですから、無理のない範囲でお願いできれば幸いです」
「大丈夫です! うちは母も祖父母も妹や弟達もいっぱしのパン職人ですから!」
「一家そろってとは、お強いですなぁ……」
爺やさんがしみじみと仰っています。
「小さいうちからパン作りのお手伝いを?」
「ええ! 環境が環境ですから、見てなんとなく動きを覚えるんです。ただ、そのままだとぐちゃぐちゃになるだけですから、興味を覚えてうろうろし始めた頃ぐらいから少しずつ少しずつ丁寧に教えて、つきっきりで教えて、それを繰り返して体に身に着けさせたら、小さくても一人で全行程出来るようになりますよ」
「それはすごいですわね……」
「まずは見て覚えさせる感じなのか……?」
感心するシュエット様の隣で、エリク様が首を傾げておられます。
武技でも観戦でイメージを把握させたりすることがありますから、そんな感じでしょうか?
「んー。やり方次第です。あ! よく言う『見て覚えろ』って投げっ放しにするのは駄目です。時間が無駄なだけです。見て覚えられるのはおおまかな流れの把握だけで、それだって何も知らない人がいきなり長々見させられても覚えられるわけがありません。おまけに、間違った知識を覚えてしまう確率が高くなります。根性論を仕事で強要する上司にあたったら、最悪ですよ。ああいうのは先達として論外です」
「適宜細かな指示を与えたり、教導書でいつでも自分で自分の疑問を繰り返し調べ、学べる環境を作っておくのが普通ですな。本人だけでなく周囲の時間ロスも防げますし、何より効率が良いですから」
「それです。今の時代、単純作業だけを長期間こなしつつ、周囲を見てじわじわ技術を盗んでいく、なんて優雅な時間、無いですからね」
「ゆ、優雅なの?」
「単純作業だけさせてもらってお給料もらえるなんて、優雅ですよ。その期間が長ければ、そりゃ『見て覚えろ』でも大丈夫でしょうけど、今時そんな職場無いですからね。あれをやれ、これをやれ、それもやれ、そっちもやっておけ、時間があったらこれもしておいてくれ、その時間がどこにあるんだ! っていう……あわわ」
何か思うことがあるのか、じわじわ怒り声になりつつあったアリス様が慌ててご自身のお口を手で塞がれました。
レティシア様が恐る恐る声をおかけになります。
「……あの、アリス様のご実家は……」
「あ! うちの実家はじっくりつきっきりで教えてレシピ本も渡してするタイプです!」
「ええと、先程のは……」
「し、知り合いの、仕事のことで!」
「大変な職場ですのね……」
「……そういえば、騎士団も初めのうちはそういうシゴキがあるらしいな」
エリク様のお知り合いには騎士団員が多いですから、色々見聞きすることもあるのでしょう。
殿下の弱点、見聞きしていませんか?
「いやぁ……シゴキどころが、日常仕事でえんえんソレっていう職場も世の中にはありまして……」
「……あの、アリス様……背中になにか哀愁が……」
「確かに、商人の方達と話していても、厳しい仕事内容について吐露されることがありますな」
爺やさんが深く頷いていらっしゃいます。
世の中には色々あるのでしょう。私達も、自身が貴族だからといって、安穏としてはいられません。
クルト様も深く頷いていらっしゃいます。クルト様はお母様が商人ですから、余計に感じ入るところがあるのでしょう。
「商人、といえば……母が言っていましたが、東の流通、少しおかしくなっていませんか?」
「そういえば、食材が不足していらっしゃるのでしたな」
クルト様の声に、エリク様も言葉を重ねます。
……エリク様、爺やさんへの言葉遣いが明らかに目上用になっていますね。
「馴染みの商人とも話しておりましたが、どうやら東は不作だそうで。仕入れ先を拡充させることで対応予定ですが、細々としたものが値上がりする可能性がありますな」
「東かぁ……キツイなぁ……」
「去年は早いうちから大雪になって北東方面が大打撃だったな」
「一昨年は西方面でしたわよね。大嵐で甚大な被害を受けられたと聞きます」
「だんだんと狂ってきていますのね……やはり、精霊王と契約していらっしゃった巫女姫様がお亡くなりになられたから……」
しん、と静まりかえってしまいました。
精霊王と契約できる人間は、年々減ってきていると聞きます。
今は東の国と西の国一人ずついらっしゃるだけです。北と南の国々には誰もいません。
私達の国には、以前は巫女姫様がいらっしゃいましたが、今は誰もいません。
精霊王と契約を果たした人がいる国は、精霊の恩恵に浴しますが、契約者が亡くなればその恩恵も消えます。
昨今の異変は、その表れでしょう。
「そのための、精霊術ですよ!」
アリス様が握り拳で叫ばれました。
目が爛々としていらっしゃいます。
「皆で精霊王のお眼鏡にかなう力を身につけましょう! 大丈夫です! まだ時間はあります!」
「……そうですわね」
レティシア様も僅かに目を輝かせ、微笑んで頷かれました。
「やれることがまだあるのですから、全力でやりましょう。この世界でこれからも生き続けるためにも」
「そうですね」
思わず微笑んで頷いてしまいました。大丈夫。きっと大丈夫。そんな気がします。
レティシア様をじっと見つめていらっしゃった爺やさんが、ふと微笑んで口を開かれました。
「そういえば、そろそろ試験勉強も佳境ですな」
「あー! 思い出すと胃が痛い……!」
「おや、おや」
爺やさんの声にクルト様が叫ばれ、思わず笑いが零れました。クルト様ったら!
「試験もそうですが、授業のほうでも次の段階に移行し始めましたのよ」
「おや。もしかして、そろそろ実技ですかな?」
「ええ! それも、対人稽古が始まるのだそうです。うふふふふ。楽しみですわね!」
「ええ。楽しみですわ」
レティシア様達と、にっこりと。
……あら、エリク様。どうなさいましたの?
顔色が悪うございますわよ?
ところで対戦相手って、指名できますわよね?
この日は爺やさんが作り置きしてくださっていたお料理をいただいて帰ることになりました。
「次はもっと楽しんでいただける料理をご用意させていただきます」
そう仰っておりましたが、皆様満足していらしゃると思います。とっても美味しかったですから!
何故か厨房の方々がずっと爺やさんを見ていらっしゃったのですが、あれは仕事を待っていらっしゃるのでしょうか?
仕入れの準備に入らないといけない、とか?
あまり長居は良くないのかもしれませんね……
そういえば爺やさんのお店、随分と花が増えているようです。
これはますます女性が足繁く通いたくなるお店になりそうですわね。
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