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ベーコンのロースト


〇side:爺や





 豚肉の塩漬燻製(ベーコン)、という食材は、実に多彩な料理に使える素晴らしい食材です。

 スライスしたものをそのまま焼いて良し。

 それをさらに細かく刻んで他のものと一緒に炒めて良し。

 煮物にも使えるうえ、ピッツァやグラタンの具とするのも良し。

 これほど重宝する食材も他に無いでしょう。トマトの万能性に匹敵するやもしれませんな。無論、トマトとの相性も抜群です。


 そんなベーコンの塊が、私の目の前にあります。

 重さは三百グラムの塊から五百グラムの塊まで。

 ふむ……今日は塊を使った料理をいたしましょうか。

 色々と案はありますが、パイナップルがありますから、オーブン料理を作りましょう。


 ベーコンは塩分と脂があまり強くないものを。

 まず厚手の鍋にオリーブオイルをしき、ベーコンに軽く焼き色をつけます。

 ……いい匂いですな。これだけで美味しくできてしまいそうですが、我慢です。

 焼き色のついたところで、パイナップル、八角、バニラとシナモンのスティックを入れて蓋をします。後はオーブンに入れて出来上がりを待つだけです。

 温度は百六十度から、百八十度といったところでしょう。

 一気に焼くのではなく、じわじわと火を通すのが肝心です。

 材料、やり方ともに簡単ですが、入れた素材がアクセントとなって、これが実に美味しいのですな。

 さて。

 昨日の今日ですから、お嬢様はお寝坊をされているはず。

 お昼においでになれそうですかな……?







 ――全然平気だったようですな。


「これがベーコンですか!?」

「うわ……味わいがまた全然違う……」

「焼いてパンに挟むしかしていなかったが……こんな食べ方があるのか……」

「美味しいですわねぇ……!」

「こっちについてるの、パイナップルなんですね!」


 パイナップルはお肉の大きさに対してほんの少しだけですから、各々のお皿に乗っているのも少量でございます。

 ここは私の店、『レテ』の二階にある個室。

 八人用のテーブルで食事をしていらっしゃるのは、お嬢様とそのお友達五人の六人です。

 ……あのお嬢様に、こんなに沢山のお友達が……!


「……爺や。何かいらないことを思っていないかしら?」


 いいえ滅相もございません。


「美味しいなぁ……。ところで爺やさん、パイナップルとお肉の関係って何かありましたっけ……柔らかくするとか?」

「残念ながら、今回のはアクセントですな。加熱する料理においては、肉を柔らかくする効果を発揮してくれないのですよ。未成熟なパイナップルの果汁に肉を漬け込むのであれば、多少の効果はあるやもしれませんが」

「成程」

「肉類の消化を助ける、ということですので、よくステーキの後のデザートに供させていただいたりしております」


 ふむ。クルト様は料理の研究に熱心なご様子。

 今も味わいながら色々と考えているようですな。

 ……おや? お嬢様も考え中のお顔ですな?


「お口にあいませんでしたかな?」

「え? まさか! そんなことはありませんわ!」


 そうですか。

 ですが、やはり、思案顔ですな?


「何かありましたかな?」

「……いえ」


 なんということでしょう。目をそっと逸らされてしまいました!

 どうやらまた秘匿の構えのご様子です。

 相変わらずですな、お嬢様。意地っ張りで頑固なのです。そこが実に可愛い。

 ――ゴホン。


「爺や特製ドリンクの出番ですかな?」

「……ホット?」

「もちろん、ホットでございます」


 察したお嬢様がちょっと笑われました。

 やはり、笑顔がよろしいですな。胸がキュンとします。


「ありがとう。でも、まだ大丈夫ですわ。……パーティーのことで少し考えていたのです」


 おや。ホットミルクの出番は無しのようですな。

 そしてパーティーのこと、でございますか……

 ……む。廊下に部下AとBの気配がします。

 扉の向こうで耳をそばだてるのはやめなさい。あなた方の戦場は一階ですぞ!


「爺や。お父様への手紙を預かっていただけますか?」

「もちろん、喜んでお引き受けいたします。お嬢様からのお手紙ですから、旦那様もお喜びになるでしょう」

「内容を見ても喜んでいただけるかどうか、不安ではありますが」


 お嬢様の苦笑は少しばかり自嘲めいておりますな。

 ……おっと。殺気は仕舞いましょう。そうしましょう。


「旦那様にご報告されるのですな?」

「ええ。黙っているのは逆に良くない事態を招きかねませんから。――爺やからは、お父様に何か……?」

「一応、毎日文は書いておりますので、それなりには」


 旦那様と文通しても楽しくは無いのですがなぁ……


「では、すでに公爵家は……」

「……殿下、大丈夫かなぁ……」


 エリク様とクルト様が顔を引きつらせておられますが、そういえば、お二方は以前、アリス様のお店の時に殿下と一緒におられましたな?

 む? 皆様、食事の手が止まってしまっておりますぞ?


「エリク様。まだ、殿下の事を庇われる、と?」

「クルト様?」


 ……これは怖い。

 女性陣は完全に殿下を敵視していらっしゃるようですな。ハラショー。


「殿下のなさりようは、確かに感心できん。……だが、道を誤ったのであれば、まずはそれを正させるべきだろう」

「レティシア様に対しては変だけど、それ以外では普通に良い方だったからね……目を覚まさせられるようなら、そうしたいよ。……勿論! ちゃんと落とし前はつけるべきだと思うけどね!?」

「罪は償うべきだと思っている!」


 友情の板挟み、ですかな。

 それにしても、女性陣の眼力が凄まじいですな。私も縮こまってしまいそうです。

 ……おや、お嬢様。

 なぜ私に曖昧な微笑みを向けられるのですかな?


「爺や。お父様から何か聞いていて?」

「いいえ。鳥便は夕方になりますからな。届くとして、今日の夕刻でございましょう」

「何かありましたら、私にも教えていただけるかしら?」

「勿論でございます。……ですが、お嬢様。お嬢様達はご自身の学業を第一にお考えくださいませ。それ以外の世俗の全ては、私が処理しておきますので」

「ですが、何かあれば学園内にも影響が出ますでしょう?」

「……確かに、大なり小なり出るでしょうな」

「では……」

「お嬢様」


 お呼びする時は、しっかりと目をあわせて。

 声は少しばかり力をこめて。

 お嬢様の目が少しばかり揺らぎましたが、動揺を表に出してはいけません。


「お嬢様を煩わせるものは、全てこの爺やが片づけてごらんにいれます。何があろうと、誰が相手であろうとです。ですからお嬢様は、些事に心惑わされることなく、今ご自身がなさなくてはならないことだけを見て、なさりたいようになさいませ。お家のことは、旦那様に任せておけばよいのです。お嬢様が今しっかりと向き合わなくてはならないのは、勝手に押し付けられ、勝手に破棄を宣言された婚約などというものの騒ぎではありません」

「…………」

「なにをしに、なにを学ぶために、この場所に来られたのですか。その身にある資質を、国の為に使うべきとお考えになったからこそ、この都市の門をくぐられたのではありませんでしたかな?」

「…………」

「あの日、お嬢様をお見送りしたのは、このような些事に関わらせるためではございません」

「……爺や」

「間違えてはなりませんぞ。ご自身が、何のためにここにいるのかを」


 政治や貴族間のいざこざを、この学園都市に持ち込むのはタブーなのです。

 それはこの学園都市が『何のために』『何を育成しているのか』を考えればお分かりになることでしょう。

 もしそれを疎かにするようなことになれば、学園そのものが黙っていません。

 ゆえに、これは決して(たが)えてはならないことなのです。


「貴族の義務が流れる血にあるのならば、資質の義務は高みに至らんとする心にあるのです。一度負うと決めたのであれば、最高のものを目指されませ。爺やは、お嬢様がそうあってくださると、信じております」

「爺や……」


 たおやかな手を両手で包むと、その華奢さが良く分かります。

 酷く身勝手なことを言っていると自覚しておりますが、お嬢様、私はお嬢様だからこそ期待しているのです。貴方であれば、きっと成し遂げてくださると。


「……分かりました。状況の把握は当事者の義務として行いますが、家のことはお父様にお任せし、私は学業に専念いたします」

「それがよろしいかと」

「ですが、何かありましたら、必ず報告をお願いしますね?」

「お嬢様でなくてはならないものがありましたら、必ず」


 ええ。勿論でございます。

 そしてお嬢様でなくてもよいものは、全て私が処理させていただきましょう。当然ですとも。


 しっかりと真顔で頷いた私に、お嬢様はようやくにっこりと微笑んでくださいました。

 ……その傍らでアリス様が何やら思案顔だったのが気になりますが。

 そろそろアリス様とも、一度、深く話し合ってみる必要があるやもしれませんな。






「ところで、爺や」

「? なんでございましょう?」


 お帰りの際、お嬢様は何かを言いかけ、しばらく迷ってから視線を彷徨わせました。

 ……おや?


「……いえ。何でもありません。……あら?」


 その目が店のカウンターに置かれたものに留まります。

 ――あ!!


「綺麗な花束ですわね。お店に飾るの?」

「え、ええ、左様にございます」


 見られてしまったのは薔薇の花束です。しかもそれはそれは美しい真っ赤な薔薇の花束です。周囲にあしらった霞草が印象を柔らかくしておりますがそれはともかく。


「綺麗ですわね! 爺やのお店にも花が増えるのですね」

「え、ええ、左様でございます」


 何故そこにそれがあるのですか!

 また来ますね、と笑顔でお嬢様が帰られるまで、背中の汗が止まりません。なんということでしょう。これほど焦ったのは久方ぶりです。


「「……支配人」」


 後ろの方で不満げな声が聞こえます。

 部下A&B!!

 出してきたのはあなた達ですか!


「あそこは男を見せる時ではありませんでしたか!?」

「なんのために朝一で買ってきたんですか!」

「あなた方が一丸となって「せめて花は贈るべき」と言い張ったからですね」


 私が自ら進んで買ってきたものではありませんな!


「けど、買ってきたのが真赤な薔薇な件」

「花の指定はしませんでしたよ私達」


 部下A&B!!


「これはプリザーブドフラワーにしておきますね~」

「次は渡してくださいよ!?」


 何故、私が命令されているのでしょう。


「花を渡すだけのことです。たったそれだけのことですよ支配人!」

「お誕生日に花を贈るのも今贈るのも一緒です! まずはそういう気持ちでいきましょう!」

「絶対に渡してくださいよ!? でなければ我々一同、ストライキを起こしますからね!?」


 この私が脅される立場になるとは……なにやら、感慨深いものもありますな。

 ええ、嬉しくはありませんが。

 しかし、お嬢様に花束を、ですか……

 私が。


 ……どんな顔で?


「…………」


 随分長いこと生きてきましたが、これほどの難題は、初めてのような気がいたしますな。






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