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超超弩級戦艦紀伊 ~暁の出撃~  作者: 生まれも育ちも痛い橋
ハワイ海戦
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本土攻撃

久しぶりです。

ミッドウェー海戦への布石回で説明オンリー。

時間がかかってしまってこの内容ですみません。

次回はちゃんと戦闘なので堪忍してつかぁさい・・・

1943年 2月24日 アメリカ西海岸 サンタバーバラ


カリフォルニア州の沿岸にある町、サンタバーバラは地中海性気候に属し、冬は比較的暖かく、夏は比較的涼しく一年を通して過ごしやすい気候である。

しかし、そんな気候とは裏腹にサンタバーバラの住人は震え上がっていた。

恐怖に、である。


開戦以来、アメリカ西海岸ではいつ日本軍が上陸して来るかと気が気でなかったためである。

開戦と同時にハワイが攻撃されたことに始まり、今までに西海岸沿岸で10隻もの商船が大破、もしくは撃沈されていたのだ。しかも中には住宅街の沖合僅か数キロのところで白昼市民が見ている目の前で貨物船が撃沈されるなど出来事が余計に市民の不安を煽っていた。

そしてこの日、伊17潜水艦によりサンタバーバラにあるエルウッド石油製油所が潜水艦による砲撃(この時代、潜水艦も大砲を装備していた)により被害を受けた。

この出来事は西海岸のみならず上陸を警戒していた軍やアメリカ政府に大きな動揺を与えた。

それはこの出来事から僅か1日後に起こった「ロサンゼルスの戦い」と呼ばれる一連の出来事からもその混乱ぶりがうかがい知れる。

もちろん、アメリカ軍も黙って手をこまねいていたわけではない。

この事件より前からアメリカ国民の士気を何とか高めようと模索をしていた。


遡ること同年1月31日

海軍作戦部作戦参謀であったフランシス・S・ロー海軍大佐は双発爆撃機を空母から発艦させるプランを思いつき、航空作戦参謀ドナルド・B・ダンカン海軍大佐に報告した。

翌日、B-25を空母「ホーネット」はら発艦させる事に成功、その後空母からB-25を発艦させて日本本土を攻撃し、同盟国基地に着陸するという方向で計画が立てられていった。いわゆる、ドゥーリットル爆撃だ。

しかし、ここで問題が起こる。


爆撃後の問題だ。


史実では一部を除いたほとんどの機は中国領内に逃げ込んだが、この世界では中国はほとんど日本軍に掌握されているためそれが出来ないのであった。

ソ連に逃げるという手もあったがソ連は日ソ中立条約を理由に拒否。

海上に不時着した乗組員だけを回収する案もあったが、それは艦隊が日本近海に留まる事を意味し、B-25の航続距離や尾行されて艦隊が発見され、攻撃を受けるリスクが非常に高かったために却下された。

よって、有効な案が出ないまま時間だけが過ぎ、結局日本本土攻撃は立ち消えとなったのであった。



その後も日本の快進撃は続き、ラバウルやシンガポールといった主要基地が次々と日本の手に落ちた。

米海軍は戦艦部隊が壊滅したことや戦力差から機動部隊によるゲリラ的な攻勢がせいぜいであった。

しかし、段々と勢いは衰えていく。

MO作戦において珊瑚礁沖海戦で空母が負傷して無力化し、これ以上の侵攻は困難とされ撤退しオーストラリア方面の攻勢が止まってしまったのだ。

戦線が拡大し哨戒が不徹底なためいつ何処に奇襲を受けるかと海軍上層部は戦々恐々としていた。

そんな中、黒島亀人連合艦隊先任参謀を中心としたハワイ攻略作戦が提案された。

開戦と同時に敵の戦艦部隊と空母「サラトガ」、ハワイ基地を壊滅させていたため十分勝気があるとされ、山本長官など上層部はこの案に大いに賛同し作戦の実行を急がせた。

しかし、MO作戦部隊は珊瑚礁沖海戦での空母の負傷が、南雲艦隊は度重なる熟練パイロットや艦の乗組員の転属、休む暇も無い出撃による疲労の蓄積により練度が低下していた。

その惨状を南雲艦隊参謀長の草鹿龍之介少将が訴えると、作戦は延長されることとなった。

失敗したとはいえ、珊瑚礁沖海戦で敵空母数隻を撃沈もしくは大破させ米海軍は太平洋への戦力がほとんどないのと、米軍が新型空母を戦線に投入させるのはまだ先であり、現在の米海軍の空母戦力ではもし何処かしらに奇襲を受けても被害は軽微で済むだろうということから自軍の戦力の回復が最優先とされたからであった。

こうして日本軍は空母の修理が完了し、再訓練が終わる8月一杯までは空母乗組員やパイロットの休息と訓練が行われることとなった。



来たる1943年 9月3日 明け方

司令官を南雲中将から空母同士の戦闘の経験があり、空母機動部隊の父と呼ばれる小澤中将へと変えた「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」を中核とした機動部隊と、戦艦等の水上戦力が主体の主力部隊、島の攻略を主目的とする攻略部隊に別れ、呉を抜錨したのであった。

主力部隊の中には、訓練を終えて初の実戦へとその身で波を掻き分け進み、ともすれば沿岸にいた漁船が転覆しそうになるほどの艦首波を生じさせる艦の姿があった。


紀伊型戦艦一番艦、「紀伊」が暁の海を静かに進む。


次回は新生小澤艦隊VS米海軍機動部隊

番外編として「超超弩級戦艦紀伊外伝~狼の涙~」もよろしくお願いいたします。

真珠湾作戦のもう一つの戦闘やMO作戦の詳細を載せていくつもりです。

関係ないけど艦これの冬イベ甲クリアしました。

ラスダンに詰まって詰まって6万あった弾薬がラスダンだけで4ケタになるってどういうことなの・・・。

休日一日ラスダンで潰れました。


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