風立つ時
空母『赤城』にエンタープライズ隊から分散した急降下爆撃隊が襲いかかった。被弾は全部で三発、艦体の前、中、後部にほぼ均等に命中させた見事なものだった。だが甲板に爆弾や魚雷が剥き出しに出されている訳ではなく、格納庫も殆ど空だったので大事には至らないと思われた。
しかし、『赤城』はここで運命に見放される。
戦後の研究によりこの時小沢艦隊が位置していた地点は、ちょうど9ヶ月前に『赤城』達により空母『ヨークタウン』と『ホーネット』が沈没した場所であると判明した。
前、中部に命中した爆弾は飛行甲板を貫通し格納庫内部で炸裂した。しかし周辺に艦載機は無く、弾薬庫や航空燃料にも被害が及ばず、爆発は自らが入ってきた上部に集中し、小規模な火災の発生と飛行甲板を多少捲り上げるだけだった。
後部の一発が、『赤城』の運命を決定付けた。本来なら他の箇所同様の被害だった筈なのだが、そこには発艦ができず、魚雷を付けたまま放置されている天山が居た。
爆弾は一機の天山の右翼を貫き炸裂する。貫いた際に漏れたガソリンは、事態を悪化させる材料でしかない。運の悪い事に、換装の準備の為に用意された800キロ爆弾が付近に転がっていた。
連鎖的な爆発は先ず格納庫上部に達し、逃げ道を求めて後部エレベーターを艦橋程高く吹き飛ばし、右舷後方の支柱をへし折って海面に没する。それだけではあきたらず、爆弾が突入した穿孔から格納庫後部の端にかけて圧力が集中したために、広範囲で飛行甲板が捲り上がる。ささくれ立ち傷だらけの『赤城』は、最早空母としての機能は望むべくも無い。もうもうと立ち上らせている黒煙はそれを告げる狼煙のようであった。
そのような状況の『赤城』と未だほぼ無傷の『飛龍』、狩人が傷付いた大きな獲物を狙うのは当然の運びであった。後から飛来する敵機の殆どは『赤城』に狙いを付ける。急降下爆撃機は脅威となる対空砲台であり、狙いの付けやすい戦艦『比叡』と『霧島』も狙う。数機を撃墜するが両艦とも数発被弾し、戦闘航海に支障こそ無かったが増設したばかりの対空火力は大きく削られた。
そして零戦の迎撃を掻いくぐった雷撃機が、空いた防空網の隙を突いて『赤城』に殺到する。
災難に見舞われていたのは日本軍だけでは無かった。ハルゼー率いる任務部隊は、空母『ワスプ』はついさっき総員退艦が発せられ、ボルチモア級重巡洋艦『キャンベラ』が急降下爆撃により火災が発生、中破していた。
ハルゼーの任務部隊の防空戦は、小沢艦隊のそれとは違っていた。低空での運動性に優れた零戦は雷撃隊を守りきり、米艦隊の輪形陣の内側に全機が侵入できた。だが圧倒的な対空砲火の前に二機が撃墜され、投雷に成功したのは四機。
それでも『ワスプ』には左舷に三本が命中し、浸水。もともと条約で余った枠の制限ギリギリで建造したために水雷防御はほとんど無く、ダメージコントロールの甲斐なく放棄が決定。空母『エンタープライズ』は一発の爆弾を食らった、が消火作業のために若干の速度低下を招いているだけで甲板の応急修理が終われば十分な戦力となる。
「潜水艦と合わせて敵空母は二隻撃沈、一隻大破か」
旗艦の露天艦橋から双眼鏡を覗き、辺りを見渡す。後方では『ワスプ』で救助活動が続いている。中破した『キャンベラ』は輪形陣の内側に守られながら付近の駆逐艦と協力して消火作業に勤しんでいる。火は順調に消し止められており、消火の目処は立っている。
敵機の多くは引き下がり、戦闘機同士の小競り合いこそあるが、先程と比べると静かなものだ。
ハルゼーはブルの名に相応しい闘志を滾らせる。時間は掛かったが、パールハーバーの敵討ちが成功しつつあるのだ。今や二隻は海の底に、もう一隻も間もなく同じ道を辿る。
「ハルゼー司令、第二次攻撃の用意は如何なされますか?」
「気が早いな。勿論、出来るだけ直ぐに取り掛かるように。今なら日没までに帰って来られるだろう」
空母こそ『ワスプ』がやられたが、『エンタープライズ』はしばらくすれば飛行甲板が使えるようになるし、『インディペンデンス』は無傷だ。時間は攻撃隊を収容してからでも十分にある。
万が一それで沈み切らなくとも、他にも手はある。
ハルゼーは狐でも狩りに行くような気持ちでいたが、数分後に思惑は裏切られることとなる。
進行方向にレーダーが編隊を映し出した。これほど早く攻撃隊が帰投する訳がないので、当然敵機の来襲と判断、残っている迎撃機に連絡する。
だが、間が悪かった。
多くのF6Fは零戦との大規模戦闘が終結し、警戒の為に高度を上げ始めたか、燃料や弾薬を使い尽くして着艦許可を求めているところだった。
そして敵機は、ヘルキャットの警戒が薄い高空から侵入してきた。
ヘルキャットの上昇力をしても、間に合わない。数機は同じ高度に追い付くが、緩降下を続けて速度の乗った敵機には追い付けない。彼等が出来たのは詳細な機数や機種を報告するのに留まった。
対空砲の射程圏内に入り、多数の砲火が上がる。だが高速で接近する敵機を捉えるのは難しく、何とか至近弾を浴びせるのに止まる。
優秀な対空火力を持つ米機動部隊だったが、その中核となる重巡洋艦の一隻が消火作業の真っ最中であり、その補助や『ワスプ』の救助活動に駆逐艦が割かれて一時的に守りが弱くなっていた。
『赤城』彗星爆撃隊は端から見れば天佑とでも言われる状況で突入していた。だがこの状況は、事前にこれを見越していた山口多聞の助言、決死の戦いを繰り広げチャンスを作った『飛龍』攻撃隊のお陰であることを隊員達は知っていた。
彗星は八機しかいないのを更に四機ずつに分けて進撃する。勿論、対空砲火で全機落とされるかもしれない戦力の分散である。それでも無傷の空母が『飛龍』ただ一隻なのだから、勝つための賭けだ。そしてその賭けはある意味半分は当たる。
『エンタープライズ』に向かった四機は三機が、『インディペンデンス』に向かった四機は二機が撃墜される。それでも良かった、もとより生存なんて考えちゃいない。
『エンタープライズ』へ投弾に成功した一機は乗員が投下レバーを押した直後に機銃弾に撃たれ絶命、『エンタープライズ』の左舷後方でバラバラになった。それよりも早く、爆弾は『エンタープライズ』の前部飛行甲板に命中する。
この被害は『エンタープライズ』自体にはこれといった被害をもたらすものではない。だが修理の時間が長引き次の攻撃のスケジュールを狂わすのには十分だった。
『インディペンデンス』はより深刻だ。一発は至近弾として若干の浸水を引き起こす。一発は後部に着弾、火災が発生する。米軍のダメージコントロール能力をもってすれば何ともなかっただろう。
しかし、投弾した一機が艦橋に突入したため艦橋要員が多数の死傷者がでたのもあり、初期消火に失敗し大火災が発生する。火災は数時間で鎮火されたが、航空機の発着が不可能なのは目に取れる。少なくとも入渠して修理しなければ空母としての能力は取り戻せないだろう。
ハルゼーは二隻が被弾しその被害を聞いた後、握り拳を膝に叩きつけ攻撃隊の収容に全力を注ぐように命じた。だが『エンタープライズ』の修理が完了する前に敵の第二波攻撃が接近、零戦十機、天山五機、彗星七機。この時点で攻撃隊は愚か直援の戦闘機すら収容が終わってないので、敵戦闘機隊は第一波よりも少ないのにもかかわらず弾薬切れといった要因で戦闘に寄与出来たヘルキャットは少ない。
それでも、先程とは違いある程度の敵機は撃墜した。弾薬切れの戦闘機も積極的に空戦に参加し零戦を絡めとる。そうして一部の零戦を引き離しているうちに天山や彗星を撃ち落とした。
艦隊に到達したのは天山三機、彗星四機。攻撃隊は輪形陣で守られた空母を狙うのは困難を極め、全滅と引き換えの戦果は重巡洋艦『サンフランシスコ』の大破だった。
この戦闘によって更に『エンタープライズ』の修理時間は延びた。やがて攻撃隊が帰ってくるが、着艦する事は叶わない。応急処置でやっと着艦が可能になり、無事着艦出来たのは延べ100機、損傷が酷く着艦次第海に投棄されたのは22機、戦力となるのは78機だった。
その内訳は戦闘機36、爆撃機26、攻撃機16である。他にもたどり着いた機は何機もいたが、いずれも力尽きたり燃料が切れて不時着水したり着艦に失敗していた。
ハルゼーは残存機の最終報告を聞き、一部の艦とその護衛の駆逐艦を下がらせた後に命令を下す。
「全艦、モンキーハンティングだ、ジャップを叩きのめせ!」
軽巡洋艦『長良』が横付けして小沢司令以下幕僚を移送してから2時間。開戦から一年半もの間中核戦力として、西に東に戦場を生きた『赤城』。
彼女は懸命に生きようとしがみついた。もがいて、もがいて、それでも、尽きた。
それは『加賀』の終焉を思い出させるものであった。被雷により速度が遅くなり、艦隊から遅れ始める。空襲の合間を縫って随伴に残った駆逐艦が後部で発生した火災の鎮火や排水の補助を試みるが、次々と襲い掛かる敵機の大群の前には虚しい努力だ。
そして、回避しようとしてスクリューに命中させてしまった雷撃が致命傷となる。
数万馬力が伝わる歪んだスクリュー軸が周囲の構造物や生物を破壊し、自壊する。そこからの浸水は、ただでさえダメージコントロールの低い大日本帝国海軍の艦艇にとって限界を超えたものだ。
それを皮切りに急降下爆撃、雷撃、急降下爆撃、雷撃、絶え間なく続くかに思われた破壊はいつしか終わりを迎えた。その身を母なる大海のベールに包むことによって。
山口は攻撃隊が帰り次第、追撃に薄暮攻撃をするつもりであった。最早帰ってきた『赤城』の艦載機と合わせても『飛龍』の定数を満たすかどうかだった。それでも、通信によると敵空母は全て撃沈ないし撃破したようだった。ここで追撃すれば確実に全空母を撃沈できるはず、しかし山口にはそれを思い留まらせる知らせが舞い込む。
「作業中止!退避急げ!」
ミッドウェー島では引き揚げ作業が続いていた。だが空からの刺客により中断を余儀なくされる。
ハワイから飛来したB-17爆撃機は停泊していた輸送船を沈めるべく進撃する。当然その可能性を見越していた艦隊は、既に上げていたのに加えて『瑞鳳』から零戦を追加で発艦させる。
パイロット達が駆け出し、来襲してきた敵機の迎撃に向かう。そのうちの一人は、割り当てられた漂流してきた機体を駆って迎撃に向かう。駆け寄って気付いた、あるはずの機体が見当たらない。
ふと違和感を感じて振り返る。空襲のサイレンと上空の敵味方の乱舞に紛れて地上から聞き慣れないエンジン音が聞こえる。その方向を見ると、自分が乗るはずだった機体が滑走路に向かっているではないか。
近くにいた整備士をパイロットは恐ろしい剣幕で呼び止める。
「おい、あの機体に乗っているのは誰だ!」
叫ばれた整備士は身を縮こまらせる。
「か、菅野大尉です!」
そう言われたパイロットは顔を真っ赤にしながら菅野の乗る機体に向かって叫ぶ。
「こんの馬鹿野郎!」
その叫びを横目に、尋ねられた整備士は内心で冷や汗を流しながら羊羹を二つポケットに突っ込んだ。
烈風を頼む。菅野はその言葉を上の階級の人間からの命令と捉え従ったということにでもしようと算段をつけて未知の機体に乗り込んだ。
滑走路に向かいながら計器の確認、フラップやラダーなどの動作確認をしてしまう。今後ろで騒いでいる奴がお偉いさんに言いつける前に飛んじまえば何とでもなる。
問題はこの穴ぼこ滑走路から整備士に賄賂を掴ませ燃料弾薬満タンにした機体を飛ばすかだ。元々は燃料ギリギリで飛び立ち空母に着艦するはずたった。幸い風は向かい風だが、艦攻ほどもあるこの機体が飛ぶのだろうか。まあここまで来たらやるしかない、むしろこの最新の機体をいち早く乗りこなしてみせる。
普通の人間であれば若気の至りと呼ばれる行為だったかもしれない。彼、菅野直にとりそれはある意味では正解である。だが彼自身の戦闘機パイロットとしての本能と才能とがそうさせたものであり、それに見合った技術と物事への理解力が彼の無茶苦茶さをカバーしていた。
フラップを目一杯出し、スロットルを押し込む。機体は斜め上を向いているため菅野の目の前には雑多な青空が写るが、滑走路は短く先は爆弾によって穿たれた穴ぼこが各所に空いている。
そんな事はお構いなしにみるみる機体は加速を続ける。手際良く操作するがそれでも重い機体には滑走路は十分な長さではなかった。
やがて滑走路の左側が抉れた所まで達する。このままでは主脚が引っかかり転倒する。スピードが乗り機体を水平に保った菅野はラダーペダルを踏んで機体を僅かに右に向け、その後すぐ左に、と言うより直進方向に修正する。
その一瞬の所作で機体は穴を飛び越える。少しでも操を間違えれば穴に引っかかるかバランスを崩して横転してしまうが、菅野は速度を落とさずやり遂げた。
次の穴が迫るが、もう菅野にとって関係なかった。穴に到達するかという所で操縦桿を引き、機体は重力に反してゆったりと浮き上がった。
騒ぎを聞きつけた太田実が滑走路の方を向いた時には、機体は離陸を始めていた。
「あの馬鹿、無線で呼び戻しますか?」
そう尋ねられた太田は首を横に振る。
「飛んでしまった物は仕方がない。何とか誘導してやれ」
そう答えた太田は悠々と上昇していく菅野を見つめて
「やってくれるな、あの大馬鹿野郎」
口の端を僅かに吊り上げ笑っていた。
烈しい風が、横をかすめていく。




