ルーズベルトの憂鬱 山本五十六の憂鬱
戦いとかは一切ない、前置きの様な話です。
1941年 1月
連合艦隊指令長官である山本五十六は大きな心労を抱えていた。
「どうしたものか……」
というのも、軍会議でいよいよアメリカに喧嘩を売ることが濃厚になってきたからだ。
山本五十六始め、米内光政なども反対していつが、結局は対米戦仕方なしという結論に至ろうとしている。
山本五十六は、以前アメリカに滞在していたことがあり、アメリカの驚異的な工業力を目にしていて、今の日本では勝てないと認識していた。
今日本は、対米戦を日露戦争の様に本土に来るまでに航空機や潜水艦で漸減し、地理的に有利な日本近海で決戦に持ち込もうという作戦を目指している。しかし、山本はその方法だとアメリカ工業力からしてこちらが減らしても向こうの生産力が圧倒的過ぎて、どうやっても負けると考えている。また、こういうことをするということは、南洋のトラックなどの重要な基地を敵の手に渡す可能性があるということを意味し、そこに要塞を建てるなりそこを起点に様々な方向から攻撃される可能性がある。
日本海海戦ですら運良く仮設巡洋艦「信濃丸」が敵艦隊を発見して直ぐに艦隊が派遣出来たが、今度もそのような幸運があるとは限らない。
更に、当事と違い、今は航空機というものがある。航空機は軍艦より圧倒的に優速でより奥地を攻撃できる。将来訪れるであろう航空機の時代に対応できないと考えていた。
もしアメリカと戦うのであれば、ドイツが行ったような電撃的な作戦が必要である。
例えば、敵艦隊が停泊する軍港を開戦と同時に奇襲するとか。
「オアフを叩けんかのぅ……」
ポツリと、山本はそう口から漏らした。
1941年 8月
アメリカ大統領のルーズベルトもまた、非常に大きな心労を抱えていた。
「今日もこんなのばかりか…」
今、大統領は机の上の大量の紙の束…国民からの手紙の山に埋もれて参っていた。
しかもそれは一部でしかなく、乗り切らない分が別室に溢れていた。その内容は、ヨーロッパやアジアに介入するべきではない。戦争反対といったものだった。
ホワイトハウスの前では大規模なデモ行進が行われていた。いや、ホワイトハウスだけではない。ニューヨーク、サンフランシスコ、ボストン、ロサンゼルスなど、全米各地で発生していた。その内容は何れも戦争反対を謳うものであった。
中には暴徒化して、軍隊が鎮圧する騒ぎになる所もあった。
大統領が対ナチス戦、対日石油輸出禁止を匂わせてから、新聞社がナチスに関するあること無いことを書き立て、国民の恐怖心を高めた。それから、様々な噂が囁かれた。噂が噂を呼び、冷静に考えればあり得ないことまで囁かれるようになる。
ナチスはアメリカが動いたら、無人で飛行する爆弾を全米に雨あられのように降らせる。
石油輸出禁止にしたら、暴走した野蛮な日本人がアメリカになりふり構わず無差別に攻撃をするかもしれない。
もし二正面戦争をしたら、若い働き手がいなくなるかもしれない。
そればかりか、国中の男がいなくなるかもしれない。
そういった噂が原因で全米で反戦デモが発生した。
それにより、全米のほとんどの軍需工場や造船所がストライキなどにより生産が滞り、兵器の技術者が襲撃を受けたりして、兵器の開発が大幅に遅れる事となった。
議会でも、連日のように対ナチス参戦や対日石油輸出禁止に関して大論争が繰り広げられていた。軍の予算も承認が遅れたり、変更が相次ぐ。
この騒動が沈静化したのは、ナチスによるユダヤ人の大虐殺などが大々的に報道され始めた翌年の春の終わりの頃であった。
この一連の騒動がナチスの諜報活動によって煽動され、引き起こされたと国民が知ったのは、戦後になってからであった。
ここでこの世界の1941年までの国際情勢を簡単に説明しよう。
ナチスドイツは1939年にポーランド侵攻、占領をし、その後フランス侵攻、完全に手中に納める事に成功した。バトルオブブリテンが発生し、激しい戦いとなった。
戦線は北アフリカにも及び、遂にはドイツによるバルバロッサ作戦により独ソ戦が発生した。
……と、欧州は我々の知る史実通りに事が進んでいっているが、アジアは違っていた。
まず、先程の米国内での混乱により、中国国民党軍に武器や物資等が支援できなくなった。
これにより、国民党軍は戦力が大幅に低下、組織的抵抗が維持できなくなり、残党が奥地の村を襲撃して食糧等を奪い、なんとかゲリラ的に抵抗している有り様で実質的に中国の支配権はほとんど日本の物になっていた。
共産党軍も、敗走に敗走を重ね、同じ共産主義であるソ連に逃げ込んでいた。
イギリスも、アメリカからのレンドリースの滞り、熾烈を極めているUーボートによる襲撃で物質不足に陥り、中国など構っている余裕がない。
対日石油輸出禁止も、前述したように米国民の強い反対により未だ実行できないでいた。
これにより、対米戦確実と言われていた日本は、対米戦までに戦力差を埋める時間的猶予が出来たと判断。下手に刺激して米国世論を好戦的にしないためもあり、1941年の終わりに開戦しようとしていたのを思い止まり、情勢を見つつ技術発展、軍艦の製造等に全力を注ぐ事を決意した。
そして1942年の夏、米国による対日石油輸出禁止令が発令され、日本は本来予定していた日付より1年遅い、1942年 12月8日に米英を中心とした連合国に対して宣戦布告をすることに決定した。
1942年 8月
山本は真珠湾奇襲作戦の改良を考えていた。日本の技術が飛躍的とまではいかないが進歩し、アメリカの技術発展が想像以上に遅れているようなので、作戦を少し修正する必要が出てきたと考えたからだ。当初、この無謀な作戦を建てたのは開戦早々に敵主力艦隊を壊滅させ、その後電撃的に太平洋の島々に侵攻し、こちらが圧倒的に有利な立場に立ち、米国内の世論を講和の方に持っていき、こちらの有利な条件で講和するという流れの短期決戦に持ち込もうとしたからだ。 ・・・表向きには。
実際は、開戦早々の真珠湾奇襲に失敗し、逆にこちらの主力空母が沈み、こちらの戦意を喪失させて被害の少ない内に講和しようという思惑が山本にはあった。
しかし、米国内での混乱、日本の技術躍進により、その表向きの考えの実現が現実味を帯びて来たため、確実性を高めるために作戦を修正することにしたのだ。
「空母はやはり六隻か。隼鷹型は速力が足りないし、防御も弱い。いざというときに困る。祥鳳型だと船体が小さく、波の荒い北太平洋に長距離の外洋遠征に出すのは不安だ。かといって、大鳳型や雲龍型の完成を待つ余裕もない・・・」
山本は悩んでいた。彼は航空兵装主義者で、日本軍の中でも航空機の実力はよくわかっていた。しかし、よくわかっているからこそその問題点もわかっていた。
「やはり打撃力が足りない。航空機は進化したが、空母が増やせない以上一度の攻撃には限度がある」
「長官、どうですかね」
振り向くと、連合艦隊参謀長の福留繁がいた。
彼は根っからの大鑑巨砲主義者であり、山本が合同演習の際、
「あれ(航空機)でハワイをやれないかね」
と呟いた際に、傍にいた福留は、
「それよりは艦隊全部を押し出しての決戦の方がいいと思います」
と言った人物である。
「君か、いやどうもハワイに関して詰まっていてな」
「やはり戦艦を全部出して決戦を仕掛け、雌雄を決した方がいいと思います」
「バカな事はよしてくれよ。ハワイまでわざわざいって戦艦で仕掛けるなんて、この作戦より余程無謀過ぎる」
ははは、と福留が笑う。
その顔にはどこか余裕の様な物が見てとれた。
「まあ長官はそう言うと思いましたよ。そこで長官、一つ面白い事を考えついたので提案に来たのですが」
そう言って、福留は書類を山本に手渡した。
「ほう、読ませて貰おう」
そう言って、山本は書類に目を通した。
「・・・これは難しいな。確かに今私が憂慮している事をこの作戦なら封じることができるだろう。しかし、新鋭戦艦を、しかも二隻。これ程危険な作戦に出すことは難しいな…」
「しかし、やはり敵の基地を徹底的に叩くのであれば戦艦が一番強力且つ確実でしょう」
「金剛型では駄目なのかね?」
「金剛型ですと速力は優秀ですが、打撃力、防御力に不安が残ります。航空機の攻撃ですと敵艦隊や施設を完全に封じられるとはとても思えません。だから急な襲撃を受けても物ともしない、この二隻の戦艦にまかせるのです。速力も、金剛型には劣るとはいえそれに次ぐ速さです」
「それほどの力をこの戦艦は発揮できるのかね?」
「設計を務めた技師の一人の牧野さんに会って聞きました。魚雷の2、3本程度なら戦闘航行に全く支障はなく、10本以上当ててようやく戦闘能力に支障が出始めるそうです。更に、現在この後継艦を建造中で、その戦艦のための実戦テストにもなります。何でも、計画では50本の魚雷にも耐えられる不沈艦だそうです」
「不沈艦か」
「そうです。これならば、米軍恐れるに足らず、です」
「ふむ、まあ良い。君の案を取り入れてみよう」
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼します」
そう言って福留は出ていった。
この時、山本は福留の思惑とはべつのことを考えていた。
福留の提案こそ、過去の栄光に取り付かれた大艦巨砲主義者共の目を覚ます事が出来る
そう山本は確信していた。
山本は立ち上がり、窓際まで歩いていく。
空にまるで戦艦の艦橋の如く堆く、荘厳に積み重ねられた入道雲を目にしながら、呟く。
「不沈艦なぞ、ありはしない」
次回はいよいよ真珠湾攻撃。史実とは一味違う日本軍の活躍にご期待ください