激闘の孤島
花粉症つらい
1944年 4月10日 水無月島
僅かな雲が広がる青空
チカチカと陽光に照らされダイヤモンドの様に輝くコバルトブルーの大海
唯々広大に全てを包む青、蒼、碧
しかしその場にいる人間にはうっとり見とれている暇など無い。
今日も今日とて米軍のお届け物が配達されてきているのだ。
B-17はいつもの様に爆弾を落として何かしら吹き飛ばしていく。
もちろん零戦が迎撃に向かうのだが、とても全機は落とせない。
厄介者が過ぎ去った後はもはや慣れた手つきで復旧を進めていく。
「ったく、こうも毎日毎日やられたんじゃキリがないぜ」
復旧作業をする設営兵の一人がスコップを抱えて愚痴をこぼす。
「今日の奴はなかなか上手いな、滑走路ど真ん中にちゃんとでかいのを当ててらぁ。前みたいに手作業だったら1日掛かっても直らねえな」
そばにいた別の設営兵が腕を組んで大穴が空いた滑走路を見ながら感心したように話す。
「アメさんの置き土産が無かったら今頃は飛行機はあるのに飛ばせないって状況になってたかもしれないな」
「俺が以前いたフィリピンにもこいつがあればもっと作業が楽だったのに」
その背後から轟轟とけたたましい唸りが聞こえてくる。
陸軍一木支隊隊長 一木清直、海軍第二連合特別陸戦隊司令官 大田実と双方の主計長は米軍が以前使っていた要塞の奥で帳簿を前ににらめっこをしている。そして四人同時に溜め息をつく。
「これではこの島はひと月持つかどうかだな」
一木が沈痛な面持ちで呟く。
「燃料、食料、弾薬は大分消耗していて水は雨水を溜めていたのもあってまだ余裕があると。戦闘機の消耗が激しいのが一番の課題だな」
大田も丸い顔を歪めて言う。
「無理もない、ただでさえウェーク島からここまで零戦を回送するのに損失が出てしまう事があるんだ、途中に何もない片道2000kmの道のりは少々厳しい。道に迷ったりエンジントラブルでも起こった日にはまず助からん。おまけに陸さんは洋上航法の出来る者がほとんどいないからここまで来れず、そもそも最初からここの防衛戦力になれない」
米軍のB-17は大体毎日 (クリスマスを除く)殆ど同じ機数来る。
それが出来るのはハワイ基地が復旧困難とは言え腐っても重要根拠地であり、そして多くの航空機が本土から直接回送出来てしまう。
元々の物量差に加えてここ数ヵ月で基地能力にも大きな差が出来、以前はハワイを爆撃する事も出来たが今は防衛ですら困難に成りつつある。
「海軍さんの方のお偉方はなんと言っているか?」
「輸送船が来週には来るはずだから物質に関してはそれまで辛抱しろ、とのことだ。だが期待はしていない」
「もっともだな、先月も途中でこちらに来るはずだった輸送船団が敵潜水艦によって壊滅しているしな」
ここ最近の米軍の通商破壊活動は苛烈を極めていた。以前は少なくとも半分はここまでたどり着いていたのに、最近はそれこそ湾に入る直前、目の前で撃沈され全滅するなどして被害は悪化の一途を辿っている。
「なんとかならないのか、護衛は回して貰えないのか?」
「ただでさえガダルカナルへの鼠輸送で手一杯なのにこちらまで回す余裕はないんだろう。あとひと月でここは死の島になるな」
一木は大きくため息をつく。
そこには苛立ちや怒りよりも、諦めの雰囲気が立ち込めている。
その後も何の解決策も見いだせないまま解散した。
大田は既にとっぷり暮れた夜空の下、司令部の建物から西にある方の砂浜に向かって歩く。
少し歩くと、よく腰掛ける手頃な大きい石に腰掛ける。この半年で散っていった兵士の命は決して少ない物ではない、だがこの石は関係無いとばかりに自分たちが上陸してきた当初からさもここの主である、とでも言いたげにこの場に佇んでいる。そしてそれは幾度の米軍機の爆撃にもびくともしてこなかった。
そのどこか図太くふてぶてしく、そして米軍の猛攻に関わらずその身を留めている姿に愛着の様なものが沸いてきていた。
失礼するよ、と小さく呟きどっかり石に腰をおろす。
もしこの石に人格があるなら、「また来やがったよこのおっさん」と憮然とした表情を浮かべているだろう。
ここに座って見ることの出来る夜空もまた良いものだ。
満天の星空が広がり、水平線の先は空との境界は海面に星が反射しているのもあって曖昧だ。
こればかりはここに勤めているものの特権だな、と思う。
胸元のポケットをまさぐりマッチを取り出す。
もうあと僅かしか残っていない煙草に火を付ける。
辺りは波と風の音のみの穏やかさ・・・ という訳にもいかず、夜を徹して施設の復旧に励む設営隊の作業する音や搭乗員のバカ騒ぎの喧騒が、恐らくは遮るもののない海の向こうまで響き渡っているのだろう。
だが今はそれがある意味心地よかった。
夜はこれまで米軍機がやってきたことがなかった。夜の飛行が危険だからか、ただ単純に休みたいからなのかはわからない。
だから防空の指揮をとったり被害の状況に頭を抱えたりする昼間よりは良い。
なにより生きている者の喧騒が聞こえるというのは何となく安心すらする。
一瞬だが遠い海の向こうにはセンチメンタルな感情を抱いてしまう。
海の向こうには祖国が待っている。
残してきた家族は無事だろうか。
そんな月並みの情が頭を過るが、すぐに「今」の事に脳は思考を始める。
厳しいとはいえ、まだまだ搭乗員の士気は高い。
酒も煙草等の嗜好品もそれほど残ってはいない、が今はまだ食料が十分にあるお陰だろうか。
話によると、ガダルカナルは敵も味方も飢えや病気が蔓延していてこの世の地獄という有り様らしい。
それを知ってか知らずか今の環境に文句を垂れる者はいない。
時々女を抱きたいだの酒の席で宣う者はいるが・・・
それでも、皆それぞれの職務を全うしてよく頑張ってくれている。おまけに長く一緒に戦っているためか陸海でお互い助け合う事さえしている。
「おいテメエ! 今なんつった!?」
「下手くそと言ったんだ青二才のガキが!」
それだけに仲間内での争い事は勘弁願いたいものだ。
罵声のする方に顔を巡らせる、どうやら兵舎の隣にある食堂 (酒保もあるので時間帯によっては酒場とも化す)から聞こえているようだ。しかもよりによって海軍の方のだ。
「まったく、人がくつろいでいるときに」
大田はそうぼやきながらも食堂に向かう。
ここでの責任者として、上官の務めとして赴くがなによりここでは兵の一人ひとりが大事な戦力だ。さらにこういった喧嘩をよくする頭に血が上りやすい奴はパイロットが多い。パイロットは今のこの局面においては特に重要な戦力だ、猶更止めなければならない。
簡易的な施設のため扉ではなく暖簾が外との仕切りとなっている食堂に入る。中には大きな長机がいくつかあるが、向かって右側で人だかりができている。
「お前ら!何をやっておるか!!」
大田が一喝するとサッと人の山が分かれ、バツの悪そうな顔をしてギャラリーだった者たちは蜘蛛の子を散らすように去っていく。
人だかりの中心では未だ二人の男がそれぞれの顔に青痣を作ってはいるがなんともないようにファイティングポーズをとったままその場でじっと睨みあっている。
「そこに直れ!!」
大田は百夜の王の猛虎の如き眼で両者を見据える。
「お前ら!この時勢に何をしとるかぁ!」
大田の喝で渋々、といった感じに二人は姿勢を正して並ぶ。
「お前たちは戦闘機の搭乗員と見えるが、皆が大変な思いをしているのにお前らは敵が上陸してきた際の肉弾戦の訓練か?」
皮肉を込めて大田が語り掛ける。
「違います大田司令。私はこの小童に先輩として教えを説いていたのです」
二人のうち三十代半ば辺りの男がいう。
もう一人の二十代前半と思われる若い男が何か言おうとするが、それを静止して大田が問う。
「ほう、どのようなことだ?」
「この小童の戦い方が危なっかしかったので注意したのです」
「はん、手前にはそう見えるだけで敵を落とすにはあれが一番だ。長いこと飛んでいるくせにそんなこともわからねえのか?」
若い男は臆せず食いついてくる。それにそこそこの酒を飲んでいたようで少し酒臭い。
「ったく、このデストロイヤーめ!」
再び一触即発になりそうな二人をまあまあと大田がなだめる。
「こいつは君の隊の者か?」
「いえ、別の隊の者です」
「ならこの男の隊長にそれを伝えてなんとかしてもらうように言うのがよかろう。ここでどうこう言った所で明日も米軍の爆撃機は来るんだ、こんなことに体を使わず陛下の為祖国の為に体を使え。もう下がれ」
大田は見なかったことにすると最初から決めていた。このような下らないことで罰を与えて士気の低下を招くのはこの切迫した時には良くないと踏んだからである。
年上の方の男は失礼します、と去っていったが、年下の男はまだ下がらなかった。
「とうした?もう帰って良いんだぞ」
「司令、私は納得が行きません」
「なんだ、そんなに営倉に行きたいか?」
大田は目の前の童顔の男に呆れたように話す。
「いえ、そうではありません。私の戦い方についてです」
「ほう、君はどんな戦い方をしていたんだ?」
なんとなく大田はこの男の話をきいてみたくなった。
「零戦の20ミリ機銃は強力で、B-17を落とすには十分です」
男の顔立はキリッと整っていて鋭い目付きではあるが、傲慢とは違う自分の芯に真っ直ぐ従える自信が滲み出ているのがわかる。
男は酒臭くはあったがその眼光から酔ってはおらず意識がはっきりしているのが窺えた。
「続けたまえ」
「ですが相手は爆撃機で、厳重な対空火力があり装甲も厚い、おまけに20ミリ弾の携行数は少なく教本通り後ろから着いてって落とすには危険が伴い落としにくくなってしまいます」
「ほう、それでどうするんだ?」
「簡単です。相手に前方斜め上くらいからこれでもかというくらい、相手のパイロットの顔が見えるくらい近付いて反撃される前に撃ってそのまま離脱すれば良いのです。多少の技術と危険は伴いますが」
大田は陸戦隊として海軍に勤めてきたためそれがどの様な行為なのかピンと来なかった。
「ではなぜそれを他の者はしないのか?」
大田は素直に疑問に思った事を尋ねる。
「これをする技術もない下手くその度胸なししか居らんのです!」
大田は面食らってしまった。
見た目からしてさっきのパイロットではないがまだまだ実戦経験の薄い青年にみえる、がこの島にいるであろう海軍関係者のなかで一番偉い者に全く堂々と自分以外が下手くその腰抜けであるといいきってしまった。
ハハハハ、と大田は笑いが込み上げてくる。
上官を目の前にしてふてぶてしく自分が正しいと言ってのけるこのヤンチャ坊主を、大田は気に入ってしまったのである。
「面白いやつだな貴様、名前は何という?」
「第343航空隊 『隼』分隊長 菅野直であります!」
1943年 10月20日 旅順
牧野は今自宅への帰り道の道中だった。
山本の部下がわざわざ車で送ってくれている。
もう日付が変わるころではあるが、先程までの興奮がまだ脳裏に焦げ付いている。
その熱はより高まっている。
まったく、あの松田って人はとんでもない事を思い付いてくれたもんだ。お陰で今夜は、それどころかしばらくは録に寝られそうにない。
明日はあの三人に「紀伊」の修理ドックで見学するときのガイドをしなければならなくなったからまた大変だ。
もっとも明後日は山本の好意で自分たちの乗ってきた二式大艇で横須賀まで飛んでくれるのは助かるが。
・・・あの会談で色々な意見がだされ、どの様な戦術が出来るか検討し、殆どは技術的や現実的に無理そうだと判断された。
しかし、数少ないが幾つかの戦術が考案、採用出来そうだとなった。
実戦で試さなければ何とも言えないが、もし有用性が証明されれば
「紀伊」はあと10年、航空機など芳賀にもかけない真の「不沈艦」となる。
牧野は改めて大変なものを作ってしまったと身震いする。
冬はまだ先のことである。
デストロイヤーさんはずっと出したかったんでようやく出すことが出来ました
旧日本軍パイロットで一番好きです、これぞ男!っていう勇ましさと繊細な文学青年を同居させている何とも不安定な、強烈な人間性に惹かれます
お知らせ
筆者はいよいよ多忙を極めてきており、しばらく更新は出来ないと思います
どのくらいかというと下手したら一年は何も音沙汰ないかもしれません
思い出した時に、まだ帰ってこないのかよこいつ 程度に見てくれたらそれは非常に嬉しいです
必ず戻ってくるのでそれまで
ではまた次回