幻の四四艦隊
いつの間にか冬、そして書き始めてから一年
時間がx-1の速さで過ぎていく
1943年 10月20日 旅順
朝早くから牧野茂は自分の目の前に広がる光景を誇らし気に眺めていた。
彼は今旅順にある中でも一番大きな修理用ドックに来ていた。
そこには、ミッドウェー海戦で傷付いたその身を癒す「紀伊」の姿があった。
工員の掛け声やリベットを打ち込む音が響く中、牧野は修理の進捗を確認する。
担当者から話を聞き、自らも現場に入り自らの目で不備がないか等を調べる。
機関や装甲、重要区画、兵装等様々な箇所を半日かけ特に問題が無いのを確認した後は後任の者に引き継ぎをし、翌日に出る船で横須賀に行かねばならないためその荷造りをする。
そんな折であった、急な来客は。
黒い軍服に身を包んだ軍人が、さる方が会いたいと牧野を訪ねて来たのだ。
その名前を聞いて牧野は驚く。
なんと山本五十六が直々に会いたいと言うのだ。
既にとある料亭で待っているという。
二つ返事で承諾した牧野であったが、内心は複雑なものだった。
山本五十六といえば、日本海軍でも有数の航空論者だ。
「大和」の設計に携わった牧野にとって、山本は「大和」を世界三大無用の長物と宣ったのもあり尚更だ。
牧野は水泡に潰えた四四艦隊計画を思い出す。
航空機の発達がその計画を潰し、そのお陰で今の「紀伊」があると言える。
四四艦隊計画とは何か?
1930年代、ワシントン軍縮条約の失効を見越してある計画が持ち上がった。
最終的にそれは46cm砲戦艦四隻、51cm砲戦艦四隻を対米戦に向け建造するという、実現すればそれまでの全世界のどんな艦も太刀打ちできない物になった。
その内訳は
大和型戦艦が二隻
その改良型の改大和型戦艦二隻
改大和型戦艦の船体に主砲を51cm連装砲へと換装した所謂超大和型戦艦二隻
そしてそれを拡大発展させ、主砲を三連装にした超超大和型戦艦二隻だ。
数少ない戦艦の設計経験がある平賀譲がこれら全ての戦艦の設計の根幹となる「大和」を設計、牧野等若い技術者も技術継承の面もあり設計に参加、設計終了後に今度は若い技術者達が中心となって続く改大和型戦艦、後に「信濃」と命名される事になった戦艦やそれ以降の戦艦を設計、建造することとなっていた。
しかし、航空論者達は空母の建造とその艦載機の生産を熱望していた。
ノモンハン事件や日中戦争により航空機の需要が大幅に増え、更に陸軍への大幅な予算拡大、そしてこれ程の計画に掛かる莫大な費用を議会にも悟られず確保する事は困難とされ計画は大幅な縮小を余儀無くされた。
一時は戦艦の建造は既に起工していた「武蔵」で打ち止めとなる事態にもなり得たが、この時演習等では航空機が戦艦を打ちのめした事はあったものの航空機への備えを持った戦艦と対峙したことが無い、まだまだどちらが有力か不明瞭という意見が大勢であり結局秘密裏に予算縮小された上で建造再開が決定された。
この時牧野は、予算の少なさから計画通りの数を揃えるよりもその予算を全て注ぎ込んで圧倒的な力と絶対的な不沈性を保持する究極の戦艦を造るべきだと訴え、それに平賀譲や軍令部長だった豊田副武の後押しもあって超超大和型戦艦二隻のみの建造が決定された。
こうして造られたのが「紀伊」であり、二隻の戦艦を造るにあたっては十分過ぎる予算を背景に日本の技術の粋を惜しみ無く投入された、それまでの軍艦史上に類を見ない超巨大戦艦が産まれたのだった。
決定されてから建造開始までそう時間は掛からなかった。
元々牧野は、「大和」の設計に参加している時から設計時に得た情報を参考に、現在の日本の造船技術の粋を集めたらどれだけの戦艦が造れるのか? という疑問を発端に空き時間を利用して日本が造れるであろう限界一杯の戦艦の草案を作っていた。
それが先述の出来事からこの草案が有効活用され、早期着工に結び付いた。
用意されていた車に乗り込み、旅順の街を駆けていく。
気が付けば日は完全に暮れ、街灯りが煌々と灯っている。
基本的に旅順では仕事場で仕事をしているか、自宅で寝ているかしかしていないため、旅順の街中をちゃんと見るのは初めてであった。
窓越しに歓楽街で飲んだ暮れている人々が目に入る。
それは大抵日本人であり、その接客をしているのは大半は拙い片言ながらも日本語を話す地元住民である。
この数年で旅順はすっかり造船都市として発展した。
将来的な日本国内での造船所不足や、従来から大きな地震が多いので戦艦「天城」の様な悲劇から習い自然災害リスクを分散するためもあって1930年から徐々に整備され始めた。
「大和」建造時の例に漏れず、「紀伊」建造に際しても関係者には厳重な身分調査を行い、誓約書にサインした後は架空の会社に勤務している事にされ、旅順に連れて来られた。
更に「大和」の建造に関わった者も多く召集され、予定よりも建造期間が少しだが短縮が為された。
その為にミッドウェー海戦への参加が間に合い、勝利にも繋がっている。
車が目的地に着く。
先程通った道とはうって変わって、歓楽街の喧騒とは程遠い閑静な町中にある一件の料亭の前に着いた。
直ぐに玄関から女将が出迎えて来る。
「お待ちしておりました。此方へどうぞ」
牧野と黒い軍服の軍人は離れの建物へと案内される。
「失礼いたします。山本様、お客様がご到着なされました」
女将が襖越しに呼び掛ける。
「おう、入ってくれ」
中から返事が返ってきて襖が開けられる。
中は畳敷きであまり大きくない、何も乗っていない机があり、それ以外は殆ど何もない簡素な部屋だ。
開けられた部屋のなかには三人の男が座していた。
「貴官が牧野茂大佐ですね?」
三人の内上座に座る一人が訪ねる。
「ハッ、牧野茂到着致しました!」
牧野が敬礼する。
「ハハハ、そう固くならないで下さい。今夜は無礼講です。ささ、どうぞ此方に掛けて下さい」
そう言ってその男は空いている席を指す。
「失礼します」
牧野は少々緊張しながらも、促された上座から見て左側に座る。残る二人は右側に座っていた。
「女将、料理と酒を頼む」
かしこ参りましたと言い残して女将は下がり、襖を閉めて去っていった。
「本日はお忙しい中、急な呼び出しによくぞ参られました」
上座に座る男が話し続ける。
「おっと失礼、自己紹介がまだでしたな。私が山本五十六です。此方が・・・」
山本が言う前に残りの二人が自己紹介を始める。
「私は角田覚治と申します」
上座に近い側の男がそう名乗る。
「松田千秋と申します、よろしく」
上座から遠い側の男が名乗る。
戦闘パート早く描きたいけどその前に書いとかないといかん事が結構、
あ、それと
外伝はやはり本編に集中したいので休止(つってももう九ヶ月放置しているけど)します。楽しみにしていた方本当にすみません
ですが、一度始めてしまったからには絶対にちゃんとした形で完結させます
無計画な作者で本当にすみません
こんな作者が書く架空戦記ですが、これからも御愛読していただければ幸いです