表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

腐った少女の館

_



 パックの話によればその少女はウィンティガ国との境にある沼と険しい岩場に囲まれた荒れ果てた屋敷に閉じ込められているという。毎日机に向かって何かを書き続けていて、時折狂ったように奇声を発し、のたうちまわっているらしいのだ。


《多分何処かの金持ちのお嬢さんなんだろうけど。可哀相だよな》


 不憫に思ったパックが様子を見に来たついでに泉の花を一輪窓辺に置いていくそうだ。


 様子を伺うにしても足場の悪さは空を飛べるパックには問題無いのだろうが樹やライバスタ達人間にはかなり厳しい。まずは沼を攻略する必要がある。


「ボートか何かが要るか…」

「魔獣もいるかもしれませんね」

《居るよ》

『…………』


 居るのか……この時点で既にちょっとしたクエスト並だった。

 魔獣は“ブロブ”。スライムの亜種みたいなモノだが、全体的に暗色で腐蝕性の毒が強い。スライムが動植物性プランクトンだとすればブロブは汚泥やヘドロが主成分の魔物だ。乾燥させて動きを封じるのが一番だが、燃やすと凄まじい悪臭がする上に鉄などは簡単にボロボロになってしまうだろう。


 更なる問題点として、その屋敷はウィンティガ国領内に存在しているという事だ。妖精に人間の縄張りの事など関係無いのだろうが、隣国の許可を得ずして越境して戦闘行為に及ぶ事、まして王子であるライバスタ直々に手を降したとなれば侵略行為と見做されても言い訳は出来ない。


 問題は山積みだが更にはあの少女がこのような屋敷に居る理由がハッキリしないと迂闊には手が出せない。精神病を患った娘を体面を保つ為か、または世に出してはいけないモノなのか。何れにせよ現状で出来るのは様子を見る事だけだった。


「警備の任を負う者は居るのか?」

《警備かどうかは知らないけど世話をしている女の人は二人居るよ》


 確かに人里離れた土地に年頃の娘を隠匿させるのに男を伴わせれば何かあっても仕方が無い。だが逆に言えば兵を以って抑え込まずとも出奔の危険性が無いとも考えられる。

 だがライバスタには隣国の姫君であるリセリアの件が頭から離れなかった。もしバックが見た娘がリセリアであったなら……。


「パックよ…残念だが俺達には今すぐにその娘をどうにかする事は出来ない。ただ俺にも思うところはあるので一度様子を見てからの対処となる。それがお前の望む結果となる保証も無い。せめて俺の手の中であればまだ違うのだがな……」


 そう口にしたライバスタは酷く歯痒い面持ちであり、パックは少し不服そうだった。


《……ああ、オイラ達だって隣の村の事には口出しするのは難しいからな…》

「せめてこの沼だけでもどうにか出来ると良いんですがね…」


 何気にそう呟いた樹が身体を拭って濡れた布を搾った滴が沼に落ちた瞬間、それは起こった。落ちた場所から波紋が拡がるようにドロリと異臭を放つ腐った汚水が一瞬にして清らかな水に換わったのだった。

 時間にして約三分間。僅か数滴とはいえ、向こう岸にまで渡るには充分だった。

 一度お弁当を食べた場所まで戻り、対応を考える事にした。



「誰が行くか…ですね」

「リセリア姫ならば俺が知っているが、俺自身も知られているしな」

「ならば私が」とアランが名乗りを挙げるが女人しか居ない場所に見ず知らずの男がいきなり押しかけても警戒されるだろうとサミュエルに諭される。そこで皆の視線が一人に集まる。


「……エッ、僕?」


 「僕も男だよ!」とは言いたいものの、筋肉質で長身なアランとサミュエル。精悍な好青年のライバスタに比べ……るまでも無く、適任は樹しか居ない。

 まずは騎竜を使ってあらゆる容器に出来るだけ沢山の泉の水を汲んでおく。そしてライバスタ達は岩場に身を潜めていつでも対応出来るように待機。樹は旅人を装って屋敷を訪ねる。沼に架けられた橋を渡る際に両側に泉の水を蒔いて沼を浄化しておくのを忘れない事。念の為に樹は二本で一対のナイフ“長船”を持たせておく。いくら旅人といえどあまりに軽装では疑われるだろう。最低限の必要装備だけは持たせておく。



「では頼んだぞ」

「あ…うん」


 周囲に気をつけながら橋を渡る。泉の水のお陰かブロブは近付く事すら出来ないようだ。


 大きなドアの前に立ち、深呼吸を2〜3回してからノックする。


「すみません、どなたかおられますでしょうか?」


 返事は無い。仕方が無いので一呼吸おいて再びノックすると奥から声が聴こえた。


「お待たせ致しました。当家にどのようなご用向きでしょうか?」


 若い女性の声だ。歳の頃なら20代半ばくらいか。主人がいきなり出迎える事は無いのでおそらくはメイドの方だろう。


「突然申し訳ありません。僕は仔猫丸といいます。旅の途中で道に迷ってしまい、煙突が見えたので失礼とは存じますが伺わせて頂きました」


 とても冒険者に見えないか弱そうな樹が一人なのを見て一瞬警戒するも途中で魔物に襲われ逃げ出す際に同行者と離れ離れになり、こうして来たのだと言うと納得したようだ。


「それは大変でしたね。当家で身体を休めて行かれますよう主から言付かりました。さぁ、どうぞ奥へ」


 潜入には成功した。次に同行者が通るかもしれないからと窓際に近い席をお願いする。勿論ライバスタに確認させ易くする為だが、聞いていた特徴より屋敷の主は若いように思える。


「そうですか、ご友人を捜しておられるのですか」

「ハイ、僕の直接の友人では無く、同行者の……ですが」


 傍らのメイドが淹れるお茶の芳しい香りの中、歓談が始まり、ライバスタの特徴や関係性を匂わしても反応は薄い。恐らく別人なのだろう。


「ところで仔猫丸様…でしたか。不思議な事に私は貴女に以前お会いしたような気がするのです」


 その台詞は樹の心臓を跳ね上げさせた。“仔猫丸”と面識があるのはタトネークの城下街の一部のみ。ましてやここは初めて訪れるウィンティガ領内。幽閉されているこのお嬢さんが知る筈も無い。


「何か仔猫丸の様子がおかしくないか?」


 異変に気付いたのは流石というべきかライバスタだった。



「袖の長い白と紅の異国の衣装、頭の横で二ツに束ねられた黒くて長い艶やかな髪……本当にアノ人にそっくり………」


 館の主の少女が一歩、また一歩と樹に近付く度にその瞳から光が失われていく。


「………名前も同じ“仔猫丸”」


ガシャーーーンッ!!!!


 少女主人の影が泡立ち始めた瞬間、樹の身体に凄まじい衝撃が走り、窓を突き破って外へと弾き飛ばされた。


「仔猫丸ッ!? 行くぞ、アラン!サミュエル!」

『御意ッ!』


 ライバスタ達が瞬時に岩陰から飛び出すと沼の表面が波立ち、次々と黒い柱となって襲い掛かってきた。「ヒュイ!」という口笛を合図に泉の水を充たした容器を沼目掛けて騎竜が尻尾で弾き飛ばしていく。言葉こそ発しないが沼の“穢れ”は断末魔のように身体を震わせ浄化していく。



「あ…有難う」


 屋外へと吹き飛ばされた樹を抱き支えるように蘭学者風の青年が手を前に突き出し、黒い波動の攻撃を防いでいた。樹が咄嗟に一対のナイフを交叉させていたのだ。


「油断大敵ですよ」


 やはり微笑んでいるものの、その奥には「ドジ」だの「鈍臭い」とかの言葉が隠れている気がする。


「おお…貴方は長舟様。まさかあの話が現実だったなんて…」

「……ッ!?」


 何でこの娘は長舟の事を知っているんだ?長舟はついさっき初めて召喚したばかりだ、誰も知る由が無い。………やっぱりあの手帳はこの世界に墜ちていて“アノ”手のジャンルに耐性の無い者を、堕としていってたのだ。


 愕然とする樹の周りが凄まじい勢いで腐蝕していく。“穢れ”を討ち祓い、どうにか合流しようと奮闘するライバスタに視線を送るが、その首は横に振られた。


(姫じゃないのぉ!?)


 説明にあったライバスタの知己であるリセリアとは別人。それは魔導書は封印され、焚書処分された筈の解析・翻訳書類が何らかの形で流出した可能性があるという事だ。


「ククク…貴方なんて滅べばイイ!キャハハハハ」


 腐り落ちていく木が岩が次々に“穢れ”と同化し樹達に襲い掛かる。


「ク…そ、そんな……」


 ダメージを堪え切れなくなったのか樹がガクッと膝を折る。


「仔猫丸ッ!!」

「仔猫丸殿ッ!!」


 樹の瞳から光が消えていく。


(リセリア姫じゃ無いなんて……)


 自分の黒歴史が不特定多数に知られているという精神的ダメージは計り知れないようだ。


「これを使えッ!仔猫丸ーーーッ!!」


 ライバスタが投げて寄越した長剣を反射的に掴み取ると眩い閃光が人の形を成す。


「………兼貞」

「………………………」


 擬人化した兼貞は何故か無言で樹に背を向け、また眼前の敵とも違う方向を向き、腕を組んで仁王立ちし戦おうという気配も無い。


「あのぅ…兼貞?」


「兼貞ってば……」

「ああ?煩ぇな。何だよ、糞ガキ!気安く俺様を喚ぶんじゃ無ぇよ」


 アレ?口が悪いのは確かだけど、尊大な態度っていうのとは何か違うような…。敵の攻撃も自分に当たりそうなのを避けてるだけだ。その様子に何か察したのか殊更丁寧かつ厭味な態度で樹に接する。


「大丈夫ですか、仔猫丸。貴方の絹のように滑らかで玉のように美しい肌に僅かでも疵を付ける訳にはいきません。そんな壁の役にも立たぬ“(なまくら)”など引っ込めて、“私”と共に戦いましょう。私は貴方の“刀”であり、貴方は私の“鞘”。兼貞は“太刀”ならぬ木偶の“棒”だったようです」


 煽り耐性の低い兼貞はアッサリと長舟の挑発にのってきた。


「誰が“(なまくら)”だぁ、この短小野郎!」

「おや?声と態度が大きい“だけ”の木刀など素振りで充分でしょ?それでも“鞘”を欲するなどと……竹光ですか貴方は」


 元が刃物の会話なので至極真っ当な筈なのだが何気に妙な感じがするのは何故だろう…。現にそこで荒ぶっていた少女が今は鼻息が荒い。今の会話の何処に彼女の琴線に触れるものがあったのだろうか…?


「おのれ、長舟様だけでなく、私の兼貞様まで……赦せない!」

「貴女はちょっと黙っててッ!!!!」

「ハ…ハイ……」


 今までオロオロしていただけの樹の激昂に気圧されたようだ。


「私の仔猫丸に無礼な態度は看過出来ませんね」

「誰が誰の……だと?俺様はその浮気者を……」

「二人ともそこへ直れーーーッ!!!!!!!!」


 戦闘中だというのに何だこの馬鹿げたやり取りはまるで修羅場じゃないか。事実修羅場なのだが恋愛事に疎い樹には空気を読まない喧嘩でしか無い。


「で…ですが、仔猫丸…」

「な…何だよ、いきなり…」


 突然の怒声に困惑する長舟と兼貞。だがすぐにでもまた再開しそうな程睨み合っている。元が刃物だけに鍔競り合いの如く間近で火花を散らしている。


「いいから正座ァーーーーーッ!!!!!!!!」

『ハ…ハイッ!!』


 その場の全てをビリビリと震わせる程の気迫が篭められたその強制力に逆らえようも無く、二人は膝を折り、姿勢を正した。

 ゲームと違い樹が使役する式神である長舟と兼貞は当然としても周りのライバスタやアランとサミュエル、そして嫉妬と怒りの為に忘我の極みで暴れていた少女、果ては沼の“穢れ”までが従ってしまっている。


「兼貞ッ!」

「お…おう」


「長舟ッ!」

「ハ…ハイッ」


「貴方達は僕の何?」

「ヘァ?…な…何だよイキナリ…」

「あの…仔猫丸…今はそんな場合じゃ……」

「お黙れクダサイ!!では逆に僕は貴方達の何ッ!?」


 言い澱む二人。言わないのでは無く、言えないのだ。とくに公衆の面前では………恥ずかしくて。


「……分かりました。だったらもう良いです。仲良く出来ない、質問にも答えない………僕の“お願い”なんてどうでも良いんですね……」


 瞳が悲しみの色に染まる樹を見てアランとサミュエルは思った。自分達とて愛する者もいるし、敬愛するお方もいる。そのような人達が好意を表すのを躊躇われたらその落胆と哀しみは如何程かと。


「だったらもういいです。ギュッともしてあげないし、膝枕もしてあげない。皆の事……嫌いになっちゃうからッ!」


 何て子供じみた言い分だろう、いや確かに見た目幼い仔猫丸殿にはピッタリなのだが…と思い、件の二人に目を向けると蒼白な面持ちでガクガクと震えていた。しかも次期王位継承者まで……。


 途端に兼貞と長舟が樹の足元へ華麗なるスライディング土下座を決める。


『申し訳在りません。ゴメンナサイ。赦してください!』

「言えないんだったら行動で示して」


 もしかして仔猫丸はこんなに可愛い顔をして実はトンでも無いビッチなのでは?という疑いが浮上したが現実は更に斜め上を行く。 サッと後ろに回り込み四つん這いになった長舟にドカッと座り込んで脚を組む。そしてあろう事か兼貞が突き出された樹の足の甲に手を添えてキスをした。


 まさかの奴隷と女王様の関係だった。


 あまりの光景に近衛隊は口から魂が抜けかけ、敵の少女はワナワナと震えている。あと羨ましそうに凝視するな次期王位継承者。


「そ……そんな…、私の兼貞様が…、長舟様が…。折角の“兼×長”がぁ……。仔×兼・長だったなんてぇーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!」



(ああ…そういえば新刊は“兼×長”ネタだったっけ……)


 自分の中の“世界観”が完全に根底から覆されるというアイデンティティーの崩壊を味あわされた少女の身体から魂の慟哭と共にドス黒い瘴気が噴き出して霧散していく。


 空を覆っていた暗雲は去り、沼の穢れも消え失せて美しい池に変わり煌めきを取り戻した。




 …………納得いかない。


 これからが見せ場の筈。瘴気に取り込まれ巨大な化け物になり、胸か額辺りにちょこんと上半身だけ出ている状態になるんじゃないのか?!

 全員が半死半生の状態の中で誰もが諦めかけた時、奇跡が起きるんじゃないのか?!


・・・

・・・・・

・・・・・・・


 ………起きないらしい。


 二人のメイドに支えられ、目覚めた少女に御礼の言葉を述べられただけで出立する羽目になったのだ。せめてもの救いはメモの情報が入手出来た事か…。


「本当に有難うございました」

「これで旦那様達にも安心戴けます」

「い…いえ、こちらこそ…」


 お礼に食事でもとお誘いを受けたが色々と聞かれたく無い事まで聞かれそうだったので丁寧に辞退申し上げて撤退する事にした。





「……行っちゃいましたね」

「エエ、残念ですわ」


 物語の中の事と思われた不思議な一行は主従の女性達に見送られ帰って行った。

 そしてその背中を眺めこう呟く。


「……でも、アリですわね。……仔猫攻め…」

「ですね!」


 やっぱり腐っていた……。

 すみません、盛り上がってなくて

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ