出会い
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“白き聖女”“可憐なる賢者”として誉れ高い西国の第二王女を狂わせた書物の噂はまさに千里を走り、瞬く間に各国へと拡がった。
軍司力自体はさして脅威では無いがその豊かな農産物を生み出す土地と森林は他国の欲する処であり、特に北方の通年を通して日照時間が少なく、痩せた土地に魔獣が跋扈する“昏き大地のタトネーク帝国”にとっては死活問題に近いものであった。その苛酷な環境に対応する為、魔術に関しては他の追随を許さない帝国ではあるが、常に貧困と飢えに苦しんでいた。
苛酷な環境はそのまま他国の進攻を妨げる自然の要塞となるものの、逆に打って出るには問題があった。
その北国の薄暗い森の奥で王位継承第一位であるライバスタ王子が警邏隊を引き連れて領地内の警護をしていた時、運悪く魔獣の群れに出くわしてしまう。
「円陣を組め!王子をお護りするんだ!髪一本も傷付けさせるなーーーッ!!」
警邏隊長は抜いた剣を高々と掲げて叫ぶ。だが強力な魔法は詠唱時間が長く、この近距離では唱えきる前に魔獣の牙が喉笛に突き立てられるだろう。出来うるなら威力の小さな魔法で牽制している間に撤退してくれれば良いのだが、餓えているのは人も獣も同じだ。まさに食うか食われるかだ。
次々と傷付き倒れていく警邏隊員達。炎系の魔法で枯れた低木に引火させて火の壁を作り、襲い掛かってくる数を減らすがこのままでは警邏隊達も煙にまかれてしまう事になる。打開策を打てぬまま時間だけが過ぎていく、その流れを断ち切ったのは上空からの叫び声だった。
「ウワアアアアアアアアアアアアアァァァァァーーーーーーッ!!!!!!!!」
ズズーーーンッ!!!!
大地を揺るがす衝撃は咄嗟に魔獣達を跳び退かせ、燃え盛る炎を消し去った。
「な…何事だ!?何が起きた!」
すり鉢状に抉られた地面から立ち昇る砂煙りの中に何かが動く気配がする。
「あ痛たたた……お尻打っちゃったよ……」
現れたのは異国の衣装を纏った一人の少女。あれ程の衝撃であったにも拘わらず、当の本人は階段を転げ落ちた“ドシャッ!!”程度の様にその可愛いお尻を摩っている。
「……アレ?確か会場の踊り場から墜ちた筈なのに……」
キョロキョロと辺りを見回す様は自身に何が起きたか理解していないように思える。また警邏隊や魔獣すらも突然の闖入者に困惑しているようだ。
グルルルルル……という低い唸り声に振り返ると、そこには○○マウンテンドッグとか××ハウンドという大型犬より更に一回り巨大で首が二ツもある悍ましい姿の狼に似たバケモノが何匹も今にも飛び掛からんと身構えていた。
「……ヒッ……ヒィッ……!?」
あまりの事に腰を抜かしてしまったのだろう。立ち上がる事も出来ずにガタガタと震えながらゆっくりと後退りしている。
「皆の者、あの少女を護れ!」
「ですが、殿下の側を離れる訳には……」
後退る時に負傷した警邏隊員の落とした剣を見付けたのであろうが、掴んではみたもののただ振り回すだけで全くの素人なのは一目瞭然だった。見知らぬ少女と次期国王、どちらを優先すべきかなど考えるまでも無い。むしろ少女には悪いがこのまま生贄となって貰い、その隙に撤退するのが最善策なのは間違いない。
例え命令違反となり如何様な罰を受けようと優先すべきは殿下の命。御身を確保し、即時撤退しようとライバスタの両脇に腕を廻したまさにその時!
「……エッ!?」
少女が握っていた剣が輝きを増し、爆ぜた閃光が人の姿を形作る。
「フンッ、漸くお喚びかよ。ヘタレ主人が粗相召される前にさっさと片付けるか…」
「犬ッコロごとき俺様に任せておきな」と腰の刀に手を掛け、前傾姿勢をとった瞬間、赤毛の青年は凄まじい速さで駆け出すと同時に次々と魔獣を一閃の下に斬り刻んでいく。
何が起きたかと呆然としている間に魔獣全てを殲滅させた赤毛の青年が刀身に付いた血をブンッと振り払い、鞘に収めるとゆっくりと近付いてきた。
ペタンと腰をつけて座り込んでいる少女にあわせて腰を屈め、顎に指を宛ててクイッと上向かせる。
「貧弱なお前に出来る事なんざ腰を振るくらいだ。困った事があればまた俺様を喚べ。いいか?浮気すんじゃ無ぇぞ、分かったな仔猫丸」
赤毛の青年は頬に口づけをするとニヤリと笑い姿を消す。いや、正確には元の剣に戻っていた。
「キミ、大丈夫か?オイ、大丈夫なのか?」
肩を持って揺らされるも想像の斜め上をいく事態が一気に押し寄せ、理解の処理能力を超えた樹はそのまま気を失い、ライバスタの腕の中へと倒れ込んだ。
「良かった……気が付いたようだね」
樹が目を覚ましたのはあまり寝心地が良いとはいえないベッドの上だった。調度品なども異なる様子からどうも日本では無いのは確かだろう。まずはこの異国感溢れる青年に聴くのが一番だろう。
「……此処は?」
「ここは我がタトネーク国の城下街にある宿屋だ。私の名はライバスタ、貴女の名前は仔猫丸で良いのだろうか?赤髪の男にそう呼ばれていたようだが…」
いえ、僕の名前は樹……と言い掛けて止めた。何と無くややこしくなりそうだと感じたからだ。
「では仔猫丸殿、まずは命の恩人である貴女にお礼を述べさせて戴きたい。その上で無躾ながら色々と質問させて欲しい。現在我が国を含めて色々と難儀な状態でね」
何処から来たのか?来訪の目的は?先程の男は何者なのか?などかなりの質問をされた。実のところ樹自身もかなり困乱しているし、説明しても相手が理解不能な事も多いのである程度の憶測を交えて答える事にした。
出自は遠く海を隔てた辺境の小さな島国である事。来訪の目的は失いかけた私物を追っていたら空間の歪みに落ち込み、偶然此処に飛ばされたらしい事。
そして困ったのがあの赤毛の青年の事だった。樹が扮する仔猫丸は巫女の様な衣装を纏い、符術を用いて式神を使役して戦う主に女性が持つ懐刀の擬人化キャラであり、赤毛の青年は同じオンラインゲーム内に登場する兼貞という俺様系な太刀の擬人化キャラだ。なので自分は武器に宿る精霊を使役する召喚魔法を使うという事にしてそう説明した。
「武器の精霊を召喚する魔法……ですか。初めて聞きました。いや我が国は魔法においては他国より抜きん出ていると自負していたのですが、そのような物があるとは…いや、世界は広いですね。まだまだ研鑽の余地があるようです」
「出来れば貴女にご教授の戴く事が叶えばきっと彼女も……」
ここでライバスタの表情が曇る。
「あの…彼女とは?差し支え無ければ…」
「そうですね…、まずは私共の命を助けて戴いた恩から返すのが筋ですね」
ライバスタ曰く、今渦中の主であるウィンティガのリセリア姫とは共に魔法を研鑽し合う仲として幼少の頃より交流があった。しかし、半年程前から連絡が取れなくなった。どうやら新しく発見された魔導書を解読していたらしいのだが、どうやらそれは呪われた禁書であり、姫は悪魔に魂を奪われ人が変わったように奇行を繰り返し始め、領地内の何れかに幽閉されているとの事。今では世話係に残した二人のメイドも影響をうけ、夜な夜な呪いの言葉を発しており、その所為で魔獣が狂暴化しているらしい。
「私は幼い頃からの知己として彼女を助けたい。その為に貴女の力を貸して戴きたいのです」
ここまで聴いた樹は魔導書という言葉に酷く引っ掛かりを覚えた。いや、ある種確信めいた悪寒に冷や汗が背中を伝う。
「……ちなみにその魔導書とやらは何か特徴でも?」
「あくまで噂ですので詳しくは判りません。ただ、鍵で封じられており、見た事も無い革で表装されていて、白い紙はまるで肋骨のような金具で纏められているとか…」
「………………」
今度は樹が表情を曇らせて打ちのめされる番だった。
(ま…間違いない、僕のメモ帳だ…。アレ、開けちゃったんだ……しかも読んじゃったんだ……)
樹は心の中で土下座した。
(すみません……その姫様は“呪われた”んじゃ無くて、“腐った”んです。そして叫んだり、人格が変わった様に見えるその奇行は厨二病です。ホントにゴメンナサイ)
そんな腐りきった文化どころか世間の穢れから切り離された純粋培養で育ったお嬢様に“アレ”に対する抵抗力など皆無だろう。発酵が進んだ強者相手向けの内容だ。そのあまりの毒性に精神を蝕まれたに違いない。
「如何なさいました、仔猫丸殿……?」
あまりの落胆ぶりに忘我の窮みに陥っている樹に向かい上半身を屈めて覗き込む。
「い…いえ、何でもありません。それよりもリセリア姫の救助を僕も手伝います。いや、手伝わせてください」
鬼気迫る樹の様子に引きつつも素直に感謝を述べるライバスタ。そりゃ原因が自分の私物となれば必死にもなりもしよう。
ドアがノックされ宿の女将らしき人物がトレーに軽食を載せて持って来た。樹が目覚めたと知り、気を利かせてくれたのだろう。
「それではまず貴女の食事としましょう。腹が減っては…と言いますし」
「あの〜、さっきからずっと気になってたのですが…。僕、男ですよ?」
『……エッ!?』と樹を除く全員が目を見開いた。宿の女将に到っては危うくトレーを落としそうになっていた。
「ハハ…まさか。ご冗談でしょ?」
「ちょいと失礼するよ」
ペタペタ…ペタペタ……プニ…
「ヒャアッ!?」
女将が上から順に樹の性別毎の身体的特徴を示す部分に触れるとギギギ…と油がきれた機械のように振り返る。
「と……殿方だよ」
サイズに関して触れられ無かったのは女将の配慮だろうか?
「こ…これは重ね重ね失礼を…」
「い…いえ、馴れてますんで…」
そうフォローしたものの、自分の言葉に更に落ち込む樹だった。しかし清廉な中に可憐さを持つ白い併せの上着にスカート状の赤い穿き物。耳の上辺りで左右に束ねた長い髪に荒事には不向きな小柄で華奢な体躯。挙げ句に愛らしい童顔。これでどうして男だと思えよう。
「……その…何というか…」
「趣味なのかい?」
ライバスタが言い淀んでいる事をサラリと尋ねる。
「違います!そういう設定で……」と言葉にしかけた時、ふと樹の脳裏に疑問が過ぎる。
(女性向けオンラインゲームで、ほぼ男性しか登場しない中のヒロイン枠……。しかも兼貞は「腰を振るしか」って……)
(そういう意味かァーーーッ!!!!)と樹は項垂れた。武器が擬人化したキャラを女性ユーザーが墜とすゲームで、樹自体はプレイしておらず、腐姉から渡された資料とキャラの特徴、外してはいけないポイントだけを告げられていたのでユーザーが勝手にお気に入りを掛け算しているものとばかり思っていたので自分が実際にそういう扱いになるとは考えて無かったのだ。
(ど…どうりで本を買っていく女性客の視線が変だと……)
樹がコスプレしている仔猫丸とは愛玩キャラであると同時にお邪魔キャラだったのだ。そして迷い込んだこの世界では樹はただのコスプレイヤーでは無く、ゲーム同様の能力を使える。相違点といえば使役するのが呪符を媒体とした式神では無く、武器を媒体とした登場キャラクターだという事。
となると兼貞のアノ台詞の意味合いも変わってくる。樹自身は普通の人間と変わらないので戦う為には登場キャラクターを召喚せねばならない。それはつまり……。
(ね……狙われてる…)
ベッドの上で樹は蒼白な面持ちで自分のお尻に手を廻すのだった。
この時点で樹は気付くべきだったのかもしれない。ただの高校生でしかない自分に魔法が使えたなら樹の所有物であるメモ帳もまた魔導書として変化したのだという可能性に。
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