リドリーとレリック
ユノンは、リドリーが尋ねに来たというので、自身の部屋へと招き入れた。
女性の部屋とはいえ、彼女の部屋はテーブルとベッドがあるくらいで、ほとんどが、研究資料の書類で埋もれている。それでも、さすが魔術の塔というべきか、自室に水道施設が取り付けられている。彼女はそこでお茶を淹れたりするので、そこだけは研究資料に埋もれておらず、食器類が並んでいる。
リドリーは、お土産と協力してくれたお礼に、と言ってケーキを渡してきた。なので、彼をテーブルの横に置かれた椅子に座らせ、ユノンはお茶を淹れる準備をする。
「わざわざすまないわね。あなたたちのおかげで、私の疑いは晴れたしそのお礼をしようと、こっちから伺おうとしてたのよ」
「ふむんふ。そうなのかい? まぁ、気にしなくて良いよ。僕としては、仕事だったし。それにここに来たのだって、久々の長期休暇で、暇を持て余しているだけだからな」
「暇なの? 珍しいわね。なんだかんだでずっと働いているって、エレノアが前に愚痴っていたけれど?」
複雑な文字の刻まれた魔法の壺でお湯を沸かしながら、からかうような笑みを浮かべる。普段は挑むような眼をしているから、どんな理由であれ、笑うと彼女は本当に綺麗に見える。
リドリーは照れたように苦笑する。
「そんなことを言っていたのかい? まぁ確かに、捜査部になって三年。初めての休暇だよ」
「初めて!」
ユノンは驚く。さすがにそこまで休んでいないとは思わなかったのだ。
「ああ。初めてだ。だから、エレノアにこの前、言われたんだ。偶には休むべきだってね。休まないから、心に余裕をなくすそうだ。だから一週間、仕事をするなって言われたよ」
「……まぁ、そうね。休みすぎもどうかと思うけれど、働きすぎも良くないわ。根を詰め過ぎると、最終的には煮詰まって、良い結果なんて望めない。それは、私みたいな研究職でも思う事よ。偶には休養は必要よ」
「はは。そうだね。まぁ、休んだことで、確かに気付けた事もあったよ。家に居ると、母さんが嬉しそうに話しかけてくるんだ」
「ふふ。リドリーのお母さんも、息子と話せる事が嬉しいのね」
「みたいだ。……僕の父はね。国の為にと熱心に仕事をする代わりに、愛した人を蔑ろにするような奴だったんだ。だから僕は、そうならない為に、身近な人を守ろうと、警官になったんだ。……でも、僕は最も大切にすべき母さんを、警官の仕事が忙しいからって、蔑ろにしていた。……それを、今度の休暇をとって思い知らされたよ。……本当に馬鹿みたいだ。これじゃあ、あの最悪な父親と一緒だ」
リドリーは力無く、苦笑する。
父とは違う事をしようとして、結局似たような事をしてしまっていることに気付いた彼は、とても傷付いているのだ。それは、ユノンにもわかった。
「でも、気付けて良かったじゃない。今までが間違っていたと言うのなら、これから直して行けば良いのよ。少なくとも、あなたはまだ、やり直せる所にいるんだから、これから休みもしっかり取って、親孝行すれば良いじゃない」
あえて軽い調子で言うユノンに、リドリーは少し、救われたような気持ちになる。
「ああ、そうだね。……でも、一週間は長過ぎだ。家に居てもやることが無いし、久しぶりの暇な時間だから、何をすればいいのかもわからず、こんなところにも来ているほどだ」
少しふざけた調子で言うリドリーに、ユノンは苦笑する。
「こんなところとは失礼ね。綺麗な女の部屋に来たのだから、男なら喜ぶべきところでしょう?」
陶器でできたカップにお茶を淹れると、じっとりと呆れたような睨み方をして渡す。
「そっか。そうだな」
渡されたお茶を飲みながら、彼は素直にうなずいた。
「いやいや。自分で言っといてなんだけれど、綺麗なってところには、突っ込むところじゃないかしら? 自分で言うな、みたいに」
苦笑するように言うユノン。リドリーはそれに対して、首を傾げる。
「ん? 僕はユノンを、綺麗だと思っているよ」
「……そ、そう」
ユノンは顔を赤くし、顔を俯かせる。
褒められ慣れていないのだ。
貴族や豪商のような後ろ盾のない彼女は、軽視されやすく、更には優れた才能があるだけに、ほとんどをコネで生きてきた者には妬まれやすくもある。
例え容姿を褒められたとしても、そのあとには愛人の誘いか、あばずれや淫売などの、根も葉もない悪態がついていた。
だから、リドリーのように、素直に褒めてこられると、とても弱い。
「あ、あの、えっと、……そうそう、シアンは、死んでしまったそうね」
話題を変えようとそう言ったのだけれど、リドリーの傷ついたような顔を見て、すぐに間違いだったと知る。
「……ああ。助けられなかった」
リドリーは自分の掌を見て、握りこむ。
まるでそこに、救えなかった命があるように。
シアンは人を殺した。
捕まっても極刑になる可能性は高い。助けられたところで、すぐに死ぬ命。彼にもそれがわかっているはずだ。けれど、それでも、目の前で人に死なれるのは嫌なのだろう。人を守る彼にとっては、その少しの間でも、尊いのかもしれない。
「……ふぅ。一つ言っておくわ」
「ん?」
「シアンは、あそこで死んで、良かったんだと思うわ」
「……そんなことはない。……確かに彼は人を殺し、反省の色もなかった。死んだほうが良い人間なのかもしれない。……けれど、僕は人を殺すために警官になったわけじゃない。人を助けるためになったんだ」
「……リドリーは、死ぬべきだと思うような極悪人でも、助けるの?」
「……ああ、助ける。例え、死んだほうがいいと思える人間でも。……わかっているよ、自分の仕事とは矛盾しているのは。でも、嫌なんだよ。目の前で人が死ぬのは。……僕はなりたくないんだ。自分だけの解釈で、人の命を断ずるような人間には……」
「……そうね。独善は悪よりもたちが悪いわ。……でもリドリーは、人の死に責任を感じすぎているとも思うのよ。シアンが死んだのは、あなたのせいではない」
「それでも――」
リドリーが言い返そうとするのを、ユノンは手を差し出して制す。
「まず聞きなさい。あなたは死を嫌なものだと考え過ぎているわ。でもね。世の中には悲しいことに、死が救済になることもあるのよ。それは、シアンにしてもそう。彼が捕まっていれば、おそらく彼は、死刑にはならなかったわ」
「……死刑にならなかった?」
リドリーは目を見張る。
殺した理由が復讐であり、正当性があれば、死刑を免れることはあるけれど、シアンはどこまでも私欲からの行動だ。普通であれば、死刑が求刑される。なのに、ユノンはそうはならないと言う。
「シアンは、魔属種との融合体よ。魔術の塔にとっては、喉から手が出るほどに欲しい、研究対象。彼の体を研究すれば、新たな魔術体系ができるかもしれない。だから、死刑にされるくらいならば、魔術の塔が裏で手を回し、実験体として入手していたでしょうね」
「……実験体」
「ええ。実験体よ。自由など何にもなく、非人道的な実験の数々を行われていたでしょう。それこそ、死んだほうがマシだと思えるような仕打ちの数々をね。……だから、シアンにとっては生き残るより、あの場で死んで良かったのよ。下手に苦しまなくて、済んだはずよ」
「でも、人体実験は」
「禁じられてはいるわよ。でも、公にならなければ、そんなの関係ないわ。それに、シアンはもう、人として扱われない。彼は既に魔獣だったのよ」
そう言い切ったユノンの顔を、リドリーはじっと見つめる。
「……ユノンも、シアンで実験をしたかった?」
そう尋ねると、彼女は顔をしかめる。
「……そんな酷いこと、出来るわけないわと可愛らしく言っても良いんだけれど、……残念ながら、魔法研究者の私としては、やっぱり、実験をしてみたかったわね」
「はは。そうか。なら、僕はユノンの魔の手から、シアンを守ったってことかな」
リドリーは笑い、そして、頭を下げた。
「ありがとう、ユノン」
「何がかしら?」
「僕がシアンの死を気にしすぎないように、そう言ってくれたんでしょ? だから、ありがとう」
「別に本当のことを言っただけよ」
ユノンは頬を赤らめ、顔を逸らすようにお茶を飲む。
「……そういえば、エレノアも休暇なのかしら?」
ユノンはリドリーの微笑みに耐えられず、また、話を変える。
「いや。エレノアは働いているよ。一人での巡回はできないから、他のグループと回っているんじゃないかな」
「じゃあ今頃、レリックを追いかけているかもね」
冗談めかしてそんなことを言うユノンに、リドリーは笑みを浮かべて首を横に振る。
「それはないさ。だって、君がレリックだろう?」
笑みを浮かべながらの彼の言葉に、ユノンは表情を強張らせる。
「な、何を言っているのかしら?」
恍けようとするユノンに、リドリーは笑う。
「ふむんふ。君がレリックだと言ったのさ。僕は最初に、ユノンに会ったときから、疑っていた。レリックの腕をつかんだ時、相手の腕の細さから女だというのに気付いた。そして、あれだけの魔法を使えるんだ。魔術の塔の人間以外にいないだろうと考えていた」
「……ふ~ん。……まぁ確かに、炎の魔法を使えて女なら、私はぴったり当てはまるわね」
ユノンは頷いて、不敵な笑みを浮かべる。
「でも、それだけなら他に居るわよ。炎を扱える女魔術師なんて、この塔の中には他にもね」
彼女の言うとおり、炎を扱う魔属種と契約した魔術師は、何十人といるのは事実だ。ペギルの事件で、リドリー自身も調べているはずだ。
「まぁ、そうだろうね。しかし、レリックは貧しい者の味方だ。魔術の塔で、貧しい者の味方をする者は少ないだろう? ユノンのように、孤児として拾われた身でもない限りはね」
「……私のことを調べたの?」
睨みつけるユノンに、リドリーは軽く肩をすくめる。
「まぁ、ペギル殺しの犯人候補だから、一応はね。それでも、僕が疑ったのはそこじゃない。君がユノンとして僕らに会った時、言っただろう? 捕まえに来たのかと思ったと」
「……あれは、説明したじゃない。ペギルの件で来たのだと思ったのだと」
眉を寄せるユノンに、リドリーは首を横に振って答える。
「いや、違うな。君は僕らを見たとき、顔を強張らせてから睨んできた。予め、警官が来ているのは知らされていたはずなのに、今さら警官がいたくらいで、顔を強張らせたのは何故か。それは、ペギルの件で来たと思っていた警官が、さきほどまで戦っていた警官だったからだ。違うかな?」
「……なんで私が、さっきまで戦っていたと思うのよ」
否定することなく尋ねてくるユノン。
「君は、魔法を使って疲れていると言った。青ざめた顔から言って貧血だろう。けれど、血の契約で使う契約魔術は、ほとんど実戦でしか使わないと、君は説明してくれただろう?」
「……そうね」
「そこで、君はどこでそんな実戦を繰り広げたのかを考えれば、僕との戦いだと結びつけるのが普通じゃないかな?」
「……証拠はあるのかしら?」
顔から表情を殺し、淡々と尋ねてくる。
「ふむんふ。証拠はその右腕かな。シアンの戦いで助けてくれた時、怪我をしただろう? お茶を淹れるときの動きが、ぎくしゃくしていたよ。……それに、僕らがシアンの正体に気付いたのと同じタイミングで、レリックはシアンの正体に気付いた。という事は、僕の推測を聞いていたという事だ。そしてあの時、事件の犯人を教えたのは、エレノアと君だけだよ、ユノン」
そう言って微笑みかけるリドリーに、ユノンは諦めたようにため息を吐く。
「……ふぅ。……違うわと言って、適当な理由を造ることもできないこともなさそうだけれど、それすら見透かされそうな気がするわね。……そうよ。私がレリックで間違いないわ」
ユノンはそう言って立ち上がると、棚の奥からレリックの仮面を取り出し、不敵に笑ってみせる。
「ふふ。口封じに殺してあげましょうか?」
「ユノンに、僕が殺せるのかな?」
「……本当に嫌な性格ね」
「良く言われるよ。主にエレノアにだけれど」
苦笑するリドリー。
彼は、化け物となったシアンを倒した。ただ魔法が使えるだけじゃ勝てないことを、ユノンは既に知っている。殺すにしても闇討ちしか勝機はなく、今の向かい合った状況では、不可能に近い。
「……それに、……まぁ、……人を殺してまでレリックであることを隠そうとは思わないわ」
「そうなのかい?」
「ええ。色々と言い分はあるけれど、私のやってきたことは、確かに罪だからね。捕まったのなら、諦めるわよ。それを覚悟した上での、怪盗レリックなの」
そう言って微笑むユノンは、決意に満ちていて、最高に美しい。
リドリーはしばし目を細め、見惚れたように見つめ、そして、頷いて立ち上がる。
「……そう。じゃあ、そろそろ、僕は帰るね」
「……え? 捕まえないの?」
唖然とした顔をするユノンに、リドリーはニコニコと心底楽しそうな顔で返す。今までユノンが見た、彼の一番の笑顔かもしれない。
「ふむんふ。僕は今日、休暇だからね。エレノアには、警官の仕事を一切するなとも言われている」
「……じゃあ、明日捕まえに来るの」
逃げる猶予でも与えてくれたのだろうかと、疑わしそうな目でユノンは見つめてくる。
「いいや。これは、ただの市民であるリドリーと、その友人のユノンとの会話だ。警官のリドリーとしては何も知らないことさ。むしろ、僕自身としては、弱いものを助け、飢え死にするような人を減らしているレリックを、とても支持しているくらいだからね。これからも頑張って。応援しているよ。だから、警官のリドリーには、レリックの正体は隠しておこうと思うんだ」
「……あ、あなたは……」
ユノンは何も言うことができず、ただただ唖然としてしまう。
「まぁただ、警官のリドリーって男には気をつけなね。彼の仕事中に、レリックとして出会ったら、融通の利かない愚かな男だから、逃げるのは大変だろう。……じゃあ、また」
そう言って、笑いながら出ていくリドリー。
扉が閉じられてからしばらくして、ユノンは呆れたように呟いた。
「……あいつ、本当に性格悪いわね」
そう言った彼女の顔には、笑みが浮かんでいた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
どうだったでしょうか? ミステリーになっていたでしょうか?
自分の作品を客観的に見ることがどうも苦手で、作業としてしか感じられないんですよね。それでも読み返していると……爆睡してしまいます。
……つまらないってことなのかな? ……面白いとは思って書いてはいるんですけれど。
まぁ、そんな僕の作品ですが、面白いと思っていただければとても有り難いです。
感想もいただければ幸いです。