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リドリー

「聞きましたか、リドリーさん。オルダーの罰則を!」

 オルダーを捕まえてから四日が経ち、エレノアが詰所にやってきたと共に、無くれたように言ってくる。

「……まぁね」

 朝早くから来ていたリドリーは、素っ気なく答える。

 圧力がかかり、オルダーは捕まえた次の日には連れて行かれてしまった。刑罰についても耳にしている。

 一月の拘留と、多額の罰則金。

 贈賄罪に警官への殺傷しかねない反抗。更には、魔術の塔にも少なからずの被害をもたらしたのだ。あまりにも罰は軽過ぎる。普通ならば、どこかで強制労働だろう。

 しかし、この罪の軽さに心当たりはあった。

 オルダーは富裕層の出だ。

 持てるコネや私財を駆使して、罰を軽減させたのだろう。

 賄賂は罪だ。だからオルダーを捕まえた。けれど、上の者達の間では、当然のように交わされている。故に彼は、当然のように、リドリーに対して、賄賂の話を持ち出したのだろう。

 今の領主、ラグナ・トールエンは、英雄と称えられたラーズにも負けない程に、高潔な人物だと言う。

 しかし、古参の文官達は、どこまでも賢しく、注意深い。どんなに賄賂などの腐った関係をラグナが忌避していようと、尻尾を出さない彼らを、止める事はできていないのだろう。

 リドリーはそれを、腹立たしく思いながらも、仕方ない事だと感じていた。

 裏で、どんなに腐ったやり取りが行われていようと、自分にそれを止めるだけの力が無い。手立てもない。自分が世界を変えられるなんて、思えるわけもない。

 だから、妥協するしかないのだ。

 例え、周囲がどんなに腐っていようと、自分だけは真っ当であろうと思うしかない。

 だから、終わってしまった事件のことなんてどうでも良い。リドリーには、そんな余裕はない。解決されていない事件はまだまだあるのだから。

 ペギル事件。また被害者の増えた通り魔。そして、増え続ける放火。上がせっついてくる怪盗レリック。他にも細かいのを挙げればきりがない。

 エレノアの文句を無視して、オルダーから聞き出した内容の書かれた資料を見る。

 新たにわかった事は、ペギルの実験内容と、彼が貧民の出だと言うことだ。

 その事から、オルダーが動機を持つと言われるのが、わかった気がした。

 ユノンを通じて、周囲からの評判を聞く限りでは、オルダーよりペギルの方が優れていたとも言う。だから、同じ分野を研究し、更には選民思想を持つオルダーには、ペギルの存在が忌々しかったのだろう。

 それが彼とペギルの仲違いの始まり。そして、それに端を発したいざこざは、いくらでもあったと思う。殺す動機としては確かに十分だ。

 けれど、オルダーは殺していないだろうと、何となく思う。捕まえる前、オルダーが賄賂を持ちかけて来た時の話しぶりの印象から思うに、彼は本当に殺していないように思えたのだ。

 もしもオルダーが犯人ならば、捜査状況を気になりながらも、直接関わってくるようなことをしないだろう。接触してきたとしても、もっと間接的な、自分が犯人だと思われない方法を考えるはずだ。なのに、オルダーは堂々と話しかけ、怪しまれてもおかしくないような事を言って来たのだ。

 自分が犯人ではないと、絶対の自信があるのだろう。何故なら、自分が殺していないから。

 なので、たぶん犯人じゃないのだと思う。

 ……まぁ、ただ単に、オルダーが愚かで、自分が犯人だと誰にも証明できないという自信があったという可能性もないので、完全に疑いから外すわけではないけれど。

 それよりも、リドリーはペギルの研究内容が知れた事が大きいと思った。

 魔術の塔に所属しないリドリーには、得られない情報だ。ユノンから、色々と教わることができても、もしもユノンが犯人だった場合、彼女の情報だけを頼りにするのは、危険過ぎるだろう。

 ペギルの研究内容、それは、魔属種と動物の融合。つまり、魔法によって生み出された魔法生物では無く、魔法を使える獣、魔獣を生み出す実験だ。

 けれど、特にリドリーは驚かなかった。

 この地方にはあまり影響はないけれど、この国は隣の国と戦争をしている。何十年という長年の膠着状態で、小さな戦が散発的に行われているだけだけれど、両者の間に決定的な力の差が出来たら、その情勢は一気に変わることだろう。そして、その力の差を付ける為に魔術の塔では、命令を従順に聞く、魔獣を生み出す実験をしていると言う噂が、昔から巷には流れていた。

 だから、噂は本当だったんだと思っただけだ。

 しかし、気になったのはユノンの説明とは違う。彼女の分野とは違うので、ただ単に、知らなかっただけだろうとも思えるし、わざと隠していたとも考えられる。もしも後者の場合、ペギルの研究には、大きな秘密があると言う事にもなる。その時の為に、彼の研究内容についても、もっと深く調べるべきだろう。

 そういえばカーギルも教えてはくれなかった。けれどあちらは、教えてもらう前にこっちが怒らせてしまったので、何とも言えない。やっぱり、あれに関しては怒らせるタイミングを間違えたと思う。

「そういえば、リドリー先輩は聞きました?」

 エレノアがもう一度、そんなことを言ってくる。

「オルダーの件なら聞いているよ」

「それはさっき言ったじゃないですか。馬鹿ですか?」

「失礼だね」

 とりあえずリドリーは彼女の頬を引っ張っておく。

「いひゃい。いひゃいでふ」

「人を馬鹿呼ばわりした報いだ。お馬鹿さん」

 リドリーはそう言ってエレノアの頬を放してあげる。

「今、思いっきり私の事馬鹿って言ってましたよね」

「さぁ、そうだったっけ?」

 リドリーが恍けると、エレノアは不満そうに頬を膨らませる。その姿を見ると、引っ張りたくなって仕方ない。

「むぅ。……それより、ヴァンパイアですよ、ヴァンパイア」

「……ヴァンパイア?」

 それは物語に出てくる吸血鬼のことだ。血を吸ったものを自らの眷属として同じ種族にし、コウモリや霧や狼に変身したり、日光に弱かったりする。創作物語によって、能力は違ったりするけれど、概ねそんな感じだったと思う。

 けれど、何の話だろうか?

 リドリーが首を傾げると、エレノアは楽しそうに笑みを浮かべる。おそらく、自分が知っていて彼が知らない事に、優越感を覚えているのだろう。普段、あんまりない事だから。

「実はですね。夜な夜なヴァンパイアが現れて、人を襲っているって噂があるんですよ」

「へぇ、それは大変だね。気を付けなよ、エレノアも」

 素っ気なく言うリドリー。

「あ、はい。……って、全然信じて無いじゃないですか」

「まぁね。……良いかい、エレノア。ヴァンパイアなんて、この世にはいないのさ。例えば、お腹が空いて一日一人の血を吸っていたとしよう。そうしたら、眷属は毎日増えて行くということだ。そして、眷属だって血を吸い、新たな眷属を創っていくことだろう。だから、その増える速度は一日立つごとに倍々で増えて行き、この町なんて一月も経たないうちに、吸血鬼の巣窟に成り果てる。でも、そんな風になった町や村の噂を聞いた事はないだろう?」

「……むぅ、確かに。……でも、結構大きな噂になってますし、私の友達の友達も見たって言ってたって聞きましたよ」

 一番信じられない情報源だった。

 リドリーは呆れたようにため息を吐く。

「エレノア。人伝えの話しなんてのは、あんまり当てになら無いだよ。もしも見ていたとしても、それは何かの見間違いだって事がほとんどだ。例えば……」

 リドリーはそう考えて、ある事を思いつく。

 今、この町では夜な夜なとはいかないまでも、週に一回か二回、夜に女性が襲われている。ヴァンパイアの噂の出所はそこなのかもしれないと、想像できたのだ。そして、もしもヴァンパイアを目撃していたというのなら、それは、通り魔事件の目撃者なのかもしれない。

「ふむんふ。当たってみる価値はあるかな?」

「どうしたんですか?」

 エレノアが不思議そうに聞いてくる。

「エレノア。そのヴァンパイアの噂の出所を探ってくれないか? ヴァンパイアの目撃者は、もしかしたら、通り魔事件を目撃したのかもしれない」

「通り魔事件をですか? ……あっ!」

 彼女も、その可能性に思い至ったようだ。

「わっかりました! ……って、あれ? リドリー先輩は、一緒に行かないんですか?」

「ああ。今日は別行動をしよう」

「別行動ですか?」

 エレノアが不思議そうに首を傾げる。その気持ちはわからないでもない。

 警邏は基本、二人、もしくは三人が一組になって行われる。暴漢を相手にした時、一人だと手に負えないことや、不意を打たれることもある。けれど、二人以上ならば、そういったことにもかなりの確率で対処できるようになる。それに警官自身、身の危険に晒される事も少なくなる。

 なので、今までリドリーにしても、二人一組の行動を徹底してきた。

 でも、今リドリーには情報が足りなかった。どの事件に対してもだ。

 ヴァンパイアの噂の調査。それは、友人から話を聞きだして行けば良いだけなので、エレノアに危害が加わる可能性は低い。そう判断し、情報収集に力を入れようと考えたのだ。

 けれど、リドリーの考えなんて理解していないエレノアは、期待に目を輝かせる。

「……これはもしかして、リドリー先輩に認められたってことですかね?」

 何だか、とても危なっかしく見えてしまった。本当に、一人で行動させても良いのだろうかと、心配になってしまう。

「……はぁ。とりあえず、今日は情報収集に努めるだけだからね。危ない事には手を出さないこと。……良いかい?」

 言い聞かせるように言うリドリーに、エレノアは力強く頷いた。


 リドリーは、魔術師の塔の周辺にある食堂や酒場などで、外に食べに出かけている魔術師たちに情報収集を行う。例え魔術の研究者でも、ずっと魔術の塔に篭っているのは辟易するのだろう。塔の中には食堂もあるというのに、外に食べに出かける者は多かった。

 話を聞いても、知らないと素っ気なく答える者が多い。

 それでも、何人かに一人は、話を聞いてくれる。

「ペギル氏と仲の悪かった者は知らないか?」

 そう尋ねると、十中八九、オルダーの名前が挙がる。オルダーはよっぽど、ペギルを悪しざまに言っていたのだろう。疑われるのは自業自得な気がしてくる。

「ペギル氏と仲の良かった魔術師を知らないか?」

 そう尋ねると、明確な名前が出てくるのはカーギルくらいで、他は出て来ない。ペギルは貧民の出で、あまり、富裕層の魔術師とは仲がよろしくはなかったようだ。数人の友人はいたようだけれど、それは魔術師ではなく、塔の中で下働きをしている人達ばかりで、魔術師では無かったそうだ。

 商人のシアンは、ペギルを話が好きな良い人だと評している。それは普段、他の魔術師と話せない反動なのかもしれないと思えた。

「ペギル氏は、どのような研究をしていたのかを知っているか?」

 そう尋ねると、たいていの人は魔法生物の研究だと答える。どうも、他の魔術師たちは、分野の違う研究には興味がないようだ。ユノンが間違って教えていたのは、本当に知らなかっただけという可能性が高まった。オルダーが知っていたのは、ペギルを敵視していたが故だろう。

 それに、リドリーは少し安堵する。

 彼はユノンが嫌いではない。貧民の出身でも、魔術の塔で頑張っているのだと知って、むしろ好感が湧いた。そんな相手を犯人だと疑うのはキツイものがある。まぁ、だからと言って、手心を加える気はないけれど。

「では、ペギル氏の研究を、誰よりも理解している人っているかい?」

 たいていの魔術師は、ペギルは魔法生物の研究をしていると言っていた。つまり、彼の本当の研究内容を知らないのだ。

 研究内容を盗むのが目的ならば、わざわざ良く知りもしないペギルの研究内容を盗むような事をしないだろう。それに、現場は荒らされてはいなかった。

 つまり、盗み目的だった場合、目的の物がどこにあるのかを知っていたと言う事でもある。盗んだ犯人は、ペギルの研究を、誰よりも知っていたということになる。

 この質問には、二つの名前がでた。カーギルと商人のシアンだ。

 カーギルはペギルの手伝いもしていたから当然だし、シアンにしても、ペギルと仲が良く、色々な研究の話を聞いていたそうだ。それは、彼に事情聴取をした時にも言われた事だ。

 それに話を聞くに、どうもシアンは、祖父の代から魔術の塔と懇意になっていた商人の一族らしい。一時期は魔術師になろうと勉強もしていたらしく、魔術の知識は、そこらの魔術師にも負けないくらいにあるのだそうだ。

 結局、魔印が見えないと言う根本的な才能の欠如から、魔術師の夢は断たれたが、ペギルとしては魔法の話も通じるし、話していて楽しかったのかもしれない。

 第一発見者。才能というどうする事もできない事で、成れなかった魔術師への妬み。

 犯人として疑うには、中々あり得る話だ。

 ……けれど、シアンは犯人ではないだろう。

 ペギルは魔法によって焼かれているのだ。どんなにシアンに魔法の知識があろうと、彼は魔印が見えず、魔法の使えない彼には、この犯行は無理だ。

 もしも、何かの間違いで魔法が使えたとしても、そもそも魔法が使えてしまえば、魔術師への妬みという動機も無くなってもしまう。

 やはり、彼は犯人ではない。


「うぅ、たらい回しにされている気がしますよ」

 エレノアは町中を一人、とぼとぼと歩く。

 ヴァンパイアの噂の出所を探ろうと、教えてくれた友人を起点にして、尋ねて回ったのだ。けれど、友達の友達の友達辺りから、誰に聞いたかが曖昧になっていく。

 更に、うろ覚えのように教えてくれるものだから、辿り着いた先で、私はそんなこと言っていないよと言われる事もしばしば。

 このままでは何の成果もない。

 自分を一人で送り出してくれたと言う事は、リドリーは信頼してくれたのだとエレノアは思う。だから、ちゃんと手掛かりなりの成果が欲しかった。このままじゃ、詰所に帰るに帰れない。そんな気分にすらなる。

 何か、手柄が欲しいのですよ。

 エレノアがそんなことを思っていた時に、擦れ違う男達の話を耳にする。

「レリックが出たらしいぜ」

「レリック? マジか? また、金をばら撒いているのか?」

「らしい。俺達も拾いに行くか?」

「はは。もう完全に出遅れているよ」

 その話しを耳にして、エレノアは目を輝かせた。

 確かに、レリックが盗んだ金品を配るのは短時間だ。少しでも出遅れれば、拾うのは難しい。けれど、エレノアが欲しいのは金品じゃない。いや、本当は金品も欲しい。でも、今必要なのはレリックの情報。もしかしたら、近くを探せば偶然、レリックを見つけられるかもしれない。

 ヴァンパイアの情報を得ることができなかった今、些細でも良いから手柄が欲しい。そして、レリックの手掛かりともなれば……。

「これは、汚名挽回のチャンスですね。……あれ? 名誉返上? ……まぁ、とにかく、チャンスですよ」

 エレノアは力強く頷き、早速、レリックを探すことにする。まずは、金品の配られた場所の確認だと彼女は考え、表通りから裏道へと入って行く。

 リドリーは危険だと言っていたけれど、エレノアはどちらかといえば、裏通りに住んでいる。というか、たいていの人がそうなのだ。危険だと言っているリドリーだって、裏通りに住んでいる。確かに裏通りは表通りよりは犯罪が起きやすいけれど、ただ、見通しが悪いだけでしかない。

 本当に危険な場所もあるけれど、それは、町の外側の貧民街の周辺だけだ。

 まぁ確かに、裏通りには警官や兵士が嫌いな人もいるから、余計なトラブルも起こるけれど、ここはエレノアの住んでいる近所でもあるし、顔見知りも多い。そうそう、危険な事にはならないだろう。

 だから、彼女はリドリーの忠告を無視して、裏通りへと入って行った。

 おそらくレリックは、前に目撃した時のように、仮面とフードの付いたローブ姿をしているのだろう。正直、目立ち易いはずだ。道行く人に、そんな恰好をした人を見なかったかと尋ねて回る。けれど、芳しい答えは出て来ない。

 皆は、レリックを匿っているのかもしれない。

 エレノアはそれを仕方ないとも思う。

 きっと、自分が警官になっていなければ、同じようにレリックをかばったと思うから。

 レリックは貧しい人を救っている。

 その事実は変わらないのだから。

 そう考えたら、探し出す気が失せていく。

 ここはもう、怒られることを覚悟して、帰るべきかもしれませんね。

 そんな事を考えていると、声が聞こえてくる。何を言っているのかまでは聞き取れなかったけれど、誰かを恫喝するような声だ。

 喧嘩だろうか? もしかしたら、恐喝という可能性もある。

 エレノアは自らの正義感に突き動かされ、声のする方へと進む。

 すると、奥まった路地裏で、エレノアよりもいくつか年下の男の子が追い詰められたように、ガタイの良い男達三人に取り囲まれている。

「お前、レリックのばら撒いた金を持ってんだろ? 出せよ」

「や、やだ。母さんが病気で寝込んでいるんだ。これがあれば、母さんに精の付くものを食べさせてあげられるんだ」

 懐の物を守るように、背中を向け、身を小さくする少年。逃げられない事を悟り、どんなに殴られても渡さないという姿勢を見せている。

 エレノアは、男達が少年の話を聞いて、同情して手を引いてくれることを願った。けれど、男達はへらへらと笑いながら言った。

「そっかそっか。母ちゃん思いだな。……でもな、ガキ。レリックのばら撒いた物は全部盗品なんだよ。つまり、盗んだものを拾ったお前も同罪さ。お前の母ちゃんだって、自分の為に盗みなんてして欲しくはなかったと思うぜ」

「ははは、言えてる」

「ほら、ガキ。俺らが警官に届けてやるから、素直に渡せよ」

「うっわ。俺らって親切」

「全くだぜ、ぎゃはは」 

 男達はバカ笑いをしながらそんな事を言う。

「なら、私が受け取りますよ。何故ならその警官ですからね」

「あん?」

 男達の視線がエレノアに向く。

 制服を見れば、彼女が警官であることがわかるはずだ。

 もちろん、彼らが警官に届けると言うのは嘘だろう。だから、本当の警官が現れたら、彼らは困るだけだ。

 これで逃げ出してくれるのなら良いのだけれどと、彼女は半分願うような気持ちで思う。

 一応エレノアも警官としての訓練を積んでいるので、一対一ならば、そこらの男に負ける気はないけれど、さすがに三人はキツイ。正直、普通にやって勝てる気がしない。

 リドリーは普段持ち歩かないけれど、エレノアにはいざという時の為に、小剣も持っている。

 警棒なんかよりも殺傷能力が高いその武器は、大きな抑止力になる。

 この剣を抜けば、もしかしたら引いてくれるかもしれない。

 しかし、それでも男達が襲いかかって来た場合、取り返しのつかない事になる可能性も高い。できれば、小剣を抜くのは避けたい。

 例え相手が悪人であろうと、殺すどころか、傷付けるのも怖い。

 リドリーが居ればと、エレノアは思わずにはいられない。彼は馬鹿みたいに強い。警官の中では間違いなく一番だし、もしかしたら、騎士にだって勝ててしまうんじゃないかと、エレノアは思っている。

 そんな人といつも捜査しているから、自分がどんな危険な目にあっても、リドリーが助けてくれると、どこかで彼女は思っていた。だけど今、リドリーはいない。

 男達になんとか不敵な笑みを浮かべてはいたものの、エレノアは内心では早まったかもしれないと冷や汗ダラダラだ。

 もちろん警官として、人を守りたいとは思う。けれどやっぱり、なんだかんだで、自分の身が一番大事だし。リドリーは何故かそんな事を考えないのだけれど、エレノアとしては、勝ち目のない戦いはしたくない。

 まぁ、誰だってそうだ。何にでも果敢に立ち向かうリドリーがおかしい。

「うぅ、リドリー先輩が何にでも首を突っ込む性で、私まで考えなしに動いてしまいましたよ」

 エレノアは小声で恨みがましく言いながら、男達がどう出るかを注意深く見つめる。

 こちらに襲いかかって来たら、全力で逃げようと、彼女は心に決める。

 男達はどうするかというように、視線を交わし合う。

 警官に手を出す面倒さ。

 小娘から逃げると言う屈辱。

 だいたいの所は、どっちに傾くかだろう。

 こんな時、エレノアは自分の体が恨めしい。

 もっと強そうな体だったら良かったのにと思うのだ。体だけじゃない。顔だって、子供みたいな顔じゃなく、もっと鋭いものがあれば、男達だって相手をすることを嫌がるはずなのだ。

 その点、リドリーは相手への威圧感が凄い。鍛えた体は細身に見えるかもしれないけれど、隈だらけの病んだようなあの瞳に見つめられたら、誰だって恐れ戦くことだろう。

 まぁ、エレノアとしても、あんな風にはなりたくないけれど。

「まぁ、警官って言っても、ガキみたいだしな。数発殴れば、黙らせる事もできるだろう」

「つぅか、そいつちっちゃいけど、本当に警官かよ」

「ぎゃはは、確かに。制服とかぶかぶかだぜ」

 男達は嘲るようにそう言うと、殺気だった目を向けてくる。これはもう、逃げるしかないだろう。

 エレノアがそう決断しようとしたとき、絡まれていた男の子の顔が目に入る。

 何かに縋るような泣き顔。そして、彼が縋っているのが誰なのか。

 もちろん、エレノアだ。

 彼女はため息を吐いて警棒を抜く。

 自分の事を馬鹿だと思う。

 けれど、彼女には見捨てる事はできなかった。

 エレノアもまた、助けられたことがあるのだ。あの姿に憧れて警官を志した。なのに今、逃げ出したら、あの時の憧れに近付くことなんてできないだろう。

 倒さなくてもいい。三人の男を、男の子から遠ざければ、勝手に逃げてくれるはずだ。

「お? やる気か、ガキ」

「失礼ですね。ガキではありませんよ! これでも立派な警官です!」

「あら? どこが立派なのかしら? がっかり警官」

「なんですか、失礼ですね! ……って、色気女」

 突然の言葉に文句を言いながら振り返れば、女性らしい体を魔術師のゆったりしたローブで隠したユノンがいた。……いや、ゆったりとしたローブの下でも、彼女の女性らしい体はわかる。正に、色気女だとエレノアは思う。

「……誰が色気女よ」

「あなたの事ですよ、ユノンさん。この我が儘ボディーが。……けっ」

「……清々しいまでの妬みっぷりね」

 ユノンは呆れたように言う。

「……褒めても何も出ませんよ?」

 物凄いキョトンとした顔で首を傾げるエレノア。

「どこら辺が褒めているのよ。本当にがっかり警官ね。……それより、何しているのかしら?」

「それは、あそこの悪漢三人組みが、男の子から金品を脅し取ろうとしていたので、颯爽と助けに入ったのですよ。何故なら私は、正義の警官だから」

「へぇ、立派じゃない。……それで、その三人を倒せそうなの?」

「無理ですね。さすがに三人はキツイです。リドリー先輩なら軽がると倒せるんですけれど、今は別行動ですし」

「……そう。まぁ、良いわ。じゃあ私が、手助けしてあげる」

「え?」

 エレノアは驚いて、ユノンを見上げる。

 まさか、そんな事を言ってくれるとは思わなかった。

 彼女は、戸惑う男達の方へと、不敵な笑みを浮かべている。

「なんだよ、姉ちゃん。邪魔するってのか?」

「それとも、俺達の相手をしてくれんのか?」

「そりゃ良いな。ぎゃはは」

 下卑た笑いをする男達。

 自分とは随分違う反応だ。やはり、色気女じゃないかと、エレノアは恨めし気に思う。まぁ、あんな男達に、女として見られても嫌だけれど。

「……大丈夫なんですか?」

 エレノアは確認するように尋ねると、エレノアは気負うことなく肩を竦める。

「余裕よ」

 その言葉と同時に、男達の目の前に、炎の渦が突然巻き起こる。

 いきなりの事に、男達だけでなく、エレノアも驚きに目を見開く。

「ま、魔術師かよ」

 男達は恐怖を持って、エレノアを見る。普通の人にとって、魔法とは理解できない不思議なものでしかなく、恐怖の対象として見られている。男達にとってユノンは恐ろしい存在となる。

「そうよ。襲ってくると言うのなら、次の瞬間には全身火だるまにしてあげるけれど、覚悟は良いかしら?」

 ユノンはどこまでも不敵に笑う。

「……冗談じゃねぇ」

 男の一人がそう言って逃げ出した。それを皮切りに、二人の男も後を追うように逃げていく。

「ね? 余裕でしょ」

 満足そうな笑顔を向けてくるユノン。

「……なんだか、釈然としないのは何故でしょうか?」

「えぇ? 助けてあげたのに、それはないでしょ」

「……まぁ、そうなんですけれどね。……助けてくれて、ありがとうございます」

 そう言いながらも、魔法という手段が、卑怯に思えて仕方ない。エレノアは自分がやられる事を覚悟したのに、ユノンは何の苦労も覚悟もなく、追い払ってしまったのだ。

 自分の無力さを思い知らされた気分になる。

「それより、あの子はどうするのかしら?」

 ユノンは、逃げ出すタイミングを失った男の子を指差す。魔法を近くで見た性で、恐怖に顔を歪め、腰を抜かしたようにへたり込んでいる。

「どうするって何がですか?」

「あの子、エリックの盗んだ金品を持っているんでしょ? 回収するのかしら?」

「……最初から見ていたんですね」

「ふふ、まぁね。まるで、正義の味方みたいな登場だったでしょ?」

「私にとって、正義の味方はリドリー先輩で十分ですよ」

「リドリーが正義の味方?」

 ユノンは意外そうな顔をする。

 まぁ、それも仕方ないとは思う。リドリーは猫背な上に、隈だらけの為に目付きも悪い。パッと見た感じ、正義の味方というよりも悪党だ。

 彼の良さは自分だけがわかっていれば良いとも思うので、特に言い返す気もしない。何故なら、ライバルは少ないに限るから。

 エレノアは不思議がるユノンを無視して、男の子に近付く。

 男の子は、エレノアが金品を回収しに来たのだと思ったのか、体を強張らせる。エレノアは警官で、下手に手を出す事はできない。ならば、逃げるしかないのだけれど、彼はすっかりユノンによって脅えきってしまっている。

 エレノアは優しく微笑み、男の子の頭を撫でる。

「お母さんが病気なんだよね?」

「……うん」

 小さく頷く男の子。

「そっかそっか」

 エレノアはそう言って頷くと、男の子を立たせてあげる。

 彼は戸惑ったようにエレノアの顔と自分の懐を見比べる。おそらくそこに、レリックの盗品が入っているのだろう。けれど、エレノアはそんなものに興味はないと言わんばかりに、男の子の背中を押す。

「さっきの男達が、まだ近くに居るかもしれないから、気を付けて帰りなね」

「……うん」

 男の子はおずおずと頷き、走り出した。

「良かったの?」

 ユノンが意外そうな顔をして聞いてくる。

「何がです?」

「私はてっきり、男の子からレリックの盗品を回収するんだと思ってたわ。証拠品だって言ってね。それが警官の仕事じゃない。少なくとも、仕事に真面目そうなリドリーなら、そういうことするでしょ」

「……そうですね」

 きっと、リドリーなら回収したのかもしれない。けれど、エレノアは苦笑して答える。

「私は、警官としては中途半端ですから、中途半端なことしかできないんですよ」

「ふぅん。……ふふ、優しいのね。私はあなたが、結構好きよ。融通の利かないあなたの先輩よりも」

「色気女に好かれても、嬉しくないですよ。……それに、ユノンさんはリドリー先輩の事を誤解しています。先輩ほど、優しい人はいないのですよ」

「そう? 少なくとも、リドリーはあの男の子から盗品を回収するんでしょ? そしたら、あの子の母親は救われないじゃない」

「そんなことないですよ。リドリー先輩は、結構、気付かなかったフリとかしますし、もしも、盗品は回収したしても、リドリー先輩なら、あの子のお母さんを救う為に、お金を寄付してあげたと思いますよ」

 エレノアがそう言うと、ユノンは眉を寄せる。

「……寄付ねぇ。……でもそれは、偽善じゃないの? この町には、この世界には、苦しんでいる人がたくさんいるわ。それをどうにかしようともしないで、偶々目の前に居たからという理由で救うなんて、それはただ単に、目の前で苦しむ人を救った自分が、素晴らしい者だと思えるからって理由じゃないの。それはただの自己満足で、優しさでは無いと思うけれどね」

 ユノンはまるで、吐き捨てるように言う。そんな様子に、エレノアは首を傾げる。

「ユノンさんは小難しく考えますね。別に良いじゃないですか、自己満足でも。それで誰かが不幸になるのなら確かに問題ですけれど、リドリー先輩は幸せになる人を増やす努力をしているだけです。例えそれが偽善であったとしても、私は優しさだと思いますよ」

「……あなたは単純ね。貴族の中には、貧民たちに金をばら撒いた者がいたわ。けれど、彼は善意でばら撒いたわけではないわ。それに群がる民衆を見て、愚かだと笑い、自分は上位者だと感じて喜んでいたのよ。確かにそのおかげで、数日は飢えずに済んだかもしれない。でも、あなたはそんな様を見て、偽善でも優しさだと思うのかしら?」

 ユノンの憎々しげな表情を見て、エレノアは思い出す。彼女は魔術の塔に所属しているけれど、出身は貧民だということを。

 貴族達がばら撒く金。生きていく為、それを拾わなければいけない人々。彼女もその中に居たのかもしれない。

 きっと、心の中ではとても惨めだったことだろう。確かに飢えはしのげたのかもしれないけれど、自分の中の尊厳を踏みにじられたはずだ。

「……その偽善は、確かに最悪ですね。でも、そんなのとリドリー先輩を一緒にしないでください。あの人はただ、自分のできる範囲で、身近な町の人を救いたいと思っているだけなんですよ。だから、騎士にだってなれるのに、警官のままでいる事を選んだんですから」

 エレノアはそう言い返した。リドリーが悪く思われるのが嫌だった。

「……そう。……あなたは本当に、リドリーが好きなのね」

「あったり前じゃないですか。私はリドリー先輩に憧れて、警官になったのですから」

 そう言って、エレノアはリドリーとの出会いを語る。

 そう、まだ警官では無かったエレノアは、かつてリドリーによって救われたことがあるのだ。

 町で暴れた大型の魔獣。町の騎士達は遠征に出ており、警官達は避難誘導をしていたけれど、魔獣による被害はどんどんと広がっていた。

 そして、エレノアは逃げ遅れたのだ。

 目の前に現れた魔獣。それは建物のように大きく、今よりも幼かったエレノアには、どうする事も出来ず、ただ、喰われるのを待つのみだった。

 しかし、そこに現れたのは、新米の警官だったリドリーだ。

 今までは先輩の指示に従って、避難誘導をしていたのだけれど、襲われそうなエレノアを見て、魔獣の前に立ちふさがったのだ。

 リドリーにしても勝てる自信なんてなかったのだろう。目の前の魔獣に、恐怖を感じて彼の足が震えているのを、エレノアは気付いていた。

 けれど、ここで退けば彼女が喰われると思ったリドリーは一歩も退くことなく、血みどろになりながらも魔獣と戦い、そして、辛くも退治に成功したのだ。

 あの時のリドリーの姿は、エレノアにとって、どんな英雄よりも英雄らしかったと思う。

 これは四年前の出来事だ。この話は、リドリーという名前を知らなくとも、この町に住んでいる誰もが知っている。だから、彼の活躍を知る町の人は、彼をとても好意的に思うのだ。

「だから、リドリー先輩を悪く言う人は、私が許しません」

「……そう。少女を守る為、大型魔獣に立ち向かった警官がいたって噂は聞いた事があったけれど、彼がそうだったのね。……確かに、人を守る為に命を懸けられる者を、下卑た貴族と一緒にするのは失礼ね。ごめんなさい」

 ユノンは殊勝に頭を下げた。

「わかれば良いのですよ、わかれば」

 そう言いながら、エレノアは内心で首を傾げた。

 何で自分はリドリーの良さを教えてしまっているのだろうと。


「何で付いてくるのですか?」

 詰所に帰ろうとするエレノア。その後を付いてくるユノンに、迷惑そうな顔をして尋ねる。

「あなたとリドリーに用があるからよ」

「用? なんですか? 厄介なことでも言ってくるつもりですか?」

 胡散臭そうなものを見るような顔をするエレノアに、ユノンは笑う。

「ふふ。そんなんじゃないわよ。ただのお礼よ、お礼」

「お礼……ですか?」

「そうよ。リドリーが炎の魔術が得意な者に、罪を着せようとしているっていう仮説を立てたじゃない。それをカーギルが、事件の調査会で話してくれたのよ。そうしたら、私の疑いが完全に晴れたわけではないのだけれど、それでも、私を強硬に逮捕しようっていう動きの牽制にはなったわ。それに何より、あなた達がオルダーを逮捕したのが大きかったわね。オルダーを擁護する声が弱まったのよ。だから、そのお礼。ありがとうね」

「そうなんですか。……でも、オルダーを捕まえたのは、成り行きですよ? というか、彼が勝手に、自滅しただけです」

「ふふ。それでもよ。助かったのは事実なんだから、素直にお礼をさせて欲しいのよ」

「まぁ、お礼をしてくれるって言うのなら、別に構いませんけれど。……あっ。そう言えば、リドリー先輩はラッセルのケーキが好きなんですよ。あれを買って行くと良いですよ」

 好きなのは自分なのに、しれっとした顔でエレノアは言った。

「ラッセル? 確か、お菓子の銘菓として有名なお店よね。あそこって、滅茶苦茶高いじゃない」

「そうなんですよねぇ。だから、リドリー先輩の月に一度の楽しみなんですよ」

「ふぅん。けれど、わかってないわね、リドリーも」

 やれやれといったように、首を横に振るユノン。

「……何がですか?」

「私は、ラッセルよりもフラマンジュの方が美味しいと思うわ」

「フラマンジュ……ですか?」

 エレノアの聞いた事のない名前のお店だった。

「ええ。隠れた名店よ。少ない人でやっているから、作る数はとても少なくて、あんまり知っている人も多くはないんだけれど、ラッセルよりも安いし、とにかく美味しいのよ」

「そ、そんな。私の知らないお菓子屋があったなんて。……というか、ユノンさんはお菓子とかに詳しいのですか?」

「ええ、まぁね。頭脳労働をしていると、甘いものが欲しくなるのよね」

「そうなんですね。わかりますよ」

「え? エレノアは頭を使っているの?」

 心底意外そうな顔をするユノン。

 エレノアは不満げに頬を膨らませる。

「酷いこと言いますね。これでも警官なので、覚える事も多いですし、報告書なんて、物凄く頭使いますよ」

「そう。……じゃあ、リドリーも好きだと言うし、お礼はケーキにしましょうか。……ラッセルで良いのかしら?」

「あ、いえ、ここはフラマンジュにしましょう。もしかしたら、リドリー先輩も、そのケーキを気に入るかもしれませんし」

 そう言って、目を輝かせるエレノア。

「……なんて言うか、ケーキを楽しみにしているの、あなたでしょ」

 ユノンはエレノアをジト目で見つめる。

「……そんな事ありませんよ?」

 視線を逸らしながら何故か疑問形で言ったエレノアには、どこまでも説得力はなかった。


 リドリーは詰所に戻ると、魔術師たちから得た情報を整理する。新しい情報はあまり得られなかったけれど、それでも、気になることはあった。

 情報が矛盾しているものもある。

 まぁ、ペギルの行っていた実験を知る者が少なかったように、深く知らないということから来る誤解の可能性もある。なので、完全に怪しいということでもない。

 それに、どんなに考えたところで、犯人へと結びつかない。

「……難しいね」

 凶器などがあれば、その入手先を調べて犯人を割り出す事も出来たかもしれないけれど、魔法ではそうもいかない。

 リドリーは事件について考える。もしも自分が犯人だったとして、どういう行動をするだろうか。

 燃やされる前に、ペギルは大量の血を流して殺された。それを行った凶器はわからないけれど、おそらく、ナイフのようなものだろう。その凶器はどこにあるのだろうか? それが見つかれば、事件は進展するかもしれない。けれど、研究室を探しまわったが、見つからなかった。自分が犯人だったとするなら、持ち帰り、処分してしまったと考えるのが普通だろう。血ぐらいならば、その場で拭うことだって出来たはずだ。

 なら、違う手掛かりはないだろうか?

 一目で致死量と思われる血が、地面に流れていた。つまり、犯人は大量の返り血を浴びたと思われる。そんな姿で魔術の塔を歩けば、それこそ、目撃者がいるはずだ。

 でも、そんな話は聞かない。ということは、血を浴びた衣服は着替えたのだと考えるべきか。……犯人は着替えを用意していた?

 ナイフだけならば護身用として常に携帯していたと考える事もできるけれど、衣服に関しては、この時の為に用意していたとも考えられる。つまり、ペギルの殺害は衝動的なものでは無く、計画的なものだろう。

 着替えた衣服はどうしただろう? ナイフと同じように持ち帰った?

 いや、それよりも確実な方法がある。燃やしてしまえば良いのだ。ペギルと一緒に。

 そうすれば、返り血を浴びた服という証拠はこの世からなくなる。

 つまり犯人にとって、ペギルを燃やす事は元々の計画だった。

 この事件の犯人は、かなり用意周到で用心深いと考えられる。ならば、火の魔法が得意だなんて手掛かりを残しはしないだろう。ならば何故、わざわざ火の魔法を使ったかだ。

 普通に考えるのならば、自分を疑いから外す為。もしくは、火の魔法が得意なオルダーに罪を着せる為。

 そうなると、一番怪しいのはカーギルだ。

 彼が火の魔法が得意だと言う噂は聞かない。なので、ペギル殺しで行われた工作をする意味がある。それに酒場ではもう一つ、彼に関する気になる話が聞けた。

 事件の数日前、カーギルがペギルに対して、何かを熱心に語りかけていたというのだ。別に喧嘩をしていたわけでは無く、カーギルが何かを説得していたようだったと言うことだ。

 説得という事は、ペギルに何かを止めさせようとしていたという事だろう。……もしくは、何かをするように勧めていたか。

 そして、色よい返事をしてくれなかった事に腹を立てての殺害。

 ありそうではある。けれど、その内容がわからない事には、追及のしようもない。

 やはり、情報が少な過ぎる。

 リドリーがそう思った時、詰所の扉が開かれる。

「ただいまですよぉ」

 馬鹿っぽい声がする。どうやらエレノアが帰ってきたようだ。

「ふむんふ。遅かったね」

「あぁ。リドリー先輩の方が、先に帰っていたんですね、良かった」

 エレノアが嬉しそうな声を上げる。

 ヴァンパイアの噂について何か収穫があったのだろうか? そう思って目を向けると、エレノアの後ろを付いてくるユノンが目に入った。

「ついに捕まったのか?」

「ついにって何よ。ただ、お礼をしに来ただけ」

 そう言って、ユノンはバスケットを見せてくる。

「ケーキですよ、ケーキ! ユノンさん曰く、ラッセルのケーキよりも美味しいらしいんです。すぐにお茶を淹れますねぇ」

「……だから、エレノアはあんなに大喜びなのか」

 リドリーは苦笑する。

「やっぱり、ケーキが好きなのはあの子なのね」

「ふむんふ、そうだね。それがどうかしたのか?」

「リドリーが好きだからお礼をケーキにしようと言って来たのよ、エレノアが」

「なるほどね。……まぁ、僕も嫌いじゃないから別に良いさ。それよりもお礼と言う事は、ペギル殺害の容疑からは、逃れる事が出来たのかい?」

 リドリーは察し良く、ユノンのお礼の意味に気付く。

「まぁ、完全にではないけれどね」

「そうか。それは良かった」

 リドリーはそう言って頷く。

「……そう言えば、ユノンはペギルの研究内容を詳しく知っていたか?」

「ん? 魔法生物の研究じゃないの?」

 リドリーはその言葉に嘘が無いかを見極めようと、彼女の仕草を真剣に見詰めるけれど、特に隠しているような様子もない。

「……ペギルは、軍事利用のできる魔獣を生み出そうとしていたそうだ」

「魔獣を? へぇ、そうだったのね」

 リドリーとしてはそこそこ重々しく言ったつもりだったのだけれど、ユノンの返答は全く気負いの無いものだった。

「驚きはないんだな」

「まぁ、魔術師の塔だって、国に従っている研究者たちの集まりよ。そういうのもあるでしょ。私だって、魔法の武器の作成とかさせられているしね」

 確かにその通りだ。魔術の塔は国の役に立てる為に設立された。その役に立つという部類は、人々の生活向上にだけ向けられていると考えるのはあまりにも不自然だ。武力方面にもあってしかるべきだろう。

 リドリーは魔獣を生み出すという行為におぞましさを感じ、どこかで忌避感を覚えていたのだ。でも、結局の所、魔獣がもし兵器として開発されれば、それだけ戦争で死ぬこの国の兵士が減るということでもある。

「じゃあ、ペギルの研究は、別段、怪しい者という訳ではないのか」

 カーギルが説得していたと聞いて、この魔獣を生み出す研究をやめさせようとしていたのではないかと考えたのだけれど、これが国からの命令だと言うのなら、カーギルが何を言ったところでやめることができるわけもなく、彼だって、止める事自体無駄だと言う事を理解しているはずだ。

 では、カーギルは何を説得していたのだろう?

「ふむんふ、ユノン。ペギルが殺される少し前、カーギルが彼を、説得するような事をしていたらしいが、君には心当たりはないかい?」

「ん? カーギルが? ……さぁ、どうだろう。……でも、そうなると、ペギルがその説得を聞き入れないから、カーギルが殺したってこと?」

「まぁ、その可能性もある。だから、その説得していた内容が、どの程度のことなのかを知りたいんだ。もしも、二人で重大な犯罪でもしていて、ペギルが自首しようと考え、それをカーギルがやめるように説得したってのと、ペギルが好きな子に告白しようとして、それは無理だからやめとけと説得したってのでは、事件に発展する重要度が、全く違うだろう?」

 前者なら口封じで殺したと考えられるが、後者は殺人に絡みそうにない。カーギルもその子の事が好きだったのなら、まだ、可能性はあるのだろうか? 

 ……それでも普通、殺すか?

「いや、まぁ、そうだけれど。何、その例え?」

 微妙な顔をするユノン。

「ん? わかり難かったか?」

「いや、別にわかったから良いけど。……それより、確かに気になるわね。カーギルがペギルの何を止めようとしていたのかしら?」

「勧めていたという可能性もあるけれどな」

「あぁ、そうか。勧めたのに入らなかったから、友達として裏切られた気がして殺したってことね。……でも、動機としては薄そう」

「まぁ、確かに」

 カーギルが何を説得しようとしていたのか。本人に聞いても、素直に答えてくれるとも限らないので、その内容を知るのは難しい。

「お茶を淹れて来たのですよぉ」

 エレノアが呑気な声と共に、給湯室からやってくる。

「ああ。ありがとう」

「考えが煮詰まった時には、甘い物が一番なんですよ」

 そう言いながら、エレノアは獲物を狙うような目で、ユノンがテーブルに置いたバスケットを見つめる。

 犯人に対しても、その鋭さを見せて欲しい。

「そういえば、リドリー。もしもあなたが、レリックの配った盗品を拾った男の子がいたとしたら、その盗品を回収する?」

 ユノンが思い出したように聞いて来た。

「いきなり何だい?」

「来る途中、レリックの盗品を拾って、暴漢に絡まれている男の子が居たのよ。偶々一緒に居合わせたエレノアと一緒に追い払ったんだけれど、エレノアは男の子が拾った盗品を、見てみぬふりをしたのよね。男の子には病気のお母さんが居るって言うし、私的には、良い事だと思ったんだけれど、あなたならどうするのかと思ってね」

「ふむんふ。そんな事があったのかい? エレノア」

「……え、えっと、……まぁ、……はい」

 エレノアは気まずそうに認めた。

「全く。危ない事には関わるなと言ったのに。……でも、良い事をしたね。警官としては駄目な事なのかもしれないけれど、人としては誇って良い事だと思うよ」

「うわぁ。ありがとうございます」

 リドリーの言葉に、エレノアは嬉しそうに顔を輝かせる。

「あら? あっさり許すのね」

「ああ、許すさ。僕は人を守る為に警官になったんだ。警官だと言う事で人を守れないのなら、僕はそんな職業、辞めてやる」

「ふぅん。……なんか、感心したわ。エレノアの言う通り、リドリーは優しいのね」

「惚れちゃ駄目ですよ」

 間髪いれずそう言ってくるエレノアに、ユノンは苦笑する

「……別に惚れないわよ。それより、ケーキを食べましょう。早く食べないと、傷んじゃうわ」

「そうですね。食べましょう」

 エレノアは喜々としてケーキを取り出す。

 ケーキは色とりどりな果実の乗ったフルーツタルト。

 甘さの少なく香ばしいタルト生地に、蜜に漬けたフルーツが甘さを合わさり、絶妙なバランスを取っていた。

「んま~。なんです、このフルーツタルト。とんでもなく美味しいですよ」

「ああ、そうだな」

 リドリーは味には疎いけれど、これが本当に美味しい事がわかる。

「んふふ。喜んでもらえてなによりだわ」

 嬉しそうに笑うユノン。

 三人はしばし、タルトケーキをゆっくりと味わった。

「うぅ。もう、死んでも良いです」

 ケーキを食べ終わり、その余韻を楽しむエレノア。本当に幸せそうな顔をしており、今死ねば、本当に天国にでも行きそうだ。

 リドリーはお茶を啜り一息吐くと、そんなエレノアに視線を向ける。

「それで、エレノア。ヴァンパイアについて、何かわかったかい?」

「あっ、……いえ、それがまだ」

 幸せそうな顔が一転、着ますそうな顔をする。

「……そうか。まぁ、仕方ないな」

「怒らないんですか?」

 恐る恐ると言ったように見上げてくるエレノア。そんなに自分はいつも、怒っていただろうかと、リドリーは苦笑しながら思う。

「別に、一生懸命やっているのなら、成果が出なくとも怒りはしないさ。サボったわけではないのだろう?」

「あ、はい。当然です」

「なら良いさ」

 リドリーの言葉に、エレノアは心底安堵したような表情をする。

「ねぇ、そのヴァンパイアって何の話?」

「ああ。最近、ヴァンパイアが出たっていう噂があるんだ。僕らはそれを、ここ最近の通り魔事件の噂に、尾ヒレが付いたものだと考えているんだ」

「なるほどね。そんな事件もあるのね」

「あっ。でも、吸血鬼って、魔属種みたいですね。彼らも血を欲しがるんですよね」

 エレノアが閃いたという顔でそんな事を言う。

「はは、そうね。でも、魔属種は普通、実態を持たないから、私達魔術師が契約しない限りは、血を吸ったりしないわよ。それも、吸ったとしても契約者の血だし」

 ユノンは笑って、そう言った。

 でも、二人の会話を聞いて、リドリーはもしもと考える。

 もしも、魔術師が他へと代償を求められたらどうだろうか? もしくは、人並みに知識を持った魔獣が現れた可能性も考えられる。

 魔獣が人を襲うのは、血を求めるという、実態を持つ前の魔属種の性が、強く出ているからだという。ならば、知能を持ち、こっそり血を集めるという考えが働けば、今のような状況が生まれるのではないだろうか?

「でも、私がもしもヴァンパイアに襲われて血を吸われたら、襲われたなんて、人には言えないかもね」

「え? 何でですか?」

「だって、私もヴァンパイアにされたんじゃないかって、周りに疑われるのよ。そんなの、嫌じゃない」

 ユノンの何気ない言葉。

 けれど、リドリーはそれで気付いた。襲われた女性が、襲われた時の状況を覚えていない訳を。

 いや、彼女達は覚えているのだ。だからこそ、言えずにいる。ヴァンパイアに襲われたなんて。つまり、通り魔は人型の魔獣ということだろうか?

 そう考えていると、ある推測が立つ。

「もしかして、そう言う事なのか?」

 何の確証もない。でも、その推測が正しければ、放火事件、通り魔事件、そして、ペギル殺害の事件も解決する。


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