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魔術の塔

「どこに向かっているんですか?」

 レリックに逃げられた次の日、目的の場所に向かって歩いていると、エレノアが問いかけてくる。

「魔術の塔だよ。レリックを捕まえるには、あの魔法に対抗する必要がありそうだから、魔術の塔のご歴々に、対策をご教授願おうとね」

「なるほどぉ。なんだったら、リドリー先輩も魔法を使うというのはどうですか? そうしたら、性格の悪さと合わせて、最強だと思います!」

 良いこと言ったみたいなニコニコ顔で、そんなことを言ってくるエレノア。

 とりあえず、リドリーは魚を釣り上げる釣り人が如く、彼女の片頬を、左手で引っ張り上げる。右手は火傷で痛いから、片方だけだ。

「いひゃいいひゃいいひゃい――」

「性格が悪いっていうのは余計ではないかな?」

「そうでひゅね。ごめんにゃはい」

 大きな瞳に涙をためて謝るエレノア。

 リドリーはため息をついて、頬を放してやる。

 彼女が痛そうに柔らかい頬をさすっているのを見ながら、リドリーは言う。

「それに魔法は無理だろう。魔法を使えるようになるのには、何らかの素養と、相当の研鑽が必要だと言うからな。……けれど、レリックは易々と使ってもいた。……もしかしたら、魔術の塔の人間が、レリックだという可能性もある」

「そうなんですか? ……でも、魔術の塔の人たちって、お金持ちの出身者ばかりだから、貧しい人たちを助けてくれるって、印象がないですよ」

「ふむんふ。まぁ、そうだな」

 エレノアの言うとおり、レリックは権力者の敵で、弱者の味方だ。貴族出身者が多い、魔術の塔の人間が、レリックである可能性は低いだろう。しかし、あれだけの魔法を使える人間が、そこらへんにいるというのも信じがたい。

「……そういえばこの間、魔術の塔から死者がでたって話ですよ。嫌ですねぇ。怖いですねぇ」

「ん? ああ、そうだった」

 一週間と数日前、魔術の塔で死者が出た。それが事故か事件かはわからない。情報が全く入ってこないのだ。

 本当ならば、リドリーやそれに類する者たちが、死因を探るのだけれど、魔術の塔では利権が複雑に絡み合っていて、外部からの捜査をなかなか受け入れてくれない。

 表向きは、魔法技術を外に漏らすわけにはいかないという名目なのだけれど、それだけではないだろう。

 死体の発見からもう、一週間以上が経っている。

 外部の捜査を受け入れていない分、内部で事件か事故かを調べ、ある程度の結論が出ているはずだ。

 魔法のことを尋ねるついでに、どうなったかを聞こう。

 事故ならば良い。

 けれど事件ならば、犯人がどうなったのかを知らなくてはならない。

 もし、まだ捕まえられていない場合、また、殺人が行われる可能性が、大いにありうるのだ。例え、リドリーたちに犯人確保の許可が出なくとも、それを知っておくのは、捜査官としての義務だと思う。

 しばらく、トールエンの中央部に向かって歩いていると、魔術の塔が見えてくる。

 魔術の塔は、トールエンで最も大きな建物。領主の住まう城よりも大きい。塔と呼ばれていても、一本の巨大な塔ではない。二階部分までは横に広く、その土台のような建物から、いくつもの、大きく高い塔がそびえているような形をしている。

 トールエンでは魔法技術の研究に力を入れられている。

 国王が魔法技術の有用性を評価し、積極的に支援を行っているためだ。特にこの町は、その支援を積極的に行っている方だろう。その為、中にはトールエンを、魔法都市と呼ぶ者もいるくらいだ。

 とはいえ、魔法都市と呼ばれたところで、リドリーを始めとする多くの町民たちにしてみれば、魔法は決して馴染み深いものではない。

 せいぜい、魔術の塔で行われている怪しげな実験としか認識しておらず、魔法を見たことない人間の方が多い。

 それでもトールエンが魔法都市と呼ばれるのは、魔法自体は見たことなくとも、街の人間のほとんどが、その恩恵を受けているからである。

 街の周囲にある畑の肥料、何気なく使っている紙や布、建物のガラスや調理器具や武器防具に使われる金属。それら全てに、魔術の塔が生み出した加工技術の恩恵が施されている。

 更には、町と町を繋ぐ汽車や、大通りを走る自動車、町を照らす魔導灯の明かりなど、普通の町にはないものも、馴染み深く存在している。

 文化レベルだけで言えば、ほかの国や町よりも、遥かに先を行っているだろう。

 だからこのトールエンは、魔法技術によって栄えた都市、魔法都市なのだ。

「ふひゃあ! 相変わらず、でっかいですねぇ」

 魔術の塔を見上げて、エレノアは言う。

「相変わずちっちゃいですね」

 エレノアを見下ろして、リドリーは言う。

「今、馬鹿にしましたね! しかし、そんなことではへこたれない私! 体が小さいのは、私の個性ですからね。どうです可愛いでしょう。私の可愛さに魅了され、近所のおじいさんがお菓子をくれるんですよ!」

 まさに、子供のように嬉々として語るエレノア。

「……それでいいと思うのなら、……それでいいと思うよ」

「はうぅぅ。ものすごく哀れなものを見るような目で見ないでください。とても死にたくなります。……確かに、子供扱いされるのも、私としても微妙なんですよ。……でも、笑顔で渡されたら、断れないじゃないですか……」

「いや、むしろ、エレノアが強引に強請っているのでは?」

 からかうリドリーに、彼女は顔を真っ赤にする。

「……むぅ、そんなことしませんよ。……この先輩は悪い先輩です。レリックを取り逃がした八つ当たりをしてきています。なんてひどい! リドリー先輩は、悪魔のようなお方です」

「ふむんふ。八つ当たりか。まさしくそうだな」

「認めましたよ、この人。最悪です!」

 盛大な文句を言ってくるエレノアに、リドリーは笑う。そして、子供をあやすように頭を撫でようとして、顔をしかめた。

 それに気づいたエレノアは、途端に心配するような顔をする。

「手が痛むんですか?」

 リドリーの右手には、火傷は思ったよりも酷かった。

 レリックの魔法でやられたものだ。

 なんの前触れもなく燃え上がる腕に、掴んでいた手のひらは、離すのが遅れて、思った以上の火傷をしてしまったようだ。

 魔法の恐ろしさは、何の前触れもないことだと思う。なにか、発動する前段階があれば、もっと対処はできたはずだ。

「これじゃあ少しの間、右手が使い物にならないな」

 リドリーは忌々しそうに、自らの火傷を見る。問題は、怪我をしたのが利き手であることだ。食事にしろ、文字を書くにしろ、いろいろな支障が出てくることだろう。それを思うと、彼としてはため息しか出ない。

「本当だったら、少しくらい休んで良いんですよ」

「ふむんふ。右手が使えなくても、仕事ができないわけではないからね。ならば、休む必要などないだろう?」

「うぅ。病気になっても、動けたら仕事に来そうですよ、この人。……まぁ、仕方ありませんね。任せてください、リドリー先輩。右手を使えない分、私が手助けをしますから。先輩の信頼厚き右腕的立場として」

 胸を張ってそう言ってくれるエレノア。この頼りない右腕に、リドリーはため息をつく。

「って、なんでため息なんですか!」

 とりあえず、彼女の文句は聞き流しておいた。


 門番に身分証を見せて魔術の塔の正面玄関から入ると、大きなホールになっていた。

 魔術の塔だけあって、見たことのない建築資材や工法が使われているのか、普通の石では有り得ないほど、真っ平らに加工され、継ぎ目のない床や壁には、ただただ驚くばかりだ。あちこちには観賞用の絵画などの調度品があしらわれ、下品な言い方をすれば、とんでもなくお金がかかっているのが、ひと目でわかる。

「すごいですよ、リドリー先輩。このお金のかけよう! ……むぅ。お金の出処は私たち兵士と同じなのに、なぜこんなに違うのか。少しでもいいから、私のお給金に回して欲しいものですよ。そうすれば、月一の楽しみだった、お菓子の銘菓として知られるラッセルのケーキを、月二くらいにするというのに」

「ふむんふ。お金に汚いくせに、使い方がささやかだね」

「お金に汚いとは酷いですよぉ。それに、ラッセルのお菓子は超絶的に高いんですよ。私のお給金の三分の一が吹っ飛びますからね」

「た、高いな」

 リドリーは珍しく、驚いてたじろいだ。

 警官の給金は高いとは言わないが、決して低いわけでもない。

 給金の三分の一を支払えば、それなりに良い家を借りられるだろう。つまりラッセルのケーキはそれだけ高いということ。どんだけ高いケーキなのだろうか。

「貴族様ご用達の高級店ですからねぇ。買いに行った時の場違い感が、半端ねぇですよ」

「……なら、行くべきではないのでは?」

「それでも、食べたいじゃないですか。貴族ご用達のお菓子ですよ。どんだけ美味しんだって話ですよ。ほっぺたが落ちるかと思うくらいに」

 ケーキの味を思い出したのか、エレノアの口からよだれが垂れている。さすがにリドリーとしても引く。ドン引きだ。

「……とりあえず、よだれを拭きなね」

 リドリーは困った顔でそう言うと、これ以上、この話題はいいこと無さそうなので、仕事に集中することにする。

 ホールにある受付で、捜査部の警官であり、一週間ほど前に出た死者についての話が聞きたいということと、ほかの事件に魔法が関わっており、そのことで、尋ねたいことがあると説明する。すると、しばらくして、二階にある一室へと案内された。

 そこは応接室のようで、部屋の真ん中には小さなテーブルを挟むように、大きなソファが二つ。壁側にはぎっしりと本の詰まった棚。ここにあるのは、誰でも目にして良いような資料なのだろう。

「部屋に入るなり、席に着くことなく本を読むって、そんなに読書好きでしたっけ?」

「別にそんなことはない。待っているだけなんて退屈なだけだし、魔術の塔の資料なら、魔法について書かれているかもしれないだろう? そうならば、レリック対策として、少しは役立つ」

 本をめくる手を止めず、リドリーは淡々と言う。

「うわっ! 読書好きではなく、仕事好きでしたよ! 知っていましたけれどねぇ――っていうか、柔らか! 何ですかこのソファ。ふっかふかなんですけれど、ふっかふか」

 子供のようにソファで飛び跳ねるエレノア。その姿は無邪気で可愛らしいのだけれど、リドリーはため息しかでない。

「全く、子供か君は。……ああ、子供か」

「子供じゃないですよ! リドリー先輩と、二つしか違わないのですから。むしろ、大人の女ですね。むふふん。リドリー先輩だって、密かに私の魅力にメロメロなくせに」

「……フンッ、ソウダナ」

「鼻で笑った上に棒読みって、どういうことですか!」

「さぁ?」

 本から全く目をそらすことなくリドリーは肩をすくめた。

「むぅ、後で私の魅力に気付いても遅いんですからね」

「はいはい」

 軽く答えるリドリーに、不満そうにむくれるエレノア。残念ながらその姿は、ますます子供っぽい。

 しばらく待っていると、応接室の扉がノックされる。

 そして入ってきたのは、ゆったりとしたローブ姿の綺麗な女性。リドリーと同い年くらいだろう。真っ直ぐで長い赤い髪につり目がちの気の強そうな瞳が印象的だった。というか、彼女はリドリーたちを見ると顔を一瞬こわばらせて、ものすごい睨んでくる。

 警官をしていれば、裏通りの人間に敵視するような目を向けられることはよくあるけれど、まさか、魔術の塔で向けられるとは思わなかった。むしろ、裏通りの人間よりも敵意が滲んでいる気がする。

 リドリーは違和感を覚えはしたものの、顔に出すことなく丁寧に頭を下げて、自己紹介を行う。

「捜査部のリドリー・クラウンとエレノア・ブラノです。魔法を使う犯人が現れましたので、それに対抗するために、魔法についてご教授願いたいのです。できれば対処法などを」

「……魔法について……」

「ええ。それと一週間以上前に、魔術の塔から死人が出たということですが、我々には残念ながら捜査許可が出ませんでした。しかし、捜査部の人間としては、事の顛末を知らなければなりません。事故だったのか事件だったのか、事件なら犯人が捕まったのか捕まっていないのかを教えてもらえませんか?」

「……そう。……私はユノン・リアライトよ。……先ほどまで魔法を使っていたから、疲れているの。座っても良いかしら?」

「ええ。どうぞ」

 リドリーは頷き、彼女の対面のソファに座ろうと移動する。ちなみに、彼女が入ってから、神妙な様子で座っているエレノアの隣だ。

 座りながら彼女を観察すれば、ユノンと名乗った女性の顔が、青ざめていることに気づいた。緊張に強張っていると言うよりも、元々、血の気が無いという印象だ。

 なるほど。魔法を使って疲れているのだろうとは思う。しかし、不可思議さも感じる。

 リドリーが求めているのは、魔法の対策と、一週間以上前の事件の顛末だ。そんなことを説明できるものは、ほかにも何人かいるだろう。

 それなのに何故わざわざ疲労の色濃いものが、選ばれたのだろうか?

「……私を捕らえに来たというわけではないようね……」

 ユノンという女性は、ソファに座ると、ホッとしたように呟く。

「……捕らえに?」

 リドリーが反復すると、ユノンは顔をしかめる。あまり、伝えたいことではなかったようだ。彼女は少し考える素振りをすると、諦めたようにため息をつく。

「……ふぅ。本当に疲れているわね。余計なことを口走ったわ」

「……つまり、犯人だと?」

 そう尋ねると、彼女は嘲るような笑みを浮かべる。それは、ゾッとするような気高さがあって、とても綺麗な笑みでもあった。

「ふふ、まさか。私が犯人だとしたら、迂闊すぎるでしょう」

「……まぁ、そうですね」

 確かに、誘導尋問も何もなく、うっかり自供してしまったなんてことになったら、あまりにも犯人としては、ダメすぎる。

「いやいや、わかりませんよ。この人、とても大人っぽく見えますけれど、もしかしたら、とってもうっかりさんだったりするかもしれません!」

 力強く言うエレノアに、ユノンが片眉を引くつかせる。……もしかして、図星なのか?

「……あらあら。あなたみたいな、うっかりが服を着て歩いてそうな子に、言われたくないわね」

「誰が、服ごとうっかりさんですか」

「……服ごとなんて言ってないわよ。服以外って言ったの。……聞き間違えるなんて、やっぱりうっかりなのかしら?」

「……むぅ、私はうっかりじゃないですよ。忘れ物とか、あんまりしないんですから。そうですよね? リドリー先輩」

「そうだな。エレノアはうっかりというよりも、がっかりだな」

「それはフォローになってませんよ、先輩ぃ」

 悔しそうな顔で嘆くエレノアに、リドリーは苦笑する。

「とりあえず、エレノアは黙ってなさい。話が全く進まない。……それで、捕らえにとはどういうことですか?」

「……はぁ。簡単な話よ。私が十日前の殺人事件の犯人に、疑われているのよ」

 なるほど。だから、彼女が連れてこられたのかと、リドリーは理解する。事件の顛末を語るものとしては、申し分ない。

「ほう。やはり、殺人なのですか。……そして、あなたが犯人候補」

「……ええ。殺されたのは、ペギルという魔術師で、彼は、自分の実験室で、上半身が炭化するほどの炎で焼き殺されていたわ。おそらく、とても強力な炎の魔法によるものね」

「……魔法ですか」

「……おそらく、間違いないと思うわ。ほかに燃え移った様子もないから、普通の炎ではありえない。ほかの人も、この意見は一致しているのよ。……まぁ、それで、私がその死体の第二発見者な上に、炎の魔法が得意ってわけ。だから、犯人の有力候補なの」

「第二? ……ふむ。第一発見者は?」

「第一発見者はシアンという男で、この人は魔術の塔に、実験器具や材料を運び込んでくれる業者の方よ。……彼には魔法が使えないし、念のため持ち物検査をしたけれど、強力な炎を発生させるようなものはなかったわ」

「……ですが例えば、魔法の道具の中には、振れば炎を生み出す剣があると聞きます。そういったものはなかったのですか? その、シアンという男の持ち物だけでなく、ペギルという殺された魔法使いの実験室には、そういった魔法具はな?」

「それもなかったわ。……それにペギルは、錬成魔法の魔術師よ。無機物に力を宿す魔印術よりも、生物が専門だから、そういう魔法を起こす魔法具はなかったわ。……ん? でも、強力な炎を生み出す魔法生物なら、可能かしら? でもそれならば、魔法生物がどこかにいて、ほかの事件を起こしていないとおかしいわね。もし、死んでいたとしても、残骸はあるはずだし……。それもないということは、その可能性も低いか……」

 なにか思いついたのか、ブツブツと思案するユノン。

「えっと、考え中、すいません。つまり、シアンという人物には、ペギルを魔法で殺せなかったと」

「ええ。あんな殺し方は無理ね。だから、私が犯人として、有力になってしまったのよ」

 ユノンは疲れたように、眉間を揉む。

 先ほどまで魔法を使っていたというし、疲れが本当に溜まっているのだろう。

 エレノアが勢いよく立ち上がる。

「なるほどです。わかりましたよ、犯人が」

「……本当に?」

 ユノンが、胡散臭そうな表情でエレノアを見る。すると彼女は、力いっぱい頷いた。

「はい。犯人はあなたです、ユノンさん! あなたは誰にも見つからないようにペギルさんを殺し、一旦、外に出てから近くで身を隠した」

「身を隠した? 何故だい? 疑われないためになら、近くにいない方が良いだろう?」

 リドリーは問う。

「それはあれですよ。犯人は現場に戻ってくる的なありがちな心理です。ユノンさんは、殺したのはいいけれど、殺した現場が気になって気になって仕方なかったのです」

「ふむんふ、なるほどね。あるかもしれない」

 リドリーが好意的に認めたので、エレノアは嬉しそうに調子づく。

「はい、ありがとうございます。それでですね。ユノンさんは身を隠しながら、あることを思いつくのです。ほかの人に死体を発見させ、さらに、その状況を目撃したものとして、第一発見者を犯人に仕立てあげようという、悪魔のような計画を」

「な、なによそれ」

 慌てるユノン。それがより一層、彼女を怪しくさせる。エレノアは勝ち誇るように笑った。

「ふっふっふ。しかし、悪魔の計画に、予期せぬ出来事が起こるのです。なんと、第一発見者が、魔法を使えぬ一般人! こうして彼女の計画は潰えてしまうのでした! というわけで、ユノンさんが犯人です!」

 そう言って堂々と指差すエレノア。

「へぇ。筋が通っているじゃないか」

 リドリーは感心する。確かに、その可能性は有りだ。ユノンが犯人だという説が、とても色濃くなった。

「……というか、筋が通り過ぎている。まるで、エレノアの言葉ではないようだ。……君は本当にエレノアかい?」

 リドリーは疑わしそうにエレノアを見る。

「それは酷いです! これでも捜査部に配属された人間ですよ。ふふん。バカにはつとまりませんよ、バカには」

「バカだと思っていたよ」

「うぅ~」

 エレノアは情けない顔をして唸る。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! た、確かに筋が通っているかもしれないけれど、証拠……。そう、証拠は?」

「……ふふっ。……証拠はありません。けれど、証言はありました。あなたが言ったではないですか。私たちを見て、捕らえに来たのかと思ったみたいなことを。そんなこと、疑われているだけじゃ、言わないはずです。自分の中に、疚しさがあるからこその言葉です!」

 リドリーは思わず拍手したくなるほど、エレノアの言葉は的を得ていた。

 魔術の塔の許可があれば、なんだったら、逮捕してもいいとすら思う。けれど、今はその許可がない。

 はてさて、ユノンはどのように返すのだろうかと、リドリーは興味深く彼女を見る。

 彼女は力なく頭を垂れ、ため息をつく。

「……違うわよ。信じてくれないかもしれないけれど、あの言葉は、冤罪をかけられる可能性を、危惧したからこその言葉よ」

「冤罪ですか?」

「私は、無理やり犯人に仕立て上げられる可能性があったのよ」

「ふむんふ。それは、何故だい?」

 リドリーの言葉から、ユノンに対する敬語がなくなった。彼にしても、彼女を犯人として見始めている。

「私の他に、疑われている男がいるのよ」

「へぇ」

「オルダー・バーツという、貴族出身の男よ。事あるごとに、ペギルと対立し、衝突していた男よ。だから、彼にとってペギルは、邪魔者でしかなかったはず。……そして、彼もまた、炎の魔法が得意なのよ」

「つまり、動機で言えば、オルダーという男が濃厚というわけか」

「ええ。そして、彼には貴族という強力な後ろ盾があるから、私という偽物の犯人を捕らえさせることで、自身の潔白を証明させてこようとするかもしれないわ」

「なるほど。それも、有り得るな」

「でしょう? 私にはペギルを殺す動機なんてないのよ。研究だって専門が違うから、対立もないし」

「ふむんふ。動機ね」

 そんなものはいくらでもあると、リドリーは思う。

 どんなに小さな恨みでも、それが大きく膨れ上がり、殺人に至ることを、今までの警官生活で、既に知っている。

 けれども先ほどからユノンに、殺人者特有の後ろ暗さも不自然な明るさも、見受けられない。まぁ、芝居がうまいのかもしれないけれど、そうしたら、慌てる素振りが多いのは変だろう。

 まぁ、彼女が犯人である可能性は、依然として高いままだけれど。

 ユノンは思いつめたような顔をして、リドリーを見る。

「……あなたたちにお願いがあるわ」

「お願い?」

「ええ。本当の犯人を見つけて欲しいの。……このままでは、私が犯人に仕立て上げられるのは時間の問題よ。……だから、その前に本当の犯人を……」

「だから、犯人はあなたです」

「……エレノアは黙っていなさい。……犯人を探すと言っても、我々には、魔術の塔を捜査する許可がない」

「それは、私が何とかするわ」

「ふむんふ。しかし、それでも、我々にはメリットがない。私としては十中八九、あなたが犯人だと思っている。このまま逮捕しても良いと思っているほどだ。それなのに、わざわざほかの犯人を探す必要性があるのかい?」

「……メリット……」

「そうさ。我々としても、暇人というわけではないのでね。メリットがなければ、やる意味がない」

「……本当の犯人を見つけることができたら。私のできることをなんでもするわ」

「……なんでも」

 リドリーはユノンを見る。

 ゆったりとしたローブの上からでもわかる胸のふくらみは扇情的で、勝気な瞳に、涙をためて見上げる綺麗な顔には、嗜虐心がそそられる。

 リドリーはエレノアに蹴り飛ばされた。

「……何をするかな?」

 身を起こしながら、尋ねるリドリー。

「今、ユノンさんのことを、エロい目で見ていましたね?」

「ふむんふ、失礼だね。半分ほどだ」

「半分見ているじゃないですか。リドリー先輩、最低です!」

 怒ってそっぽを向くエレノアに、リドリーは苦笑する。

「まぁ、僕も男だったということだね。……それよりも、ユノン。できる限りという中には、魔法技術に詳細を教えてもらうということも可能かな? 魔法の対策について教わりに来たのだけれど、魔術の塔の秘密体質から考えて、まともな方法は教えてもらえるとは、あまり期待していなくてね。君がその方法を教えてくれるというのなら、僕は捜査しても良いと思っている」

「……それで、捜査をしてくれるのね。わかったわ。その条件を飲みましょう。どうか、本当の犯人を見つけてください」

 ユノンの丁寧な頼みに、リドリーは頷いた。


 魔術の塔への捜査許可は、ユノンがなんとかするとのことで、まずは、魔法について教えてくれることになった。

 次の日、改めて魔術の塔へと行き、受付で要件を言うと、ユノンがやって来て、塔の中に案内してくれる。

「リドリー先輩。本当に捜査をするんですか? 私は、あの人が犯人で間違いないと思うんですけれど」

 エレノアは不満そうに近づいてきて、小声で聞いてくる。

「そうかい? 僕は結構、彼女じゃない可能性もあると思っているよ」

「そうですか?」

「ああ。少なくとも彼女自身が、自分を犯人ではないと、信じている気がするんだ。エレノアは、そうは思わないかい?」

「……そうですね。……でも、あの人の演技がうまいだけかも知れません。女の人のほとんどは、嘘が得意ですから」

「ふむんふ。君も得意なのかい?」

「プロ級ですよ」

 自慢げに答えるエレノアは、やはり子供っぽくて、微笑ましい。リドリーはついつい笑みを浮かべてしまう。

「それは恐れ入ったね。……でもまぁ、君の言うとおり、嘘の可能性も間違いなくあるのは事実だ。だからこその捜査なんだよ。結論を出すためのね。できれば、冤罪は避けたいところだ。違うかい?」

「……そうですね。では、確固たる証拠を見つけましょう」

 力強く言うエレノアに、リドリーは不思議に思う。

「……気のせいか、君はユノンを嫌っているように見えるのだが……」

「気のせいじゃありません。私は彼女のことを、気に入りません」

「ふむんふ。興味深いね。何故だい?」

 エレノアは勘が鋭いところがある。無意識に犯人だと、嗅ぎ取っているのだろうか?

「見てくださいよ、あの白い肌に整った顔! 綺麗な赤髪。それに細いのに胸やお尻は女性らしくふくよかに膨らんで……。疲れているのかどうかは知りませんが、けだるげな感じの美人ですよ! 羨ましいというより、腹立たしいことこの上ないです」

 ……ただの嫉妬だった。

 リドリーは呆れたようにため息をつく。

「見ていてください。私があの女の証拠を見つけてみせます!」

「できれば、私じゃないっていう確固たる証拠を見つけてほしいものね」

 ユノンは、エレノアを睨みつける。犯人扱いされて苛立っているのだろう。

「僕としても、君が無罪のほうがいいと思っているよ。せっかく得た、魔術の塔内の協力者だ。すぐに失うのは、惜しいからな」

 リドリーの言葉に、ユノンはため息をついて、ジト目で彼を見る。

「……あんたって、性格悪いでしょ」

「良くわかりましたねぇ。リドリー先輩の性格は、最悪です。……って、いひゃいです、りどりーひぇんぱい」

 何故か嬉しそうに言うエレノアの頬を、リドリーは引っ張っておく。

「あなたたちって、変な人たちね」

「誤解だな。変なのはエレノアだけだ」

「ひょんなことないですぅ。むひろ、りどりーひぇんぱいのほ~が、おかひぃですよ」

 エレノアは文句を言うけれど、頬が引っ張られているので、ちゃんとした言葉にならない。

「いやいや、何を言っているかわからないな」

 リドリーは、そう言って鼻で笑う。

「むがぁ」

 怒って暴れだすエレノア。

 ユノンはそんな二人のやり取りに、吹き出すように笑いだした。

「……はは。とりあえず、二人ともおかしいのはわかったわ」

 リドリーとしては、不本意な見解だ。少なくとも自分はまともだと思っている。


 ユノンに連れてこられた部屋は、見た事もない実験機材の置かれた色々と置かれた部屋だった。壁側に置かれた本棚には、先ほどの応接室とは違う重厚感のある専門書が並んでいる。

 彼女は部屋の中に一つだけ置かれている机の椅子に座ると、魔法の説明を始める。

「魔法には、大きく三つの種類があるわ。あなたたちは、それを知っているかしら?」

「そういうのがあるとは聞いてはいるけれど、詳しくは知らない」

「そう。では、基本から説明するわね。まず、魔法は魔印術と錬成術、契約魔術。この三種類が一般的に魔法と言われているものね」

 そう言って、机から取り出した紙に、何かを書き始める。

「それでは、魔法の基礎である魔印術から説明するわね。この世界の根幹はすべて、特殊な文字で構成されているわ。あなたにしても私にしても、この机や建物にしても、大気や炎にしても、突き詰めれば文字からできているわ。これが魔印術の真理よ」

「この世界は、文字で出来ている?」

 そんなことを言われても、リドリーとしては、中々信じられないものだった。

「……まぁ、信じられないのは仕方ないわ。どんなに目を凝らしたところで、見えるわけで見ないし、普通に暮らしている分には、関わるようなことでもないしね。でも、すべての根幹が文字だってことが、魔法の基本だということは理解して」

「……つまり、その文字が、魔法に関係あると?」

「そうよ。説明するから、ちょっと待ってね。……ん、できた」

 ユノンはそう言って、先ほどからなにか書いていた紙を見せてくる。そこには、見たことない文字が、びっしりと書かれていた。

「一字足りない状態だけれど、これは、火を表す文字と並び順よ。なぜこの文字が、魔法に関係あるかというと……」

 彼女は紙に最後の一文字を書き足した。すると、文字が順番を確認するように光っていき、最後の文字が光った途端、紙が急に燃え始めた。紙自体は小さく、すぐに燃え尽き、火も消えたが、リドリーはただただ驚く。

 なんの火種のないものが、急に燃えたのだ。魔法以外にありえない。そして、その事実から分かることがあった。

 ユノンはあの文章は火を表していると言い、紙はその文章の意味する通りに燃え始めた。

「……もしかして、その根源になっている文字で、正しい表現をすれば、その効果が現れるのかい?」

「その通りよ。石の文字を書けば紙は石となり、水の文字を書けば紙は水に変化するわ」

「ふむ。……ユノンは人も文字列でできていると言ったが、……人にも変化するのか?」

 もしそうだとしたら、どれだけおぞましいことか。人が人を作る。それこそ、神に仇名す行為だろう。まぁ、リドリーは神を熱心に信仰しているわけではないけれど、それでも、人為的に人が作られるというのは、気持ち悪く感じるものだ。

「……そうね。理論的には可能よ。……でも、さっきの小さな炎を生み出すにも、あれだけの文字が必要だったわ。それよりも、遥かに複雑な人間を作り出そうとしたら、人の一生では足りないのよ。真実かどうかわからないけれど、中には弟子から弟子に引き継いで、人間創造の魔術を実現させた一族もあったらしいけれど、創り出されたのは結局、生きた人間ではなく死体だって話よ」

「……それは報われないな」

 人間を作ることが、不可能に近いということに安堵しながらも、死体を創り出してしまった一族に、同情を禁じえない。きっと、百年以上の時を、人間を創り出すために費やし、彼岸を叶えたと喜んだ次の瞬間、現れたのはただの死体。もし、そんな場面に居合わせたら、その場の雰囲気だけで、死にたくなりそうだ。

 ユノンも頷いて、同意する。

「そうね。本当に報われないわ。むしろ、そんな不毛な魔術をするくらいなら、誰かとまぐわって、子供を作ったほうが、簡単に人間を作れると思うのよ」

「……そうだな」

 研究者特有の合理的な物言いに、リドリーは苦笑しながら頷いた。エレノアなんかは、想像でもしたのか、顔を真っ赤にしている。

「まぁつまり、魔印術ってのは根幹の文字っていうのを再現して、魔法を発動させるってことなんだな」

 リドリーは確認するように尋ねる。

「ええ。ちなみに魔法の才は、この文字、魔印を読み取れるかどうかよ。例え文字を真似たところで、意味を理解できないと、魔法としては成り立たないの」

 そう言って見つめてくるユノンの瞳に変化はない。けれどなぜか、一段高いところから、何もかも見透かされているような気分になり、我知らず、リドリーは寒気を覚えた。これが、自らの文字を読まれるということなのかもしれない。

「ふむ。……しかし、文字を書いただけで魔法が発動するというのは、凄くはあるけれど、実戦ではあまり、役に立たなさそうだな」

「そうですね。戦っている最中に文字を書くとか、隙だらけ過ぎますよね。そんなの待つ奴がいたら、どこのバカだって話ですよ」

 訳知り顔でエレノアは何度も頷きながら言った。そういう顔をしていると、子供が得意がっているようで、リドリーとしてはからかいたくなってくる。

「……そうだな。生死をさまようほど飢えているわけでもないのに、本気で犬とパンを取り合うやつがいるとは思わなかったよ。どこのバカだって話ですよ」

 しれっとした顔で言ってやった。

「うわぁぁん。そういうこと言いますかぁ? ……あ、あれはただ、本当にコゼットパンが好きだったのと、リドリー先輩に買ってもらったのが嬉しくってつい……うぅ……」

 半泣きで、可愛いことを言ってくるエレノア。

「……なんだか、あなたたちのやり取りを見ていると、段々と、いちゃついているようにしか、見えなくなってくるわ」

「……うえぇへっへ。そぉんなぁ」

 さっきまで半泣きだったのに、嬉しそうに体をくねらせるエレノア。リドリーはそれを気持ち悪そうに見つめ、ユノンに視線を戻す。

 彼女は呆れたようにため息をついて、説明を続ける。

「確かに魔印術は、実戦的ではないわね。無機物に刻み込むことで、魔法の道具にするのが、基本的な魔印術の使い方よ。最後の一文字だけ、書き込めばいいという状態にしておくという手もないこともないのだけれど、かさばる上に、やっぱり文字を書くのは、実戦では難しいわ。だから、実戦的な魔法といえば、練成術で造った魔道具を使うか、契約魔術ね」

「契約魔術?」

 リドリーは聞きなれない魔術に、首を傾げる。けれど、契約と付くだけに、何かと契約するのだけはわかる。

「あなたたちは、魔属種を知っているかしら?」

「魔属種?」

 エレノアは首を傾げる。

「僕は聞いたことがある。僕らが手を動かすのと同じ感覚で、自由自在に魔法を使える種族のことだね。確か、魔獣とは違って、ちゃんとした体はなく、触れることはできない不思議な生き物だとか」

「ええ。……まぁ、生き物らしい実体を持たない上に、姿も能力も一匹一匹がバラバラだから、種族というよりも、魔に属している種ってことで、魔属種と呼ばれているのだけれど、リドリーの考え方で特に問題はないわ」

 そう言って、エレノアが集中するように手を伸ばすと、そこに、炎を纏った三つ目の猫のような生き物が、突如現れる。

「これが、私の契約している魔属種よ」

「……契約。……そうか。契約魔術ってのは、魔属種と契約することで、彼らの力を使わせてもらうということか」

「その通りよ。代価は術者の血。魔属種は、生き物が食べ物というよりも、魔印の情報を自らの力としているのよ。だから、たくさんの情報がつまっている人間の血は、彼らにとっては良い栄養源になるみたいで、契約を結んでくれるのよ。それに、血を取られると言っても、少し休めば治る程度の少量だし、本当に、実戦ぐらいでしか使わないから、契約魔術は、身を守る手段として重宝されているわ」

「あのあの、魔属種と契約すれば、私にも魔法が使えるんですか?」

 エレノアは、ユノンの持つ魔属種を可愛いと思ったのか、目を輝かせて尋ねる。

「無理よ。まず、契約を結ぶのには、魔属種の言葉を理解し、魔印術の文字で、こちらの意思を伝えなくてはいけないのよ」

「うわぁ。面倒そう」

 エレノアは顔をしかめる。

 確かに、魔印術を習得した上に、魔属種の言葉まで知らなければいけないのだから、それは大変で、根気のいるものだろう。

「レリックが使ったのは、契約魔術の可能性が高いな」

「そうですね。文字なんて書いてませんでしたし、道具も使っていたようには見えませんでした」

 二人の会話に、ユノンは首を傾げる。

「……レリック? 魔法の対策を知りたいと言ったのは、怪盗レリックのためなの?」

 ユノンの問いに、エレノアが頷く。

「はい、そうです。奴に遭遇したんですけど、魔法で逃げられてしまって」

「……そう」

「魔法を使うから、魔術の塔の中にレリックがいるんじゃないかと思っているんですけれど、ユノンさんは、心当たりはありませんか?」

「……ないわね」

「ですよねぇ」

 あっさり答えるエレノア。質問の仕方があるだろうにと、リドリーは呆れてしまう。

「レリックは、炎と幻術を使った。その術者に心辺りは?」

「……そうね。実戦で使いやすいからって、炎の魔属種と契約している魔術師は多いわ。かくいう私もそうだし。……でも、幻覚となるとどうだろう? さっきも言ったけれど、契約魔術は実戦ぐらいでしか使わないから、全ての魔術師の契約魔術を知っているわけでもないしね」

「……そうか」

 魔術から、犯人を特定するのは難しそうだ。例え、幻覚を使えたとしても、使えないと嘘をつかれてしまえば、こちらに確認する手立てはないのだから。

「では、炎の魔術や幻術を防ぐ方法はないかな?」

「防ぐ方法? ……そうね。魔属種と契約していれば、耐性を上げることはできるんだけれど、それも無理よね?」

「僕らには、根源の文字すらわからないから、無理だね」

 お手上げというように、リドリーが両手を挙げると、ユノンは笑う。

「ふふ、そうよね。……まぁ、魔法を防ぐ為の一般的な方法とされているのは、自分をしっかり持つ事ね」

「自分をしっかり持つ?」

「そう。魔法で起こる出来事は、この世界において、不自然な事なのよ。だから、自分に魔法は効かないと思っているだけで、その不自然な効果を打ち消す事ができるのよ」

「そうなのかい?」

「ええ。魔印術というのは、根源の文字によって世界を勘違いさせ、その効果を発揮させているものなの。だから、魔法は不自然な事だと強く認識していれば、世界の勘違いは正されるわ。つまり、魔法という現象は、無かった事になるのよ。そして、それは結果的に、魔法の効果を防ぐ事にもなるわ」

「……思っていれば、防げる?」

 つまり、魔法という現象を、この世では本当は起こっていないものだと無視するということだろう。

 リドリーは、火傷を負った自分の右手を見る。

 一日経っても、火傷の痛みは消えない。

 当然だ。魔法によって生み出された炎によって焼かれたのだから。それは、どこまでも疑いようのない事実だ。

 その事実を、思いだけで無かった事に出来ると、ユノンは言っているのだ。

 もしもリドリーが、レリックの腕を掴んだ時に、魔法の炎に効果はないと信じていれば、火傷を負うことはなかったという。

 正直、リドリーは信じられなかった。

 疑わしさが、ユノンにも伝わったのだろう。彼女は苦笑する。

「まぁ、あくまで原理であって、思いだけで完全に防ぎきれたって人が居たわけではないわ。どうしたって人は、目で見たものを信じてしまうものだから。目の前に魔法で作りだされた炎があれば、それを完全に無視することができる人なんていないもの」

 その通りだと、リドリーは思う。

 炎のように危険なものが目の前に迫ってきたら、効果はないとどんなに思っていても、無視することなんてできないだろう。そして、その無視できないという認識が、魔法の効果を発揮させるという訳だ。

「……折角教えてもらった方法だけれど、この方法は、無理じゃないか? 防ぎきれた人はいないんだろう?」

「ええ、そうね。でも、気休めにはなるわよ。魔法の効果を完全にとは言わないまでも、少しは効果を弱めることができるから」

「そうなのか?」

「ええ。この町の前領主、今の領主さまの父上であり、救国の英雄として知られる、ラーズ・トールエンが、それを証明しているわ」

 ユノンの言葉に、リドリーは僅かに顔を顰める。しかし、気付いたのはエレノアだけで、ユノンは話を続ける。

「彼は戦場で、たくさんの魔法を受けたそうよ。けれど彼は、魔法のようなまやかしでは自分は倒れないと信じていたというわ。……彼は自分に、絶対の自信があったのね。そして、彼の信じた通り、無傷とはいかないまでも、彼は魔法をまともに受けても、決して致命傷にはならなかったらしいわ」

 ラーズが致命傷を受けなかった理由。それは、魔法が弱かったのではなく、彼が、魔法を過小評価していたからだ。

 ラーズは根っからの武人だったという。だからこそ、自らの体に自信があり、魔法などという訳のわからないものに、負けないという自負があったのだろう。その為、ラーズの信念の前に、魔法は十分な威力を発揮することができず、彼を僅かしか、傷付ける事はできなかったのだ。

「……ふむ、なるほどね。魔法に対抗する為には、自分を信じるのが、一番ということか」

「そうなるわね。……ただ、幻覚に関しては、物によっては防ぎようがないわ」

「そうなのか?」

「ええ。直接相手の感覚を狂わせる魔法なら、攻撃魔法と同じ原理で防ぐ事はできるかもしれないけれど、光なんかを屈折させて、幻を見せるような魔法を使われると、耐性とかは関係ないのよ」

「確かにそうだな。……どうしたものかな。……そういえば、魔法の種類はもう一つ残っていたはずだけれど、それでは、相手の魔法に、対抗したりはできないのかい?」

 リドリーは思い出したように尋ねる。

「もう一つの魔法は、あなた達が望むようなものではないわ。……まぁ、でも、この塔で亡くなったペギルが、その魔法を研究していたから、捜査をするにも知識が必要だろうし、練成術の説明もするわね」

 そう言って、ユノンは説明を続けて行く。


「ううぅ。頭がパンパンですよぉ」

 エレノアは、頭を押さえながら歩く。

 まるで手を放したら、せっかく覚えた事を忘れてしまうとでも言いたそうな様子だ。というか、エレノアはちゃんと理解していたのかと疑いたくもなる。

「……さて、これでレリックに対抗する手立てが出来たな」

 リドリーがそう言うと、エレノアは引き攣った笑みを浮かべて頷いた。

「そ、そうですね。これでババーンと捕まえられますね」

「ふむんふ、その通りだね。後の問題は、奴が今度、どこに現れるかだね。……それで、エレノアはどうやってレリックを捕まえるんだ?」

「……そ、それはですね。……リドリー先輩の姑息なる活躍により、レリックはあえなく御用なのですよ――って、いひゃい、いひゃいでふ、へんぱい」

 エレノアは頬を引っ張られる。

「姑息なる活躍ではないだろうが、全く。どうすればこの口の悪さは治るのかな?」

「ふ、ふいまへんでひた」

 謝っているようなので、リドリーは頬を放してあげる。

「ったく。それに君。レリックへの対抗策なんて思いついていないだろう?」

「うぅ。わかりませんでした。馬鹿な子で申し訳ないです」

「だろうね。僕もわからないし」

 呆気らかんと答えるリドリーに、エレノアは絶望したような顔をする。

「ふぁあ、騙されたんですよぉ! やっぱり、リドリー先輩は姑息なんですよぉ!」

「ああ、すまない」

「すまないって、それだけですか!」

 怒ったようにいうエレノアに、リドリーは軽く肩を竦める。

「ふむんふ。だってエレノアは、姑息にも嘘をついて、僕を騙そうとしただろう?」

「うむぅ。わかんないって言ったら、馬鹿にされそうな雰囲気だったじゃないですか」

「そんな事はないさ」

 リドリーは優しげな笑みを浮かべる。

「その優しそうな笑顔がリドリー先輩の場合、胡散臭いんですよ」

「そうか?」

「そうです! リドリー先輩は基本、からかっている時くらいしか、そういう風に笑わないんですよ!」

「そうかな?」

「そうですよ。私としては、これでも色々と――って、先輩? どこ見ているんですか?」

 エレノアにそう尋ねられるけれど、リドリーは見ていると言うよりも、耳を傾けていた。

 周囲に違和感を覚えたのだ。そして、集中して周囲を気に掛けると、その違和感の正体がわかる。

 どこか周囲の空気というか雰囲気に、落ち着きがない。それは、リドリーにとって馴染みのある空気。事件の起こった現場の周囲で流れる空気に似ている。どこか落ち着きがなく、ソワソワとしているような雰囲気。

 ここら辺で何かが起こったのだ。

 しかし、道は建物に挟まれていて、どこで何が起こっているのかを知ることができない。

「広場の方に行くぞ」

「え? 何でですか?」

 エレノアが首を傾げるけれど、リドリーは広場へ向かって走る。

 道の接合点となる広場では、小さな露店が連なっているけれど、高い建物に挟まれている道よりは、遥かに見通しが利く。そして、リドリーはその騒ぎの原因に気付いた。

 黒い煙が、空に揺れている。

「火事ですね」

 追い付いてきたエレノアも気付いたようだ。

「みたいだね」

 リドリーは少し、気が抜けた気分になる。警官と消防団は、完全に管轄が違うのだ。消火作業や救助作業は既に、消防団の人達が行っているだろう。

「何だか最近、火事が多いらしいです。……どうします? 救助を手伝いに行きますか?」

 エレノアの問いに、リドリーは少し迷ったけれど、首を横に振る。

 人を救いたいと言う思いはある。けれど、警官と消防団は面倒臭いことに、ライバルのような関係になっているのだ。もし、警官のリドリーが消防団の活動場所に行けば、煙たがられるだろうし、残念ながら救助の邪魔にしかならない。

「僕らは、この火事の騒ぎを利用した窃盗犯がいないかどうか、警戒して回ろう」

 例え救助に行けなくとも、やれる事はあるのだと、リドリーは自分に言い聞かせる。


「うふ~ん。……あは~ん」

 詰所に帰ってからしばらくして、エレノアが隊の仮眠用ベッドの上をゴロゴロと転がりながら、何かをし始めた。

「……ふむんふ。君は何をしているのかな?」

 リドリーは過去の事件の内容が書かれている書類を見ながら、今の事件との照合をしていたのだけれど、さすがに無視できなくんばったようで、珍妙な物を見る目で、エレノアを見る。彼女は胸を張って答えた。

「なんだかリドリー先輩は、ユノンさんと、とっても親しくしていたんですよ。なので、ヤキモチを妬いた私は、色気を持って先輩を悩殺し、メロメロにしようとしているのです」

 そう言ってエレノアは、自称悩ましく魅惑的なポーズを取っていく。

 正直、リドリーの目には、子供がベッドの上をゴロゴロと転がって、戯れているようにしか見えていないようだ。

 うふ~ん、あは~んとやっている彼女を、リドリーは真顔でジッと見つめている。

 しばらく続けていたエレノアだったが、動きを止めると顔を赤くして、身を起こす。

「頬が熱い上に、心臓が高鳴っています。もしかしてこれは、……恋?」

「ただ単に、恥ずかしかっただけだろ」

 呆れたように言うリドリー。

「うう、私の純情を弄ばれた。もう、お嫁に行けない」

「行けなかったら、僕が貰って上げるから、安心しな」

「はっ! これは、遠回しなプロポーズですか」

 エレノアは頬を染め、目を輝かせる。

「ふむんふ。お互い、五十になっても独身だったら、結婚しよう」

「遠い。遠いですよ、リドリー先輩」

 文句を言うエレノア。

「孤独な老後は、とてつもなく寂しいよな」

 しれっとした顔で答えるリドリー。

「……うう。愛がない上に、ただの慰めの関係ですよ、それじゃあ」

「だな」

「笑顔で言わないでくださいよぉ」

 恨みがましく言うエレノアに、リドリーは苦笑する。

「とにかく、馬鹿な事やってないで、早く寝な。仮眠時間が、どんどん無くなるぞ」

「むぅ、わかりました。寝ますよ。では、子守唄を歌って下さい」

「……君は子供か」

 ほとほと呆れ果てたというように、リドリーは子守唄を歌うことなく、書類に目を通し始める。

「というか、リドリー先輩も寝なくちゃ駄目ですよ。睡眠時間を削り過ぎるから、目の周りが隈だらけになるんですよ」

「ああ、気を付けるよ」

 そう言いながらも、書類を読む手を止めようとはしないリドリー。

 まるで命を削っているようにすら見える彼の取り組みよう。

 仕事熱心というよりも、狂ったように仕事をするリドリーを、エレノアは上司として誇らしく思うけれども、彼の体を心配してしまう。

 何故リドリーは、そこまで頑張るのだろう。

 エレノアは不思議に思った。


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