伯爵令嬢リノ・クローバー ~比翼の秘めたる愛の果てに幸せを~
伯爵令嬢リノ・クローバーと男爵令息ルキ・フェニックスとの出会いは、貴族の子女が七歳から通う初等学院の初日であった。
活発なリノと隣の席の優しいルキは馬が合いすぐに仲良くなると、さらに希望者だけが月に何度か信仰を学ぶ場である修道院でも一緒で、二人の仲は日に日に特別な仲へと変わっていった。
しかし、学年が上がるにつれ周りの者、特に大人達は二人が仲良くしているのを見て眉をひそめた。
なぜならリノは高位貴族、伯爵家の長女で前途洋洋。一方ルキは爵位最下位の男爵家の五男で将来は家督も継げずフェニックス家の習いでは騎士か聖職者になる以外の道はない前途多難な身分差があったからである。
そんな周りの空気に飲み込まれ、子供心に傷ついた二人はついに十歳の時に離れ離れになったのであった。
◇
あれから六年経ち十六歳となったリノは、ヤンチャだった幼い頃とはまるで別人のように品格と美しい見た目を併せ持つ淑女に成長していた。滑らかで艶のある金髪にサファイアのような碧眼。ぷっくりとした魅惑的な唇。白磁のように白く透き通った肌。しなやかな立ち振る舞い。まさに伯爵令嬢としての資質を兼ね備えているレディだった。
そのリノは、この春から王都にある王立の共学校、貴族学園に進学し早一年二ヶ月が過ぎようとしていた。
――ある日の朝。
授業が始まる前、教壇に立った男性教諭が口を開いた。
「転校生を紹介する。君、入りたまえ」
「はい⋯⋯」
つかつかと教室に入ってきた貴族とは思えないような野性味溢れるオーラを放つその男子生徒に教室はざわついた。
オシャレな短髪。黒曜石のような漆黒の瞳。クールな表情。制服を着ていながらも逞しさが分かる身体。こんなタイプの貴族令息は、この貴族学園にはいなかった。
「ルキ・フェニックスです。よろしく!」
そのよく通る声を聞いた瞬間、リノの身体は固まった。
(ルキ⋯⋯フェニックス⋯⋯?)
リノの脳裏には瞬時に幼い頃の遠い記憶が蘇ってきたが、男性教諭の低く淡々とした喋り声に、また瞬時に現実に引き戻される。
「では、ルキ・フェニックスはリノ・クローバーの横の席に着きたまえ」
「はい⋯⋯えっ!?」
驚きの声を上げたルキは、クラス全員の注目を浴びながら、急いでリノの机のそばまで駆け寄ると視線をリノに注いだ。
「やっぱリノだ!⋯⋯めちゃくちゃ綺麗になってるじゃん! リノ、俺のこと覚えてる?」
その次の瞬間、クラスは騒然となり、すぐに近くの席のリノと仲の良い友達シズカレッタ・ティファネルが立ち上がり鋭い声をルキの鼓膜に突き刺した。
「ちょっとあなた! リノ様になんて言う口のききかたをなさるんですの!!」
ルキは慌てることもなく、ゆっくりとシズカレッタの顔を一瞥したが、すぐにリノの方を向き言葉を発した。
「リノ、いつ以来かな?⋯⋯ほら初等学院で一緒に遊んでたじゃん! 覚えてるだろ?」
リノはあまりの恥ずかしさと混乱した気持ちで一杯になり、クラスの注目から早く逃げたい一心で椅子から立ち上がると大きな音がしクラスは一瞬で静寂の空間となった。
その静寂が支配する張り詰めた空間でリノは絞り出すような声を出す。
「ル、ルキ・フェニックスなんて知らない⋯⋯」
「⋯⋯そうか、分かった⋯⋯」
ルキは別段怒る訳でもなく、あっけらかんと言い放つとリノの隣の席へ、ドスンと座ったのだった。
◇
――昼休み。
リノはシズカレッタと食堂へ行くと二人の仲の良い後輩がいつものように四人掛けのテーブル席に座っていた。
リノが後輩たちの隣の椅子に座った途端、ワイングラスを片手に持ち、ほろ酔い加減の後輩サナ・ヴィントが喚き出す。
「聞きましたよリノ様! ヒクッ。転校生フェニックス⋯⋯いえ、どうやら男爵家の五男らしいですわね、ヒクッ。そんな者が名家伯爵クローバー家のご令嬢リノ様に対して不敬な態度を取るなんて許せませんわ! ヒクッ。 リノ様もそうお思いになられますわよね? ヒクッ」
「えっ?⋯⋯ええ、そうね⋯⋯」
その時、リノのもう一人の仲の良い後輩で丸メガネをかけたホンワカな雰囲気のエミリー・シャルネが口を挟む。
「でも、私そのフェニックス様を先程チラッとお見かけいたしましたけど、お顔はよろしくてよ」
サナが怒りの顔をエミリーに向ける。
「ちょっとエミリー⋯⋯いえ、エミリー・シャルネ! あなた私たちを裏切るおつもりなの!」
その横でリノはボーッとサナの顔を見ながら考えていた。
(そっか、やっぱりあのルキ・フェニックスなのね⋯⋯ルキ⋯⋯私の幼なじみで初恋の⋯⋯い、いえ、そうじゃないわ!⋯⋯あれは初恋なんかじゃない⋯⋯)
その時、突然ルキが食堂に入ってきた。次の瞬間、食堂は水を打ったように静まり返る。
リノの耳にサナがエミリーに話しかける声が聞こえた。
「噂をすればだわ」
サナは、一人ワインをぐびぐびと飲んでいるシズカレッタに目配せをするとシズカレッタはリノの周りの席に大挙して座っている取り巻きの男達の仲でも特にリノに熱狂的な貴族の令息に手招きをし自分のそばに来させると耳元で何事か囁いた。
「⋯⋯分かりました」
貴族の令息が胸を張り大股でルキに近づいていく。
「おい! そこの男爵家の五男! ここはお前が来るような場所じゃないんだ! さっさと出て行け!」
その言葉に食堂が急にざわつき始めた。呼応する者が幾人も立ち上がり怒号も飛び交う中、ルキは一瞬、冷たい目に変わり無表情になったが、すぐに両手を使い、おチャラけるような態度を見せた。
「分かった、分かった、言われなくても出て行くって⋯⋯」
その途端、食堂の入口から柔らかい声質の中にも威厳のある大きな声が聞こえてきた。
「おやめなさい!!!!」
その声に食堂は一旦静まり返ったが食堂に入ってきた品格のオーラを放つ美人にまた食堂はざわつき始めた。あちらこちらで貴族の令嬢たちの叫び声も聞こえてくる。
「ハルナ様だわ!」「ハルナ様よ!」「キャーッ!!」「生徒会長のハルナ・フランソワーズ様がお越しになられたわ!!!!」
途端にルキの目の前にいる貴族の令息はハルナに対して頭を深々と下げた。
「ハ、ハルナ様、お騒がして申し訳ありません!!」
その時、ハルナの後ろから左腕に腕章をした女性が飛び出してきた。すると、さらに騒ぎ出す貴族の令嬢たち。
「あっ! 生徒副会長のミーナ・ディオレーヌ様もご一緒だわ!!」「なんて幸運な日なのでしょう!」「神様感謝いたします!」
ミーナは大きく息を吸うと口から全てを切り裂く言葉を爆発させた。
「黙れーー!!!!!!!!」
そのミーナの腹の空気を全て解き放ち、食堂の空気を丸ごと蒸発させるかのような怒鳴り声に食堂は一瞬で凍りついた。
ミーナはそのまま力強い足取りで貴族の令息の前に躍り出ると、むんずと令息の頭に手を置き髪を鷲掴みにすると令息の両眼を睨みつけ静かに口を開いた。
「風紀を乱すな⋯⋯」
貴族の令息はまるで化け物でも見たかのような恐怖の表情で過呼吸になった呼吸を整えながら言葉を発した。
「ハァ、ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯わ、わかりましたミーナ様⋯⋯」
それを見てルキがハルナに爽やかな笑顔を向ける。
「助かったよ、ありがとう!」
ハルナがその言葉に微笑むとミーナがルキの目の前に急いで割って入り仁王立ちになった。
「ちょっとお前、その口の利き方⋯⋯」
ルキはミーナに構わず振り返るとリノに手を振った。
「じゃあな、リノ!」
一瞬で怒号に包まれた食堂。ルキはミーナをスルリとかわし食堂を出て行った。
リノは急にワインの強い香りが鼻をつくのを感じる。すぐに耳元でサナの小声が聞こえた。
「ちょっとリノ様、見ました? ハルナ様に対するあのフェニックスの不敬な態度」
「⋯⋯え、ええ⋯⋯礼儀も何もないわね⋯⋯」
◇
――放課後。
リノが図書室で一人勉強していると男の声がした。
「隣いいですか?」
リノは何気なく返事をしながらその男の顔を見た。
「⋯⋯いいですわ⋯⋯って、あなた⋯⋯ルキ・フェニックス!!!!」
その途端、図書室の司書が怖い顔で二人を睨んだ。その視線に気づいたルキは司書に会釈をしたあとリノに小声で話しかけた。
「⋯⋯リノ、やっと喋ってくれたな」
「あ、あなたと喋ることはございませんわ」
「どうしたんだよ、リノ。昔はあんなに仲良かっただろ?」
「学園には学園での人間関係のルールがございますのよ。あなたといた子供の時とは事情が違うんですの⋯⋯それにあの時あなただって⋯⋯」
「あの時、何だよ」
「⋯⋯あなた、自分が何をしでかしたか覚えてらっしゃらないの?」
「俺が一体、何をしたっていうんだよ」
「⋯⋯じ、じぶんの胸に聞いてご覧なさい!!」
司書が咳払いをする。
リノは俯いたまま立ち上がると入口の方へ向かおうとした。ルキがリノの腕を持つ。
「待てよリノ」
「離して!!」
――リノは階段を走って降りる。悲しみが後から後から込み上げてきた。『ルキ、何でまた私の前に現れたの?』そう心の中で繰り返し叫びながらリノは校舎の入口の扉を開けた。
――土砂降りだった。
すぐに背後からルキの足音と声が反響して聞こえてくる。
「ちょっと待てよ、リノ!!」
リノは校舎の入口の扉の外で屋根を突き破りそうなくらい空から滝のように落ちてくる土砂降りの空を見上げた。
リノのそばに来たルキも、リノと並んで土砂降りの空を見上げる。
ルキがポツリと言った。
「たしかあの日もこんな土砂降りだったよな⋯⋯」
「ええ⋯⋯思い出したようね⋯⋯そしてあの日はルキが私を置いて遠くへ行っちゃった日⋯⋯」
「は? 違うだろ、リノが俺を見捨てたんだろ?⋯⋯あの日、土砂降りの中、伯爵家の従者がやって来て自分のマントを広げリノをその中に入れて馬車に連れて行ったあと、入れ違いに伯爵家の侍女がやって来て『お嬢様はもう男爵家の五男という身分の低いご令息とはお会いになりたくないそうです。だからあなたは明日から初等学院には通うことが出来くなったということです。そしてその事は、すでにあなたのご家族も了承し今から自分の領地に戻られることにしたそうです』と告げられたんだ。俺は子供心に自分の身分を心底呪ったよ⋯⋯それでも気持ちが追いつかなくて伯爵家の侍女に、リノともう一度会って話がしたい。せめてお別れをちゃんと言いたいって頼んだら『分かりました。もしリノ様がお会いになりたいと仰られたらフェニックス男爵が出発される時刻までにお連れいたしましょう』と言われ俺は出発までリノを待ってたけど、リノは結局来てくれなかった⋯⋯そこで悟ったんだ。伯爵家の侍女が言う通り、周りのクラスメイトや大人と一緒でリノも俺を身分で判断したんだって」
「どういうこと? 私はルキに会いたくないなんて誰にも言ってない! 私は、お父様に『フェニックス家は今日中に自分の領地に戻るから、もうルキ・フェニックスの事は忘れろ』と言われたから私がルキに会いに屋敷を飛び出そうとしたらお母様に捕まって部屋に閉じ込められて⋯⋯私、てっきりルキが黙って私の前から消えたんだと思って⋯⋯使用人たちのおかげでやっと部屋から出られてルキのお屋敷に行ったら、もうお屋敷はもぬけの殻で⋯⋯さよならも言えずにルキは行っちゃったって思って⋯⋯理由も聞けずに⋯⋯私のこと嫌いになったのかもって、私嫌われたのかもって」
リノの双眸からはとめどなく涙が溢れている。
ルキは思わずリノをしっかりと抱きしめた。
――土砂降りの雨がさらに激しさを増す。
ルキは身体をリノから離すとリノに思いの丈をぶつけた。
「嫌うなんて⋯⋯リノを嫌うだなんて、そんなことあるわけない!⋯⋯だって⋯⋯だってリノは俺の初恋なんだから!」
「⋯⋯ルキ、ありがとう⋯⋯じゃあ私のこと嫌いになって王都から去ったわけじゃないのね」
「ああ、もちろんだ」
ルキはそう言って微笑むとポケットからハンカチを取りだしリノの涙をそっとぬぐった。
リノも微笑みながらルキからハンカチを受け取ると少し落ち着いたのか表情が穏やかになった。ルキは緊張の面持ちで口を開く。
「それで⋯⋯リノはどうなんだよ」
「どうって?」
「えっ?⋯⋯いや、その頃俺の事好きとかさ⋯⋯あったのかなと思って⋯⋯」
「分からない⋯⋯」
「分からないってなんだよ」
「だってルキが王都を離れた時は、まだ十歳だったんだもの⋯⋯でも⋯⋯」
「――でも、なんだよ」
「ルキがくれたプレゼントは今でも持ってるわ」
「プレゼントって?」
「忘れちゃたの? 私の九歳の誕生日にルキが私のためにロッククリスタルビーチの砂浜で探してきてくれた水晶のこと」
「水晶?⋯⋯ああ、思い出した。リノのことが好きで好きでたまらなくて子供ながらに一所懸命、探したっけ」
「⋯⋯それがこれ」
リノは両手を首の後ろに持っていきネックレスを外して手のひらに置いた。水晶のついたネックレスだった。
「ルキのくれた水晶、ネックレスにして今も大切に持ってるのよ」
「リノ⋯⋯ありがとう⋯⋯実は俺も九歳の誕生日にリノから貰ったプレゼント持ってるんだ」
「えっ! ほんとに?」
「ああ、ちょっと待ってて」
そう言ってルキがカバンの中から一冊の本を取りだすとリノが驚きの声を上げた。
「あっ! それってあの頃ルキが好きだった童話よね?」
「えっ、覚えててくれたの?」
「もちろんよ。私その童話の中に出てくる魔法の四つ葉のクローバーを見つけようと必死に探して押し花にして栞としてルキにプレゼントしたんだから」
「ああ、俺めちゃくちゃ嬉しくて今でもこの本と一緒に大切にしてるんだ」
ルキは栞が挟んであるページを開くと四つ葉のクローバーを押し花にした栞が現れた。
「ほんとだ! まだ大切に持っててくれたなんて嬉しいわ! ありがとうルキ」
リノの目は潤んでいる。リノの肩を抱くルキ。ルキも涙ぐんでいる。
「お互い初恋なのに、勘違いしてすれ違ってたなんてバカみたいだな」
「ええ、そうね⋯⋯でも私は初恋かどうかは分からないな⋯⋯」
「――いいだろ、そこは初恋で」
「そうね、うふふ⋯⋯」
「じゃあ俺たち、また友達に戻れるのかな?」
「ええ、もちろん⋯⋯でも友達でいいの?」
「えっ⋯⋯」
そのリノの真意に気づきサッと片膝をつき右手を差し出すルキ。
「リノ・クローバー様、俺と正式にお付き合いしていただけますか?」
「ええ、喜んで」
リノはルキの右手を取りルキを立ち上がらせると、その胸に飛び込んだ。リノを強く抱きしめるルキ。
土砂降りだった雨はいつしか上がり雲の隙間からは薄明光線が差し込んでいた。
◇
密かに付き合い始めたリノとルキは、それから時々貴族学園の端にとめてあるルキの馬車の中でカーテンを閉めきり二人きりで昼食をとるようになった。
その日もリノとルキは昼休憩になるとルキの馬車に二人きりだった。
リノがルキと二人分のパン、チーズ、ローストチキン、さくらんぼのタルト、堅焼き蜂蜜クッキー、ワインを馬車の中の小さなテーブルに並べるとルキは歓喜した。
「すごいなリノの昼食! あっ、そのさくらんぼのタルトってリノ好きだったよな」
「えっ、覚えててくれたの? 嬉しい」
その時、馬車の扉をノックする音が聞こえた。
「ん? きっとうちの従者だ」
そう言ってルキは馬車の扉を開けた。
「どうした? 何か用⋯⋯」
その瞬間ルキは身体が固まった。なぜなら、そこには一人の小柄な可愛い貴族令嬢が立っていたからである。
「あの⋯⋯お姉様、いらっしゃるのでしょ?」
ルキはその甲高い声があらぬ方向から聞こえてきたように感じ首を左右に振ったが、その隙に貴族令嬢は馬車に乗り込んで来ようとした。
「ちょ、ちょっと、何だよ!」
それを見たリノが叫ぶ。
「アンナ!!⋯⋯どうして⋯⋯」
――馬車に乗り込んだアンナはリノとルキの前で一人パクパクとテーブルに並んだ二人の昼食を食べている。
『アンナ・サジタリアス』⋯⋯リノの親戚で子爵サジタリアス家の令嬢だ。
ルキはその底なしの食欲を目の当たりにしながらアンナに質問した。
「それでどうして、ここにリノがいることが分かったんだよ」
「ああ、それはたまたまリノ様をお見かけして⋯⋯って、あら、あなた従者の方? ずいぶん教養のない話し方をなさるのね、ちょっとお水くださるかしら」
「従者じゃねーよ! ルキ・フェニックスだ」
「⋯⋯え、え、え、え、えー!!ルキ・フェニックスっていったらお姉様が幼い頃、お姉様を置いてどこかへ消えたクズの名前じゃないの!!」
「クズじゃねーよ!!」
◇◇◇
――それからあっという間に一年半の歳月が過ぎた。
リノとルキの密かな付き合いは子爵令嬢アンナ・サジタリアスの助けもあって幼い頃と同じ⋯⋯いやそれ以上に仲のいい関係を築いている。
――ある日の昼休み。
リノはルキとシズカレッタと共に食堂に入った。いつものようにいつもの四人掛けのテーブル席で手を振る二人の後輩サナとエミリー。
ルキがリノの隣に座った途端、周りに座っているリノの取り巻きの男達の殺気という見えない剣が一斉にルキの身体に突き刺さった。
ルキは口角を上げながらその男達の顔を見ている。
それを見てシズカレッタが口を開く。
「ちょっとルキ様、挑発などおやめになって、はしたない」
「えっ? ああ、そうだな」
その時、ほろ酔い⋯⋯?のサナがワイングラスを片手にシズカレッタの顔を見た。
「しょ、しょーいえびゃ、ちょうど一年半みゃえ、シジュカレッタちゃまも⋯⋯ヒック⋯⋯ルキちゃまに挑発されてたではありまちぇんかー⋯⋯オエッ」
すかさずサナの方を向いたシズカレッタが反論する。
「それはサナも同じでしょ⋯⋯っていうかサナ、まだ昼休みなのに飲み過ぎよ!」
「へ、へ~い⋯⋯」
シズカレッタはルキに向き直る
「ルキ様、あの時はリノ様に暴言を吐く輩だと思って敵意を向けてしまいました⋯⋯」
「――いいって、もうそのことは謝らなくても⋯⋯」
「――ですが⋯⋯」
その時、リノが話に割って入った。
「ルキ様、それで今度の剣の試合は大丈夫ですの?」
「それって男子生徒が学園一を決める剣の大会のこと?」
「ええ、そうですわ」
「たぶんな⋯⋯」
(もうルキ! その剣の大会の優秀者が女子生徒の馬術の優勝者の私と卒業舞踏会で踊れること分かってるの!)
「そ、そんな返事ではきっと優勝は出来ませんわね」
「はぁ~? いや優勝するって! 任せとけって! これでも卒業したら最高の騎士を目指してるんだから」
「それなら良いのですけれど⋯⋯」
◇
――その言葉通り数日後の剣の大会でルキは見事優勝した。
リノはルキの馬車の中でルキと優勝のお祝いをしたあと質問した。
「ルキは卒業したら本当に騎士になるの?」
「ああ、なんたって男爵家の五男だからな⋯⋯聖職者の柄でもないし読書と剣だけは幼い頃から好きだったから」
「たしかにそうだったわね。私をいじめっ子から棒を振り回して助けてくれたこともあったっけ」
「はは、あったな、そんなこと⋯⋯リノ! 俺はアーサー王のように騎士王になる!!」
「えっ、でもそれって物語だし、アーサー王は騎士王と呼ばれてても王家の血筋だったわよね?」
「そ、そうだけど、そのくらい騎士として出世してクローバー卿に認めてもらおうって事だよ!」
「ふふ、お父様に認めてもらうのは相当大変よ⋯⋯でも期待してるわ、ルキ⋯⋯」
◇
卒業前の舞踏会のダンスの練習。リノは緊張していた。目の前にルキがいる。
「お手をどうぞ、プリンセス」
「ちょっと茶化さないで」
「いいから早く」
そう言ってルキがリノの手をギュッと握るとリノは嬉しさで心が震えた。
二人で舞踏会の練習。数日後には舞踏会本番。本番では全校生徒が見守る中、二人だけでダンスを踊る。卒業したらルキと歩む人生⋯⋯夢のようだった。
◇
――それから数日後、その二人にとっての夢は無惨にも現実に打ちのめされた。
「お嬢様は、もうルキ様にはお会いにならないそうです」
ルキは目の前の伯爵家の侍女の言葉に、人は違えども幼いあの時と同じような感覚が襲ってきた。
「なんでだよ!」
「もちろん身分差でございます。ルキ様は今日付けで貴族学園を退学なされ、その事はフェニックス男爵様も了承した上で領地に帰られることをお約束されました」
「また、あの時と同じやり方かよ⋯⋯」
ルキは走った。走って走って走った。馬車なんか待ってはいられなかった。一刻も早くリノに会いたかった。
ルキは荒い息でクローバー家の屋敷の前にたどり着いた。
そこへ贅を尽くした豪華絢爛な馬車が門から出てくる。
馬車はルキの前で止まり窓からクローバー伯爵が顔を出した。
「お前、もしやルキ・フェニックスか? 性懲りも無くまたうちの娘に付きまとっているらしいな! 帰れ! 今すぐ 帰ってフェニックス男爵領へ去れ!」
「リノに⋯⋯いえ、リノ様に一目会わせて下さい!!」
「ダメだ!! 帰れ!!!!」
「お願いします!!!!」
「しつこいやつめ⋯⋯おい御者! 早く馬車を出せ!!」
馬車がルキを置いて行きかけるとルキは門にしがみついた。
「リノ! いるんだろ? リノ! リノ! リノ!!」
それに気づいたクローバー伯爵が馬車を止め窓から門番に怒鳴る。
「門番! 何をしている! 早くそいつを追い返せ!」
「はっ!」
◇
ルキはクローバー伯爵の屋敷の門から少し離れた所で座り込んでいた。
そこへアンナ・サジタリアスが近づいてくる。
「ルキ様⋯⋯リノ様は卒業後、一年以内に政略結婚をされることが決まったのです」
「えっ、なんでだよ!! アンナ、リノと話をさせてくれ! 頼む!!」
「⋯⋯分かりました、では私の侍女をリノ様のおそばに置きます。その者がリノ様とルキ様のお手紙の受け渡しを手助けいたします」
◇
――数日後、リノはルキと密かに会った。
「リノ、好きだ! 大好きだ! 政略結婚なんかしないでくれ!!」
「ルキ落ち着いて⋯⋯お父様には逆らえないの⋯⋯それが伯爵家なのよ」
「くそっ!! また身分か!!」
「何なの、その態度!? だったらルキが私を今すぐ連れ去ってくれるとでもいうの? お互いの家も何もかも捨てて⋯⋯私にはそんなことは出来ない⋯⋯さよならルキ」
気丈に振る舞うリノの双眸には涙が溜まっていたが、リノは唇をかみルキの前で涙が零れるのを必死に耐えていた⋯⋯。
◇
その夜、ルキはクローバー伯爵の屋敷に忍び込みリノの部屋の外のバルコニーに上がるため壁をよじ登りバルコニーに降り立ったが窓にはカーテンが閉まっていた。
もうルキの胸の中は溢れるリノへの気持ちで一杯だった。
「リノ! リノ! もう一度⋯⋯もう一度だけ会いたい! 話がしたい!!」
その叫びに部屋の明かりがつきカーテンが開く。ルキは窓に両手を置いた。
「リノ⋯⋯」
だがそこにいたのはクローバー伯爵だった。そばにはガタイの良い二人の男。窓が勢いよく開く。
「またお前か! おい、こいつを少し痛めつけて屋敷から放り出せ!」
「分かりました」
ドスッ、ガンッ⋯⋯。
ルキの心は崩壊寸前で、もはや男たちに抵抗することはなかった。
ボロボロになったルキを一人の男が肩に担いで門の外に放り投げた。
ドサッ⋯⋯。
ルキは遠のく意識の中リノを想う。
(⋯⋯リノ⋯⋯)
――夜明け。
一人ボロボロの身体で朝日に照らされながらトボトボと道を歩くルキ。
その時、ルキの後ろからリノの声が聞こえた。ルキが振り返ると走ってくるリノの姿だった。
「待ってルキ! 私本当は政略結婚なんて嫌! 絶対嫌なの!! ルキとずっとずっと一緒にいたいの! 本当なの!⋯⋯私⋯⋯私⋯⋯」
ルキは両手を広げ胸に飛び込んでくるリノを受け止め抱きしめた。
「リノ!!」
「ルキ!!」
見つめ合う二人。
「⋯⋯リノ⋯⋯愛してる」
「⋯⋯ルキ⋯⋯私も愛してる」
「リノ待ってて、ちゃんと準備が出来たら手紙を届けるから⋯⋯」
「うん⋯⋯」
ルキは涙ぐむリノにそっと優しいキスをした。
◇
――それから半年後。真夏。
伯爵令嬢リノ・クローバーはリノ付きの侍女として仕えている子爵令嬢アンナ・サジタリアスの侍女キアラ・エルメウスと共に朝の身支度をしていた。
部屋に入ってきた一人のメイドがキアラに近づく。手紙を受け取ったキアラがリノに近寄った。
「お嬢様、ルキ様からお手紙が届いております」
「えっ! ルキから?」
リノは受け取ると急いで封を開け手紙に目を通した。
リノ、準備が整った。以前フェニックス男爵領の教会で男爵家と懇意にしていた信頼出来る司祭が今、司教領の教会にいるのが分かった。そこで直接出向いて会って事情を話したら助けてくれると言ってくれた。リノ、司教領へ駆け落ちしよう。ロッククリスタルビーチでいつまでも待ってる。ルキ・フェニックス。
「ルキ⋯⋯」
両手で手紙を抱いたリノの紅潮した頬に一筋の涙が伝っていった。
◇
朝早くリノはルキの手紙を手に屋敷を抜け出し子爵令嬢アンナ・サジタリアスの馬車に乗り込んだ。
「お姉様、よろしくて?」
「ええ、お願い」
その言葉に頷いたアンナは御者に声をかける。
「出して頂戴」
乾いたムチの音と共に馬車はゆっくりと動き出した。
◇
リノは原生林の中を歩きながらネックレスの水晶を握りしめていた。
(ロッククリスタルビーチ⋯⋯ルキが九歳の時、私にプレゼントしてくれたこの水晶があった場所⋯⋯)
原生林の隙間から開けたビーチが見え隠れする。
(もう少し⋯⋯)
リノはついに原生林を抜けた。眼前に白く輝く砂浜。その中に真っ赤な花束を持つルキが立っていた――。
裸足になったリノは粉雪のようにサラサラとした砂浜を歩きながら、幼い頃に見た景色が既視感のように脳裏に浮かんでいた。
両手を広げたルキに抱きつくリノ⋯⋯熱いキスを交わし真っ赤な花束を受け取る。優しい眼差しのルキが海風に吹かれながら真剣な眼差しへと変わりリノを見つめた。
「リノ、俺と生きることを選んでくれて、ありがとう⋯⋯」
◇
伯爵令嬢リノ・クローバーと男爵令息ルキは家の追っ手の者を避けながら司教領の司祭がいる小さな村の教会に辿り着いた。
――それから四ヶ月後。
あるしんしんと雪の降る深夜、礼拝は終わり誰もいない教会。静けさの中、キャンドルが煌々と灯っている。
司祭がいる聖檀の前に二人で立っているリノとルキは指輪と共に永遠の愛を誓いキスを交わした。
それを見た司祭は静かに言う。
「今この瞬間から、あなた方は夫婦です。密やかなこの婚姻にどうか神の御加護を⋯⋯」
その時、ものすごい吹雪と共に聖なる風が舞い降り、教会の鐘を高らかに鳴らしたのだった⋯⋯。




