黒髪の少年の夕暮れ
春の夕暮れに、カラスが鳴いている。
茜色、と言うよりは紅色に染まる空を背景に、どこか物寂しそうな声で、そして何かを警告するような声で。
彼らが溶け込む雲は、落ちかけの太陽の光を反射し、赤く輝いている。
そんな場所からカラス達が見ているものは、ある高校の体育館裏にいる六人の人影だった。
五人が一人を取り囲み、とても仲良しこよしなんて雰囲気は微塵も感じられない。
一発触発…まさにその言葉が適している。
円の中心で囲まれている、少し身長の高い少年は怯えるようすもなく、ポケットに手を突っ込んでいる。
少年の瞳は、どこか面倒くさそうに、呆れたようにも感じられるだろう。
取り囲んでいる柄の悪い一人の男が言った。
「おい!『G』ランクの霧間 麻人!先日はうちの部下をこっぴどくやってくれたそうじゃないか。」
そう言われた少年、改め霧間麻人はショートとミディアムの中間くらいの黒髪をガッとかきあげ、一般人よりも整った顔立ちをさらしながら言った。
「こっぴどくやったって、先に手を出してきたのはあんたの部下とやらだぞ?廊下歩いてたら、ドンってぶつかって、謝ったら殴ってきたから…。」
正当防衛だ、と彼は言いたいのだろう。
視線を少し下にむけて話すその姿からは、彼の言葉とおり反省の色はない。
もっとも、霧間は反省する必要などないのだが。
「黙れ!どんな理由であろうともうちの部下がやられたのは事実だ!それなりの覚悟はできているんだろうな?」
男はそんな霧間に対して先ほどとは比べものにならない大きな声をあげた。
同時に変わる目つき。
ただでさえ悪い目つきをしているのに、さらに歪んだ顔になった。
それは周りの男たちも同じと言ってもいいだろう。
『殺気』という言葉が、痛いほどピッタリと似合う。
そして男は右腕を伸ばしたまま、肩の高さにもってきた。
その手は最大限に開かれ、それは『何か』を掴もうとしているように見える。
そして次の瞬間、男の手の上の空間から『それ』はゆっくりと出てきた。それは空気と空気を掻き分けるようにして、ゆっくりと確実に姿を表す。
霧間が目にしたのは、刃渡り60センチほどのサーベルだった。
まさに西洋の騎士が使っているようなモノ。
違っているところといえば、それは『風を纏っている』ということだ。
この世の物じゃないことくらい、保育園児にもわかるだろう。
続いて他の四人も同じようにサーベルを取り出す。
そう、彼らはたった今、『契約しているクリーチェストからサーベルを借りた』のだ。
これは異世界の進化生物、『クリーチェスト』と契約を結ぶことによって得られる能力の一つであり、他には『召還』と『融合』がある。
そしてこの能力『転送』は、契約しているクリーチェストの所持品、および魔力を異世界からこちらの世界へ転送してもらうというものだ。
この行為自体は人体にほとんど負担がなく、能力の中では最も容易にできると言えよう。
現在、カラスもすっかりいなくなった空の下、五人の男が何も所持していない一人の少年、霧間麻人を囲んでいる。
はたから見れば、まさに彼は絶対絶命。そう思えるだろう。しかし霧間はフウッと小さなため息をついて言った。
「『風の戦士のサーベル』か…。なあ、俺の幼なじみが言ってたけど、そんなただの下級戦士のサーベルは全然強くないって…。」
霧間はまるでこの武器の性能を知っているかのような口ぶりだった。
男はこの言葉に対して眉間にシワを寄せる。
「うるせぇ!俺たち『F』ランクでも数が多けりゃ何だってできんだよ!おい、やっちまえ!」
その言葉が火蓋を切り、霧間麻人の右側にいた男が「待ってました」といわんばかりのスピードで、霧間に斬りかかった。
サーベルを上に掲げ、今にも降り下ろそうとしている。
鋭く光り、風を纏うその刃は掠めただけで間違いなく身を切り裂くだろう。
しかし、霧間はそんなモノを恐れることなく、彼に走り寄る男の腹に痛烈なミドルキックを喰らわせた。
「ガハァッ………。」
さきほどの勢いとは逆に、その場に力なく倒れるその男。
腹を押さえて失神するその姿を見て、霧間はその男が戦闘不能であると判断した。
「てめぇ!!」
休む暇もなく、次に左側にいた男と右後ろにいた男二人が斬りかかった。
左からのサーベルは、風を纏いながら周りの空気を切り裂き、霧間の頭部を切ろうと迫る。
が、彼は先ほどと同様、全く焦ることもなく、その場にしゃがんで攻撃を避ける。
頭上をサーベルが駆け抜け、刃と化した風が髪の毛を少し切ったのを霧間は感じた。
「後ろにもいるぞ!?」
これを狙っていたかのように、背後に回り込んだもう一人の男が、霧間の足首に高さをあわせて横から地面すれすれにサーベルを繰り出す。
しかし、
「お見通しだ。」
霧間はそう言ってしゃがんだ状態から身を回転させながら、小さくジャンプした。
空中で彼の体は頭の先からかかとを軸にし、完全に地面と平行となって回りながら浮いている。
そして攻撃をかわした彼は素早く体勢を立て直し、先にサーベルを振って体の流れた隙だらけの男の腹に蹴りを打ち込む。
低いうなり声を上げて倒れるその男。
―――喰らえ!
振り向き様に後ろの敵を蹴飛ばす。
二メートルほど飛び、男は動かなくなった。
―――あと二人…!
霧間麻人は相手の不意をつき、左後ろにいた男に蹴りを喰らわせた。
「ぐふっ……。」
いきなりの攻撃に対処することができず、男はあっけなく崩れ落ちた。
はたから見れば危機的状況だったが、数秒間でタイマンという対等の立場となった。
目の前で四人の仲間があんまりにあっさりとやられてしまったからか、残ったリーダーらしき男は動揺を隠すことができない。
「あとはあんただけだぜ?」
霧間麻人は前を向いてその男と向き合った。
その瞳は自信に満ち、勝利を核心していた。
一方、男は少しの間うつむき、そして、
この世が終わるかのような恐怖に震えるような顔を上げ、言った。
「くっそ………こうなったらかなりリスキーだが………『召還』してやる!」
ピクッとその言葉に反応する霧間。
―――『召還』…契約しているクリーチェストを、『こちらの世界に呼び出す』!
「お前!わかってるのか!?Fランクごときが契約相手を呼び出すことの『危険性』を!」
霧間は口調を少し強めて言った。
しかし男は全く聞く耳を持たず、右膝を地面につき、紫の唇を動かして『何か』を唱えた。
次の瞬間、その場に木枯らしが巻き起こった。
地面に転がる葉っぱや小枝などを踊らせ、周りの空気を巻き込んでいる。
そして、一瞬、
まるで燕が宙に漂う虫を捉えるような、刹那的な時間で、いやに生暖かい風がその場を制した。
そして、
―――これはちょっと不味いんじゃないかな?
霧間麻人は突如目の前に現れた『それ』を見て思った。
彼の視界に映ったのは、銀の鎧を身につけた戦士だった。
身の丈は180センチほどだろうか。
顔は甲冑をしているため、霧間だけでなく他の誰からも見えることはないだろう。
しかし、霧間麻人には断言できることがあった。
この生命体は、『明らかにこの世のものとは違う』。
そしてこいつこそが、『男が契約しているクリーチェスト』だと。
おそらく、『風の戦士』と思われる敵が増え、男が断然有利になったと言えよう。
しかし、男は契約相手である風の戦士になぜか恐怖の色を見せている。
また、風の戦士もそんな男をまじまじと甲冑の中から見つめいる。
「馬鹿!早く逃げろ!」
叫んだのは霧間麻人だった。
対象はもちろん男。
が、次の瞬間、
「かっ………。」
布を切り裂くような音は一切聞こえず、何か固い繊維を引き裂くような音を霧間は聞いた。
そしてそんなものよりも耳に残る、男の断末魔の吐息。
そう、召還主である男は、召還相手である風の戦士に胴体を切り裂かれたのだ。赤い鮮血がたちまち地面を染め、嫌な人間の臭いが周囲に立ち込める。
さきほど霧間麻人が言った『危険性』とは、まさにこのことなのだ。
彼らが用いているアルファベット、『G』や『F』は、『契約している人間のレベル』をさし、そのレベルの測定は彼らの通う『クリーチェストと契約しているものだけが入学できる』高校、榊山高校で、定期的に試験のような形で測定される。
『A』ランクが最高レベルで『G』ランクが最低レベルとされており、通常の場合、契約相手を召還し、『自由に指示する』ならば、最低でも『C』ランクでないと不可能とされている。
それ以下のランクの者が召還していまうと、例外を除き、レベルの低さにクリーチェストが反抗して、さきほどの男のような末路を辿ることになってしまうだろう。
男を斬った戦士は霧間麻人の方を向いた。
甲冑をしているため、霧間は化け物の表情をつかむことができない。
ただわかっていることは、このまま何もしなければ霧間麻人も今や無惨に転がる男と同じ運命となることだ。
―――まったく、厄介なモン残してくれたもんだぜ…。
霧間はただただ苦笑した。
その笑みは自分自身に、あっけなく殺された男に、そして目の前にたたずむ銀の鎧の化け物、『クリーチェスト』に向けられた。