迫る影には気づかずに
眼鏡をかけた男であり、霧間麻人を攻撃しようとしている男の一人である佐川は、少し重い扉を開いてコロシアムに入った。
そして、半球状のドームのそばで尻餅をついている金髪の男、三宅を見つけた。
霧間にあっけなく敗北を許した彼はこちらの世界に強制送還されたのだ。
その表情は強張っており、別の世界にいる霧間に脅えているようだった。
「……やはり、彼には勝てませんか…まぁ、期待はしていませんでしたが…」
ふぅっ、と小さく息を吐き出し、少し呆れたように、しかしながら計画通りにことが進んでいることに、少し満足げな笑みを浮かべた。
「お、おい!佐川!あんな能力使うやつが、何でGランクなんだ!?軽くCランクはあってもおかしくないじゃないか!!」
少し取り乱しながら叫ぶ三宅。
それに対し、佐川は眼鏡を人差し指で上にあげ、三宅とは対照的に冷静に答えた。
「今さらですか?彼には我々Fランクを軽く超える力があります。さもなくば、いくら楠原深月がいるからと言っても、とうの昔に殺されているでしょうから」
これまで、霧間に『勝負』をふっかけた相手は、Fランクの男子生徒のほとんどだ。
佐川が言ったように、霧間麻人はやすやすと殺されるような人物ではない。
それは彼が使う独特の『魔力を宿す』という能力があるからかもしれないが、彼自信が昨日の戦いで見せたような、『体術のキレのよさ』も関連しているだろう。
そもそも、いくら人数が多いとは言え、Fランクの生徒で、三宅のように霧間のことをほとんど知らないことは、他に何を知っているのか、と訪ねたくなるようなことなのだが。
「クッソォ…どうすんだよ!あいつはもうすぐ帰ってくるぞ!?その時は俺たちが何をされるか…」
「ご心配なく」
焦る三宅の言葉を半ば遮るように佐川が言った。
そして困惑する三宅に、佐川はさきほど階段で話していた『作戦』を伝える。
無論、三宅は囮だった、ということは隠した。
それを聞いた三宅は、まるでこれまでの憤りを自分自身から搾り取るように、ニヤッと表情を緩めた。
「これで…あいつも終わりだな…クク…」
「いくら霧間麻人とはいえ、これには対応できないでしょう。…さぁ、僕は待機させている二人の刺客を呼びに行きますか」
三宅には見えなかったが、佐川も同じように笑っていた。
おそらくFランクの生徒なら、ほとんどが彼らのような表情になるといえる。
それほど、Fランクの生徒は霧間麻人を『目の上のたんこぶ』のように見ているのだ。
そして佐川はコロシアムの扉を開けっぱなしにしたまま、軽い足取りで階段へと向かった。
コロシアムには、三宅一人が残る。
「ククク…これで霧間も終わりか…。あとのGランクの奴等はザコばかり…いや、岩國とかいうやつは警戒だな。まぁ…『嫌われものの大将』が死んだ時点で、潰すのも時間の問題だ…」
三宅はいまだに笑っていた。
さきほどよりも、すごく満ち足りたような不気味な顔で、『笑顔』と呼ぶにはあまりにも抵抗がある。
三宅は、すでに勝利を確信していた。
しかし、そのとき、
「う、うわぁぁぁぁ!!」
「!?」
笑い声とはかけ離れた佐川の悲鳴が轟いた。
三宅は少し固まったが、重い足取りで、眉間にはしわをよせながらコロシアムを出た。
すぐに目に写ったのは、階段の踊り場、佐川と男子生徒二人が、作戦の最終確認をした場所を指差すように、人差し指を下にむける佐川の姿だった。
普段の少しクールな彼からは想像できないほどの脅えようで、何よりも顔が青ざめていた。
三宅は佐川に声をかける。
「おい!どうしたんだ!?」
佐川は顔を引き吊らせながら三宅を見て、そして震える口を開いた。
「あぁ、あ、あれ!あれ!!」
ただひたすら踊り場の方を指差す佐川。
三宅は不思議そうな顔をして、その人差し指の先を覗きこんだ。
そして、その光景に絶句する。
「な……何なんだよいったい…!!」
二人が見たのは、踊り場を埋めつくす血だまりだった。
黒っぽい赤が、その場を支配している。
血は踊り場の淵から下の階へと滴となり垂れ、その勢いは止まることはなさそうだ。
そして、その地獄に沈む二人の学生。
おそらく、この膨大な血は彼らの体を巡っていたのだろう。
出血、いや、流血により彼らの体は真っ青なはずだが、それを許さない血の量が二人の体を染めている。
いくら人が死ぬことに慣れた学生でも、彼らがまだまだ経験不足のFランクであるからかもしれないが、この光景はあまりにも残酷すぎた。
「う、うわぁぁ…!」
恐怖で脚がすくみ、腰を抜かす三宅。
佐川も同様に、震えながら壁に身を預けている。
彼らにさきほどのような笑みは無く、目の前の『地獄絵図』にただただ怯えていた。
と、そのとき
「…おい、お前ら何してんだ?」
ポリポリと頭をかきながら、異世界から戻った霧間麻人がコロシアムから出てきた。
戻ってきたときに相手がいなかったためか、少し不機嫌そうな顔をしている。
霧間は二人に近づくと、彼らが『例のこと』を話す前に何かを察知した。
「……血の…匂い?」
そう呟くと瞬時に霧間は駆け出し、そして踊り場という名の地獄を見た。
霧間は一瞬眉間にしわをよせたが、すぐに冷静になった。
そして一歩一歩、階段を降りる。
彼は、一人が俯せで倒れ、もう一人は仰向けになっているのを確認した。
その後、血の飛び散っていないところの限界まで下った彼は、その脱け殻となった二人をじっくりと見た。
何度も人が死ぬ瞬間を見てきた霧間は、こういったときに感じる恐怖を失っている、と言っても過言ではない。
しばらく殺戮の現場を見つめ、そして彼はあることに気づいた。
「……外傷が…一つも無い…」
そう、倒れる二人に傷のようなものなどなく、まして服さえも破れたり切れたりしていない。
ここで、疑問点として浮かび上がるのが、この血だ。
どのようにして流血したのか。
霧間は、吐血、という可能性も考えたが、これだけの量を吐き出し、なおかつそれを撒き散らすのは不可能だ、と彼は推測した。
それに吐血ならば、生きている三人はもっと鼻をつんざくような異臭に顔をしかめているだろう。
「とりあえず……先生頼みだな」
霧間はそう呟いて、階段を昇ろうとした。
大抵の場合、学校の敷地内で人が死んだりした場合は、教員が『遺体処理施設』に連絡を入れ、そしてその施設の人が現場に出動し、作業を行う、といった流れになっている。
―――いつも通り連絡するか…
霧間は慣れた手つきで携帯電話を操作する。
しかし、ふいに踊り場に見えた『物』に、彼は目を疑った。
それは、血の中に見えた、携帯電話。
そう、藍川澪美の携帯電話だった。
そして、その付近にうっすらと残る、小さなシューズの跡。
「…いや、まさかな、ハ、ハハハ…れ、藍川さんがこんなこと、するはずないだろ…」
さすがの霧間麻人も困惑した。
浮かんでくるのは普段の藍川澪美。
ドジで、おっちょこちょいで、世話がやけて、でも優しくて、笑顔が明るい、彼女の姿。
霧間は教員に繋がる番号を消し、そして電話帳の『藍川 澪美』と表示された場所にカーソルを合わせる。
―――信じてる
そう自分に言い聞かせ、霧間は通話のボタンを押した。
しばらくの間、とはいえ数秒間、接続するための音がなる。
彼にとって、その時間はあまりにも長く感じられた。
そして、表示される、『呼び出し中』の文字。
彼の耳元では、プルルルル、というお決まりの音が流れる。
霧間はとっさに血の中の携帯電話を見る。
………微動だにしない。
音を発さないどころか、振動すらしない。
霧間はそれを見ると小さく息を吐き、座り込みたい気持ちを抑え、エレベーターで下に向かうべく、階段を駆け上がった。
「ハハ、なに考えてたんだよ…藍川さんがそんなことするわけないよな!さぁ、とりあえず先生のいる場所に向かわなきゃ!」
霧間はただ前をむいて駆けた。
悲しくも、その足取りは軽かった。
彼がいなくなった踊り場
…皮肉なもんだな
あいつを助けるために、藍川澪美は携帯電話を『サイレントマナー』にしたのに、それがあいつを裏切ることになった……。
やっぱり…
信じるなんて、何がいいことなのかねぇ…
傷付く前に…
傷付けてやればいいのに
…少年のような声が、小さく響いていた。
更新が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
これからもよろしくお願いします。
黒崎 千叉